archive | ナノ
ネクタイは一人で結べない

※エイプリルフール企画
『君に期待すること』の続き


希望を出した営業部の唐沢さんの下に配属されて半年が経った。車の運転は少しずつ慣れてはきたけど、まだまだ恐怖心は無くならず唐沢さん判断で比較的走りやすい道のみハンドルを握っている。
特に警戒区域から本部までの短い距離くらいは走れるようには成長したと思う。

「お疲れ様」
「唐沢さんもお疲れ様です」
「大分よくなったんじゃないか」
「本当ですか?安心、できますかね?」
「んー…それなりに安心できだした、かな」
「それなりに…」
「落ち込むことはないさ、運転なんて慣れるしかないからね」
「…はい」

シートベルとを外しハンドルに身を傾けると、唐沢さんの手が二度頭で跳ねる。

「あまり肩に力を入れすぎるのもよくない。私がいるんだからもう少しリラックスすることだね」
「うっ……今日のアドバイスですか?」
「明日へのアドバイスだね」
「が、頑張ります…」
「お疲れ様。今日も早めに帰って体を休めなさい。明日も長いからね」

唐沢さんはそう言って車から降りると、私は、ひとりになった車内で深くため息をつく。
唐沢さんはああ言ったがリラックスなんてできるわけがなくて、運転すると言うことは命を預かっているようなもので、もしかしたら…と頭に過ると肩に力が入るのは仕方ない。
慣れるために一度ひとりで乗ろうとしたときがあったけど逆らえない笑みを唐沢さんは私に向けた。それ以来ひとりでの運転はしていない。

「慣れってなに…」

再び出てきたため息は時間をかけて消えていく。



翌日、一日のスケジュール確認のために唐沢さんの元へ行くとコーヒーを啜りながら私を出迎えてくれた、絵になるその姿は何だかちょっと遠くに感じた。

「おはようございます、唐沢さん」
「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「それなりには取りましたが…」
「そうか、それで今日は…」

一日の動きを話始める唐沢さんの言葉は頭が理解する前に流れていく。
部屋に入って気付いたこと。いつも朝からビシッとスーツを着ている唐沢さんの首元が今日は緩んでいて指摘した方がいいのか、あえて緩ませているのか、ひとり脳中会議を始めていた。
気にしなくてもいいのだろうけどはじめてのでき事で何だかんだ気になってしまって小さな好奇心が顔を出した。

「あの、唐沢さん」
「なにか不明な点でもあったかい?」
「いえ、その…」

気付けば名前を呼んでいて話の腰を折ろうとしていた。そんなこと知らずに返答する唐沢さんに、話なんてこれっぽっちも聞いていなかったです、なんて言えるはずなく少し視線が泳ぐ。ここまで来て今さら逃げるという選択肢はすぐに消え、私は腹を括った。

「あの、ネクタイが」
「ん?ネクタイがどうかしたかな」
「ゆ、緩んでいるなぁ、なんて…」

ちょっとの沈黙が痛かった。うわぁ言わなきゃ良かった…なんて後悔は先に立たず、気まずい空気が流れていく。

「………ふっ」
「え、」

漏れた音に少しビク付き視線を正面へと反射的に向けてしまった。怖いくらいにこやかな唐沢さんの顔にドキリとする。
席を立ち上がり動くことを放棄した私の正面に立った唐沢さんは首元に手をやり、いたずらに笑う。

「あぁ、私としたことが…君にだらしないところを見せるなんてな」
「い、いやぁ、だらしないなんて…」
「見惚れていたのかい?」
「え?」
「自惚れだったかな?随分と長く見られていた気がしていたのだが」
「あはは…」
「それと、話は聞いていたのか?」
「…あーっと」
「そうか、聞いていなかったんだね」

ピンッと空気が張り詰まる、少しでも正面からの威圧から逃げようと無理矢理首を下に振る。息ができない。ぎゅっと自身の手に力がこもった。
ふぅ…と上から降って来た音に肩がビクつき、そして、しゅるりと視界に何かかすめた。

「顔をあげなさい」

上司からの言葉に逆らえるはずなく、おずおずと顔を上げると困った様に笑う唐沢さんがいた。

「怖がらせるためではなかったんだ。でも少しいじめすぎたね」
「いえ、軽率でした、すみません」

頭を下げると軽く肩を叩かれ、顔を上げるとどこか楽しそうな表情の唐沢さん。
えぇーなんですかその悪い笑みは…。引き攣りそうになる口元をどうにか抑え、姿勢を元に戻し唐沢さんの発言を待つ…ことが間違いだなんてこの時気付けるわけなく、また後悔をする。

「こんなだらしない恰好だと、ここからは出れないな」
「はぁ…?」

何を言っているんだこの人は…。自分の手で解いたネクタイをさも私がやったみたいな発言。私は緩んでいると伝えただけであって解いてはいない。全く唐沢さんの考えが分からない。

「………結べと?」
「気が利くね」

いやいやいや、あり得ないくらい圧力掛けてきたのはあなたですよ、唐沢さん。
正面に立っている唐沢さんの首辺りへ手を伸ばし、ネクタイを掴んだ…のだが、何故だろう、手が動かない。

「ん?どうしたのかい?」
「いえ…」
「…もしかして」
「いや、できますよ?昔結べましたから、できないはずないですから!」

意地になってしまった。しかもできない申告したような、あぁー墓穴掘った、絶対掘った…。

「…ふ〜ん」
「いや、できますから。いかに1発できれいに行けるか脳内シミュレーションしているだけですから」
「ほーう、では、期待しようかな」

自分で自分を追い込んでるー、逃げ場ないやつじゃないか!…いや、最初からないよね、あってもそれは罠ですよね…。

「やらないのかい?」
「やりますよ?」
「できないのでは?」
「で、きますよ?」
「素直になるのが一番だと思うのだが」
「素直になったら負けるじゃないですか!」
「負ける、ね」
「…う」

ネクタイに合っていた視線を足元に落とすと、掴んだままだった手に熱が乗りネクタイから手が離れる。え?っと顔を上げようとする前にくるりと体を回転させられ、唐沢さんに背を向ける形になる。

「負けを認める事は恥ずかしいことではなく、むしろ良いことだよ」

「私にとってはね」と吐き出された音が耳をかすめる。じーんと指先が痺れて時間が止まったみたいに思考も止まり、訳の分からない状況に薄く膜はる視界は何故だか嫌ではなかった。

「ネクタイの結び方は忘れないように、あぁ、これは上司命令かな」

唐沢さんの腕が前に回ると同時にわたしの首にネクタイが引っ掛けられる。喋ることを忘れている私の口からは揺れる息を吐くだけで、身体全体が熱くてしかたない。

「こら、ちゃんと見なさい」

音を拾うのを拒むことができない、言われたことに従っていて、迷いなく動いている男の手と形よく結ばれていくネクタイが視界を占めていた。
…だぶんもう無理だ、逃げられない。

「わかったか?…いや、君の場合は思い出したか?かな」
「…………」
「みょうじさん?」

自然に背から離れていく熱が寂しい、そう思ったら止まっていた思考も喋ることを忘れていた口も動き出していた。

「…唐沢さんはズルいです。勘違いしていいんですか、こんなの意識するに決まってる」

何を口走っているのか、考えなしに吐き出した言葉はもう止まらない。

「尊敬していた……ただの上司だったのに」
「今はどう思っているのかい?」
「言わないです、言いたくない」
「私が聞きたい、聞かせてくれないか君の心を」

何でそうも切ない声で問うのか、逃げ道くらいください。

「私は…」

振り返り、ピントの合わない視界で貴方はただ笑って流れた雫をそっと拭った。




あとがきと言うか企画の話


←archive

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -