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タイムセールで勝ち取った肉や野菜をこれでもかというほどに買い物かごにたくさん詰め込んで、これでしばらくは買い物に来なくても済みそうだ。なんてほくほくとした気持ちでカートを転がす。



ああ、なんて充実した休日の過ごし方なんだ。



仕事が嫌いなわけでもない。むしろ楽しくやらせてもらっているが、やっぱり休日は嬉しい。たとえやることがなく暇を持て余す羽目になったとしても嬉しい。


生憎、共に暇を潰してくれる優しい相方はいないので一人でこうして買い物に来たとしても、安く大量に食材を買い込むことができた今日は間違いなく充実した休日だ。

仲良くカートを転がして優雅に買い物を楽しむ夫婦を眺めながら、まだ大丈夫まだ時間はあるなんて自分に言い聞かせたのは内緒だ。そんな事を沖田さんに知られて見ろ。また壮絶にいじられること間違いない。


「あ、坂田さん」


買い忘れはないか、自宅の冷蔵庫の中を思い出しながらスーパーの中を闊歩していると、卵を手にして何やら考え込んでいる見慣れたモジャモジャを発見した。


「おーはるこ」

「こんにちは、こんなところで何をしてるんですか」

「何って、買い物だろーが」


買い物、と言いながら手に持ったカゴを軽く揺らして見せた坂田さん。興味のカケラもないがカゴの中身が見えてしまった。
意外と生活感のあるカゴの中身に思わずへぇ、なんて感心したような声が漏れる。


そもそも生活感の全くないこの人と、スーパーで出会ったこと自体が意外でならない。
買い物カゴを腕から下げて卵を見ている姿はとても似合わない。それを家に持って帰って調理している姿なんて全く想像できない。



「何、」

「いや、坂田さんってちゃんと生きてるんだなって思って」

「え、何これ喧嘩売られてる?目があって五秒でゴング鳴り響いてる?」


やんのかこのやろーとか言いながら卵をカゴに入れて、代わりにその手で私の頭を鷲掴みする坂田さん。


「ぎゃ!やめてください女の子の髪の毛に急に触るなんて…セクハラです」

「すぐそうやってセクハラって言うのどうかと思うよ俺は。スキンシップだろーが」

「はいはい完全に変態オヤジの言い分ですね」

「うるせーな大体はるこにセクハラするくらいなら俺は糖を断つ」

「死ぬって事ですか?私にセクハラするくらいなら死んだ方がマシって事ですか?ねぇ、ぶっ飛ばしますよ」

「まあそんな感じ」


真剣な顔で糖を断つとか言い出した坂田さん。
ひどい言われようである。
ちょうど手に持っていたカートを強く押して坂田さんの腰を強打してやった。ガシガシと無言で腰を殴打し続けたが、3、4回ぶつけたあたりで坂田さんの意外と逞しい手に捕まってびくともしなくなってしまった。


「いててて…あ、なんだよはるこちゃん、もしかして銀さんにセクハラされたかっ「ハッ、寝言は寝て言えよ」


強打した腰をさすっていたかと思えば、突然ニヤニヤと下品な笑みを浮かべた坂田さんに私が出来る限りの冷たい視線を送ればジョーダンだよジョーダン、と笑って、私の頭の上で坂田さんの手がぽんぽんと跳ねた。


ふわっと香った坂田さんの匂いに心臓が不穏に跳ねた。



「っ、子供扱いしないでください。私は立派なレディなんですよ」

「立派なレディは自分の事を立派なレディだとは言わない。」



誤魔化すようにそう言ってちょっと身を引けば、坂田さんの手は深追いすることなくすぐにカゴの中に入れた卵のパックに戻って行った。



「たまごがどうかしたんですか」

「いや、5千円買うと2パック10円なんだけど、別に他のもん5千円も買わねーから」


どーしたもんか。と呟いて白くてすべすべしたたんぱく源をじいっと見つめる坂田さん。
そんなに見つめても値段は変わらない。
卵が余程好きなのだろう。熱っぽいその視線の先にある卵をぼうっと眺めながらそんな事を思う。


「じゃあ、わたしが買ってあげますよ。」


あまりにも、その姿が可哀想で、気づけば私はそう申し出ていた。
じっとパックを見つめていた小豆色の瞳が驚いたように見開いて、私を捉えた。


「まじか」

「その代わり、私に5個ください。卵買いたいけど2パックもあっても持て余すから。半分こしましょ。半分もいらないから5個でいいですけど。」

「それは全然構わねーけど」


交渉成立ですね。と笑って坂田さんの白い手の中にある卵のパックを抜き取って自分のカゴの中にそっと入れる。


坂田さんはマジでいいの?なんだよはるこちゃん意外といいとこあるゥとか言っておちゃらけていたので、うるさいですよと言って鳩尾に肘をぶつけてやった。


「おまえ…鳩尾はやめろ…鳩尾は」

「あ、ちょっと」


う…と呻いてお腹を抑えた坂田さんは前のめりになったかと思えば私のカートの上にその上体を預けるようにもたれかかる。
体重に負けて転がりそうになったカートに慌てて足を引っ掛けて止めた。


「はは、ごめんなさい」


苦しそうに割に合わねェ…と呟いた坂田さんが面白くて、思わず謝罪しながらちょうど私の手のあたりにきた銀色のふわふわと揺れる髪の毛に触れた。

あ、ふわふわ。綿菓子みたいだ。


見た目通りの触り心地にちょっと実家で飼っていた犬の毛並みを思い出す。



「はんぶんこ」



ひさびさに口にしたそのセリフを何となくもう一度繰り返してみる。
一人暮らしをしてから何かを人と分け合う機会もグンと減った。別に友達が少ないわけじゃない。断じて違う。
そもそも坂田さんの髪の毛がふわふわだからいけないんだ。
遠い遠い、もう二度と戻れない実家を思い出して鼻の奥がツンとした。


何があったかと聞かれれば、別に今時珍しくもない。天人と侍のドンパチがそろそろ終結しようかという時、たまたま住んでた地域が爆撃されて焼け野原になった。もう少し早く終わっていれば、なんて思わないわけでもないが、これくらいの事は今時珍しくもないのだ。生きていただけでも儲けもんである。



「いって!」



カートにもたれたまま何故か抵抗することなく私に頭を触られている坂田さんの毛を強く握って鼻の奥の痛みを誤魔化す。泣いたところで何も変わらない。私は前だけを見て生きると決めたのだ。
悲劇のヒロインみたいなしおらしい役は似合わないし、まっぴら御免こうむる。


突然髪の毛を握られた坂田さんが悲鳴をあげて跳ね起きた。



「何すんだよ」


恨めし気な視線がまっすぐに私を捉える。
綺麗な小豆色に私の間の抜けた顔が写っているのが見えた。


「坂田さんの髪の毛ってなんか獣みたいですね。」

「あん?なんだよ?喧嘩売ってんのかさっきから。安売りしてんのかこのやろー。安くても買わねーぞ。」


涙目で食ってかかる坂田さんの顔を見ていたらしんみりした気持ちが消し飛んだ。
いろんな事がアホらしく思える。不思議な人だ。



「あと、もの凄い変人ですよね」

「おーいまじでなんなの?たまご買って貰ったからって俺が黙って聞いてると思うなよ」


変人変人と言ってカートを押して会計に向かう私の後ろを、坂田さんはオイ、無視すんなはることかなんとか言いながらついてきた。


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