目的地の羽田空港が窓から見えるプライベート空間が作られた最高級と謳われるファーストクラスに女性は慣れた仕草で寛いでいた。

「またのご利用お待ちしております」
「ありがとう」

専属のCAに感謝を述べて空港から出ると予想外に眩しい日差しに目を細める。日本の空気は味噌の匂いだなーなんて呑気に考えていると、3年ぶりに会うちょっと老けた運転手が近付いてきた。

「名字様お久しぶりです、どちらに向かわれますか?」
「そうね……米花町のいつものホテルへ」


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「名字様、お帰りなさいませ」
「また暫くお世話になります」

米花グラウンドホテルに着くと専属バトラー(客室専属の執事)が深々と頭を下げていた。何度やられてもこれは慣れないなと心の中で苦く笑う。
チェックインをして部屋への案内と何度も聞いた説明を適当に聞き流す。長いエレベーターが終わりオートロックを開け部屋に入るとベッドルームを目指し大人3人は寝れそうな大きいベッドにダイブをした。

「つーかーれーたー」

こんなキャラいつまで続ければいいんじゃ!名前は埃がたつ事もお構いなく足をばたつかせた。
名字名前29歳、世界を飛び回る仕事のせいで恋人無し結婚相手無しな行き遅れたアラサーは貯金だけは溜まりに溜まり自分へのご褒美としてしか使う機会が無かった。同級生達は既に結婚し子供を産んでいたりと目を背けたくなる報告ばかり。羨ましい。また思い出して足をばたつかせる。

また悪い癖が出てきたので気分転換でもしようと軽く身なりを整えて散歩に出かけた。ふと見かけたのはビンテージ溢れるこじんまりとした喫茶店、きっと美味しい珈琲豆があるに違いないと直感を信じてドアベルを鳴らす


「いらっしゃいま、」

褐色な肌に色素の薄い髪、崇めたくなる程の造形美、高校時代の同級生に良く似た彼がエプロンをしていた私の心境を誰か30文字で述べよ。

「(黙っちゃったよ!どうしよう!てか警察官になるのが夢じゃなかったの、あれれ)」

不思議な時間が数秒流れて先に口を開けたのは彼だった

「あ、すみませんあの有名なオペラ歌手の方に来店して頂けるなんて驚いてしまいました」
「いえ、そんな大した者じゃ」

あくまでも他人行儀な接し方に同級生とは別人なのかなと思いつつ会釈をしていると、奥の方に座っていた女子高生の1人が大きな声で私を指さした。

「あぁー!!!嘘でしょ、名字名前さん!?」

え?!いつ来日したの?滞在はどのくらいですか?写真撮っても良いですか!!??と迫力のある表情でこちらに詰め寄ってきた。若いなぁなんて呑気に頷いていたら可愛い系の女子高生が「ちょっと園子落ち着いて」と宥めている。

「蘭ってば知らないの?わずか14歳でデビューした日本最年少天才オペラ歌手よ!?」
「え?!聞いた事ある!」
「昔の事よ」

いやほんとかなり昔の話なのによく知ってるなとちょっと嬉しく思い感謝を述べると「私もう死んでもいい…」と天を崇め初めた。蘭と呼ばれた女子高生が「良かったらご一緒しませんか?」と気にかけてくれたので快く頷く。

「(彼がめちゃくちゃ気になるのもあるしね)」

同級生に良く似たウェイターさんにお水とメニューを頂き、予想通りの豆の種類の多さに胸が高鳴る。どれにするか迷っていると「僕のオススメにしませんか?」と言ってきたので任せることにした。

「はぁー安室さんかっこいい」

天を崇め終わった女子高生がウェイターさんを見つめながらポツリと呟いた。名前が違うならやはり別人か、ちょっと残念に思ったが正義感の強い彼ならきっと警察官として忙しくしてるだろうと自己完結した。

「私は鈴木園子、こっちは毛利蘭!」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、会えて嬉しいわ」

軽く自己紹介をして、若いオーラを堪能していると珈琲豆を挽く匂いが喫茶店に充満した。挽いてくれるのかー良い匂いだなーなんて思っていたら園子ちゃんが身を乗り始めた

「名前さん!高校生の時って何してましたか!」
「あっ私も気になる!」

「えっ、うーん……デビューしたてでコンサートばっかりだったかしら」

中学生でデビューした為、売り時だった高校時代はほとんど出席出来ず通信制で通う事になった。入学式も卒業式も修学旅行も出られなかったが、コンサートツアーで全国回れたし、未成年という事で海外コンサートは半年に一回程度にされていたので殆どは日本での活動。学校側も応援してくれて、音楽室を自由に使えるようにと私専用の鍵を準備してくれていた。


「すっごーい!特別待遇じゃないですか!」
「本当に良い学校で良かったわ」

「あ、あの好きな人……とかは居たんですか?」

蘭ちゃんの言葉にドキリと胸が高鳴った音楽室でいつも寛いでいた彼を思い出す。たわいも無い世間話をしたり私が歌うと目を閉じて聞いてくれていたり、暖かい風が優しくカーテンをなびかせ私が居るピアノから1番近い窓辺の席が特等席。「好き、だったと思うわ」
あの時の幸せな感情が今も胸を暖めた。

「その人とは今も?」
「卒業してそのままよ……夢を叶えてると思うわ」

「お待たせしました、オリジナルブレンドコーヒーです」

目の前に出されたコーヒーと、とても彼と良く似た声と姿。先程までの会話で思い出が鮮明に蘇ってしまったため恥ずかしさに顔を背けてしまった。

「…ありがとう頂くわ」

女子高生達は私の好きな人を予想をして話を弾ませていた。やっぱり若いって良いなーと眺めながら1口飲むと甘さと華やかな酸味がフワッと広がり後味のコクと深みが上品に落ち着いていてとても私好みの味だった。いろんな喫茶店に行ってもここまで好みに合った物は無かった「美味しい…」と無意識に口が動いてしまった。ウェイターさんは「お口に合って良かったです」と満足気な声色だった。

「安室さんは高校生の時好きな人居ましたか?」
「え、僕ですか?そうだなぁ…」

園子ちゃんはキラキラと瞳を輝かせて蘭ちゃんも期待をしているのかゴクリと喉を鳴らせていた。私は何でもない様にコーヒーに口をつけているが内心はとっても気になる。ウェイターは「内緒ですよ?」と人差し指を口元へやると私と一瞬目が合った。え、なんで今見られたの。

「クラスは違ったんですが、たまに学校のとある秘密基地で待ち合わせをしていた女の子が居たんです」
「ええー!秘密基地ってなに!」
「面白そう!」

秘密基地…そう言えば彼も音楽室の事を秘密基地って言ってたなー。女子高生達が黄色い声を上げている中ウェイターさんは勿体ぶりながら情報を小出しにしている。語り上手な所も似てるな。なんて。

「彼女は女子高生らしくなく、話す内容は寝る前に梅昆布茶を飲むとか美味しいコーヒーの入れ方とかでした」
「し、渋い!」
「珍しい女子高生ですね」

彼と話す時もよく「名前は顔は良いのに女子高生って感じしない」って言われたなー、そうそう梅昆布茶なんて飲んだ事ないって言われて後日水筒に入れて持って行って飲ませたなー……ん?

「顔は整っているのに枯れた女子高生で……でもそこがまた可愛かったんですよ」
「安室さん本当に好きだったんですね!」
「見てみたいです!写真無いんですか?」

「1枚だけ一緒に撮ったんですけど、もう10年以上経ってるので」
『1枚だけで良いから一緒に撮っていいか?』


「お互い将来の夢を語り合ったりして」
『卒業したら警察学校に行って警察官を目指す』



「もし大人になって再会したら僕と」
『もし大人になって再会したら俺と』


『「付き合って欲しい」』



「なんてまあ、まだ音沙汰無しですけどね」

高校生の降谷くんとウェイターさんが重なって見えた。ない筈の音楽室の香りがふわっと鼻を掠める。蜃気楼のようにあの特等席に座って私を見つめる彼が居た。

「素敵ですね!」
「えーでも私だったら何年も待てないや、名前さんは……って、あれ?どうしたんですか?」

「え?あ、ごめんなさい」

いつの間にか頬に一滴涙が流れたのを慌てて指で拭う。「素敵な話で感動したの」と言えば納得した女子高生達に胸をなでおろした。それでもウェイターは真剣な眼差しで私を見つめて来た。その表情は高校時代によく見た彼の表情にそっくりで今度は逸らせることなく見つめ返した。

「蘭ねーちゃーん!小五郎のおじさんがお腹すいたって!」

ドアベルを鳴らした小学生ぐらいの男の子が蘭ちゃんまで迷いなく向かってきた。

「え、もうそんな時間?ごめんすぐ行くね!」
「お開きかー、名前さんいつまで日本居ますか?良かったらまたお茶しましょうよ!」

「えぇ、まだ暫く居るわ。これに連絡してくれる?」

名刺を出せば園子ちゃんは「名刺!大人って感じ!かっこいい!」と身悶え始めた。蘭ちゃんにも渡すと「ありがとうございます!連絡します!」と大事そうに財布にしまってくれた。小学生の男の子は初めて会う私に戸惑っていたけど蘭ちゃんに紹介されて「あぁ!あのオペラ歌手!」と大人みたいな驚き方をされてしまった。

「僕も連絡して良いですか?」
「……えぇ、ぜひ」

名刺を渡す時に触れたウェイターさんの指先にとても胸が煩くなった。


女子高生達を見送り(なんと蘭ちゃんは上の階に住んでいた)迎えの車を呼ぶか、歩いて帰るか迷っていると見かねたウェイターさんが「送りましょうか?」と声をかけてくれた。

「でもお仕事中ですし」
「実はもう上がりの時間なんです」

それに、と私の近くに寄ってきて耳元で「お話したいなと思いまして」と囁かれれば顔に熱が集中するのを感じた。断る理由も無くなり平常心を保ちながら「ご迷惑でないならお願いします」と声量は小さかったが彼には届いたらしい。


「お待たせしました、助手席へどうぞ」
「ありがとうございます(良い車乗ってるなぁ)」

真っ白なスポーツカー、しかも日本車。相場を考えればあの喫茶店の収入では買えないだろう、それがまた彼である事を証明していた。

「目的地はどちらですか?」
「米花グラウンドホテルです」
「かしこまりました」

スポーツカーなのに乗り心地が良いのは彼の運転が上手いのだろう。無言の空間だけど居心地は良く車高が低い車に乗るのは始めてなので景色が一味違って見えて楽しんでいた。

「聞かないんですか?」
「聞いていいんですか?」

なんの話かは察しがついていた。そっと彼を盗み見ると複雑な笑みを浮かべて「やっぱり気づきますよね」と呟いた。あの喫茶店での会話は気づかせる気しか感じなかったけどね!

「"僕"と付き合うっていうのはどうですか?」
「私は違う人と約束したので結構です」

「うっ、そうですよね」と傷ついた素振りを見せるが顔は嬉しそうというたぬき芝居を見させられた。
ホテルに着くとお礼を言って助手席を立つ、彼は最後に「安室透です、外ではそう呼んでください」と言い残して去っていった。

部屋に入るとまたベッドにダイブした。
安室透ってなに、なんで名前違うの、降谷零はどうしたの、なんで喫茶店で働いてるの、警察官はどうしたの、聞きたいことは山ほどあったけど我慢できて良かった。

「(やっと会えた)」

10年以上探していた、高校も警察学校にも彼の名前は無くなっていた、生きていた事ただそれだけが嬉しかった。枕に染みが広がっていくのを感じながら長年頑張っていた気がぷつりと切れて気を失うように寝落ちした。

……To be continued


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