:: 米津玄師「YANKEE」レビュー04「アイネクライネ」

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04 アイネクライネ
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「閉じた瞼さえ鮮やかに彩るために そのために何ができるかな」

東京メトロのCMでお馴染み。初のタイアップ先が東京メトロで本当に良かった。最初にアニメ系のタイアップ取ったら、「そういうもの」だと見做されそうでそれは違うよな〜と思っていたんですよね。確かに動画サイト・ボーカロイド畑で有名になった人だけど、音楽の方向性がそこに縛られたら表現がすごく狭まってしまいそうだし。

タイアップなだけあって、良い意味で万人向けな、耳に馴染みやすいメロディーと普遍的な歌詞です。すっと歌詞世界に入っていける。米津玄師の曲って基本小難しい内容ばっかりだから、ここまで素直な曲はとても珍しいなと驚いたし、こんな曲も作れるんだ…!と謎の感動を覚えた。それでも編曲の節々に「おっ」と思うような意外性のある音があったり、揺らぐようなBメロだったり、米津節が炸裂している。普遍性と独自性がうまい具合に両立してるなという感じ…ってこれすごい上から目線のコメントですね申し訳ない…

MVも久しぶりに米津さん自身によるフル手描き動画。力入ってるな〜!もとから画力とセンスがあったけど、アイネクライネのMVでは二次元的なイラスト絵がこなれてきて、取っ付き易くなったと思う。以前の、緻密かつあまり生気を感じない無機質な絵柄も好きです。どちらも味があって良い。

歌詞も曲調も本当に優しさにあふれていますね。でもどこか脆くて不安定な部分もある。その脆さは「有限なものへのおそれ」であり、「恋を知って欲深くなっていく自分へのおそれ」なんだと思う。

「有限なものへのおそれ」っていうのは、すべてにいつか終わりの時が来るということ。主人公である「あたし」は、「幸せな思い出」を紡ぐ毎日の中で常に「いつか来るお別れ」を思い描いている。積み重ねてきた「小さな歪み」がやがて大きな溝を作り、「あなたを呑んでなくしてしまう」=今の関係に終わりをもたらしてしまうことをおそれている。
永遠に続いてほしいと願うものほど有限であり、早く過ぎ去ってほしいものほど消えずに残る。主人公はその矛盾にいつも怯えているような感じがします。

でもその隣にいてくれる救世主が「あなた」なんですよね。主人公がおそれる「消えない悲しみ」や「綻び」も、「あなた」と過ごしていく日々の中できちんと受け止めて、「それでよかったね」と笑い合うことができるようになる。「仕方ないね」とか「なければいいのにね」じゃなくて、「それで(=悲しみや綻びを経験することができて)よかったね」なんですよ…決していいことばかりじゃなかったはずなのに。

でも案外私達もこういう覚えありますよね。あの時は死ぬほどつらくて何度やめてやろうと思ったか知れないけど、振り返ってみればあの辛さは一度知っておくべきものだったんだろうなと思えるし、なんだかんだでいい経験だったかもなあー…(*‘ω‘ *)という場面って意外と多い。「あたし」が経験した「悲しみ」や「綻び」も、きっとそういうものだと思う。

有限であることをおそれていた「あたし」だけど、「あなた」と出会って共に日々を過ごし、その幸せを噛み締めながら「奇跡であふれて足りないや」とつぶやく。足りないんですってよ。奇跡であふれて足りないんですってよ!!それはもう有限ではなくなってますよね!!ずっとずっと続いていく奇跡ですよ!よかったじゃん!!
悲しみや綻びは消えないけど、それと同じように奇跡だって消えることはない。だから最低でも「悲しみ:奇跡」はイーブンのままで生きていける。


「恋を知って欲深くなっていく自分へのおそれ」に関しては、1番と2番のAメロの対比がとても鮮やかですよね。
1番Aメロは、「あなた」と出会わず、恋も知らなかった頃の心境。「誰かの居場所を奪って生きるくらいなら、そこらへんの石ころにでもなりたい」と、徹底的に無欲です。自分の幸せより他人の幸せ。石ころなんて、誰の邪魔にもならない代わりに、自分自身の意志や感情の揺れもない。ぞっとするほどつまらない人生です。
2番Aメロは、「あなた」と出会い、初めて人を愛することを知った頃の心境。「『あなた』が窮地に立たされるくらいなら、誰かが身代わりになってしまえばいい」と、ちょっと怖いことすら考えている。顔も知らない誰かなんてどうなったっていい、それよりも今は身近な人の安寧を守りたい。究極のエゴですよね。でも誰しもが当たり前に思うことでもある。それを傲慢だとか強欲だとかいって非難していいのは、それこそアガペー精神にあふれた聖人くらいだ。今まで罪を犯したことのない者だけこの女に石を投げなさい的な?
今まで無欲に徹していた「あたし」が、恋を知り愛を知り、人として当たり前の欲深さを得る。石ころが人間になれた瞬間だよ…


そして「あたし」にとっての最大の愛情表現は「名前を呼ぶ」ことなんですね。これ私自身も表現を変えて何度も何度も口酸っぱくして言ってることなんですけど、「好き」や「愛してる」って形ばかりの言葉なんかより、名前を呼ぶという行為こそが究極の愛の言葉だと思います。名前とは存在の証明。あなたはここにいると認めること。
だから「あたしの名前を呼んでくれた」は「あたしを愛してくれた」の言い換えだし、「あなたの名前を呼んでいいかな」は「あなたを愛してもいいかな」って意味なんですよ。なんともロマンチックな比喩ですねえ…



2014/10/27 その他

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