ダウンフォール・カノープス(1)


くっきりと闇夜に浮かび上がる月が、地上を煌々と照らしている。あまりに月が眩いので星は見えない。
土と草ばかりの大地を這うようにして前進していた。一歩、二歩と重々しく歩を進めるたびに、じっとりとした血と汗が地面に染みこんでいく。赤黒い装束は、果たして元からこのような色であったか。自らの血と返り血が混ざり合って、もはやどちらのものかも分からない。

もう何時間、こうして歩き続けているだろうか。目覚めた時には鬱蒼と木々が生い茂る山の中であった。獣道を掻き分けてやっとなだらかな高原へと辿り着いたが、広々としたこの光景がどこまで続いているのかも定かではない。人里の気配は一向に感じられず、時折野犬とも狼ともつかぬ獣の声を遠くに聞くばかりだ。無闇に動いて体力を消耗するのは得策ではないのかもしれないが、動かないでじっとしているよりは、無理にでも移動した方が気休めになった。

ここはどこで、何故こんな場所に放り出されたのか。自分は一体どこへ向かっているのか。何も分からぬまま、フジキドは黙々と体を引きずる。
「ダークニンジャ……」
喉を低く鳴らし、忌々しげにその名を呼んだ。
覚えているのは、最後の瞬間に見たあの男の顔。一切の躊躇いなく命を奪おうとする刃、感情を完璧に封じ込めた怜悧な瞳。殺してやる、と思った。そしてあの時、確かに殺せると思った。ダークニンジャが体勢を崩し、一瞬の隙を作ったあの時に。

だが、最後の一撃を叩き込もうとした刹那、フジキドの体は中空へと投げ出されていた。固く踏みしめていたはずの足場が忽然と消失し、下へ下へと落ちていった。ダークニンジャが何らかのジツを使ったのかと思ったが、足場を失ったのは相手も同様だった。二人共凄まじい速度で落下していく。その先にあるのは闇。夜よりもなお深い闇だ。突然の事態に目を見開く。向かい合うダークニンジャもまた呆然としていた。小さく開いた彼の唇が何かをフジキドに伝えようとしていたが、その声を聞き届けるよりも先に、眩い光が二人を包み込んだ。
――そして、気付けばフジキドは何処かも分からぬ山中に体を横たえていた。
原因が何であれ、復讐を果たす絶好の機会を、あと少しの所で逃したのだ。収まらぬ怒りと憎しみが未だ体中を暴れ回っている。

「どこだ」
彼は宛もなく辺りを彷徨った。ぎこちなく背を曲げ、腰の高さほどもある雑草を掻き分ける。草をどけた下にはただ湿った土があるばかりだ。人の姿などあるわけがない。この高原に辿り着くまでにも幾度となくあの男を探したが徒労に終わった。それでも諦めきれず、フジキドは怒りをぶつける相手を必死に追い求めていた。
「どこだ、ダークニンジャ=サン。あれで終わりなど私は認めん!出てこい、今一度決着をつけてやる!!」
飢えた獣のように吠えるが、彼の叫びは途方も無い葦原に吸い込まれて消える。月の光に映し出されるのはフジキドの影のみ。
「ダークニンジャ!!」
――応える者は、いない。

取り乱していた彼は急に静まり返り、煌々と光る月を見上げた。冷たい風が頬を撫ぜる。頬にこびりついていた血はとうに乾いていた。
彼は凍りついたように動かないまま、湿った地面の上に膝をついていた。頭の中が真っ白になる。たちの悪い悪夢を見ている気分だった。
またあの戦場に戻るすべはないかと、ニューロンの内側にいるであろうナラクに呼びかけたが返事はなかった。眠ってしまったのか――いや、違う。休眠状態にある時でも、ナラクがいる感覚は確かにあったはずだ。だが今はどうだ。呼びかけに応えないどころか、普段なら煩わしいほどに思えていた隣人の気配が完全に喪失している。
同時にフジキドは己のカラテがほとんど失われていることに気付いた。道理で体の回復が遅いはずだ。先のイクサでダークニンジャによってつけられた刀傷が、未だにじくじくとした痛みをもたらし続けている。常ならば傷が塞がるのはすぐだというのに。全身を苛む倦怠感と疲労感も薄れる様子がない。体がひどく重い。一歩前に進むのさえ億劫で、跳躍などできそうにもない。まるでモータルに逆戻りしたかのようだ。そしてその比喩は錯覚などではなく、紛れも無い真実であった。
復讐心に燃えるたび、体の内側から漲っていた力が、ニンジャソウルが――消えた。

「馬鹿な……」
ありえないことだ。あってはならないことだ。ナラク・ニンジャのニンジャソウルなくして、ニンジャスレイヤーという存在は成立せず、フジキド・ケンジという人間も生存できない――そのはずではなかったか。
だが現にフジキドはこの葦原に立っている。かろうじてだが生きている。たったひとりで。
「私だけしか、いないのか……」
分かりきっていたはずの事実を、言葉にすることで改めて自覚する。

復讐を果たし切ることもできず、こんな場所で何をしているのか。歩き続けた所で、どこにも辿り着けはしないのではないか。
次から次へと浮かび上がる疑問符を、彼は無言で握り潰していく。そしてまた、ふらつく足取りで歩き出した。ゾンビめいて遅々とした歩みではあるが、確実に前へと進んでいた。
「……見つけ出してやる」
彼の目に光は未だ失われていない。それどころか爛々と光っている。前に進むための目的があるからだ。
「見つけ出して、今度こそ殺してやる。必ずだ。私は死なん。貴様の死をこの目で確かめるまでは」
呪詛を吐き散らしながら、彼は雑草を掻き分けて進む。孤独感に引き千切られそうな闇夜の中、あの男がどこかでまだ生きているかもしれないという可能性が、希望にも似た輝きを放ってフジキドの道を照らしていた。



(2)へ続く

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2015/08/03


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