アウグストの十字架

 8.三十一日目の呆れ顔




「みんなお疲れー! 練習終わりでーす!」
松野愛里の声で部員たちは部室に入ってきた。一斉に着替えを始める彼らに、優菜は頬を染めてマネージャー部屋へと引っ込んだ。

「鈴村? まだ慣れないのか。」
「優菜ちゃんは照れ屋さんだもんねー。」
「さあさあみんなちゃっちゃと着替える! じゃなきゃ優菜ちゃん出て来れないからね?」
そんな優菜を見て跡部景吾が首を傾げる。続けて芥川慈郎が声を上げて笑った。
それを見届けた松野愛里はタオルを取り出して部員たちに手渡していく。

「ご、ごめんなさい…! 私、その…」
「着替え見るのをびびるくらいで他には何も問題ないんだろ? ならいーんじゃねえか?」
松野愛里の声に優菜はカーテン越しに返答した。別に姿さえ見えなければ問題ないのだ、会話ならばできる。申し訳なく思いながらもカーテンから顔を出すことのできない優菜に同情してか、宍戸亮がフォローを入れた。

彼は人情味のある兄貴肌な人間で、困っている者を放っておけない性格をしていた。
今回も優菜のことを不憫に思ったのだろう。

そんな彼に心の中で感謝をしつつ、優菜はそっとカーテンから顔を出す。
ほとんどの者が着替えを終わらせているのを確認すると、顔を出した時と同様にそろりと部室へと入った。

「鈴村先輩!」
優菜の姿を見て、鳳が駆け寄ってくる。彼は既にきっちりと制服を着込んでいた。着崩すこともせず、模範通りに制服を着ているのを見た優菜は鳳らしいと感じる。


「鳳くん、どうしたの?」
「今日相談したことなんですけど、やっぱり先輩の言う通りでした! 手首を意識してみたら入りやすくなったんです。」
優菜は首を傾げて鳳を見上げた。見上げられた鳳は頬を染めて笑顔を見せる。
何事なのかと目を丸くする優菜の手を握ると、鳳は早口で捲し立てた。

「そう…! 良かった!」
そんな鳳の様子を見て、優菜も嬉しそうに微笑んだ。普段の落ち着いたイメージを払拭するかのような、純粋な笑顔を見せて、優菜も鳳の手を握り返す。

「あ…! あっ…わぁっ! すみません……!」
「え…あ……! ご、ごめんなさい…私ったら嬉しくってつい…」
しかし、すぐに鳳が顔を真っ赤にして手を離した。嫉妬の視線を感じながら、優菜も頬を染めて頭を下げる。
両手で頬を覆って恥じらう様を見せた。


「こちらこそすみません! あっ、あの…お疲れさまでした!」
優菜の行動を見て、さらに顔を赤くした鳳は勢いよく頭を下げた。そして優菜の顔を見ることができないのか、そのまま風のような速さで部室を出て行ってしまう。


「…長太郎のやつ、俺のこと忘れてるな。」
「あっ、ごめんなさい。私が…」
「鈴村のせいじゃねえよ、気にすんな。あれはいつまでも女子に慣れない長太郎が悪い。」
初心な彼の行動に宍戸が笑った。優菜が眉を下げると、彼は朗らかに笑み帽子を被る。
ラケットを専用の鞄に入れると、宍戸は優菜の頭に手を置いた。ぽんぽんと叩くような気軽さで撫でる。

「じゃあな、お疲れさん。」
優菜が見上げるよりも早く彼は部室のドアを開けると、短く言葉を残して出て行った。


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