恋も描かなくなって1 | ナノ




 高校の頃なら、もう少し純粋でいられたんだろう。
 恋愛に憧れる日だってあったし、そんな自分を気持ち悪く思って打ち消したりした。幼なじみのままごと恋愛の話に付き合うのも、自慢に聞こえて苛つくのを除けばまあ楽しかった。
 それが、今となっては。



「ねぇ岩ちゃん?」
 大学から数分歩いたところにあるカフェは今日も満員だ。けれど、数分待てば入れることはわかっていた。店の中は慣れた店なのでいつものように2人です、と告げると、見たことのある店員が不思議そうな顔をした。おそらく、女としか来たことがないからだ。今日は男を連れている。しかも、とびっきりの美形だ。
 店内はほどよく冷房が効いており、外の暑さを忘れさせてくれる。席について注文を終えると、先ほどまでこのデザート美味しそうとか女子みたいな言葉を零していた口で、及川はぶつくさ言い始めた。
「実際さぁ、これで何人目? いや、まあね? 及川さんも高校の頃は同じようなことしてたかもしんないよ? だけどさ、レベルが違うっていうかさ……真っ昼間から話すことじゃないけどさ……」
久々に会ったことをまったく感じさせないほど、2人の間の空気感を瞬時に再生してみせるのは、岩泉にはできない芸当だった。
「ぶつぶつうるせぇぞ」
「誰のことだと思ってんの!」
 すかさずつっこんだ及川は、
「心配なんだよ。これでもね。俺たち、一応幼なじみでしょ? 岩ちゃんは認めないかもしれないけどさ」
 急に真顔になってこちらをのぞきこんでくる。岩泉は思わず瞳を逸らした。
 あの目に見つめられると、とっくの昔に捨てた感情を思い出しそうになる。臭いものには蓋をせよ、との通り、蓋をしてしっかり鍵をかけて、もう2度と岩泉の目に晒されないように、見えないように、なかったことにして、すべて忘れた。そういうことにしたのだ。


 大学に進学してから、及川にはしばらく会っていなかった。どちらも東京に上京していたけれど大学は近くなかったし、会う理由もなかった。及川からの連絡は2週に1度は来ていたが、そのほとんどを無視していた。
 一方で、高校のバレー部員とはちらほら会っていた。花巻や松川は相変わらずで、会う度に及川の噂を、今となっては誰よりも疎い岩泉に喋っていく。
 高校の最後の方で付き合い始めた彼女と、及川は未だに付き合っていて、大学に入ってから、女子をはべらすことをやめた。それだけ本気なんだろうとか、及川のくせに意外だとか、高校の友人たち、元バレー部員たちは口を揃えて言っている。
 反対に、岩泉に関する噂はひどい。
 曰く、女をとっかえひっかえしている。やり捨てている。彼女が何人もいる。
 すべて事実ではないが、ほぼ合っている。それについて聞かれた時は、高校の頃はモテなかったから、反動でな、とか適当に答えているけれども。及川に追及されたら、この口は何を喋ってしまうかわからない。
 だから、及川にだけは、ずっと会うのを避けていたのだ。



 注文したコーヒーが届いて、岩泉は一口飲んだ。及川は、コーヒーを一瞬眺めて、でも手をつけなかった。
「悩みがあるなら、聞くよ?」
「別にねぇよ」
「バレーのこと?」
「普通。むしろ最近は調子いい」
「友だちいる?」
「なめてんのか?」
「ちゃんと生活できてんの?」
「お前こそ、自炊してんのか?」
「ねえちょっと、俺がきいてるんだよ!!」
「めんどくせぇな」
「じゃあ、なんでそんなに女の子と遊びまくってんの?」
「お前に関係ねーだろ」
「あるよ!! っていうかさ、岩ちゃんそういうキャラじゃないでしょ! 彼女できたら彼女一筋、浮気絶対しない硬派な男! って感じじゃん!」
 岩泉はミルクと砂糖を及川の手前に置いてやったけれど、彼はそれにも反応しない。じっとこちらを見つめていた。
 硬派な男、ね。お笑い種だ。
「ねぇ。岩ちゃんが遊んだ子の中に、俺の友だちがいたんだよね。その子、かなりお硬い子でさ。それこそ、彼氏ができたら一生尽くしちゃうタイプ。でも、岩ちゃんとそういうことして、でもこっぴどく振られたって。それで心病んじゃったんだよ。俺、想像してみたんだよね。それで心を病んじゃうのって、男の方が彼女をよっぽど大切にした挙句、初めての体験を踏みにじる形で振ったんだろうって。それをしたのが岩泉一だって知った時の俺の顔。見せてやりたいよ」
「自分の顔は見れねーだろ」
「……岩ちゃん」
 及川徹は目を細めてため息を吐いた。そういう仕草さえ絵になるのが憎たらしい。
「俺はね、なにもその子のために復讐しようとか、そういうふうに思って今日岩ちゃんに会いに来たんじゃないんだよ。俺にとっては、その子より岩ちゃんの方が大事だし、だから岩ちゃんが、あの岩ちゃんが女の子にそんな仕打ちをするに至った理由が知りたいんだ。俺には、」
 及川は顔を伏せた。
「俺には思いつかないから」
 今度は岩泉がため息を吐く番だった。
「お前って、そういうとこあるよな」
「え?」
「人のことわかったようなふりして、人の一番弱いところをつきたがる。でも本当のところはなんにもわかっちゃいない」
「……いわちゃん?」
 及川は心許ない顔で、岩泉を見返した。自分の知っている幼なじみではない、と顔に書いてある。ああ、と岩泉は気づく。俺も、人の顔が読めたりするんだな。
 きっと、及川徹に対してだけ、なんだろうけど。
「及川、何しに来たんだ」
「……え?」
「お前、自分だったら岩ちゃんを救える! とか思ったのか?」
「え、そんなこと、」
「思っただろ? 確かに、昔はお前が一番俺のことをよく知ってたよなぁ。まあ、でも、昔の話だ」
「岩ちゃん、ねえ、待って」
「うぜえんだよ。いつまでも幼なじみしやがって」
 席を立つと、及川は、「岩ちゃん」と縋るように呼んだ。うるさい。もう、誰に何を言われても、心に響いてこなかった。飲みきれなかったコーヒーの代金を置いて、出口へ向かう。
 及川ならもしかしたら、と思った。及川徹の言葉さえ届かないなら、もう終わりだ。及川以外に、岩泉を引き戻そうとするやつなんかいない。そして及川にすがっている時点で、自分はかなり参っているのだとわかっていた。



 店を出ると、冷房から解放されて、生暖かい空気に包まれる。空はからっと晴れているが、気持ちはちっとも晴れていない。むしろ、及川と会って悪化したようだ。
 足元が、不意にぐらっとした。振り返りたいと思ってしまった。本当は、及川が自分を放って置けずに会いに来たことが、どうしようもなく嬉しかったのだ。大学に入って離れてしまった片割れが、久々に自分に会いに来たことを思うと、胸が苦しかった。
 高校の頃、この感情を認めずに、岩泉一は封をした。
 及川徹が好きだという気持ちに蓋をした。
 それは世間一般から許されるものではないと思ったし、何より自分の常識からひどく外れていた。気持ちを扱いあぐねた岩泉は、大学でそれを忘れようとひたすら女と遊んだ。それで、何がどうなるわけでもなかったけれど。
 こんな自分に会いに来る及川が滑稽で、自分が惨めになった。



「……待って」
 店を出て少しした頃、走ってきたのだろう、髪を乱した及川が岩泉の腕を捕まえていた。痛みに顔をしかめながら、舌打ちをする。
「まだなんかあんのか」
「岩ちゃん、本当にどうした?」
「…………」
「俺が知ってる岩ちゃんは、そんなふうじゃない。変わっちゃったってんならそれでもいい。だけど、」
 及川は泣く寸前だった。何故、他人のためにそこまでできるんだろう、と思う。
「岩ちゃんずっとつらそうだよ。それこそ、自分の顔は見れないからわかってないんだろ?」
「……うるせーよ」
「俺、岩ちゃんがそんなだと安心して家に帰れねーし。うち連れてってよ」
「はぁ?」
「ほら」
 及川が背中を押す。ため息を吐いて、振り返った。及川は驚いたように見返してくる。少し怯えているようにも見える。当然だ。十数年付き合ってきた幼なじみの、知らない一面が見えたのだから。探り探りの対応だろう。及川は、そういうのが苦手ではないだろうから、あまり気づかれないけれど、自分に理解できそうもない相手に探りを入れるのはどれだけこわいことだろうか。
「無理、すんな」
「無理?」
 及川の瞳が、急に澄んだ。
「無理って、何? 俺が久々に会った岩ちゃんを知りたいと思うことは、そんなにいけないこと?」
「知りたいと思ってないのに、そういうふりをするなって言ってる」
「ふりじゃないよ」
「俺が変わったのがこわいんだろ」
 及川の、鞄を握る手が、わずかにこわばった。
「こわいよ。誰より知ってると思ってたのに、岩ちゃんってば、進学したくらいでそんなに変わっちゃうと思ってなかった……」
「及川、安心しろよ。俺は最近変わったわけじゃねーんだわ。高校んときからな、こうだったんだから」
「こうって……」
「及川、お前のことが好きだ」
 口にした途端、そこに現れたのは空白だった。それは及川と岩泉の共に過ごした過去をさらい、飲み込んで、なかったことにしようと暴れていた。
 こうなるのは、予想していた。蓋を開ければ、こうなるのは、目に見えていた。それでも言ったのは、言うことで、及川に対する誠実さは保てるだろうと、思ったからだ。その上で、及川が岩泉を避けるなら、それはそれで、いい。心は張り裂けそうだけれど、それでも良かった。いつかはそうしなければいけない日が来ると思っていた。
 目の前にいる及川の目が見られなかった。コンクリートの地面から、顔を上げられない。
きっと、軽蔑に満ちた表情を浮かべているだろう。きっと、幼なじみが陰で抱いていた感情に、気持ちの悪さを感じただろう。
 それを確認したくなかった。
「岩ちゃん、何言ってんの?」
「えっ」
 思わず顔を上げると、首を傾げてきょとんとしている及川と目が合った。
「そんなの、今さらじゃん」
「えっ、ああ、及川、そういう意味じゃ……」
「そういう意味って何? 」
 言葉が出てこなくなった岩泉に、及川は囁いた。
「なーんだ、岩ちゃん。そういうことか。岩ちゃんは、俺のことを好きになっちゃいけないと思って、女の子に手を出したのかぁ」
「はっ!? 何言って……」
 図星だとわかるほどのあからさまな反応に、途端に意地の悪い笑みを浮かべた及川は、岩泉の手を取って歩きだした。
「おい!」
「岩ちゃんってば、すごいね。演技派だよ。全然わかんなかった」
「ちょっと待て、どこ行くんだ」
「俺んち。早いところ、既成事実を作んなきゃ」
「既成事実……?」
 力強く腕を引く及川の手に連れられて、自宅に引きずり込まれた。玄関のドアを閉めるなり、及川は岩泉の頭を撫で、ぎゅっと抱き寄せた。驚いて、一瞬身体が硬直する。何故及川がこんなことをするのか、あんな告白をされてもなおこんなことができるのか、さっぱりわからないままだった。それなのに、久々に近くに感じる及川の体温に、気づけば岩泉はしがみついてしまっていた。それを許すように、あるいはなだめるように、及川の手は岩泉の後頭部を撫でた。
「及川、なんで……」
「岩ちゃん、言うの遅すぎるよ」
「お前、彼女が」
「そんなの、いいよ。あのさぁ岩ちゃん。俺がどれだけ岩ちゃんに甘えてきたと思う。それをどれほど許してきてもらったと思う。岩ちゃんが、どれほど、俺の好感度をひとりじめしてきたと思ってるの」
 身体を離した及川は唇の端を舐めた。薄暗い中で、その唇と瞳が、異様な光を放っていて、岩泉は息を飲んだ。獲物を前にした獣のように爛々としている瞳が、近づいてくる。

「さっきのはなかったことにしてさ、俺から告白してあげようか? 岩ちゃん」




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