シルバーとクリスタル

その輝きはどこに行ってしまったのだろう。
水晶の透き通る光は今やすっかり消え果てていた。最初の頃はまるで何もかも見透かされているようで苛立って仕方がなかった、意思の強そうな真っ直ぐな瞳さえ虚空の中に沈み切っていて、かつての面影は感じない。ひとかけらも見られない。彼女自身の精神が、廃れてしまったように。なぜだか酷くやるせない気持ちにさせられる。

「クリス」

名を呼べば帰ってくる元気な声も、帰ってこない。どこまでも無機質で人形のような彼女の視線に、胸糞悪い吐き気がこみ上げてきた。
それをぐっと堪えて、彼女へと手を伸ばす。しかし触れるか触れないうちに、ぐらり、視界が歪んで霞んでいった。

「……なんて目、してんだよ……」

縋るような情けない声が出た。
くそ、くそ、意味がわからない、と大きな焦りだけが無性に無駄に降り積もって、思わず悪態をつく己の心の中に波を立てる。

「クリス」

再度彼女の名を呼んだ。
その瞬間、クリスはゆっくりと手を上げて、俺の後ろの方を指し示す。反射的に振り向く。けれど何もなかった。ただ広がっているのは、道ですらもない果てしない世界。
眉を顰めてクリスへと向き直る。
どくん、と胸が慄いた。

「なーー……は?」

薄らぐ。消える。希薄な存在へと。頭のてっぺんから足先に至るまで、ぼやけた輪郭線はあまりにも曖昧すぎて判別することすら難解だった。全身から嫌な汗が吹き出て、焦燥を抱きながら強く呼びかけてもこの声は、この手は、届かない。
阻むようにして建てられた水晶。守られているのか、それとも隔離されているのか。

「冗談だろ、おい、……おいなんとか言えよ!」

彼女の顔は見えないのに。いつもの明るく元気な彼女に似つかわしくない、儚げで泣きそうな微笑みを、浮かべているような気がした。

「シルバー、ーー……」





「……バー!シルバーってば!ちょっと、聞いてるの!?」
「……っ、せえ」

何その言い草!と不満そうに喚く彼女の言葉を無視して、暗闇に浸かった視界を徐々に光へ馴染ませていく。

「……あー……」

眠りに落ちる前の記憶を辿る。
今日は、というかほぼ毎日でもあるが、適当な場所で待ち合わせをしてバトルをする予定だった。どうやら自分は待っている間にいつのまにやら寝てしまったらしい。
寝起き特有の気怠さと覚めぬ眠気を煩わしく思いつつ、頭を覚まさせようとベンチから立ち上がった。

「バトル、するんだろ」
「そのつもりだったけど……シルバー、眠そうだったから。寝てなくていいの?」
「眠くない」
「と言いつつフラフラしてるわよ……」

クリスが呆れ顔でため息をつく。
全くしょうがないわねとブツブツ小言を漏らしながら、俺とは反対にベンチへと座る。

「……おい」

その行動の意図が読めず、呼びかけで催促する。
大きな瞳をパチパチと動かして、その隣の席をぽんぽんと二度叩いた。

「はい」
「は?」
「座りなさいっていう意味」
「なんでだよ。それよりバトルは」
「今日はもうやめ!」

強引な力で腕を引っ張られバランスを崩す。そしてちょうどよくストン、と座ってしまった。
眠さは確かにあったが、バトルに支障をきたすほどじゃない。やれる。そう抗議しようと俺が口を開くよりも先に、クリスが口火を切った。

「ねえシルバー、最近まともに寝てないでしょう?」

思わずばっと顔を見る。相変わらずの淀みなく冴え切ったライトブルーの瞳が、険しく咎められていた。

「……なんでわかったんだ」
「分かるわよ。顔色悪いし、いつにもまして目つき悪いから人相最悪よ」
「余計なお世話だ」

クリスの指摘通り、近頃まともに寝れていない。というのも具体性に欠け抽象性に富んだ不可解な夢を見るせいだ。厳密に言うなれば、一応必要最低限の睡眠時間を取ってはいるのだが、心身共に休められた気持ちにはなっていなかった。

「シルバーのことだから、どうせ修行だー!とか言って、やりすぎちゃったんじゃ」
「俺を変な熱血キャラにするな」

ムッとして噛み付くと、ふっといきなり彼女は真面目な表情へと様変わりする。

「冗談よ。……ねえ、シルバーって、夢見悪いの?」

急速に心臓が締め付けられるように、キュッと引き締まった。力強く音を刻んでは、何かを恐れるように戦慄く。ぞわっと何かが全身を這いずり回り、寒気と悪寒が奔る。

「眠ってる間、ずっとうなされてたわ。起こそうとしたんだけど、全然起きないから」
「夢見、悪くは、ない。……眠れなくて、疲れてるせいだ」
「眠れないの?」

素直に言うのもかっこ悪いだろうか。一瞬言葉に詰まったが、身を乗り出して尋ねる彼女に気圧されて、渋々頷いた。
なんだかんだこうして彼女の前では嘘も剥がされていく気がしてならない。初めて会った時なんてムカついて仕方なかったクリスが、今となっては自分の中でかなりの影響力を持っている上に愚直なほどの真っ正直さに思いっきり当てられている。

「…………まぁ、そうだな」
「安心すると寝れるって言わない?」
「はぁ?ーーっておい」

ぎゅっ、と。手と手を強く握りしめられた。その感触に柄にもなく動揺して、狼狽える。

「ほら!」
「ほらじゃねえ!どんな子供扱いだよ!」
「いいじゃない、別に。…………ところでシルバー」
「なんだよ……」
「私まで眠くなってきちゃった……」
「…………好きにしろよもう……」

それっきり会話は途切れる。
さわさわと髪を揺らす風を感じながら一つ欠伸を漏らし、うとうとと落ちていく瞼を一息に閉じた。そうしてまた、視界は暗くなる。
今度はなぜか、さっきの意味不明な夢を見る気がしなかった。その自信があった。
隣で眠るクリスの吐息に存在を感じて、思いの外安心してしまっているからだろうか。図らずしも彼女の言ったとおりになっていることに、舌打ちを零しそうになったが、早くも聞こえてきた健やかな寝息に慌てて踏みとどまった。

「寝るの早すぎるだろ……」

とはいえ自分も眠気が高まっていて、意識はなだらかに眠りへと誘われていく。
不本意ながら、今なら自分も、ぐっすりと眠れそうだった。




(シルクリ企画様に寄稿した文章です)





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