恋をしている


※キョート城に帰還したあるじと、彼を待っていたミラーシェードとパープルタコの話
※「生きてみせてよ」から続いている


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長きに渡る亡霊との戦いを経て、キョート城へと帰還したあるじは、立膝姿勢で頭を垂れるニンジャたちを見やる。玉座の高みに降り立った彼は荘厳な雰囲気を纏い、神々しくすらあった。
畏怖に打たれたニンジャたちの中、パーガトリーが滑るようにあるじの脇へと進み出る。震える両手で、あるものを捧げ持つ。
「あるじ、よくぞお戻りになられました。……どうかこれを」
そう言ってパーガトリーが差し出したのは名も無きニンジャソードであった。あるじが本来振るうべき刀はロードの首級に突き立っており、邪悪なる力の解放を抑える楔となっている。その役割がある以上、ベッピンを手にして戦うことはできない。故に代わりが必要だった。

本来ならば、万全の装備でないあるじを戦場に立たせるなど言語道断である。しかしパーガトリーは――そしてこの玉座の間に集った者達は、敢えてダークニンジャに武器を献上した。何故か。答えは明白だった。彼等はあるじに希望を託し、願ったのだ。あるじが彼等を率いて戦うことを。この絶望的なイクサの趨勢を切り拓く閃光となることを。

ダークニンジャは差し出された刀を見、それから部下たちの姿を見た。誰もがぼろぼろに傷付き血を流している。戦闘のさなか、死の間際を歩いた者もいただろう。戦い疲れて、生き延びることを手放しかけた者も少なくはあるまい。しかし今、彼等は再び戦う意志を取り戻していた。あるじの帰還、失われたはずの希望を取り戻して、心を昂らせていた。恐れるものは何もない。
彼は無言で刀を受け取った。鞘から抜かれた刀身が冷たい輝きを放つ。戦場に立ち込める死の気配を切り裂き、澄んだ音が響いた。銘はなくともよく斬れる逸品であることは間違いない。ダークニンジャは久方ぶりの感触を確かめるように柄を握り直し、小さく頷いた。

「長く苦しい戦いだったであろう。だが、お前たちの働きにより、おれは帰ってきた」
カツン、カツン。かりそめの肉体を得た彼は、靴音を鳴らしながら歩いて行く。悠然と、しかし決断的に。一歩ごとに己の存在を知らしめるかのような歩みであった。黒いローブが重力に逆らってひらりと舞った。
「ロード・オブ・ザイバツの時代は――暗がりで敵の喉笛を狙う、屈辱の日々は終わりだ。我が物顔で城内を練り歩く愚か者どもに鉄槌を下す時が来た。ここは我等の城であるということを思い知らせてやれ」
彼等は心を震わせてあるじを見る。数多の生と死を切り捨て、とうとうこの場所へと至った男の背中を。
ダークニンジャは刀を一振りし、眼前の扉を睨みつけた。部下たちの願いを背に受け、あるじは戦場の最前線へと舞い戻る。不敵な笑みを携えて。

「打って出る。――おれに付いて来い」

その一言が、反撃開始の合図だった。





乾いた風が、返り血のこびりつく頬を撫ぜた。現世に吹く風とは異なる肌触りの風だった。
ミラーシェードは何度も瞬きして、霞む視界をクリアにしようとする。彼の視線の先にはダークニンジャの背中があった。

先のイクサにおいて、あるじはニンジャたちの先頭に立って戦った。それはまさしく鬼神の如き強さだった。デス・キリを放つと、脆弱な刀はその力を受け止めきれずに砕けた。ダークニンジャは間髪を入れず、第二・第三の刀を手に取る。ある時は部下から差し出された刀を、ある時は敵ニンジャから奪い取った刀を、まるで単発式のマスケット銃を撃っては使い捨てるかのように振るうのだった。――かつてのショーグン・オーヴァーロードは、暗殺の危機に瀕した際、名だたる名刀を畳の上に突き立て、次々と持ち替えては敵を切り伏せていったという。ダークニンジャが戦うさまを目にした者ならば、その神話的伝説を思い出さずにはいられなかったであろう。
ダークニンジャは、ヘル・オン・アースを経て、それまでとは比べ物にならぬほど更に強くなっていた。どのような出来事があったのかはミラーシェードの知るところではない。だが、その圧倒的なカラテが全てを物語っている。ダークニンジャは、彼のあるじは、強い。その事実だけで十分だ。

あるじの戦いを目の当たりにして、ミラーシェードはたまらなく高揚した。自分もあるじに続かねばならぬと強く思った。それは他のニンジャたちも同じだったようだ。連戦により肉体は既に疲弊しきっていたが、士気の高まりがそれを凌駕した。
圧倒的優位を覆された敵勢力は堪ったものではなかっただろう。あとは玉座の間に侵攻して蹂躙するだけだったはずなのだ。しかし、あるじの帰還により戦局は急変した。最前線に立って戦うあるじに皆が続く。単なるカジバ・フォースではない。確かな実感と共に掴み取った勝利だった。

――そして今、あるじは何者も寄せ付けぬ空気を纏い、イクサの跡を見つめていた。黒いローブが風にはためく。
部下たちはあるじから距離を置くようにして怪我人の処置や搬出にあたっていた。誰もがみな満身創痍だ。絶望的な状況からの逆転劇に伴う犠牲は大きかった。彼等の顔には疲労の色がありありと表れていたが、しかし、決して悲観はしていなかった。彼等は畏敬の念をもってあるじの背中を見る。
ミラーシェードもまた、その背中に焦がれる者の一人であった。

「大丈夫?血が出てるわ」
パープルタコが隣に歩み寄ってきて、ふらつくミラーシェードの体を支えようとする。だが、ミラーシェードは首を横に振ってその支えを断った。
「大したことはない。……それより、君の方こそ大丈夫か。ひどい有様だ」
「まったくよ。早くお風呂に入りたいわァ」
うんざりしたようにパープルタコは溜息をつく。美しい髪は今や埃まみれで乱れに乱れ、滑らかな肌には大小様々の傷が散らばっている。長い髪と装束でうまく隠してはいるが、中には深い傷もあった。命拾いしただけでも儲け物と考えるべきか。本当なら軽口を叩いている余裕もないはずだ。風呂よりもまず治療室に行くべきだろうが、パープルタコはその場から動かない。彼女もまた、ミラーシェードと同じように、あるじの背中を見ていた。

「……ホントに、帰ってきたのね、あの人」
「ああ」
「夢じゃない?」
「これが夢ならとっくに覚めている頃だろう」
「そうね、その通りだわ」
夢じゃないのね、と繰り返し呟く彼女の瞳は、それでもまだ夢の中に浮かぶようにゆらめいていた。自分の瞳を覗き込むことができるなら、きっと今の自分もパープルタコと同じ瞳をしているのだろうとミラーシェードは思った。乾いた風がオヒガンと現世の狭間に吹き抜ける。

――ローブの裾が何度目かのはためきを捉えた時、不意にあるじが後ろを振り向いた。ひたり。ミラーシェードとパープルタコに視線が注がれる。
「!」
「え、え、」
二人が狼狽したのは言うまでもない。その場を離れるか否かの判断を迷う間にも、あるじは彼等に向かって歩みを進めていた。取って喰われるわけでもないだろうに、二人は猛獣に捕らえられた草食動物のごとく、膝をついてあるじを出迎えた。
あるじは無感情に二人を見下ろす。何が彼を自分たちの元へと向かわせたのかは分からなかったが、ミラーシェードの口からはほとんど反射的に言葉が出ていた。

「ダークニンジャ=サン……いえ、あるじ。こうして再びお会いできたこと、喜ばしく思います」
「……お前たちが、おれの留守を預かっていたのか」
あるじの問いに、ミラーシェードはすぐ返答することができなかった。その代わりに、パープルタコが言葉を引き継いだ。
「そんな大層なこと、してないわ」
パープルタコの声は囁くように小さかった。常の彼女からは考えられぬほどしおらしい。

「あたしたちは生き延びるのに必死だっただけ。あなたのためにできたことなんて、たかが知れてる。あなたが帰ってきてくれなかったら、きっとあのまま死んでただろうし」
卑下するような言葉ばかりが並ぶが、それらは全て事実だった。死に物狂いで戦ってきたのは、自分たちが生き延びるためだった。ダークニンジャのためではない。留守を預かると言うにはあまりにも利己的すぎた。
ミラーシェードとパープルタコがうまく彼と目を合わせられないのは、後ろめたさが少なからずあったからだ。「胸を張ってあるじを迎えたい」、そう願ったあの日の思いに背を向けてしまっている。あるじに全てを捧げる忠誠もなければ、助けを借りずに自分の命を守り切るだけの強さもない。何もかも半端なままで、しかし生き残りたいというエゴだけは貫き通してここにいる。

――では何故、そこまでして生きようと思ったのだろう。
ミラーシェードは己に問うた。与えられたロスタイムを徒に消費したくなかったからか?自分はいつ死んでも構わないと覚悟していたはずだ。その覚悟は本物だった。それでも、いつの間にか生に執着していた。

黙りこんでしまった二人の葛藤を見透かすように、あるじは口を開いた。
「お前たちが地道に軍勢を拡げてきたことは知っている。戦いの積み重ねなくして、この勝利は成し得なかった」
淡々とした口調で語る。その静かな声音に二人は驚きを隠せなかった。自分たちの知る「ダークニンジャ」は、もっと苛烈で、他人など顧みぬ男ではなかったか。
――違う。自分たちは彼の一側面しか知らない。この静謐さもまた、彼を形作るひとつの真実なのだ。
「死にたくないと、生きたいと願ったそのエゴが、お前たちを踏みとどまらせてきたのだろう。……誇りに思え。己の辿ってきた道のりを」
はっとして、二人は思わず顔を上げた。風が吹く。あるじの黒いフードが揺れた。
フードの下の顔が、微笑を浮かべていたように思えたのは、果たして気のせいだったのだろうか。分からない。分からなかったが、そのあとに告げられた言葉の柔らかさだけは鮮明に憶えていた。

「……ここまで、よく持ちこたえたな」

ただ、その言葉が欲しかっただけなのかもしれない。
褒められたかったのだ。この人に褒めてもらいたくて、自分たちの頑張りを認めてもらいたくて、よくやったと、言ってほしくて。ただそれだけのために、この途方も無い戦いを生き抜いてきた。
すべての問いがひとところに収斂していく。答えはここにあった。なんということはない、子供じみたささやかな願いだったのだ。

彼等が口を半開きにしている間に、ダークニンジャは既にその場から離れ、ランチハンドらに次の指示を出していた。ミラーシェードとパープルタコは、黒いローブをひらめかせたあるじの背中を呆然と見つめることしかできなかった。
どれくらいの間そうしていただろう。パープルタコは隣のミラーシェードに目を遣り、ぎょっとした。
「ちょ、ちょっと。なに泣いてるのよ」
「え?……あ、ああ……」
ミラーシェードは、パープルタコに指摘されて初めて、自分の頬に涙が伝っていることを知った。涙は思った以上に熱をもっていた。涙を止める方法をすっかり忘却してしまったので、次から次へとお構いなしに溢れていく。パープルタコはからかうように笑った。

「ポロポロ涙こぼして、まるでアカチャンね。そんなに嬉しかった?」
「それは君も同じだろう、パープルタコ=サン。化粧が剥げかかっている」
「余計なお世話よ」
パープルタコはごしごしと手で目元を擦った。強がり、あるいは照れ隠しか。擦ったせいで目元が真っ黒になってしまったが、それを気にしていられるほどの余裕もないらしい。ミラーシェードほどではなかったが、パープルタコもまた泣いていたのだった。

どうして今になって涙が出てくるのだろう、とミラーシェードは思った。しかしすぐに、今だからこそ泣けるのだ、と思い直した。
ヘル・オン・アース。キョート城に集った全てのニンジャを巻き込む、大きな戦いだった。ミラーシェードもその大いなる渦に身を投じたニンジャの一人だ。失われた命があった。取りこぼした絆があった。だが、ミラーシェードは泣くことを自分に禁じた。今はその時ではない。今はただ、歯を食いしばって生き抜かねばならないと。
その戒めは、あるじの一言によって、あっけなく解けてしまった。すべてが報われた気がした。まるで「泣いてもいい」と許されたかのようだ。あの時零せなかった涙が今、堰を切って溢れ出していた。

「どうした、若いの!揃いも揃ってメソメソと!」
頭上から大らかな声が降ってきたかと思うと、二人の肩に重い感触。ニーズヘグだ。彼は二人の頭を両脇に抱え、髪の毛ごとぐしゃぐしゃと撫で回した。雑な慰めである。
「もう、やめてよおじさま!」
パープルタコは首を振って逃れようとするが、ニーズヘグがそれを許すはずもない。豪快に笑いながらも二人の頭をがっちりと抱きかかえている。まるで周囲の視線から二人の泣き顔を隠すように。
そうだ。曲がりなりにも、ミラーシェードとパープルタコは、ニーズヘグと共に先頭に立ってダークニンジャ派のニンジャたちを率いてきた。「この程度」の勝利で泣いていては他の者達に示しがつかない。
だが、ニーズヘグは彼等の泣き顔を隠すだけで、泣くこと自体を止めようとはしなかった。

ダークニンジャが見据えるイクサはもっと先にある。これまでの戦いはただの前哨戦だ。大局を俯瞰した時、この戦いはきっと、取るに足らない小競り合いとして処理されてしまうのだろう。だが、ミラーシェードとパープルタコにとっては、途轍もなく大きく、意味のある戦いだった。
ニーズヘグは、彼等がどれだけの困難を乗り越えてきたのかをよく知っている。だからこそ、今この時くらいは、思う存分泣かせてやりたいのだ。
泣いている様子は見られないようにしてやるから、安心していくらでも泣けばいい。乱雑さの中にそのような気遣いを垣間見て、パープルタコは大人しくなった。ミラーシェードは先程からずっとニーズヘグの腕の中で静かに泣いている。厳しい顔つきとは裏腹に、ぽろぽろと涙を零すさまは小さい子供のようだった。

図体の大きい子供二人をあやしてやりながら、ニーズヘグはダークニンジャの背中を目で追う。この二人の気が済んだら、次はあの子供を好きなだけ甘やかしてやろう。やめろだの触るなだの言いながら、案外満更でもない表情を見せてくれるのが楽しみで仕方なかった。

きっと、誰もが彼に恋をしている。



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2015/11/30


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