めちゃくちゃにしたっていいんだよ(2)


一ノ瀬トキヤは、昨日のことを思い返して首を傾げていた。
昼休み、陽射しが気持ちよくて、砂月の隣でうとうととしてしまったところまでは覚えている。しばらく微睡んだように思うが、繰り返し聞こえる鈍い音に気付いて目が覚めたのだ。違和感を覚えて周りを見渡したら、砂月が自分の頬を全力で殴り付けている場面に出くわした。異様な光景だった。ついさっきまで穏やかに会話をしていたはずの相手が豹変していたのだ、狐憑きか何かかとうろたえた。
トキヤが静止の声をかけても砂月は殴るのをやめなかったので、腕にしがみついてでも止めようとした。……が、砂月の腕に指が触れた瞬間、砂月がものすごい勢いで飛び退いた。まるで電流でも走ったかのようだった。目をいっぱいに見開いて固まっていた。明らかにおかしい。

その怪我はどうしたのか、なぜ自分を殴り付けていたのか、何度訊いても答えは返ってこなかった。問い詰めようとして距離を詰めると、その二倍引き離されてしまう。せめて医務室に行ってくれと頼んでも頑なに首を横に振る。「あなたが医務室に行ってくれるまで、私はあなたのそばを離れませんよ」と言ったら、なぜか渋々了承した。ただ、「俺の半径1メートルに入ってくるな」という条件付きで。意味が分からない。しかし「お願いだから言う通りにしてくれ」と頭まで下げられては、条件を飲むしかなかった。

彼なりに何か事情があるのだろうと、無理やり自分を納得させて今に至る。
頬杖をつきながら、窓際の砂月の席に目をやった。空っぽの席。最近はホームルーム開始ぎりぎりに来ることが多かったけれど、今日はどうだろう。
そう思っていると教室のドアが開いた。現れた砂月は、昨日と同じくらいどんよりとした雰囲気を漂わせていた。やっぱり何かがおかしい。両頬の腫れは昨日よりだいぶ収まっているように見えたが、まだガーゼは手放せないらしい。
トキヤは腰を浮かせ、砂月のもとへ駆け寄ろうとした。

「おはようございます。よかった、腫れは少し引いています……ね……」

言葉が最後まで出てこなかった。まるでトキヤの姿など視界に入っていないかのように、砂月がすっと目の前を通り過ぎていったからだ。
「は……?」
今のは何かの見間違いだろうかと瞬きをする。首を動かして砂月を追うと、砂月は何事もなく自席に辿り着いて座った。その表情は、言ってしまえば「無」である。
本当に姿が見えていないのかと錯覚するほどだった。そのくらい徹底して無視された。
「はあ……っ!?」
信じられない。目の前で起こった現象を受け入れられない。喧嘩をしている時ならまだしも、昨日今日でそのような扱いを受ける心当たりがまったくないからだ。
――私が何をしたっていうんですか?

わなわなと震える彼の背後で、レンが「あーあ……」と顔を覆ったことを、トキヤは知らない。


◆◆◆


それからというもの、トキヤは事あるごとに砂月から避けられ、無視され、いないものとして扱われ続けた。
一応、姿は見えているし声も聞こえてはいるらしい。だが、どれだけ話しかけても「ふーん」「そうか」「後にしてくれ」の3パターンしか反応がない。さすがに腹が立って砂月の腕を掴もうとすると、やはり凄まじい勢いで距離を取られる。毛を逆立てた猫のようだ。そこまで激しい反応をされると無理に押すわけにもいかず、諦めてそっとしておくしかない。

百歩譲って――いや、譲りたくはないが、避けるのはいいとして、どうしても解せないことがある。
徹底的に避けられているはずなのに、その一方で砂月からの視線を妙に感じるのだ。視線に気付いてそちらを振り返ると、分かりやすく顔を背ける。
――無視はするくせに、自分が見るのはいいってどういうことですか?
その矛盾に怒りがふつふつと湧いてくる。どうせなら言動を一貫させてほしい。

そんな扱いを受けることが、丸三日続いた。
無視されるとその場では苛立ちや怒りが湧き上がり、一日中腹立たしい思いにさせられるのだが、夜になると一気に気持ちが落ち込んだ。
こうも露骨に避けられると、さすがにこたえる。なにせ原因が分からないのだ。対処しようにも、自分の何を変えればいいのか分からず途方に暮れる。

トキヤはベッドの中で小さく長い溜息をついた。部屋の反対側では、音也が健やかな寝息を立てている。いつでもぐっすり眠れる彼が羨ましい。
何がいけないのだろうか。砂月の機嫌を損ねるようなことを、無意識のうちにしでかしてしまったのだろうか。
――自分で言うのもなんですけど、私達、結構いい雰囲気でしたよね?心理的にかなり近付いてましたよね?
心の中で問いかけても返事はない。

最近――とりわけ、二人で福岡に行って以降――砂月のことをとても身近に感じるようになった。心を許せる相手だとも。トキヤはあの時、確かに砂月のことが好きだと思ったのだ。そして、砂月もまた、トキヤと似た想いを抱いてくれていると……そう思っていた。限りなく近い距離に心があると感じた、あの感覚は期待が見せた錯覚だったのだろうか。
トキヤは、暗闇の中で自分の唇に触れた。触れたところが僅かに熱を帯びる。

――キスまで、したじゃないですか。

あの日の出来事を何度も思い出しては顔が赤くなった。夢に見たこともある。気付けば「二度目」を待っている自分がいた。自然と目が砂月の姿を追いかける。もう一度、と願ってしまった。
あれをただの気の迷いだと言われたら、きっと何もかも解けてしまう。

「…………」
まったく自分らしくないな、と自嘲した。砂月に避けられ続けて気持ちが小さくなっていたのかもしれない。
そうだ、待つなんて自分の柄じゃない。欲しいなら自分から手を伸ばさなければ。たとえこれが独りよがりの想いだったとしても。

トキヤは天井に向かって手を伸ばした。そして、決意するように空の手を握った。


◆◆◆


翌日。
またしても丸一日華麗に無視を決め込まれたトキヤだったが、今日は必ず砂月を問い詰めるのだと決めていた。今日は砂月の部屋で夕食を食べる日だ。先週から決まっていたことだから、今更「やっぱり無しで」は許さない。何が何でも押し通す。

砂月の部屋の前で、トキヤは深呼吸をした。意を決してドアをノックをする。コンコン。返事はない。もう一度ノックをする。コンコンコン。やはり何も無し。だが人の気配は感じるので、居留守を使われていることは間違いない。
トキヤは口元を引きつらせた。そうですか、あなたがそのつもりなら、私だって相応の対応をさせていただきますよ。

コンコンコンコン!コン!コココココココココココン!コンコンコンコンコン!コンコン!コココココココココココンコンコンコンコン!!

リズムゲームのコンボを決めるがごとく、トキヤは鬼のようにドアをひたすらノックした。
以前砂月がトキヤの家に来た時、執拗にインターホンを鳴らされたことをトキヤは根に持っていた。ちょっとした意趣返だ。拳でドンドンと叩かなかったのは、隣の部屋に対するトキヤなりの配慮だった。コンコンしすぎて十分に騒音だということは考えないでおく。

「……なんだよ」
案の定、砂月の呆れたような声がドアの向こうから響く。やはり居留守を決め込まれていたのか。

「一ノ瀬です。開けてください」
「帰れ」
「今日はあなたの部屋で夕食を食べる日だったでしょう。先週約束したはずです。忘れたとは言わせませんよ」
「……」

砂月が黙った。その沈黙に、トキヤの強気の態度が僅かに揺らいだ。絶対に砂月を問い詰めてやるという決意は、話し合いの壇上に立たなくては機能しない。まさか部屋に入らせてすらもらえないのか。二人を隔てるものは扉たった一枚だというのに、今はまるで鉄の扉のように分厚く重いように感じられた。
トキヤは微かに震える声で言った。

「……私は、約束まで破られてしまうんですか……?」

扉の向こうで、息を呑む気配があった。しばらく間があって、扉がゆっくりと開いた。きまりの悪そうな顔をした砂月に出迎えられる。視線は合わない。それでも、久しぶりに彼に存在を認識してもらえたと思った。




部屋のキッチンに立って、トキヤは無言で夕食を作る。その間ずっと、背後から視線が注がれているのを感じていた。妙に落ち着かなくて、勝手知ったるキッチンだというのに、いつもはしないようなミスをしてしまう。いちょう切りをするはずの材料を拍子木切りにしてしまったり、火加減を間違えて少し焦がしてしまったり。完成した夕食はいつもより見栄えの悪いものになってしまった。どうしてこんな時に限って……と思うが、こんな時だから失敗するのだ。

「いただきます」「いただきます」
食べ始めの挨拶だけはきちんと二人揃って言う。もうルーティンに組み込まれていた。
向かい合って食事をする間も、二人は終始無言だった。いつもなら砂月が一言二言料理の感想を言うのだが、今日は当たり前のようにそれがない。トキヤは砂月の首から下だけを見るようにして食事をとった。

いつだったか、「楽器の扱いと、箸の使い方だけは丁寧なんですね」と砂月に言ったことがある。砂月は意外なほどに箸の使い方が上品なのだった。実家は牧場だと聞いているし、きっと命に感謝して食べるように躾けられたのだろうなと思った。砂月は「『だけ』は余計だろ」と拗ねていたけれど。

「用は済んだだろ。もう帰れ」
食事の片付けが終わると、砂月は定型文のようにその言葉を発した。当然、トキヤは首を横に振る。
「いいえ。話をさせてください」
「……お前に話すことなんてねえよ」
「私にはあります。あなたに訊きたいことがあるんです」
トキヤが一歩前に出ると、砂月は一歩後ずさった。まるで反発し合う磁石だ。傍から見たらおかしなやり取りだろう。こんなことでいちいち傷付くなんて馬鹿らしいと思っても、悲しいものは悲しい。唇を引き結んで、もう一歩前に出た。

「あなた、私を避けていますよね?」
睨むように見上げると、砂月はふいと視線を逸らす。
「……別に、避けてなんか」
「いいえ避けています。いつもこうやって距離を取るし、目は合わないし、触れそうになると露骨に手を引っ込める。こうもあからさまにやられて気付かない方がおかしい。気に食わないことがあるなら言ってくださいよ」
「そんなもんねえよ」
「……目を背けて言われたって信じられません!」
また一歩踏み出して砂月の手首をぎゅっと掴んだ。一瞬、息を呑む音が聞こえる。

「私が何かあなたの気に障るようなことをしていたなら謝ります。嫌なことなら直す努力をします。でも言ってくれないと分からないんです!ちゃんと目を見て言ってください……!」

悲痛な叫びだった。この四日間で積もりに積もった感情がもう爆発寸前だった。
避けられたり、無視をされたりすることが嫌なのは勿論だったが、トキヤの悲しみの本質はそこではなかった。砂月の気持ちはこちらに向けられているはずなのに、トキヤがそれに応えようとするのは許されていないことがつらいのだ。

その日初めて、砂月と目が合った。ぐらぐら揺れ動いて、ひどく苦しんでいるような目だった。どうか伝わってほしいと手を握る力を強めた。その瞬間、砂月の肩がびくりと跳ねた。

「――触るな!」

砂月は反射的にトキヤの手を強く振りほどいた。その反動でトキヤの体はバランスを失い、よろけて壁に肩をぶつける。トキヤは目を見開いてその場で固まった。じんじんと痛む肩がその拒絶の強さを物語っている。唇が震える。
顔を上げて砂月を見ると、彼は呆然とした表情でトキヤを見下ろしていた。胸を上下させて浅い呼吸を繰り返している。何かに耐えるように顔を歪ませた。

「……お前がそうやっていちいち近付いたり、しつこくしてくるのが迷惑なんだよ」
「……っ!」

低い声で、吐き捨てるように呟かれた言葉。杭のようにトキヤの胸を深々と突き刺した。顔を背けた砂月の表情は、見えない。
トキヤは自分の胸をぎゅっと掴んだ。引き裂かれるように痛む。その痛む場所から熱いものがこみ上げてくるように感じた。その熱は上へ上へと上がっていって、鼻の奥を刺激し、目蓋の裏側に集まってくる。だめだ。まだ零れてはいけない。必死で抑え込もうとしたが、熱はあとからあとから滲み出てくる。

どうして伝わらないのだろう。どうして、伝えさせてくれないのだろう。
まるで一方通行の糸電話だと思った。砂月からの声はかすかに聴こえている。その声が自分に向けられているらしいことは分かる。懸命に耳を押し当てて聴こうとするが、うまく聴き取れない。もっと大きな声で話してほしいと伝えたかった。なのに、こちらから言葉を発しようと思った瞬間に糸が切られてしまう。どれだけ糸を繋ぎ直しても、口を開いた途端にはさみの音がして、向こう側から糸が切られたことを知る。

トキヤは俯いて床を見た。床の上に散らばった糸が見える。切られるたびに糸はぐしゃぐしゃになっていった。いくつも結び目ができて、絡まった糸。こんな糸では砂月の声など聴こえない。それでも、繋がりを絶ちたくはなかった。あの時に聴こえた声が、とても優しい響きをしていたから。あの優しい声をもう一度聴きたかった。ここにいるよ、ちゃんと聴こえているよと返したかった。

――だから私は、泣きながら糸を拾い上げて結び直す。何度でも。

「……納得、できません」
震える声で、ようやくその一言だけを絞り出した。ぐしゃぐしゃになった心と糸を抱えて。
「あなたが本当に私を嫌だと、迷惑だと思っているとして、……だったら……っ!」
思い出すのはあの日の感覚。忘れない。忘れられるわけがない。

「だったらどうして、あの時キスをしたんですか……!?」

それが合図だったかのように、トキヤの目から涙があふれて零れた。玉のような涙があとからあとから零れ落ちていく。
――あの時、確かに砂月はトキヤにキスをして、トキヤもそれを受け入れた。言葉もなく、ただ互いの熱を交わし合うだけの行為だったが、あの時は何よりも近くに砂月を感じられた。繋がることができたと思った。その実感は決して嘘でも偽りでもない。だからこそ、諦められなかったのだ。

「もう、私は知ってしまったんです。あなたの優しいところも。人を突き放すのは、不用意に傷付けないためだということも。あなたの隣で見てきました。全部全部、知っているから分からないんです……!」

顔をくしゃくしゃに歪めて、こぼれる涙を拭いもせず、トキヤは泣きながら言った。
時には反発し、時には引かれ合いながら過ごした日々の積み重ねを、こんなところで手放したくはなかった。それは冷たい言葉の礫だけで崩れるほど脆くはない。
相手の駄目なところばかり目について嫌気が差した時も、思いがけず紡がれたメロディーの美しさに目を輝かせた時も、何もかもうまくいかなくて諦めそうになった時も、歌えることの喜びを思い出せたあの時も、二人はいつだって互いの隣に立っていた。その存在があったから生まれた曲がある。歌えた歌がある。

――あなただって、そうでしょう?
問いかけるように、砂月を見つめた。




――どうしてお前は、俺を諦めないんだ。こんなになるまで傷付けたのに。

避けて、無視して、冷たく当たれば、諦めてもう寄ってこないと思った。遠ざけたい一心で、心にもないことを言った。
怖かったのだ。内側にくすぶる欲望を知られることが。抑えのきかなくなったそれをぶつけて、綺麗なものを汚してしまったら、もう元には戻れないと思った。あれだけレンに説き伏せられたのに、それでもまだ不安を拭い去れなかったのだ。信じたい気持ちよりも、臆病さの方が上回ってしまった。
トキヤの目を見ると、すべてを見透かされてしまいそうに思えた。だから顔を背けて、視線を逸らした。向き合うことから逃げて逃げて逃げ続けて、それでもトキヤは追ってきた。何度糸を切っても結び直された。どれだけ酷い言葉を吐き捨てても、トキヤは絶対に心を離さなかった。

トキヤが泣いている。あんな涙は見たことがなかった。ひどく傷付いた顔をしていた。泣かせたかったわけじゃない。傷付けたかったわけでもない。本当はその逆だ。誰にも傷付けさせたくなくて、この手で守りたかった。大事にしたいと思った。――どの口がそんなこと言えるんだ。こいつを一番傷付けているのは俺じゃないか。
こんなもの、必死に隠し続けて何になる。こいつの心を踏みにじってまで隠さなくちゃいけないものなのか。違うだろう。

いい加減に認めるべきだ。手が付けられないほどに暴れる回る、身勝手で浅ましくて果てのないこの欲望も、トキヤを愛おしく思う感情のひとつなのだと。
――そう思ったら最後、抑えがきかなくなった。

手を伸ばしてその体に触れたと思った時には、既に唇を塞いでいた。
「……ん……っ!?」
驚いて身をよじるトキヤを壁に押し付け、体を密着させて逃げ場を奪う。薄い唇を吸い上げるとトキヤの肩がびくりと跳ねた。怯えたようなその反応が余計に嗜虐心を煽る。
唇の間から舌を滑りこませる。歯列をなぞってこじ開けてやれば、簡単にその舌先に辿り着いた。逃げようとした舌を引きずり出すように唾液ごと絡め取る。
「んっ……んむっ……はぅ、んっ」
トキヤが苦しそうに息をついても、砂月は止めなかった。トキヤの鼻にかかった声が喉にわだかまり、口と口の間で振動のように感じられる。互いの吐息と唾液が混じり合って熱を帯びる。砂月の激しい口付けに耐えきれなくなったのか、トキヤの膝が体を支えられずにがくりと折れた。砂月は片腕でその腰を抱き寄せて固定させた。まだだ。まだ終わらせてやらない。
「んぅ、んっ……さつき、息、できな……っ、あんっ、ん……ん……」
キスの合間に、足りない酸素を探してトキヤが口を開ける。それすらも許さずに唇を塞ぐと、震える手が縋るように砂月の服を掴んだ。トキヤの顔は耳まで赤く染まっている。涙に濡れた瞳は光が崩れて焦点が合わない。

「んっ……ぁ、ふ……ぅ……」
ゆっくりと離してやれば、二人の唇の間を透明な糸が伝った。ようやく解放されたトキヤは、全身の力が抜けてその場にずるずると倒れ込んだ。肩を上下させて浅い呼吸を繰り返す。半開きのままの唇は酸素を取り込むことに必死だった。熱に浮かされたまま、どろどろに蕩けきった目が砂月を見上げる。

「……こんなんじゃねえぞ」

砂月はトキヤに顔を近付け、耳元で囁いた。底冷えするような低く掠れた声。脅すような響きの中に、隠しきれない苦しさが混じっている。

「俺は、もっともっと、お前をめちゃくちゃにしてやりたいと思ってる。お前と目が合う度、お前に触れそうになる度にそう思うんだ。逃げようとするお前を押し倒して、涼しい顔を歪めてやりたい。嫌だと言っても止めてやらない。何度だってする。噛み付いて、抉って、犯し尽くして――それでも足りねえんだ」

視線が絡み合う。砂月の目は、抑えきれない情欲の熱を滲ませていた。こみ上げるその熱は、体ごと焼き尽くすように苛む。砂月の顔が歪んだ。
「どうすればいい?どれだけ押さえつけても溢れてくる。我慢の限界だ……もう、頭がおかしくなりそうなんだよ……!」
縋るように、許しを請うように言葉を吐き出す姿は、まるで告解じみていた。彼はまだ苦しみのさなかにある。

「砂月……」
トキヤは砂月を見上げた。葛藤を繰り返して疲れ切った顔。じっとりと熱を帯びる目。トキヤの知らない彼の一面だった。その圧に押されて、体が本能的に萎縮する。少しだけ怖いと思った。だがそれ以上に、彼がまっすぐに自分を見てくれることに安堵していた。
――この姿だって、あなたであることに変わりはない。

トキヤは、砂月の唇に自分の唇を重ねた。触れるだけのキスだった。

「……なんだ、そんなことだったんですか」
砂月の瞳が戸惑いがちに揺れる。トキヤにとっては、考えるまでもない単純な答えだった。砂月の躊躇いを包み込むように笑った。

「私は大丈夫ですよ。もっと触れて、キスをして、めちゃくちゃにしてくれていいんです。あなたになら、どんなことをされても構わない」

怖くないわけはない。今だって腰が抜けたままだ。それでも、砂月と共に深く繋がっていられるならすべて受け止めたい。愛するのと同じだけ、愛されたいと思った。きっと今なら伝わる。

「――好きです、砂月」

砂月が、はっと息を吸う音が聞こえた。唇が震え、瞳が揺れた。目のふちに透明な水が薄く溜まっていく。彼の瞬きに合わせて、雫がぽたりとトキヤの頬に落ちた。砂月が泣くところをトキヤは初めて見た。雨粒のような涙を流す人なのだなと思った。本物の雨と違うのは、その雫が人肌の温かさをもっているところだ。生きて、悩んで、葛藤して、泣きながら欲しいものに手を伸ばす、ありふれた人間の涙だった。
その指が、トキヤに触れそうになる寸前で止まる。

「触れて、いいのか」
「はい」
「キスして、いいのか」
「はい」
「……好きになって、いいのか」
「……はい」

砂月の腕がトキヤの背中に回された。トキヤもそれに応えた。ことさらにゆっくりと、相手の体温に触れる。触れた指先から徐々に温もりを分け合った。先程のような激しさはない。冬の朝のように静かで、春の陽射しのように温かな愛おしさが広がるだけだ。目を閉じて互いの存在を感じ取る。

そしてもう一度、確かめるようにキスをした。




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2021/08/12



「こっちにきて 私に触れて キスをして もっとめちゃくちゃにしたっていいんだよ?」
【BGM】All Alone With You/EGOIST


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