光にさわる | ナノ





「日向クン」
 声をかけられて、グラスをあおったところだった日向は振り向いた。苗木が、ワインボトルをこちらに向けている。彼は先ほどまで根詰めて仕事をしていたと他の78期生に聞いたばかりだったので、ここに現れたことにほっとする。
 上品な音楽が流れるホールには、未来機関に勤める者たちが一堂に会し、談笑したり、時には学生のように騒いでいたりする。まだまだ復興業務に勤しむ社員たちをねぎらうため、今日は本部でこのように立食パーティーのようなものが開かれている。とは言え、堅苦しいものではなく、ほとんどが希望ヶ峰学園の卒業生で構成されているということもあって、同窓会のような雰囲気だ。少し見渡しただけで、ステージ上で踊りを披露する西園寺や、料理を振る舞う花村、その料理をすごい勢いで吸い込んでいく十神(偽)、それらをカメラにおさめていく小泉など、77期生などはそこかしこで好きに暴れまわっている。それを見て十神(本物)などはくだらんと吐き捨て、隅に行ってしまったが、それをそこそこ酔っている朝日奈と葉隠が追っていったので、さぞかし楽しい集まりになっていることだろう。それを同じく見守っていた霧切と目が合って、先ほどまで話していた。そこで苗木の話になったのだ。いつも感情の乗らない彼女の顔にうっすらと心配そうな表情が覗くことを微笑ましく思って、日向はあたたかい気持ちになった。その本人が来たことがうれしくて、グラスを差し出した。苗木がボトルを傾けて、琥珀色の液体を注ぐ。
「苗木は飲まないのか?」
「えーっと、残念ながらボク、下戸なんだ」
「そうだったか。ところで、霧切には会ったか? 心配してたぞ」
「あはは……迷惑かけちゃったしね。後で行くよ。先に日向クンに用があって」
「俺に?」
「これを」
 苗木はボトルをテーブルに置くと、ポケットから何かを取り出した。差し出した手のひらに乗せられたのは、シンプルなブラックの記憶メディアだ。
「中身は?」
 苗木は口元に人差し指を立てて微笑む。黙って見ろということか。
「日向クンが本部に来る機会なんて、この懇親パーティーくらいだと思ってたから、どうしても間に合わせたくて……4階にメディアセンターっていう部屋があるんだ。そこでしか再生できないようになってる。ひと段落したら、行ってみて」
「いや、今行く」
「……うん。その方が、いいかもね」
 日向は胸ポケットにメディアを入れて、わずかに白ワインの残ったグラスを苗木の胸に押しつけた。
「それくらいなら飲めるだろ。霧切と乾杯してこい」
「あはは……お気遣いありがとう。楽しんでね」
 日向はそっと会場を抜け出し、エレベーターに乗って4階へ向かった。フロアにはほとんど人がいない。大半がパーティー会場にいるのだろう。空っぽの部署は照明が落とされていて静かだ。それを横目に、メディアセンターの前に立った。
 社員証をかざすと開けられる仕組みらしく、日向の社員証でも認証してくれるようだった。自動ドアが開き、中の様子があらわになる。部屋の名前の通り、プロジェクターやパソコンの機材などが部屋中に並べられてやや物々しい雰囲気だ。パソコンの前に座ると、先ほど苗木から受け取った記録メディアを差し込む。ローディング画面が表示され、進捗が表示された。
 その時、急に部屋が暗くなった。突然のことに驚くが、パソコンやプロジェクターの画面は煌々と光っているため、停電ではないようだ。そのまま立ちすくんでいると、部屋の壁の一角が突然開いて、機械音と共に黒い機材が飛び出してくる。正面に見える丸いガラスレンズからして、照明のようだった。プロジェクターが消え、その周辺――教室でいう教壇のようなスペース――を照明が照らし出し、空中に光の粒が集まり始めた。その粒はカラフルに点滅しながら、ひとつの塊になっていく。なすすべもなく行方を見守ると、その光は人間の形を取った。日向は息をのむ。呼吸が浅くなる。ここから逃げ出したいような気持ちになるが、足がまったく動かない。心臓に痛みが走り、やめてくれ、と言おうとしたが呼吸もままならずに声が出なかった。
 人の形を取った光は、やがて口を開いた。
「ひなたくん」
「……!!」
 懐かしいやわらかい声。ななみ、と息だけが出ていく。光は七海をかたどった。後ろが跳ねた髪、見覚えのある猫のパーカー、手元にいつも持っているゲーム。眠そうにやや細められた目が、無表情に近い瞳が、日向を射抜く。
「七海、どうして……」
「これは、未来機関のホログラム実用化プログラムの一種だよ。日向くんは知っての通り、新世界プログラムのような疑似世界を創り出すことはできる。逆にスケール小さくして、現実でセラピー効果を得ようっていう試みの一環なんだ」
「ホログラム……?」
「レーザーで空気分子をプラズマ化して、空中に光で三次元の像を描くんだよ」
「難しいことはわからないけど……えーと、ということはお前はアルターエゴ、だよな」
 アルターエゴの姿は画面でしか見ることはない。七海の全身を見るのは、まさに新世界プログラムのなか以来だった。日向は思わず七海の足元を確かめる。現実の人間に見えるように設定されているのだろう。地面に足がついているように見えた。
「幽霊じゃないと……思うよ」
「そうだな、プログラム、だもんな……」
 考えていることを見透かされている。七海の首を傾げながら喋る動作さえトレースされていて、日向は口元を手で押さえた。七海はいたずらが成功したかのように得意げな顔で笑う。
「ごめんね。驚いた、かな」
「そりゃ、驚くだろ……だって、お前は……」
 その先を言えずに、日向は唇を噛んだ。
「じゃあ、これも驚いちゃうかもしれないね。今日はパーティーだって苗木くんが教えてくれてね、これを実装してくれたんだ」
「実装って……」
 何を、と疑問を発する前に光の粒が離散する。七海が一瞬でかき消えたことにたじろぎ、わかっているのに目の前の人間が光の集まりだったことに愕然とする。それほどまでに、目の前に立っている七海は姿形、仕草までもそれらしかった。メディアを差し込んだパソコンが照明側にデータを送っているのだろう、わずかな機械音がする。かなりのデータ量に違いない。苗木はこれを準備するために、今日も遅くまで作業していたのだろうか。そうだとしたら、本当に、本当に頭が上がらない。もう一度会いたいと、何度思ったか。アルターエゴと話しながら、それでもこれは七海じゃない、と何度自分に言い聞かせたか。何度かつての希望ヶ峰学園の中庭を夢に見たか。これを、77期生の誰かに言ったことはない。彼らはクラスメイトとして七海千秋と、日向以上に時を過ごしている。そんななかで、自分だけが悲劇のヒロインのように悲壮感に浸ることは、許されないと思った。
 だから、苗木が自分にこのメディアを渡してくれたことは、七海のクラスメイトに申し訳なく感じるとともに、どうしようもなくうれしくて、もう何年も経っていてみんなが前を向いているのに、自分はよわいままのようでとても悔しい。
 目の前に再構築される七海の姿は美しかった。夜空のような紺色のパーティードレスを身にまとい、ヒールを履いて、右手からはゲームが消えている。
「……似合ってる」
「ありがとう。ちょっと照れるね。日向くん、踊ってくれる……かな?」
「俺、ステップなんか踏めないぞ」
「むぅ……動画みて勉強したのに」
「後で俺にもその動画、送ってくれ」
 今度練習しておく。そう言うと七海は一緒にゲームをした時のような、あの時のような、本当に楽しそうな表情をしていて、日向は思わず手を伸ばす。
「七海……! 俺は……!!」
 伸ばした手は、光の感触のなかを遮った。触れたと思った七海の腕は、日向の手に遮られたせいで光を散らす。はっとした。
「日向くん。私はね、日向くんが隣に並びたかった人でも、お礼を言いたかった人でも、ないんだよ」
 七海は寂しさを含んだ声で言って、それでも日向に微笑みかけて手を伸ばした――
「日向クン」
 声とともに光が消えて真っ暗になる。メディアを刺したパソコンが強制終了されたらしく、七海の姿は夢だったかのように消えた。闇のなかで目の前を探っても、七海はそこにいない。あの光の粒を手のなかに閉じ込めて、持って帰れればよかったのに。そんな無駄なことを考えて、
「日向クン!」
 声に思考をかき消される。慣れてきた目を声がした方へ向けると、白い髪でスーツ姿の青年が、険しい表情でこちらを見ていた。
「狛枝……?」
「日向クン……」
 何度も名前を呼ぶだけで、彼は何も言わない。日向もそれに甘えて、何も告げなかった。無音の時間が過ぎる。先ほどまで続いていた機械音はやんでいた。狛枝が、機械の電源をすべて落としたのだ。それを察して、日向はああ、と息を吐く。驚くほど掠れていた。
「日向クン……会場に戻ろうよ。みんな、心配してるから」
 日向は、「みんな」のなかに狛枝が含まれているのかどうかを考えながら、そしてもう七海は含まれないのだと自分に言い聞かせながら、
「悪かった」
 メディアを回収して、狛枝に渡す。狛枝は右手を持ち上げて、差し出した日向の手ごと、メディアを握りしめる。彼の体温はなまぬるく、あたたかいとはとても言えなかったが、確かにそこに存在していた。
「苗木クンに返しておくね」
 そう軽く言って、何もなかったかのように、彼は受け取ってくれた。部屋を出る直前、日向が「ありがとう」と背中に呼びかけると、「当然でしょ」とそこで初めて怒ったような声で彼は答えた。







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