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現代に戻った私は、そこでの生活の感覚を取り戻すのにとても苦労した。
世界間移動で意識を失った私が目覚めたのは、アスク王国に喚ばれた日の翌日の日付であった。私はアスク王国でかなりの月日を過ごしていたはずだが、現代では私が転移してから一日しか時間が流れていなかったのだ。いや、流れていなかったと言うよりは整合性を無理矢理合わされた──時間が巻き戻ったのだ。
つまり、私は何ヶ月もこの世界から消失していたはずなのだが実際は一日しか行方不明になっていない。行方不明として扱われたかすらも怪しい。
事実、慌てて登校した大学では一日サボったと認識されていたらしく、私の挙動不審さを怪しまれたものだ。
別世界に行ってとある国を救うために協力していたなんて口が裂けても言えないものだから、"以前の私"を思い出すことには少々時間を要した。
幸い、バイトのシフトは入っていなかったのでそこに支障はなかったのだが──いや、そんなことはないか、支障はあった。
私はすっかりとアスク王国での生活に慣れていたものだったから、本来の世界でどのように生きていたかを所々忘れてしまっていたのだ。大学ならば講義内容──バイトでは業務など、思い出さなければ冗談抜きで大変なことになるものを忘却していたものだから、死ぬ気で思い出したものだ。
兎に角、戻って初日でひどく疲れた。現代はこんなに大変だったのかと、改めてこのコンクリートジャングルの中で生き抜いてきた自分に拍手を送りたい。
授業内容はあまりわからないわ、駅やスマートフォンの操作でもたつくわで、朝からへとへとになりながら漸くマンションの自室に戻ったのは日が暮れてからだった。
朝はバタバタしていたから冷蔵庫の中身も確認できなかったし、仕方ないからスーパーで色々と買ってきた重たいマイバッグを腕から下げて、エレベーターに乗る。エレベーターから降りれば鍵を取り出し、自身の部屋の前に立つと鍵穴に挿してドアノブを捻った。
「はぁ……ただいまマイスイートホ──」
「小間使いのくせに僕を待たせるとはいい度胸だね」
見慣れた白髪とどこか皮肉った声が聞こえた瞬間、バタンと扉を閉める。
そして、自分の頬を抓って夢ではないことを確認──夢ではなさそうだったから、疲れのあまり幻覚幻聴を聴いたのかと深呼吸をする。
すーはー、すーはー、と何度も繰り返していると、私が閉じた扉が勢いよく開けられた。
「ぎゃあ!!」
「なんだいその鶏の首を絞めたような声は。……なにをしているのか知らないけれど、早く入りなよ」
呆れたように紅い瞳が細められる。だがそれよりも、彼がドアを開けたことにより、私は嫌でも彼をしっかりと認識してしまうのだ。綺麗な白髪も、紅い瞳も、何度も目にした特徴的なローブも、全てが全てこの現代には似つかわしくない異質なモノ。
私が口をはくはくと動かして呆然としていれば、彼は痺れを切らしたのか私の腕を掴んで引き入れる。
再び、背後でバタンと扉が閉じる音がしたが私の腕はまだぐいぐいと引かれてそのまま──
「待って!土足!!」
「は?」
彼がブーツを履いたままフローリングの上にあがるものだから、私はついつい叫んでしまった。
なにを言っているんだこいつ、と言いたげに振り向いた彼を無視して私はいそいそと自分のスニーカーだけでも脱ぐと、彼を玄関に押し戻す。
そして、未だ履いたままのブーツをびしりと指差すと脱ぐように要求した。
「日本では土足で家に上がらないの!ほら、今すぐ脱いで!!」
彼は私が並べ立てる言葉にちんぷんかんぷんだったが、よほど鬼気迫る表情をしていたのだろう、大人しく脱いで上がった。
と、ここで、私は本来ならば真っ先に抱くべき疑問に気付く。──なんで、彼がここにいるんだ?
「っっって!!!!!本当に、なんでギムレーがここにいるの!!!!???」
「騒々しいね」
仰天して叫んだ私を、彼──邪竜ギムレーは冷めた目で一瞥した。
そんな目で見られても、驚くのは当然だろう。そもそもギムレーのことは元の世界へと送還したし、それ以前にここは現代だ。魔法なんて使えないし、ペガサスもグリフォンも竜もいないコンクリートでできた世界。
そう、ギムレーがここに居るわけはないのだ。
「なんで!ここに!いるの!!??」
「五月蝿い。それは僕が聞きたいさ、気が付けば僕はここに居た。何処とも知れない場所だったしとりあえず壊してやろうとすれば君が描かれた絵が目に入ったからね、一先ずは様子見をしてあげようと考えていたら君が帰ってきたんだよ」
「私が描かれた絵……あぁ、写真か……」
寝室のベッド脇には、以前に友達と撮った写真を飾ってあったんだっけ。帰ってきて早々家が破壊されているなんてことにならなくてよかった。
さて、本題に戻るが、どうしてギムレーがここに居るのかは本人にもさっぱりわからないらしい。少なくとも私が出ていった後に彼がここに来たのは事実だが、どのような経路で来たのかについては"気が付けば"としか言えないようだ。
玄関で話してても仕方がないため彼をリビングに招いて、ティーバッグの紅茶を入れる。そうして、お互いの情報交換を行ったのだ。
「というわけで、ここはアスク王国とも──多分、ギムレーの世界とも全く異なる世界なんだよ。まず、魔法なんて使えないのが当たり前だし生息している生物も文明も文化も、なにもかも違うの」
「やりにくいことこの上ないね。君も、随分と不便な世界で暮らしていたものだよ」
「不便……とは一概には言えないけどなぁ。魔法は使えないけど、スマートフォンっていう便利な機器があるし」
「すまーとふぉん?」
飲んだことのない味なのだろう、訝しげにカップを凝視しながらちびちびと紅茶を飲んでいたギムレーは、聞き慣れない言葉を舌っ足らずに復唱した。
それが不覚にも可愛く思えて、つい吹き出してしまうと頭に鋭い痛みが走る。
頭皮マッサージを数倍凶悪にしたようなそれに、ギブギブ!と音を上げれば渋々といったように解放されたが、まだ痛みがひりひりと残っている。
加害者は間違いなく、目の前でふんと鼻で笑っているギムレーなのだが、なにをされたのか確認しようと後ろを振り向いて、今日何度目かわからない仰天をした。
「う"わ"ぁ"!!!」
「どこからその声出しているんだ」
「え!?これ、ギムレー本体だよね!?えっ!?ちっさ!!!」
私の真後ろには、邪竜ギムレーの本体である竜がこちらを見つめて浮遊していた。
だが、アスク王国に居た頃よりも遥かに小さい。頭から尻尾まで、背の高い成人男性程度の長さしかないそれに思わず"小さい"と連呼してしまうと、再び軽く噛み付かれる。
甘噛み(にしては痛いのだが)だから血は出ないが、痛いことこの上ないので謝り倒してまた解放してもらい、まじまじと本体を観察した。
「ねぇ、どうしてこんなに縮んじゃってるの?」
「……この世界の空気が合わないんだよ。どうやら、世界構造が大幅に違うようだ、それが僕にも悪影響を及ぼしている。異変があったのは本体だけじゃないさ、今自覚しているだけでも本体と器の両方に異常が見当たるからね」
「ギムレーの本体がちっちゃくなったことの他にもあるの?」
「ある。まず、──これは以前にもあったけど元の世界の記憶が失われている。まぁ、召喚という形式ではない上に以前よりも荒く時空を越えたのだからそれは想定内だ。だが──この器、これが随分と人間に近しくなってしまっている」
「人間に近しく?」
語るまでもないだろうが、ギムレーの器の元の人物はルフレというイーリス王国の軍師だ。私は彼らの世界で起こった出来事を詳しくは知らないが、ルキナや他の人達の話から大雑把な推測はすることができる。竜の姿が本来であるギムレーはルフレの身体を乗っ取るような形で現界しているのだが──その辺のことは置いておいて、人間に近しくなってしまっているとはどういう意味なのだろう。器のルフレは当然人間なのだから、近しくなるという表現は適切ではない気がするが。
「空腹、疲労、睡眠欲、少なくともアスク王国に居た頃には感じることのなかった──または感じたとしても少なかった諸々の、人間の生命維持活動が盛んになっている。──つまり、竜ではなく人間らしくなってきているんだよ」
「それは……」
「全く、人間の身体は脆い上に繊細だ。それにこの世界、あまりにも僕に合わない。気晴らしに戦争でも起こしてやりたいけど今の僕にはそれすらも身体に負担が掛かる。確かにこの器は扱いにくいけれど壊れていいわけではないから、我慢してやるさ」
ギムレーはそこまで言い終えて、くぁ、と小さく欠伸をする。アスク王国では彼が眠る姿などは全くと言っていいほど見たことがなかったが、人間に近しくなったという言葉通り眠気も襲ってくるらしい。
彼がどうしてどのようにこの世界に来たのかはわからないが、あらゆる面で異常が出るほどこの世界が適応し辛い環境だというのならばここに転移しただけで疲労が蓄積されていても不思議ではないというもの。
時刻は──もう七時か、微妙な時間帯だけど一時間程度の仮眠なら大丈夫かな。
「ねぇギムレー。私の寝室のベッド、使っていいよ。疲れてるんでしょ、起こすから少し休んでおいでよ」
「……──まぁ、……小間使いとしての自覚は薄れていないようだね。仕方がないから使ってあげるよ」
「うん、一時間ぐらい経ったら起こすね」
「いらない、自分で起きる」
少し迷う素振りを見せたが、睡魔には流石の邪竜も勝てなかったらしい。あくまでも仕方なくという形でだが休むことにしたようだ。
あっち、と寝室の方を指差せば大人しく扉を開けて入っていく。やがてごそごそという音が聞こえなくなれば、寝入ったのか物音一つ立たなくなった。
この間にご飯を作っちゃおう、ギムレーが起きてきたら一緒に食べられるように少し多めに。食べられない食材とか──ないよね?世界を跨いでも食材や料理は大きくは変わらないし大丈夫だよね?
ということで、私は調理に取り掛かったのだった。
:
「ギムレー、起きてよー……」
さて、一時間どころか二時間経ったのだが──ギムレーが起きる気配なし!!
声を掛けようが揺さぶろうが、なにをしても起きないのだ。一時間半経ったあたりでもう私だけご飯を食べてしまったが、こうも起きてくれないとなると私の寝る場所がない。
「ギームーレーー」
わしわしと髪を撫でてみる。普段の彼にこんなことをすると絶対零度の瞳でゴミを見るように睨まれるだろうが、ぐっすりと眠っている彼は瞼を開ける様子もない。
その後何度か揺らしても起きなかったため諦めてお風呂に入り、時刻は十二時手前となったのだが──まぁ、ギムレーが起きるはずもなく。
「仕方ない、ソファで寝るか……」
寝室からブランケットだけを引っ張ってくると、リビングのソファに横たわったのだった。
明日の予定は──午後から二限だけ講義があって、その後にバイトが入ってるな。あ、ギムレーどうしよう。家に留守番──大人しく、留守番してくれるか……?
──うーん、だめだ、眠い。私も帰還して一日目だからすごく疲れた。もういいや、明日のことは明日考えよう。
そう投げやりな気持ちで、睡魔に抗うこともなく瞼を閉じたのだった。
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