なんでこんなことになった?
確か、鍵をなくしたと言った私に、坂田さんは呆れ返ったようなため息と共に「んじゃ仕方ねーからとりあえず俺ン家行くぞ」と言ったのだ。
坂田さんの肩に担がれ、彼の歩行に合わせてゆらゆらと揺れながら、確実に坂田さんの家に向かっているであろうこの状況。
あれ、これ良いのか?
しきりに首をかしげる私のふくらはぎを坂田さんがパシンと叩いた。
「もぞもぞ動かれっとくすぐったいんだけど」
「あ、ごめんなさい」
ごめんなさいじゃない。
え?いいのか?私は坂田さんに連れられて素直に彼の家にお邪魔してしまっていいのだろうか。
いや、よくないだろ。
そもそも私には簡単に家を知られるなと怒ったくせに、自分は簡単に私を家にあげようとしている。一体どう言う了見なんだ。
果たしてこれは良いのかという私の疑問に対する答えは間違いなくNOである。良いはずがない。
だって私は家バレたらダメだけど坂田さんは良いなんて差別だ。だって無闇矢鱈に家を知られるのが住人にとって危険なのであれば、それはもれなく彼にも当てはまるはずだ。
「坂田さん、坂田さんの家とは万事屋のことですか」
「そーだよ」
坂田さんは良くニートの言い訳に万事屋という職業を挙げるが、話を聞くに要はお金を貰えばなんでもやるよと言う仕事らしい。
彼の家が万事屋の事務所なのだとすれば、他人に知られても問題ないのかもしれない。
ていうかそもそも、そうじゃなくても問題ないのか。強いから。
私ごときが何かを嗾けたとしても坂田さんなら余裕で返り討ちにするんだろう。
「フーン」
「なんだよ急に」
「いいえ別に」
…なんだ。良いのか。
あまり納得いかないまでも、そういうもんかと自分に言い聞かせるように心の中で唱えると、私の態度が気になったのだろうか、坂田さんはえ?何?とか言いながら一瞬足を止めた。
「なんだよ」
「なんでもないですって。私は目が痛いんですよ坂田さん。早くしてください。私が失明したら、私の目になってくれるんですか?」
「自業自得だろーが。」
いや、そうじゃない。
そこじゃない。
坂田さんの家が私に知られるとか、そんなことは、
はなっから問題ではない。
坂田さんの心配なんて誰もしてないのだ。
心配すべきはそう、
私の身である。
「は!いやぁあああああ!」
「うるっせーななんだよ急に!」
「いやだって!坂田さんに連れ込まれる!家に!家に連れ込まれる!!」
「おいやめてくんないその言い方やめてくんない?連れて帰らざるを得ない状況作っといて何言ってんだお前。早く連れてけってつい五秒前に自分で言ってただろーが!!」
「えっでも連れて帰らざるを得ない状況を作るように仕向けたのは坂田さんですよね」
「お前何言ってんのまじで何言ってんの」
「坂田さんが私に砂を投げさせたんじゃないですか!!だからこんなことに」
「いやお前が鍵なくさなきゃこんなことにはなってねーんだよ責任転嫁すんな」
「…え?じゃあ何ですか、どういうこと?坂田さんが私の鍵盗んだってことですか?」
「ハァァ?!何でそーなるんだよ!もう黙っててくんないマジで。お願い300円あげるから」
300円あげるからという謎の賄賂にそんなもんいるか!と私が叫ぶのと同時に、止まっていたと思った坂田さんの動きがカン、カン、と踏みしめるようなものに変わった。
階段らしきものを登っているようだ。
確か前にお咲ちゃんが万事屋は二階にあると言っていた。なんでそんな話をしたのかは覚えていないが、万事屋の下にあるスナックのママさんとお咲ちゃんは仲がいいらしい。
この階段はおそらく、万事屋につながる階段に違いない。
「もしかして着きました?ひょっとしてこれもう坂田さんの家の前ですか?やだ…」
「安心しろよはるこみてーなちんちくりんに手ェ出すほど困ってねーから」
やだーと騒いでジタバタともがけばなんの感情もこもっていない声でそんな失礼な事を言う坂田さん。ちんちくりんじゃないぞ。別にグラマラスでもないけど。標準的だ。
「へー坂田さんって穴があればなんでも良いのかと思ってました」
「残念だったな、俺ァグルメなんだよ」
「あ!サイテー、下品な事いわないでください」
「どの口が言ってんだお前の方がよっぽど下品だからな」
「いやでも坂田さんは髪型も卑猥だし、歩く猥褻ぶっ!なにすんですかオエ!」
「忘れんなよお前の命は今俺の手中にあるって事」
「あっこれ私殺される…!!」
悔し紛れに暴言を吐けば、そんな悪役みたいなセリフを言った彼に肩で胃の腑をグリグリと押された。
ちくしょーが。
お腹に食い込む肩は階段を登るのに合わせてリズミカルにぐっぐっと鈍い刺激を送ってくる。痛くはないが地味に嫌だ。
というか、正直なところ坂田さんが私に何かいたそうなんて言う気がないのは百も承知だし私だって別に本気で連れ込まれるだなんて言っているわけではない。もうこの際寝床があればどこでも良いのだ。そもそも坂田さんがへんな事するなんて思えないし。
それでもこうやって暴れてみせたのはこの前簡単に家を知られるなと説教された事の仕返しと、山崎さんの仇討ちだ。
「だって本当の事…あっ、ちょっとまってなんか…」
「なんだよ」
騒ぐな近所メーワクだろとか言っている坂田さんの声を聞きながら、突然ふと感じた違和感。
それはかすかなものであったが、確かにそこに存在した。この感覚。これは覚えがある。
これはあれだ。
なんだよ、オイ、と黙りこくった私に続きを促すように坂田さんがしゃべる声が少し遠くの方で聞こえた。
これはあれだ。
間違いない、あれだ。
「あの、坂田さん、マジヤバイわたし…酔った…吐きそうです」
うぷ、喉元までせり上がってきた胃の内容物を漏らすまいと、両手で口を抑える。
くぐもった声で現状を伝えれば、坂田さんの肩がピクリと揺れた、
「は?…嘘だろオイ」
これはまぎれもない吐き気だ。
坂田さんがゆさゆさ揺するから。
坂田さんが胃を肩で圧迫するから。
突如として襲いかかった吐き気は、吐きそうです
という自分の言葉のせいでより現実味をましてくる。
坂田さんのせいだ。坂田さんが悪い。
どこか絶望感を感じさせる声で坂田さんが嘘だろ、ともう一度呟くのが聞こえる。
「いや、嘘だったらよかったけどあっ、やばい、あれこれ…やばい吐きそうですちょっと…ちょっと止まってまじであと肩やめてくださいぐりぐりしないでオエッ」
「ッ待て待て待て待て待て!!」
「いや無理もう待てない…坂田さんが米俵みたいに担ぐから…オエェいや、こんな、ところで、吐いてたまるか…」
「オエじゃねーよまじかよばっっかオメーそんなとこで吐いたら大変なことになるぞ俺が!あとちょっとだから我慢しろって!」
「がまん……あ、無理無理これマジヤバイ…あの先に謝っときますごめんなさい」
「っオイ、まさか、ッギャアアアア!」
澄み渡る夜空に坂田さんの声がこだました。
米俵のように担がれてお腹は坂田さんの肩に圧迫されていたのだ。しかも酔ったと言うのに待て待てと叫びながらゆさゆさと私を揺さぶるように階段をのぼる坂田さんのせいで、可哀想に、結果的に私は彼の背中に胃の内容物をぶちまける羽目になった。そこにきっと私の責任は一切ないはずだ。
むしろよく我慢した。
「ああ、最悪…吐いちゃったこんなところで吐いちゃった坂田さんのせいだ恥ずかしい、穴があったら入りたい」
「バッ、暴れんな…あ、」
「えっ、痛っ、ギャアアア最悪落とされた!」
他人の目の前で吐くという失態。それはいくら自分に非がないとしても、耐えられるものではない。
恥ずかしさのあまり肩に乗ったままもがく私を、すっかり戦意喪失した坂田さんがうっかり取り落とした先はおそらく彼の背中が受け切れず地面へと落ちた吐瀉物の上だ。
硬く閉ざしたまぶたのせいで視界に入れることはできないが、坂田さんの声を聴きながらこれが噂に聞く地獄絵図か。と、吐き出したことで幾分かスッキリとした脳内で考えた。