夕焼けが、住み慣れた街を赤く染める。左手に感じる温度はやけに熱くて、胸がきしきし、音を立てた。
彼はやけに楽しそうに、今日あったことを私へ話す。私も笑顔で相槌を打って、彼の、昔よりも低くなった声に耳を傾けていた。
川辺の道に来て、何となく、足を止める。少し、寄りたい そう言うと、彼も快く頷いてくれた。
川沿いの芝生に腰を降ろす。当たり前のように、彼は私の隣に座る。手は、重なり合ったまま。
また他愛もない話をしながら、ぼんやりと、流れて行く川を眺めていた。
街の中に、太陽が沈んでいく。ゆっくりと、ゆっくりと、沈んで行く。会話が、途絶えた。
「・・・幸せだったよ」
そう言った私に、彼は何も言わなかった。多分、言えなかったんだと、思う。彼は優しい人だから。
――水の流れる音だけが、まるで全てを支配しているようだった。
彼に「好きだ」と告げられた時、私は思わず泣いてしまった。彼が違う人を好きだと思っていた私は、諦めきれずに、それでも諦めようとしていたから。
初めて手を繋いだ時、心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、緊張した。それは彼も同じだったみたいで、繋いだ手には汗が滲んでいた。
初めてのキスは、お互い初心者過ぎて、とてもぎこちなくて、歯がぶつかった。思わず、二人揃って笑ってしまったっけ。
初めて肌を重ねた日。すごくすごく痛かったけど、彼は優しくて、私は嬉しくて、幸せで、溶けてしまうかと思った。目を覚ました時、照れ臭そうに言われた「おはよう」を、今も私は覚えている。
「・・・幸せ・・・だった、よ」
もう一度、呟く。彼の昔より大きくなった温かい手は、微かに震えていた。
「・・・ねぇ、咲智」
「ん?」
「俺さ、離したくないんだけど、どうしたらいい?」
彼の手に、少し力が込められるのがわかる。だから私も、握り返した。
遠ざかる太陽は、もうすぐ彼を連れ去ってしまう。いつも隣にいる彼が、引き返すことの出来ない寂しさだけを、置いて行く。
少しずつ霞んでいく綺麗な思い出は、この先に訪れる結末をいつか消してくれるのだろうか。わかりきった悪夢みたいな未来は、今ですら私を傷付けるというのに。
数日前に告げられた言葉に、大人に成り切れない子供の私たちは、どうすることも出来なかった。
彼の将来は中学生の時から既に決まっていて、それは私にどうすることもできない。彼は、背負った運命が重た過ぎた。
マフィアのボスになる彼と、一般人の私では、余りに釣り合いが取れていない。イタリアへ行ってしまう彼に、着いていく勇気なんてなかった。足を引っ張るだけの私に、彼の命を背負う覚悟なんて、なかった。
「ツナ」
「なに?」
「・・・だいすきだよ」
「・・・・・うん」
きっと、いつかきっと、"これでよかった"と、そう思える日も来るんだろう。
新しい誰かと恋をして、結婚して、子供を産んで。二人で過ごした"今"さえも、綺麗な思い出になるんだろう。
胸に残る感情を、押し殺す。気をつけないと、泣いてしまいそうだった。
自然と寄り添っていた肩から離れ、立ち上がる。太陽は、既に街へ飲み込まれてしまった。
「・・・離したく、ないよ」
泣きそうな、今にも消えてしまいそうな彼の声に、私は心の中で耳を塞ぐ。
「・・・離れたくないんだ」
――手を繋いで、帰った。
優しい鬱
(温かい君の掌が)(何よりも好きでした)
2009.04.17
2012.07.16 加筆修正
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