ふたりで奏でるソリスティア【前編】1


一ノ瀬トキヤはこれ以上ないほど不機嫌だった。朝、教室に入ってきた途端、彼の纏う険悪な空気を察して教室全体の温度が下がったのは言うまでもない。クラスメイトたちは彼を横目で盗み見ては、友人同士でひそひそと噂話を始める。
彼はそれらの視線すらまったく相手にせず、椅子に腰掛けたまま微動だにしなかった。苦虫を噛み潰したような渋面だ。クラス内の噂話のネタにされる原因と、彼の機嫌が死ぬほど悪い原因はまったく同一だった。――四ノ宮砂月。すべてはあの男のせいである。

「やあイッチー、今日も素晴らしくご機嫌ななめだね」

そんな彼の態度など意に介さずというように、いつもの調子で話しかけてきたのは神宮寺レンだった。毎日毎日飽きないものだ。
しかしトキヤは仏頂面のまま完全に無視を決め込んだ。このやり取りも三日目に突入しようとしている。

「……もう許してくれない?意識的に無視されるのって結構キツイものがあるよ」
「……」
「ねえイッチー、」
「……あなたが余計な工作をしなければよかったんです」

トキヤはやっと言葉を発した。冷たい目がレンを睨む。絶対に許さないとでも言うかのようだった。それもそのはずである。
彼の不機嫌の発端は三日前。早乙女学園全校を挙げて行われた「サバイバル鬼ごっこ」というイベントにおいて、レンはトキヤが砂月とペアになるよう仕組んだのだ。策略はレンの思惑通りに進み、鬼役になった砂月はトキヤの捕獲に成功した。トキヤからしてみればたまったものではない。よりによって一番組みたくない相手と引き合わされ、今度の中間試験を共に乗り越えて行かなければならなくなった。罰ゲームどころか苦行の域である。
既にペアは決定されてしまったため変えようはないが、トキヤはせめてもの復讐とばかりにレンを無視し続けていたのだった。子どもの癇癪と大した差はない。

「そんなに嫌がることもないんじゃないの?オレは本当に、二人は最高のペアになると思ってるんだ」
「その言葉は聞き飽きました。あなたがどう考えていようが嫌なものは嫌です。あんな非常識な人とやっていける気がしません」

トキヤは頑なだった。何故そこまで拒絶するのかとレンには不思議に思えて仕方がないが、自分のあずかり知らぬ所で二人には何かしらの確執があるのかもしれない。
砂月が一方的にトキヤに執着し、トキヤはできるだけ関わり合いにならないよう避けている。果たしてこの状態のまま、来たる中間試験をクリアできるのか。二人がペアになるよう画策したのはレン自身であったが、流石に今は成功する未来が見えない。

「でもさ、決まったからにはやるしかねえじゃん?」

ひょっこりと、翔がレンとトキヤの間に割って入ってきた。二人の会話を盗み聞きしていたらしい。
砂月の無言の重圧に脅されてではあるが、翔もトキヤを砂月とを引き合わせる原因を作った一人である。レンほどではないにしても、トキヤは翔にも少なからず怒りを覚えていた。険しい表情は変わらない。「それが決まったのは誰のせいですか」と低い声で呟くトキヤを前にして、翔は苦笑いを作ることしかできなかった。

「だーかーらー、アレは不可抗力だったんだって!あんま根に持つなよな!」
「そうそう。些細なことを引きずる男は嫌われるよ」
「レンは黙りなさい」

やはりレンにはまだ厳しい。レンとそれ以外の人物に対する接し方の温度差は顕著だ。
それだけトキヤにとっては中間試験でのパートナー決めは重要な問題だった。ペアの相手によっては成績に直接影響しかねない。完全にランダムで選ばれるのであればこれも運だと思って諦めることもできた。だがレンの画策によって、本来の完全ランダム制は崩されてしまったのだ。相性最悪な相手と組むことになった不幸を嘆くくらいなら、八つ当たりした方がまだ気が紛れるというものだった。

「お前、あいつのこと避けまくってるみてーだけど、いつまでもそうしてちゃダメだろ?課題ではお互い協力しなきゃいけねーし」
「だからあの人と馴れ合えと?御免被ります。事務的なやり取り以外の接触は行わないつもりです」
「……いいのかよ、それで」
「これでも譲歩している方です。課題のパートナーでなければ、口を利くことさえ拒否したいくらいですよ――」

そこまで言いかけて、トキヤの言葉はドアの開閉音に遮られた。噂をすれば何とやらである。話題の中心人物である砂月が教室へと入ってきたのだった。トキヤは明らかに不機嫌さを増した表情で口をつぐみ、レンは「やあシノミー」と朗らかに挨拶をし、翔は青ざめた。三者三様の反応だった。
砂月は無言でドアを閉め、そのまま窓際にある自分の席には行かず、トキヤ達の方へと歩みを進めた。砂月が近付いていくごとにトキヤの表情が引き攣っていく。

「よお一ノ瀬トキヤ。いい加減俺をパートナーとして認める気になったか?」

その視界にトキヤ以外の人間は入っていなかった。彼はただまっすぐにトキヤだけを見下ろす。薄く笑みを描く唇は自信に満ちていた。一度こうと決めたら絶対に迷わない。彼の目的は一ノ瀬トキヤという難攻不落の城を陥落させることだ。
だが標的であるトキヤは一切の馴れ合いを拒むように冷たい目で砂月を見上げた。クラスメイトに向ける視線とは思えない。

「……まだそのようなことをのたまっているのですか?何度も言わせないでください。私はあなたをパートナーにするつもりなど毛頭ありません。今こうしてペアを組んでいるのは課題のために仕方なく了承しているということを忘れないでください」
「ハッ、よく言うぜ。お前、まともに課題に取り組む気あるのかよ?打ち合わせだってろくに応じねえくせに」
「打ち合わせなどする必要があるとでも?あなたはただ、自分が作れる最高の曲を私に渡せばいいだけの話です」
「俺はお前に合う曲を作らなくちゃならねえんだ。なのにお前のことを何一つ知らないまま曲だけ作れって?……笑わせるな。お前は作曲家を何だと思ってやがる」
「それを言うならあなただって……!」

言い合いが加速していき、いよいよ互いの存在を真っ向から否定しようという時になって、二人の間にレンが半ば無理やり割って入った。
「はいはい、喧嘩はそこまで。こんな朝からムキになることはないんじゃない?」
「レンの言う通りだぜ。お前ら気ぃ短すぎ」
翔もレンの援護射撃をする。朝から険悪な空気を教室中に蔓延させるのはお断りだ。クラスメイトたちが心配そうにこちらを見ていることに気付いたトキヤは気まずそうに視線を逸らし、砂月はフンと鼻を鳴らして押し黙った。だが反省の色はない。自分の主張は絶対的に正しいと信じているからだ。

「オレ個人の意見を言わせてもらうと、シノミーの言い分はもっともだと思うけどね。今回の課題はペア同士の協力が必要不可欠だ。お互いのことを何も知らないままじゃ良い曲はできないよ」
「そうそう。仲良しになれなんて言わねーけど、せめて真っ向から拒絶すんのはやめろよ。特にトキヤ。砂月がパートナーとして難有りなのは分かるけど、露骨に嫌悪感を示すのは流石にどうかと思うぜ」
翔の言葉に砂月が眉を顰めた。聞き捨てならないとばかりに睨むと、翔は小さく悲鳴を上げてレンの背中に隠れた。翔はとことん砂月に弱いらしい。その割に砂月に対する失言が多いのは性格ゆえなのだろう。


中間試験として提示された課題は、まったくオリジナルの曲をゼロから作ること。作曲能力・アレンジ力を含めた作曲家コースの生徒の実力が問われるだけでなく、アイドルコースの生徒の歌詞センスや曲の解釈も重要なポイントとなる。
パートナーの性格や声質から、どのような曲が最も合うのかを分析し、相手の魅力を最大限に引き出す曲を作れるか。出来上がった曲を聞き込み、深く解釈して、曲に最も適した表現を駆使して歌えるか。それらはペアが互いを充分に理解しなくては成り立たない。単に作曲力や歌唱力が高いだけでは評価されないのだ。

砂月とトキヤは、その能力においては申し分ない実力を備えている。問題は、二人でいかに協力し合えるか。だが現時点では絶望的と判断されても仕方ない状態だった。必ずしも相性が悪いわけではないだろう。ただ、理解しようとする努力を拒絶しているのが最大の障害だった。
どうにかしてこの険悪な関係を改善しなければならないことは、二人とも分かっている。だから砂月はトキヤに対して積極的に関わろうとしていた。だがトキヤは頑なに心を閉ざす。最悪な第一印象は一朝一夕で拭い去れるものではない。


無言の睨み合いはなおも続く。痺れを切らしたのは砂月でもトキヤでもなく、息苦しい空気に耐えきれなくなった翔だった。
「あ゛ーっもうお前ら!いい加減にしろよマジで!パートナー云々は置いといて、普通のクラスメイト同士としてやっていこうとか思わねーの!?一回くらい一緒に飯食ったりとかしてみろよ!」
机を叩き、身を乗り出して叫ぶ。トキヤからはお前のせいだと無言の圧力を加えられ、砂月からは理不尽な理由で睨まれる、翔にとっては居心地が悪すぎるこの状況を打破しなければ先の学園生活に光はない。翔の訴えは砂月とトキヤのためであり、Sクラスの平穏な日常のためでもあった。翔は、はらはらしながら二人の関係を見守るSクラス全員の心境を代弁していた。Sクラスは演技達者な生徒が多いため表面的には無関心を装っているように見えるが、実は全員がこの二人の行く末を案じている。互いの欠点しか見えていない二人には、きっといつまでも気付かれないだろう。
砂月は眉をぴくりと動かして翔を見た。思わず翔は身構えるが、砂月の視線に敵意はなく、むしろ感心してさえいるようだった。

「一緒に食事か……お前、チビのくせに良いこと言うじゃねえか」

褒めているのか貶しているのか分からない。しかし、砂月は翔の言葉から何かヒントを得たらしい。思ってもみない反応に翔は目を白黒させた。
「え、どういう……、」
「なるほどね。一緒に食事をすることは、心の距離を近付ける効果があるとも言うし、互いを知るには良い場じゃないかい?」
翔に代わってレンが言葉を引き継ぐ。頬杖をついて二人を眺める顔はとても楽しそうに見えた。レンにとってもこの展開は予想外だったが、愉快なことに変わりはない。
しかし、急な展開に付いて行けていないのは翔だけではなかった。いやそれ以上に、状況が飲み込めず瞬きを繰り返している人物が一人。トキヤだ。

「ちょっと待って下さい、今の話の流れはおかしいでしょう。この人とと一緒に食事をしろとでも?」
「その通りだ。お前、今日の夜は空いてるか?」
「特に予定は入っていませんが、あなたのために空けてあるわけではありません。私は嫌ですからね。何が悲しくてあなたと食事を共にしなければならないんですか」
「暇ならちょうどいい。お前、7時に俺の部屋に来い。俺のために夕食を作る権利を与えてやる」
「はあ!?何を言っているんですかあなたは。勝手に話を進めないでください!はい分かりましたと言った覚えはありません!」
「材料は俺が用意しておくから自由に作れ。ただし手抜きは許さねえからな。俺の舌を満足させる出来じゃなかったらやり直しだ」
「だから人の話を……!」

まるでトキヤの抗議など聞こえていないかのように、砂月は次々と話を進めていく。トキヤは合間合間に制止しようとするが意味は無い。最初からトキヤには拒否権などないのだ。この男の敷く絶対王政の如き命令範囲の中には、トキヤが完全に組み込まれている。いつの間にかトキヤは包囲網の中心にいた。
「言っておくが……逃げようたって無駄だからな。お前から来ないようなら、お前の部屋の扉を叩き壊してでも引きずり出してやる。暴れるお前を気絶させるなんて簡単だぜ?同室の奴にお前の滑稽な姿を見られたくなかったら、大人しく従うことだな」
「な、な、な……」

トキヤは、好きな女の子が見知らぬイケメンと街中でデートしているのを目撃した男子中学生のような顔で、肩を震わせながら砂月を凝視する。
居留守を使って部屋に引き篭もろうという考えは浅はかだったようだ。この男はきっと宣言通りに扉を叩き壊して来襲するのだろう。予定が空いているなどと言わなければよかったと今更ながらに後悔する羽目になった。仕事の無い夜をゆっくりと過ごそうという計画が水泡に帰す。
もはやこれは立派な脅迫ではないか?訴えれば勝てるかもしれない……と考えるも、ここが早乙女学園だということを思い出してトキヤはその考えを捨てた。面白ければ何でも有りのこの学園は、実質無法地帯ともいえる。トキヤの訴えは十中八九受け入れられない。

砂月は意地の悪い笑みを浮かべている。罠に嵌った獲物が恐怖に戦慄く様を見て笑う捕食者だ。
そんな二人のやり取りを見て、レンと翔は真逆の反応をする。翔は自分の言葉がきっかけとなって新たな犠牲を生んでしまったことへの罪悪感に震え、レンは楽しみが3割増しになった喜びを隠しもない。

「あーあ……トキヤ、生きて帰れよ……」
「あの二人は本当に面白いね。うん、イッチーは料理上手だから、きっとシノミーも気に入るよ」
「そういう問題じゃねーだろ……」

かくして、本日午後7時、一ノ瀬トキヤは四ノ宮砂月の部屋へ夕食を作りに向かうこととなったのだった。





「どうしたのトキヤ、元気ないよ?」
ベッドの上でギターを爪弾いていた音也が、部屋を出て行こうとするトキヤに声をかけた。普段なら別に気にすることはないのだが、今日のトキヤは明らかに負のオーラを発しているのが丸分かりだ。体調が悪いというより、精神的な面で追いやられているという方が合っている。
トキヤはのろのろと音也に向き直ると、いつもより声を1トーン下げて対応した。

「大丈夫です……これから訪れるであろう精神的苦痛をシミュレートしてげんなりしているだけですから……」
「な、なんか大変そうだね……」
「大変どころの話じゃありません……もういっそのこと入学前夜からやり直したい……」

あまりに悲愴感が漂っていたので、詳しく尋ねることはさすがの音也でも気が引けた。
だが、大体の事情はSクラスづてに聞いている。トキヤが那月の双子の弟――砂月に目をつけられ、パートナーになるよう迫られていたということ。そして先日の鬼ごっこにおいて、名実ともに中間試験でのペアになってしまったということ。
これからトキヤが行こうとしているのは砂月の部屋なのだと察することは難しくなかった。大方呼び出しでも受けているに違いない。トキヤと一緒に夕食をとれないのは残念だったが、トキヤのこの様子を見ているとますます可哀想になってくる。

(……でも、言うほど相性悪そうには見えないんだけどなあ)

砂月は人を周りに寄せ付けないし、クラスが違うこともあって直接会って話したことはなかった。だから音也が砂月について考える情報となるのは、遠目に見た印象と那月からの話だけだ。それでも、トキヤがここまで砂月を避けたがる理由が音也には分からなかった。
確かに砂月はいかにもトキヤが嫌いそうな性格をしているが、それは表側だけで、二人の根幹を成している部分は似通っているように思える。そんなことをトキヤに言ったら、きっと物凄く嫌そうな顔をされるのだろうけど。

「ねートキヤ」
「はい?」
「俺にはよく分かんないけど、頑張ってね」
「……生きて帰れることを願っていてください」

死霊のような薄気味悪い笑み浮かべ、トキヤは部屋の外に出ていった。その背中を見送って、音也はふうと一息つく。
「絶対、なんか勘違いしてるよなー……」
トキヤはもっとシンプルに考えればいいのに。そう思いながら見上げた天井には、淡いライトが灯るだけだった。


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