19 | ナノ

地平線の彼方まで続くと思われた月の渓谷は、やはり一定距離を進むと、その先で空間が妙に歪んでいた。
後方から飛んでくるイミテーション達の攻撃を、さらさらと避けていくセシルが機械的で、その意識の無さが怖かった。
「…セシル…起きろよ…」
返答は無い。
『アルティミシア』のものと思しき赤黒い矢が、自分達を通り過ぎて霧散していった。
「…起きろよっ…!」
やはり返答は無くて。
「…何で?」
「…?」
涙の筋の残る顔で、きょとん、とこちらを見てくるオニオンを見返す。
俺もさっき泣いてたし、こんな顔してんだろうな…。
等と、どこか他人事の様に考えた。
「何で、俺、なんか、助けんの?」
オニオンの目尻が、瞬間、釣り上がる。
「馬鹿!!」
…これで何度目だ? こいつに馬鹿って言われるの。
「解んねぇよ…」
「…え…?」
「解んねぇんだよマジで! 俺は人間じゃねえんだよ! 仲間にはなれねぇんだよ!!」
遠くに見える空間の歪みに向けて叫んだ。
全身が熱くて、妙に寒かった。
「家族も無くて、違う世界に生まれて! 生まれたならまだしも死神に成る為に創られて!」
耳鳴りがした。
身体中が熱くて、吐き戻してしまいそうだった。
それは、血が吐き散らされるだけかもしれなかったけれども。
「いつ死神として寝返るか知れねぇのに、俺が生きて他が死ぬより逆の方がいいに決まってんだろ!!」
吐き気に耐え切れず、吐き戻した。
後方に散りながら落ちていったのは、やはり血と、それの塊だった。
「何で助けた!? 何で俺の前で怪我すんだ!!」
劣等感と。卑屈かつ膨大な自己顕示欲と。
試作品として創られ、壊れた兄に見てしまった、死神としての自己。
自分への恐怖。
理由の無い衝動的、気分的な破壊欲が、自分にもあるのかもしれない。
継ぎ接ぎのこの世界で、劣等感、自己顕示欲が肥大した次に肥大したのは、己への恐怖だった。
それは兄である死神にだけでなく、ティナの宿敵である道化をも、ジタンに自己を見させた。
ああなる前に。
自分の刃が仲間に向けられる前に。
「ジタン! 叫んじゃ駄目だよ!」
ジタンの吐血を見て、怒りでなく、失う恐怖に顔を歪ませてオニオンが叫んだ。
…誰か、殺して。
俺を、死なせて。
「いつ何があるか解んねぇ世界なのに! 俺なんか生かしておいちゃ駄目なんだよ!」
いつ、自分が死神になるか解らない。いつ、何が切っ掛けで自分を失うか解らない。
「創りものなんだよ俺は! イミテーションと変わんねぇんだよ!」
強い自己卑下。それでも、仲間が好きだった。
世界が好きだった。
そこに生きる人々が好きだった。
だから。死んでも、守りたかった。
死ぬことで、守りたかった。
「叫んじゃ駄目だったら!」
ジタンは止まらなかった。
もう一度、吐血した。
もしかしたら、自分がクジャを退けた直後、死神としての自己が自分と入れ替わるかもしれないのだ。
「生身と創りものじゃ、生身のお前らの方が――」
街で見た、家族の方が。
元の世界の、仲間の方が。
この世界の、お前達の方が。
「――ずっとずっと、生きてなきゃいけないんだ!」
ずっとずっと、俺よりも――。
「生きる意味があって、権利もあって、価値があるんだ!! 俺は――」
「もう黙れえぇぇっ!!」
甲高く、オニオンが悲痛な悲鳴を上げた。
ジタンは呼吸を乱しつつ言葉を切る。
空間の歪みは、直ぐそこに見えるまでに近くなっていた。
後方から放たれた『ティナ』のメルトンの炎塊が、空気を焼きながら通り過ぎて空間の歪みに触れ、飲み込まれていった。
セシルは抱えた2人の悲鳴でのやり合いにも、全く無反応だった。
オニオンの嗚咽が聞こえる。
…身体が熱い…。
「――か」
呟いたオニオンの声が聞き取れなくて、ジタンは顔を背けた。
「―そう、か…」
へへ…と。
笑う声が聞こえて。
自分を笑っているのだ、と、ジタンは目を伏せた。
「そうか…。だからセシル、君は…――」
…?
ちら、と、オニオンを横目で見やる。
オニオンはセシルを見上げていた。
その目が、今まで泣き叫んでいたとは思えない程強く真っ直ぐで。
ジタンは思わず目を見張った。
「君があんまり怯えてるから。てっきり『置いていけ』って、ジタンが何度も言って…死なせてしまうことが怖くて…そんなに怯えて…だから無理してるんだって思ってたよ」
正直、数発ひっぱたいてやれば良かったのに、とか、それをしない君は甘過ぎる、とかも思ってた。と。
「――でも、違ったんだねぇ」
オニオンは返答が無いことを承知で、ただ独白している様子だった。
「ジタンはずっと、こんな感じだったんだ? 叫ばないにしても?」
やっぱり、僕は騎士として未熟なんだね。
気付けなかった。
どうして君はこんな僕に、剣で誓ってくれたんだろう? 

ううん、嬉しいけどね。…と。
「なら、必死にもなっちゃうよね。君の性格なら、特にさ」
「…オニオン?」
呼べば、その真っ直ぐな視線がジタンを射ぬいた。
「何で助けるのかって?」
ジタンは視線を逸らしたかった。
だが出来なかった。
「だって、ジタン。さっき君が叫んだ言葉」
歳上かと惑う笑みが見えて。
「『助けて』って聞こえた」





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