triste

 狐は兎を思う、兎は蝶を思う











「ん……」
「あら、おはよう。」
「?おはようございます……」

これで何度目か、目を覚ました和泉は目の前の美女に見とれてしまう。
先程も見た女性だったが、その美しさはそうそう変わらないだろう。


「気分はどうかしら?」
「あ、はい。大丈夫です。ご迷惑…でしたよね……」
「いいのよ。」

起き上がって頭を下げると女性は首を振ってにこりと微笑む。
裏のない、優しい笑顔だ。


「元はと言えばあなたを勝手につれて来たこちらが悪いのだから。」

そう言って女性は背後を睨む。そこにいたのはべっとりと血をつけたあの銀髪の男だった。
その赤は男の血ではないだろう。…おそらく返り血だ。



「おやおや…まるで私が悪いとでもいいたそうですね、帰蝶。」
「私はそう言ったつもりだけれど。」

女性の視線を受けた男は喉の奥で笑う。

不健康な白い肌に、不気味に伸びる銀の髪。
立つその姿もひょろりと細長く、不気味さを更に助長している。


「上総介様はそんな命を出していない。確かに彼女に興味をお持ちになっていたようだけれど、傷つけて捕まえて来いなんておっしゃられていないわ。」
「良いじゃありませんか。結果として彼女は生きてここにいるのですから。」
「……光秀…。」
「そんなに怒らないでください、帰蝶。綺麗な顔が台無しですよ。」
「あなたは……」

女性の言葉をのらりくらりとかわす男。それに女性が悲痛な面持ちで俯いてしまった。
艶やかな黒髪がなんだかひどく悲しげで、見ているのも辛い。

和泉は思わず起き上がって、女性の肩にそっと手を置いた。
びくんと肩を震わせた女性はゆっくりと和泉を見る。その目には悲しさと恐怖が宿っていた。


「……。」

和泉はそんな状態でも動かない男を見る。男は楽しそうにこちらを見ていた。
女性と男の間に入り、男の目を見た。


「…こういう時は気を利かせて出ていくか、優しく肩を抱いてあげるものでしょう?」
「……はい?」
「紳士的じゃないです空気読んでください。」

和泉の声に、切れ長で薄紫の目が丸く見開かれる。
それに和泉はむすっと黙り込んで男をぐいぐいと押しやった。



「ちょ、ちょっとどこに連れて行く気ですかあなた……!」
「えい。」
そのまま有無を言わさずスライド式のドア(障子という名前だったはずだ)を開けて男を追い出す。
ぴしゃんとドアを閉めて、女性のところまで戻った。


「…あの、私大丈夫ですから。」
「え…」
「だから、その……悲しい顔しなくても大丈夫ですよ。」

女性が驚いたような顔をして和泉を見る。
和泉は精一杯の笑顔を女性に向けた。
言っている意味はちゃんと伝わっただろうか。自分はお世辞にも口が達者とは言えないので不安だ。


彼女の手をそっと握る。
硝子細工に触れるように優しく握らなければ、彼女は壊れてしまう気がしたからだ。



「お姉さんは、人が傷付くのが嫌なんですね。」
「……っ、こんなことではいけないのに…」
「そんなことない。それは、当然のことです。」

そのまま女性に抱きついた。和泉の胸も痛んだから。
今の主であるボンゴレ十代目に出会っていなければ、この女性の言葉に胸が痛むこともなかったのだろうか。

そして、こんな風に悲しそうな顔をやめてほしいと願わなかったのだろうか。



「人が傷付くのを見れば、誰だって『痛いだろうな』って思います。それは、思ってはいけないことじゃない…!」


こんな風に考えることも、きっとなかったのだろう。
あの時の自分は、自分の悲劇を勝手に悲観して悲しんでいただけなのだから。

それこそ喜劇だと笑ってしまいたくなる。



「持ってて当然の感覚です。あなたは普通なんです。」

女性の肩に顔を埋めたまま和泉は続けた。

自分には感じることのできない悲しい痛み。それは持っていて当然で、当たり前のことなのだ。


遠い昔、幼い時に自分が失くしてしまったもの。
それを今まで失くさずに持ってこれたこの女性が、少し羨ましかった。
 

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