父上が小さな幼子を連れて帰ってこられた、という知らせはすぐにおれの耳にも伝わってきた。朝に入用があるといって家臣も連れずに出て行かれた父上。家臣が気を揉んで右往左往して待って二刻、きっともう雲の上のお天道様も空の真上へと上ろうとしているだろう。そして父上は帰ってこられた。

「殿!!いずこへ行っておられたのですか!それにその…女子(おなご)は…」

自室の障子の向こう側、きっと長い廊下のどこかで話しているのだろう、家臣の声が聞こえてきた。もしかしたら案外近くにいるのかもしれないと思って、右目が病んでからめっきり開くことが少なくなった障子をそおっと開け声が聞こえるほうへと静かに向かった。

「俺の子だ」

父上の声が聞こえた。俺の…子?父上の子ということはおれの兄弟なのだろうか、と疑問に思う。母上が女子を産んだなんて話は耳にしていないし、女子というくらいなのだから赤子ではないのだろう。どういうことだと内心首を傾げながら足を進めた。

「なんと、それはどういうことですか!義姫様の子ではあるまい、では誰の!殿!殿の言うことが本当であればこれは一大事ですぞ!!このことが義姫様のお耳に入ればどうなることか」

まるでおれの気持ちを代弁するかのように家臣が言葉を紡ぐ声が聞こえた。

「義には俺から言うさ」
「殿、そんなのんきな!」

裸足には冷たい、ひんやりとした廊下の突き当たりを右に曲がったところに父上はいた。隠れるようにしてひょこっと左目が見えるか見えないかくらいで顔を出す。視線の先にいたのは説明を求める家臣と家臣の小言を軽くかわす父上に、そんな父上に手をひかれた子供。不意にぎゅっと父上の手を握っていた子がおれの方を向いた。その様子に気づいた父上は子供が向く先を見た。そしてその先にめずらしく部屋から出てきたらしい梵天丸がいることに気がつくとふっと嬉しそうに笑い、おいでおいでと手を振った。家臣は梵天丸に気づくと若様…と口をつぐんだ。どうせおれの右目のことがあって口を閉じたのだろうなと梵天丸は俯き自嘲した。
しかしそのまま俯いているわけにもいかない、顔を上げそろそろと父上の方へ向かう。その間もおれより小さなその子供は首を少し傾げおれと白い包帯に巻かれた右目をじっと見つめていた。その視線に眉を顰めて、父上を見上げ言葉を出す。

「父上…そいつは誰ですか」

女子にしては短い髪に一見男子(おのご)と見まごうても致し方ない姿形。家臣が女子と少々まごついて言い放ったのにも頷けた。しかしその顔はやはり女子らしいものでこんななりをしていても女なのだろうなとも予想がついた。

「ん、この子か?これから梵天丸の妹になる子だ」
「いもうと…」
「そうだ、千鶴という。これから面倒見てやってくれよ梵天丸」

そういうと左手でおれの頭をぐしゃぐしゃとなでると、「義のところへ行ってくる、梵天丸はちゃんと部屋に戻るようにきっと景綱が探しているぞ」といって子供を引き連れていってしまう。家臣も顔をしかめながらもそのあとを追う。子供はちらちらおれの方を見て手を振るか否か迷った末小さく手を振って背を向けた。それに驚いた梵天丸は振り返すことができずに背中を見つめることしかできなかった。そしてはっと意識を戻すと、父上が言っていた言葉を思い出す。「義のところへ行ってくる」と言っていた。きっとあの人は激昂するだろうと母の姿を思い浮かべながら梵天丸は思った。
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