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 久しぶりに再会を果たした幼馴染みに半ば強引に連れられ、たどり着いた森その奥。ここが彼の有名なS級犯罪者集団、暁のアジトということで良いのだろうか。

 それにしてもこいつは相変わらず馬鹿だ。こんなにあっさり、自分たちが拠点としているところを暴露してしまうなんて。

 逆らうだけ無駄だと思える程の腕力に大人しく引かれつつそんなことを考えていた私の体は次の瞬間、その幼馴染みの男のものと思われるベッドの上に押し倒されていた。と言ってもそこに、色っぽい要素は少しもない。何故なら私をにやけた顔で見下ろしてくるその男の手にはお得意の大振りな三連の刃物が握られていて、その切っ先は寸分違わず私の喉元に押し付けられているのだから。

 一房その顔に落ちてきていた銀糸を掻き上げ、男――飛段は笑う。

「お前、いい女になったなァ。シオ」

 見え透いた社交辞令。それを今この場で発するかと、私は僅かに頬を引きつらせて苦笑した。

「…ありがとう」

「ん? お前…信じてねーだろ」

 片目をしかめまた片目を見開く懐かしい表情で、飛段は心外だと言わんばかりに「嘘なんかついてねーぞ」と声を上げる。それに思わずふっと私が両の目を細めた途端、


「――…益々、ジャシン様に捧げたくなった」


 …ぞくり、


 低く、そしてひどく愉しげに紡がれたその言葉に、私は背筋を震わせた。

「なあ、今すぐお前の喉首掻っ切っていいか?」

 答えの決まりきっている飛段のそんなふざけた質問に思わず、私の唇は今の状況を全く顧みずに昔と少しも変わらない口調で言葉を紡ぎ出していた。

「やだよ」

「じゃあキスして」

「…何で」

 私が嘯き小さく呟いた言葉に、飛段はわざとらしく首を捻って見せてくる。銀の頭髪が妖しく、どこからか差し込んでくる淡い光を反射した。
 ざわと身体中の皮膚が粟立つ。

「死ぬか? それとも、オレにちゅーするか?」

 馬鹿げた問いだ。答えなど決まっていた。

 私は直ぐに動いた。返事が遅れようものならおそらく飛段は、容赦なく私の命を刈り取るのだろう。それこそ死神のように。
 喉に当てられていた歪な鎌に構わず、私は何とか身を起こし飛段のその紫の瞳を覗き込んだ。当然、私の喉を覆う薄い肌にはぐっとそれが押し付けられる。一瞬の間を置いてつうと熱い雫が重力に従い喉周りを回り伝っていったのが、自分でもよく分かった。

 …――互いのそれが触れ合ったのは、一瞬。

 しかしその刹那の間にも確かにそこから温もりを感じ取ってしまった自分の唇に、私はひどく驚いた。しかしそれを面には出さずに平然を気取ったらまま、私は直ぐに後頭部を柔らかな白の中に落ち着けた。
 飛段は感情の読めないやけに真っ直ぐな眼で、じっと私を見下ろしてくる。

「お前はほんっとたまにびっくりするくれー、オレに従順だよなァ」

 オレのどこが怖いんだ?と私の真の部分をつついた飛段はしかし、今私の胸の内に燻る得体のしれない気恥ずかしさには気がついていないようだった。

「呪いかけてるときの飛段が、ちょっとトラウマなの」

 遠い昔に見た覚醒した飛段の姿を思い浮かべ、私は軽く眉を下げる。

「そりゃあ悪かった」

 飛段は至極可笑しそうな表情でそう言って笑った。しかしふっとその瞳に真剣な色が宿ったことに気がついた私は、静かに唇をつぐむ。目の前の口元は依然笑ったままなのがまた、妙に私の心を騒がせた。

「…お前の悲鳴、聴きてえな〜」

 突如能天気に飛段のその口から上げられたその言葉は、しかしひどく笑えない。

「恐怖と絶望に染まって引きつった、ゾクゾクするような声がよォ」

「…悪趣味」

 言ったところで、飛段のその表情は変わらない。ぎらぎらと妙に輝くその瞳がずいと、私との距離を詰めてくる。

「なあ、聴かせてくれよ?」

「嫌だよ」

「んなつれないこと言うなってー」

「…まあ、じゃあいつかね」

「シオ…お前馬鹿だなァ。その言葉はガキをあしらうときに使うんだぜ?」

 だから使ってるんでしょ馬鹿飛段。

 …とは、流石に言わなかった。だからの"だ"の字に開きかけた口をゆるゆると閉ざした私を見、飛段は僅かに首を傾げていた。

 …本当に危ないところだった。

「つーか、いつかっていつだよ」

 ほっと私が胸を撫で下ろしている間に、やっぱりお馬鹿な飛段は意味のない言葉を難しい顔してうんうん掘り下げていく。

「なあ、いつになったら聴かせてくれるんだ?」

 この男相手に話していること自体が面倒になってきたものの、身動きのできない私はすっと口を動かす。
 昔からずっと私の内に燻り続けていたそれを、僅かに織り混ぜて。

「飛段がそれを聞いたときにはもう、私は二度とこうやって飛段と偶然会うこともできないね」

「…それは嫌だな」

 ぼそりと真上落とされた深刻な声に、私はほっと息をついた。このままいけばもしかしたら、上手く丸め込めるかもしれない。
 しかし真面目な表情から一転、私の顔を再び覗き込んできた飛段はやけに楽しそうな顔をしていて。

「じゃあ、代わりの声を聴かせてくれよ」

「代わりの声…?」

「そ」

 その様子に思わずたじろいた私を気にすることもなく、飛段はやけにゆっくりとした速度で私に顔を近づけてくる。

「ちゃーんとオレの名前呼べよ?」

 にやりと弧を描いた唇が、吐息だけで言葉を紡ぐ。


 ―――…お前の嬌声で。


 私の吐気と声とはその唇に噛み取られ、男のなかでだけ広く響いた。





私が呟いた一つの言葉は誰にも気づかれずあなたの中で消化され、いつかあなたの一部になれば良い。