triste
兎は射抜くのを自覚せず
「和泉、」
誰かが私を呼んだ。
このお城の中に私を名前で呼ぶ人は二人。
このお城の主、武田さんと先日このお城にやってきて泊っている前田さん。
今武田さんは出かけているから……私を呼んだのは前田さんということになる。
振り返った私はそこにいた人の良い笑顔を見て少し安心した。
この人は、怖くない。
真田さんみたいに眩しくない、かといって猿飛さんみたいに真っ暗でもない。
私と同じような、中立地帯――グレーゾーンに立っているひと。…私みたいに中途半端でもない、自らその場所に立っているように見える前田さん。
私みたいな怪しい人間にも、いつも優しく接してくれるひと。
「前田さん。」
「よ、今日も可愛いな!」
「い、いえ……!そんなことないです…!!」
「キィ!!」
朗らかな笑顔で、縁側に腰掛ける前田さん。おいで、と手招きされて私もそれに倣う。
座ると前田さんの方が大きいから、自然と見上げる形になってしまう。
前田さんみたいな人を“かっこいい人”と言うんだろうなぁ、なんてぼんやり思っていたら前田さんは笑った。
……私、何かしてしまった…?
「いやいや、なんもしてないよ!和泉があんまり俺のこと見るもんだからさ。」
「あ…すみません……」
「俺に見惚れてたのかい?」
砕けた調子でからからと笑う。
そんな前田さんは本当に男前っていうやつで、こういう人は私の身の回りにいなかったなぁなんて思った。
「……そうですね。前田さん、男前ですから。」
「…!?」
「前田さん?…私、また変なこと言いましたか?」
前田さんが固まってしまったから、私は彼の顔を覗き込んだ。ぎょっと目を見開かれて前田さんが私から距離を取る。
「…い、や……大丈夫ー…。」
「顔が真っ赤です…風邪ひいたんでしょうか?」
「いやいやいや!本当に大丈夫だから!!」
前田さんの額に手を当てて熱を測ろうとしたけれど、それは阻止されてしまった。
夢吉さんが前田さんの真似をして手をぶんぶん振る。とても可愛い。
「あ、そうそう!」
突然そう言って前田さんはお団子を取りだした。
見ればお茶の道具も用意してある。
「和泉、団子好きか?」
優しい笑顔を浮かべて、前田さんは言った。
頷くと、彼はますます嬉しそうな表情を浮かべて一本、串を渡してくれる。
受け取ると前田さんはお茶を淹れ始めた。
ジャッポーネのお茶はいい匂いがして、心が安らぐ。
お団子……。
あまりいい思い出のないものだけど。
あの時入ってた毒は、私に抗体のあるものだったから後で吐血した程度で済んだし…。
そんなこと考えながらお団子を食べる。
すぐに出てきたお茶を受け取った。
「京で起こった面白い事件があるんだけどさ、聞いてくれるかい?」
「はい…」
「そっか、嬉しいよ!幸村も佐助も俺の相手してくれないからさー…。」
朗らかに笑いながら話をしてくれる前田さん。
彼の笑顔は私にとって安心するものだけれど、でもどこか寂しそうなのは…私の気のせいなのかな……?
「――でな、その時舞妓の藍雪って子がな!」
大きい身振り手振りで分かりやすいお話。
そんな話を聞きながら、私はぼーっと彼を見ていた。そんな私の様子に気付いたのか、前田さんは私の顔を心配そうに覗き込む。
「……和泉…?」
「は、い……どうしましたか…?」
「…どうした?」
首を傾げる彼の肩から、長いポニーテールがさらりと流れ落ちた。
生返事の私の肩を支えて、そっと頬を撫でてくれる。
「泣きそうな顔、してる…。」
「え…?」
言われるまで気が付かなかった。私は目を見張って彼を見上げる。
眉を寄せて、まるで自分のことのように苦しげな表情で前田さんは私を見ていた。
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