オーダーメイド・ユーフォリア


彼は語る。前へ進みゆく未来を見据えて。

『やっと気付けたんです。僕達の掌が平らなのは、掬い上げて溢れた幸せを、誰かに分けてあげるためだって』

彼女は語る。取り残されてしまった過去を抱えて。

『わたしたちは無知でした。
自分たちの歩く道が、誰かの暗闇と引き換えに照らされていることも知らずにいました。
この幸せは自分達の手で掴み取ったものだと錯覚して、その影で大切なものを諦めざるを得なかった存在に見向きもしなかった。

けれど今なら分かります。彼は全てを投げ打って、わたしたちが幸せになるための道を明るく照らしてくれていたのだと。
ただ与えられた幸福を享受するだけだったわたしたちに、“彼のため”だなんて言う資格はないのかもしれません。……だけど、せめて何かひとつでも、彼の優しさと献身に報いることができるなら。

きっと今度は、わたしたちが道を照らす番なんです』





ふと気が付けば、何もない、真っ白な空間に立っていた。
こがどこなのか、どうしてここにいるのか、それどころか自分が誰なのかも分からない。名前すら忘れてしまった。ただ、ぼんやりとした虚しさと寂しさが胸を満たしていた。何か大切なものを忘れてきてしまったような感覚。この隙間を埋めるにはどうしたらいいのだろう。
辺りは見渡す限り真っ白だった。果てなど無いように見えた。きっと自分はこの白い世界から出なくてはならないのだと思う。だが思うだけで、戻る術も、戻った先に何が待っているのかも皆目見当がつかないままだった。

「いらっしゃい、さっちゃん」

背後で声がした。咄嗟に振り返るとそこには眼鏡をかけた幼い少年がいた。少年は自分に向ってにっこりと笑いかけてくる。人懐っこい、まるで天使のような微笑だった。まだ10歳にも満たないであろうその少年が首を軽く傾げると、柔らかな蜂蜜色の髪がふわりと揺れた。
その優しげな仕草に一瞬だけ懐かしさを覚えた。この少年とはどこかで会っているような気がする。もしかしたら、自分のよく知る人物なのかもしれない。だがその既視感の在り処を突き止めることは叶いそうになかった。
ただ、少年は自分のことを見知っているようで、慣れ親しんだ笑みを向けて歓迎してくれる。確かさっき、少年は自分のことを「さっちゃん」と呼んだ。それは自分の名前なのだろうか。自分の記憶は何一つあてにならないから、きっと少年の方が正しいのだろう。自分だけがこの少年のことを知らない。

少年の優しい笑みに応えられないでいる自分がとてもいたたまれなくて、視線を逸らす。だが少年は気にする様子もなく、先程と変わらない声音で誘う。
「ほら、立っていないで椅子に座って。一緒にお茶を飲もう」
そう言って少年は、テーブルの向かい側にある椅子を指し示した。ここに座れということらしい。しばらく考えあぐねていたが、結局流されるまま椅子に腰掛けた。

目の前には広いテーブルが置いてあり、上にティーセット一式が並べられていた。空のティーカップにティーポット、そして何より目を引くのは、二十はあるであろう小瓶だった。小瓶の中にはそれぞれ種類の異なる茶葉が入っている。テーブルやティーセットがこの空間に合わせて白で統一されているのとは対照的に、色とりどりの茶葉は鮮やかな色彩を放っていた。こんな色をした茶葉は初めて見た。本当に飲めるのだろうか。
「特別ブレンドの紅茶をごちそうしてあげるね。さっちゃんは何がいい?」
うきうきと楽しそうに少年が尋ねてくる。茶葉にばかり注目していたために気付かなかったが、そういえば用意されているティーカップは一つきりだ。これは自分のためだけに用意されたお茶会のようだった。そこまでして歓迎される理由もまた見つからない。

戸惑ってしまい一言も発せないでいる自分の反応を、少年は「お好きにどうぞ」とでも判断したのか、「じゃあ僕のおすすめブレンドにするよ」と笑った。そしてテーブルの真ん中にある瓶を手に取る。その中には桃色の茶葉が入っており、蓋を開けると甘い香りが鼻孔をくすぐった。香りからしてこれはピーチティーだ。
「まず最初は桃色、ひたむきな努力によってどんな逆境にもめげない強さを」
おまじないのように呟きながら、銀色のスプーンで一杯分を掬い上げてティーポットに入れる。甘い香りが途切れることはない。ここに湯を入れたら更に香りの濃さが増すだろう。しかし少年はピーチティーだけにするつもりはないようだった。桃色の瓶の蓋を閉めると、今度は右端に置かれていた瓶に手を伸ばす。

「次はオレンジ、人を惹き付ける華やかな魅力を。
三つ目は青、まっすぐに物事を見つめる真摯な心を。
四つ目は赤、誰からも愛される太陽のような明るさを。
五つ目は紫、揺れ動く感情を自ら律する厳しさを。」

――そうやって少年は、次から次へと、茶葉を一匙ずつティーポットの中に入れていった。一切の迷いは見られない。まるで最初から選ばれる茶葉が決まっていたかのように。
だが紫色の茶葉を入れ終えた後で、不意に少年の手が止まる。
「……最後は、これ」
今まで同意を得ることなく好き勝手茶葉を選んでいた少年だったが、何を思ったのか、黄色の小瓶を目の前に差し出してきた。他の瓶と比べても何か変わったところはない。だが少年にとってはまた別の意味を持っているようにも見えた。その瓶を扱う手つきがとても慎重だったからだ。少年は静かに語り出した。

「この茶葉はちょっと特別で、中には『記憶』が閉じ込められているんだよ。人によって色が違うけれど、さっちゃんは黄色。これを合わせれば、さっちゃんは記憶を取り戻す。
……だけど、この茶葉はとびきり苦いんだ。多くの人は、そんなものいらないと言って自分色の茶葉を選ばずに終えるよ。
本当は記憶なんて無い方がいいのかもしれない。古い記憶が新しい命の障害になる場合だってある。新しい命には、まっさらな記憶こそがふさわしいんだから」

まるで謎掛けだ。少年の言葉、その言わんとする意味を理解するのはとても難しかった。何を言いたいのかちっとも分からない。だが、少年は自分がこの茶葉を選ぶことをあまり歓迎していないらしいということは何となく感じ取れた。それほど記憶というものは重いものなのだろうか。
目の前に差し出された小瓶、その中にある黄色の茶葉。中には記憶が込められているという。俄には信じがたいが、少年の言葉を疑うつもりはない。それに、自分の記憶がすっぽりと抜け落ちていることが何よりも証拠だった。失われたはずのものがそこにある。だが、果たしてそれは、この少年に悲しい顔をさせてまで取り戻すべきものなのだろうか。
五種類の茶葉が入ったティーポットを見つめ、それから少年に視線を合わせる。この年頃の子供にしては珍しく大人びた目をしていた。何もかも知っていながら、敢えて自分に選択させようとしているのだと思った。ならば自分は、その意志に応えなくてはならない。

「……入れてくれ」
ここに来てから初めて言葉を発した。初めて聞いた自分の声は思っていたよりも低かった。
「いいの?後悔するかもしれないよ?それでも『記憶』を選ぶ?」
「ああ。頼む」
少年はじっと見つめ返してくる。長い沈黙が訪れた。それは真意を確かめるために必要な時間だった。
しばらくして、少年は「さっちゃんがそれを望むなら」と納得したように深く頷いた。

「最後に黄色、たくさんの想いが込められた大切な記憶を」

そう言って、黄色の茶葉が入った瓶を開け、一匙を掬い上げる。ブレンドは完成した。
魔法瓶の湯をティーポットに注ぎ、しばらくの間蒸らす。注ぎ口から立ち上る湯気が二人の間をゆらゆらと揺れる。少年は白いカップの中に紅茶を注いだ。あれだけ多くの種類の茶葉を入れたにも関わらず、出てきた紅茶は存外普通の色をしていた。香りもきついものではない。
カップの水面に自分の顔が映し出される。そこでやっと自分の顔を認識した。今まで自分がどんな顔をしていたのかさえ忘れていたのだ。これが自分か。
「どうぞ、冷めないうちに」
少年が紅茶を飲むよう促す。その言葉につられて少年の方を見上げた自分は、あ、と声を漏らした。カップの中に映し出された自分の顔と少年の顔が、とてもよく似ていたからだ。何度も二つの顔を交互に見やる。年齢こそ上であるが、自分の顔には、目の前にいる少年の面影が確かにあった。きっとこの少年があと十年ほど歳月を重ねれば、自分そのままの顔になるに違いない。二人の特徴としてはっきりと分かれているのは眼鏡の有無くらいだ。それ以外は何もかもそっくりだった。だとすれば自分は、この少年の成長した姿なのだろうか。

この真っ白な空間において、時間という概念は存在しない。それどころか一般的な常識も通用しないだろう。異なる時の流れにいる同一人物が顔を合わせることになっても不思議ではない。
少年は自分自身であり、自分は少年自身。たったそれだけの単純な話だ。今の今まで気付かなかっただけで、「俺」は自分自身と対峙していた。謎がひとつ解けた。そしてこの紅茶を飲めば、俺はまた何か大切なものを取り戻すはずだ。
ティーカップを持ち、紅茶を一口飲んだ。苦味が口の中に広がる。これが「とびきり苦い」と言っていた黄色の茶葉の味なのだろう。確かに苦い。だが、同時にほのかな甘さも感じる。黄色とは別にブレンドされた五種の茶葉が、幾重にも絡み合って苦味を和らげているのだ。ただ苦いだけではないのだと。その苦さがあるからこそ、より優しい甘みが引き立つのだと。そう言われているような気がした。

やがてティーカップを皿に戻した時、その中身は既に空になっていた。飲み干すのはあっという間だった。
体中に渦巻く熱が、腹に、喉に、そして目に辿り着く。ぽたり、と小さな音を立てて、瞳からこぼれ落ちた雫が白いテーブルクロスに染みを作った。それが涙と呼ばれるものであることを俺は知っている。そしてその涙の理由も、知っている。
「――那月」
名前を呼んだ。目の前にいる少年に向けて。次から次へと記憶が溢れ出してくる。どうして忘れていたのだろう。忘れられるわけがない記憶ばかりだったはずなのに。
那月は俺を見つめ続けていた。優しさの宿る瞳だった。ああ、お前はずっと見守り続けていてくれたのか。
「那月、俺は」
震える声で言葉を紡ぐ。涙はとめどなく頬を伝って落ちていく。

「……約束、したんだ。あいつに。必ず迎えに行くからって。
確証なんてなかった。いつ行けるかも分からない。馬鹿みたいに不確かで曖昧な約束だ。
でもきっと、あいつは待ってる。約束が果たされる日を――俺を、待ってるんだ」

まるで告解のようだった。散らばる欠片のひとつひとつを拾い集め、もう何も取り零すまいと誓う。
約束は確かに在った。遠い記憶の中に取り残されて、ひっそりと息をしていた。もう随分と長い間忘れ去られていたそれを、今更掬い上げてもいいのだろうか。
すると、那月は何もかもを許すかのように静かに頷いた。

「大丈夫。約束の示す道は僕達が照らすから」

那月の言葉は強い決意に満ちていた。それが俺の背中を押してくれる。
ずっと、長い時を迷い続けていた。自分自身を認識できないまま白い闇の中に置き去りにされていた。だからこそもう迷いはしない。
ありがとうと呟くと、那月は一瞬泣きそうな顔をして、しかしすぐに優しい微笑みを浮かべた。

――いってらっしゃい。

その言葉を最後に、白が視界を覆い尽くしていく。ここから出たら何が待っているのかは分からない。だが恐ろしくはなかった。
かつて俺があの世界に残した、たったひとつの道標。俺とあいつを繋ぐ歌。それをあいつが歌い続けていてくれるなら、どこにいてもきっと見つかる。必ず辿り着けるはずだ。
俺はあの日の約束を果たしに行く。恋でもなく愛でもない、だけどたったひとつの特別な存在のために。


→ next 迎えに来るから月で待ってる




2012/12/09

【BGM】オーダーメイド/RADWIMPS


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