迎えに来るから月で待ってる


(砂月が消えてから数年後/那春前提の砂トキ)



冬はいっそう寒さを増し、とうとう都内でも雪が降った。
新聞には雪を見てはしゃぐ子供たちの写真の隣で、降雪による電車の運休に関する記事が載っていた。雪を喜ぶ者もいれば、雪で溜息をつく者もいる。私はどちらかといえば後者だった。雪によって季節を感じられるのはいいが、交通機関が麻痺するのは少し困る。
急ぎの仕事が入っている時に雪に降られでもしたらたまったものじゃない。幸いなことに、今日はちょうどオフの日だ。時間を気にせずゆっくりしていられる。
人の少ない静かなカフェテリアでの読書は格別だ。窓の外でちらつく雪を眺め、コーヒーに口をつける。温かい。こういう楽しみがあるから、私は冬が嫌いではなかった。

ちりん、と来客を告げるベルの音と共に、目立つ容姿の二人組が入ってきた。変装をしていても滲み出るオーラまでは誤魔化しようがない。相変わらず人目を引く人たちだ。私は読んでいた文庫本をバッグにしまい、こちらのテーブルに向かってくる二人を出迎えた。
「やあイッチー、久しぶり。少し痩せた?」
「よっすトキヤ!確かに痩せたかもな、野菜もいいけど肉もしっかりとれよ?」
神宮寺レンと来栖翔。数カ月ぶりに会った友人たちは、外見こそ大人のそれになっていたが、笑い方は昔のままだった。
開口一番に体の心配をしてくるのもこの二人らしい。学生時代もよくこうして心配されたものだ。時には強引にカロリーの高いケーキを食べさせられたこともあった。ダイエットのために毎日綿密なカロリー計算をしていた当時が懐かしい。

もともと太りやすい体質だったとはいえ、今思うと何故あんなにも病的に体重を気にしていたのか不思議だ。
今はダイエットに関してあの時ほど神経質ではなくなっていた。カロリー計算はもはや習慣になっているので未だに続けているが、少し計算が狂ったからといってヒステリックになったりしないし、食べたいと思う時には無理な我慢もしない。それでもきちんと体型は維持できているのだから、きっと学生時代の神経質さが少しばかり異常なだけだったのだろう。

「これでも昔よりは食べている方ですよ。……それより、あなたたちは最近どうなんですか?」
二人がテーブルの向かい側に座ったのを見届けて話し出す。互いに仕事の関係で数ヶ月以上会っていなかったはずなのに久しぶりという感覚が薄いのは、きっとテレビ番組やCM等でよく姿を見かけるからだろう。
「オレはこの通りさ。つい数日前まで映画の長期ロケがあったから、今はその分の疲れを癒している最中ってところかな」
「俺も昨日は一日中番組ロケやってくたくただぜ。ま、今日は貴重なオフだからゆっくりさせてもらうけどな!」
そうして、会えずにいた数カ月間の空白を埋めるように、私たちは様々なことを語った。仕事のこと、プライベートのこと、芸能界での噂……真剣な話から他愛ない雑談まで、仕事柄話の種は尽きない。時間さえあればきっといつまでも喋り倒していられるだろう。

―――早乙女学園を卒業し、アイドルデビューしてから今年でもう8年が経とうとしていた。
私たちは、活躍する分野はそれぞれ違えど、着実に芸能界でのキャリアを重ねていた。アイドルとしての活動だけに留まらず、俳優やタレントとしての人気も確固たるものになっている。8年という歳月は長いように思えるが、私からすればあっというまだった。

話題は次第に、学生時代の友人たちへと移っていく。同室だったAクラスの3人もまた、芸能界の第一線で活躍している。
「……最近一番驚いたことっていえばやっぱ那月と七海だよな、結婚の時もすげー衝撃だったけど」
翔のその一言で私は思わず顔を上げた。
「確かに。まさかシノミーが父親になるなんてね」
「あの那月が父親とか想像つかねー……子供にまで自分の料理食わせたりしそう」
「小さいうちからあの絶品料理を食べられるなんて幸せ者じゃないか」
「そう思うのはあなただけでしょう」



四ノ宮さんの結婚とアイドル引退宣言は、当時は世間でもかなり騒がれた。
デビューしてから6年目、今から2年前のことだった。30歳を過ぎてもまだ独身でいることが多い男性アイドルの中でも、20代で結婚というのはかなり珍しい。人気絶頂のさなかの結婚報道はファンのみならず芸能界全体にも衝撃を与えた。
報道を見た当時の驚きは今でも鮮明だ。四ノ宮さんと七海君が親密な付き合いをしていることは知っていたし、いずれは結婚という道を選ぶのだろうと思っていたが、まさかこれほど早いとは。
当然、「裏切られた」と憤慨するファンも多く、またマスコミも「アイドル失格」などと相当なバッシングをした。

しかし結婚報告会見での四ノ宮さんは毅然としていた。これは事務所や結婚相手と十分に話し合った上での決断だということ、今後はアイドルとしてではなく歌手活動に専念したいということ。滔々と語るその姿には、ゆるぎない意志が感じられた。精神の不安定さなど微塵もない。
私は会見の様子をテレビで見ていたのだが、その四ノ宮さんを見て不思議と安堵した。誹謗中傷やマスコミのバッシングにも屈しない強さを、四ノ宮さんは手に入れたのだと分かったためだ。

結婚にあたっての最大の難関は、間違いなく早乙女さんだっただろう。恋愛禁止令を学園での絶対的ルールとして掲げるだけあって、早乙女さんはアイドルの恋愛に人一倍厳しい。生半可な覚悟では彼を説き伏せることなどできない。しかし、四ノ宮さんと七海くんが彼を納得させるまでに何があったのかは私の知る所ではないが、強い意志があって初めて成し得たことだと思う。それを乗り越えた二人に、世間のバッシングなど意味はない。

結婚会見で四ノ宮さんが発した言葉を、私は今でも覚えている。
『これからは、百万人の人達に向けてじゃなく、たった一人の大切な人のために歌いたいんです』
そして、彼は七海くんを選んだのだ。


四ノ宮さんに対する批判は結婚会見後もしばらく続いた。しかし、アイドルを引退し、歌手として活動を再開してから初めてのシングルを出した途端にそれらのバッシングはぱたりと止んだ。
彼が「たった一人の大切な人のため」に歌った歌は、今までの「百万人の人達」に向けた歌よりも遙かに素晴らしかったからだ。アイドルとして売り出していた頃も彼の歌は群を抜いていたが、結婚後の彼は表現力と深みが格段に増していた。もちろん作曲は七海くんによるものだった。

初めこそ「ファンを裏切って結婚した」というレッテルもあって、ろくに宣伝もされず初動売り上げは芳しくなかった。しかし、素晴らしい歌は必ず評価されるものだ。
四ノ宮さんが歌い上げる切なくも優しい愛の歌は、マスコミの影響を受けないネット上で絶賛を受けた。そうして口コミで曲は広まっていき、多くの人気アイドルや歌手を抑えてその年の音楽賞を総嘗めした。
一時期は「アイドル失格」とまで言われた彼が、今度は歌手として認められたのだ。

ステージ上で歌う四ノ宮さんを見て、私は何故だか泣きそうになった。
四ノ宮さんはもう既に「彼」がいなくても強く生きていけるようになっていた。
けれど私は、今でも「彼」との約束を忘れられずにいる。



「那月と七海の子供ってどんなんだろうな!性格は母親似であってほしいと心から願うぜ」
「父親似でも母親似でも、レディならきっとこれ以上ないほど可愛らしいだろうね」
「おい、27でその発言はロリコン扱いされても知らねーぞ」
「オレにとっては、生まれて間もないレディも、素敵に歳月を重ねたレディも、皆等しく愛する対象さ。年齢なんて関係ないね」
「安心しなさいレン、四ノ宮さんは男の子だと断言していましたから、あなたがロリコンになる心配はありません」
「な……それは本当かい!?あああ……ショックだ……」
レンは頭を抱えて突っ伏した。テーブルの上のコーヒーカップが振動で音を立てる。この男はよほど、四ノ宮さんと七海くんの子供に期待していたらしい。本気で落ち込んでいるらしいのがおかしかった。
しかし翔は首を傾げて私に尋ねた。
「待てよトキヤ、今の時期じゃまだ赤ちゃんの性別って分かんないんじゃねーの?……もしかして那月の勘か?」
「ええ、きっと勘でしょうね。その割に自信たっぷりでしたが」



つい先週、私は音楽番組で四ノ宮さんと共演した。七海くんのお腹に子供がいるという話は聞いていたから、その祝いも兼ねて挨拶に向かった。
男の子か女の子か、楽しみですね。確かそんなことを言ったような覚えがある。しかし四ノ宮さんはにっこり笑って「男の子ですよ」と答えたのだ。まるでそうであることが当然とばかりに断言されたので私は面食らった。四ノ宮さんの根拠のない自信は妙に説得力がある。

『僕には分かるんです。だって、』
そこで彼は一旦言葉を切り、私を見た。

『―――トキヤくんは……約束、覚えてますか?』

私は最初、その言葉の意味が分からなかった。私と四ノ宮さんの間で通じる約束など、ひとつしかないというのに。私にとってそれは、あまりに身近にありすぎて意識すらしなかった。四ノ宮さんは、知らないけれど知っている。私と「彼」を繋ぐ糸の存在を。
『……ええ』
私が頷くと、四ノ宮さんは優しい微笑みを浮かべてこう言った。
『その答えが、僕にとっての理由です』
8年前のあの時と同じ、祈りにも似た言葉だった。




「シノミーが言うなら男の子なんだろうね。彼の勘はいつだって正しい。オレにしてみれば残念なことには変わりないけど」
「お前の都合は聞いてねーよ」
レンと翔が軽口を言い合っている。こういうやり取りは相変わらずだ。口元に微かな笑みを浮かべてその様子を眺めていると、不意に二人が同時に私の方を見て、驚いたような反応をした。
「何ですか、二人とも」
「いや……なんかお前、やけに機嫌いいなと思って」
レンも「いつもは鬱陶しそうな顔してオレたちを見るのに」などと意外そうに言う。私はそんなに表情を緩めていただろうか。

「……もうすぐ、ですからね」
私が笑いながら言うと、二人はますます意味が分からないというように互いに顔を見合わせるのだった。





あれから半年と少しの時間が経った。
私の元に、七海くんの出産が無事に成功したという報せが入ったのは1ヶ月ほど前になる。
6月9日。二人の子供は、四ノ宮さんと同じ日に生まれた。
七海くんは現在、退院して家に戻っているそうだ。しばらくして落ち着いたらこちらから挨拶に行こうと思っていた矢先、七海くん本人から電話が来た。私に会わせたい人がいるのだという。きっとそれは生まれたばかりの赤ん坊のことなのだろう。私は確信めいたものを感じながら、二つ返事で会う約束を取り付けた。

「お久しぶりです、一ノ瀬さん」
椅子に座り、赤ん坊を腕に抱く彼女は、すっかり母親の顔をしていた。柔らかな微笑みはより慈愛を感じさせるものになっている。結婚、そして出産という経験を経て、女性から母親になった彼女の魅力はよりいっそう増したような気がする。出産直前まで作曲作業を続けていたという話には驚いたが、彼女ならやってのけるだろうと納得してしまう。
私は彼女の前に立ち、母親の腕の中で幸せそうにすやすやと眠る赤ん坊に視線を落とした。蜂蜜色の柔らかな髪の毛は四ノ宮さんにそっくりだ。閉じられたままの瞳はどんな色をしているのだろう。
「……男の子、だそうですね」
「はい。那月くん、この子の性別が分かる前から、男の子だって自信満々に言ってました」
四ノ宮さんの勘はやはり当たっていた。……間違えるはずがないのだ。

「名前はずっと前から決めてあったんです。―――『砂月』、って」

七海くんのその言葉は、私には聞こえていなかった。
なぜなら、私の全神経はその時、自分の指の先に集中していたからだ。

―――小さな手が、私の指を握っていた。
手をいっぱいに伸ばしても大人の小指ほどの長さにも届かない、頼りなくて小さな手。けれどきちんと5本の指があり、小さな小さな爪もある。その手が、私の人差し指をぎゅっと握る。まるで、もう離しはしないとでもいうかのように。
その手には確かなぬくもりがあった。生まれたばかりの命が、その体温が、手を伝って私の中に流れ込んでくる。
……生きて、いるのだ。生まれてきてくれたのだ。新しい命として、確かに、ここに。

開けようとした唇が微かに震える。「彼」が消えてから今まで、ずっと呼べずにいた名前。呼んでもいいのだろうか。応えてくれるだろうか。
そんなことは分からない。しかし、小さな手が伝えてくれるぬくもりが、私に勇気を与えてくれた。声を絞り出す。
「さつ、き」
私がその名を呼んだ時、それまで眠りによって閉じられていた目がゆっくりと開かれた。「彼」と同じ光を宿す瞳が、私をじっと見つめる。
そして私は、この世界から姿を消した彼が、私に残した言葉を思い出した。

『必ず迎えに行くから待ってろ』

それは、私の生き方を決定付け、私を今まで生かしてきた、細く頼りない糸のような約束。けれど決して違えることのない誓い。
あの時交わした約束が。結び目を求めて彷徨っていた糸が。……やっと今、繋がった。

「……待ちくたびれましたよ、砂月」

涙が頬を伝う。ぽたり、ぽたり。それは雫となって私の手の上に落ちた。
「彼」が消えた時は涙など一粒も零れなかったのに。きっと私は今になってやっと泣けるようになったのだ。あの時泣けなかった分を、今。

「……お腹にいる時から、この子には色んな音楽を聴かせてきたんです。クラシックとか、もちろん那月くんの歌も。生まれた後もそれを続けていたんですけど……この子、一ノ瀬さんの歌を聴くと、とっても優しく笑うんですよ」
微笑みながら、七海くんが言う。慈愛に満ちた聖母のように。

「一ノ瀬さん、どうか歌ってくれませんか」

その言葉に導かれるまま、私の唇は懐かしい旋律を紡いだ。
「彼」が曲を作り、私が詞を書いて出来た歌。穏やかであたたかい、子守唄のような歌。「彼」が私に託した、世界にひとつしかない歌。
きっと「彼」は、この時のためにこの歌を作ったのだ。そして私もまた、こうしてこの歌を歌うために今までの8年間を生きてきた。

泣いているせいでうまく声が出ない。音程も時々外れる。それでも私は歌った。泣きながら、涙で顔を濡らしながら、歌う。
泣くことが許されるなら、歌うこともまた許されるだろう。それなら私は歌っていたい。
私たちはひどく不器用な方法でしか互いに心を通わせることができなかった。けれど今なら、もっと素直な気持ちで向き合うことができるような気がする。
果たされた約束の嬉しさ、あなたと再び出会えた喜び、全てをこの歌に込めて贈ろう。

―――そうして歌い終えた後、私はたったひとりの観客に目を向ける。
小さな四ノ宮砂月の、優しい笑顔がそこにはあった。


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2011/12/31


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