( 10/12 )


「やっぱり、ここは人が多いね」

「ああ気持ち悪い、人間が群れている光景というのはどうしてこうもおぞましいのかな」

「はずれの方、行こっか。多分そっちなら人少ないよ」

私達は、以前にネットニュースで取り上げられていた流星群を見にバイト帰りに海へとやって来たのだが、見晴らしがいいという考えは同じなのか既に大勢の人でひしめき合っていた。海にこんなにも大人数が集まっているのだから、まるで花火大会のようだと特徴的なあの喧騒が自然と思い出される。
夜の海にしては賑やかで、これもこれで悪くはなかったのだがギムレーが嫌だろうし、私もどちらかと言えば落ち着いて見たい方だ。なので、海のはずれの方へ場所を移すことにした。
中心から遠ざかるごとに人も疎らになっていき、端の目立たない方まで来ると閑静なものだった。まぁ、夜の海というものは不気味さと隣り合わせでもあるからみんな人が居るところに行きたいのだろう。

「ここらでいいかな、どう?ギムレー」

「まぁ、妥協してあげようか」

「んじゃ、星が降るまで少し待ってよう」

流星群が目視できるようになるまでには僅かに時間がある。なので、浜に流れ着いた流木の上に腰を下ろして待つことにした。
はぁ、と息を吐けばそれは白く染まって消える。もう冬だ、上着を羽織っているとはいえ寒い。だが、冬空というものはとても綺麗だ、寒さのおかげかとても澄んでいて、きらきらと夜空を彩る星々の瞬きがよく見える。

「ギムレー、あれが冬の大三角だよ」

「三角形など、繋げようとすればいくらでも繋げられるだろう」

「もー、そういうこと言わない。あの三角形はシリウスが輝いているからわかりやすいでしょ?」

「星なんてどれも似たようなものだろうに」

ギムレーが風情のないことを言うものだから、私はつい意地になって星を語ってしまう。
実は、ギムレーが流星群を見に行くことを承諾してくれてから冬の星についてこっそりと調べていたのだ。
ギムレーが星にはあまり興味がないだろうということは薄々と勘づいていたが、どうせなら楽しみたいじゃないか。流石に、全部の星を覚えてくるなんて芸当は私には無理だが、冬の大三角とそれを構成する星々の逸話といった主要なものならばどうにか覚えてくることができた。

「冬の大三角は、シリウスとベテルギウスとプロキオンっていう三つの星が形作っているんだって」

「そうかい」

「もう少し興味持ってよー」

「空を見れば点在しているに過ぎない光に対してどう興味を示せというんだ」

わかってはいたけど、ギムレーはかなり塩対応だ。わりとざくっとくるが、まぁ今更だろう。
私が一人で話しているようなもので肝心の彼の反応は芳しくないが、少し得意げになって調子に乗ってしまった単純な私は、三角形の一つベテルギウスを指差す。

「あのベテルギウスってね、オリオン座なんだよ。ギリシア神話のオリオンって人が名前の由来らしい」

「ギリシア神話?」

そこで彼は初めて、私の話に食いついてくれた。星というよりは神話についての方だが、ギムレーが興味を持ってくれたことに喜んだ私は、ギリシア神話について知る限りのことを彼に伝える。
神話のさわりについては、以前取っていた西洋史学の講義で触れたことがあったから多少は覚えていた。まぁ、それを学び終わってから期間が空きすぎて、本当にざっくりとしか覚えてないんだけどね。

「んー、ギリシア神話っていうのは北欧神話やケルト神話とかみたいにメジャーな神話のうちの一つでね、なんて言えばいいかな……神話っていうのはどれもこれも神様のお話なんだけども、ギリシア神話はけっこう恋愛の泥沼系のお話が多かった……はず?」

「へえ、この世界にもまだ神への畏れが残っているとはね」

「あくまで神話だし、言い伝えられていることだから畏れとかいうほど重苦しいものじゃないよ。そもそも、ギリシア神話は異国の神話だし。……んで話戻すけど、オリオンっていうのはギリシア神話の狩人でね、私もそこまで詳しく調べたわけじゃないんだけど月の女神のアルテミスっていう女性といざこざがあって射殺されたらしいよ」

「射殺ね、それが星に名付けられるのかい」

ギムレーは冷めた瞳でオリオン座を見上げる。うーん、私の説明が下手なせいでオリオンについてのすごさが一ミリも伝わっていないようだ。神話に名を連ねるってだけで相当すごいことだと個人的には思うけど、オリオン、風評被害を受けさせてしまって申し訳ない。

「他の神話は」

「んー?」

「他にどんな神話が蔓延っているんだい?……例えば──邪竜とそれを討つ英雄の話、とかはあるのかな」

立てた片膝の上に頬をつきながら、ギムレーは瞳を爛々と輝かせて笑う。その笑みは好奇心や興味といった類ではなく、どちらかといえば皮肉ったような、私の反応を試している雰囲気の含みのあるものだった。
邪竜とそれを討つ英雄の話、なんてものをわざわざ持ち出してきているものだから私がどう答えるかを楽しんでいるのだろうとは推測が容易にできる。私を困らせようとしているんだろうし、実際に私は困っているので彼の思惑通りだろう。
いや、邪竜本人に邪竜を討つ英雄の話をしろって普通に困るからね!?有名所だとジークフリートが主人公のニーベルンゲンの歌とかがあるけど、……いや、読んだことないから少ししか知らないけども。でも、それを話すのはなんだかやっぱり躊躇われた。これもギムレーの思い通りなんだろうけどね。

「ギムレーって、結構意地悪いよね」

「はっ、今更だね。僕の側に居るのならば、弄ばれる覚悟ぐらいはとうに出来ているかと思っていたけど」

「そんな覚悟してるわけないでしょ……」

不貞腐れた顔をしてやれば、ギムレーは息を吐き出すように冷笑した。明らかに馬鹿にされたそれにもう反抗する気すらも怒らない。学習性無力感が生じ始めているぞ。
ギムレーから目線を外して海を見ていると、隣からは見世物でも見物するかのようなじとじとした嫌な視線をひしひしと肌で感じたが、また反応したらそれこそギムレーの思う壷だと無視を決め込んだ。
やがて、ギムレーも飽きたのか私と同様に海を眺め始めたようで、人だかりから遠ざかっているここでは波の押し寄せる穏やかな音だけが静かに響く。
この世界の海は澄んでいるとは言えないが、それでも私にとっては故郷の海で、汚れた黒い海にこそ親しみがあった。汚れていること自体は良くないことだが、長い間見慣れているということが大きい。向こうの海はとても綺麗だったけど、写真や映像でしか見たことのなかったエメラルドグリーンで、海底の珊瑚なんかも海面から見ることができたし、はしゃぎはしたけどもなんだか現実味がなくて落ち着かなかったから。
空だって、アスク王国ほど澄んではいない。星だって、向こうの方がずっと大きく綺麗に観測することができた。
私はどちらの海も空も知っていて、こうして比較することができる。でも、大学の友人はアスク王国の自然を知らないから、こっちと比べるとあっちはすごく綺麗だったねって話題を共有することはできなくて。それがどこかもの寂しい気持ちになったのを覚えている。
だが、ギムレーだけは、唯一ギムレーだけはあちらの自然もこちらの自然も知っているから、彼にだけは私は思う存分語ることができるのだ。
たかがそんなこと、と笑われるかもしれないが、私にとってはそんなことが本当に嬉しくて救いだ。私が駆け抜けてきたあの日々が夢ではないと肯定してくれるたった一人だけの存在だから。ギムレーは云わば、私の記憶そのものだから。

「ねぇギムレー」

「なんだい」

「こっちの空も、綺麗だね」

「アスクの方がずっと曇りなかったけれどね」

素っ気なくても、ただ当たり前のように返してもらえるのが嬉しいのだ。それだけでじんわりと胸の内が暖かくなるのだから。
にやけそうな表情筋を抑えながら腕時計に目を落とすと十時前、そろそろ星が降ってきてもいいはず。
そう思いながら空を見上げれば、一筋の青白い光が尾を引きながら夜空を一文字に横切って行った。すぐにその光に続くようにして、無数の光が瞬く程の短い時間だけ姿を現しては消えていく。待ち侘びた流星群が、始まったのだ。

「ギムレー!空見て!空!」

「そう何度も言わなくても聞こえてる、五月蝿いから興奮するな」

「だって、私、初めて流星群見たんだよ!ほらほら!見てってば!」

「袖を引っ張るな」

あまりにも幻想的で美しくて、感動のあまりにギムレーの袖を何度も引っ張ると至極鬱陶しそうな顔をされた。だが、私が空を彩る流星群に夢中で冷たい態度も何一つ響いてないとわかると、ギムレーは大人しく空に目を遣る。
そんな彼をちらりと盗み見れば、紅い瞳の中に流星の光が映り込んでいて、それもそれで綺麗だなと見惚れそうになってしまった。あまり見ていると不審がられそうなのでもう見ないようにするが、綺麗なものはいつだって身近にあるということを学んだ気がする。

「よし、願い事をしよう。流星群でも叶うかはわからないけど」

「願い事?」

「流れ星が消えるまでに願い事を三回口に出すと、叶うって迷信があるんだよ。流星群でもいけるか試してみる!」

「幼子のようだな……」

隣のギムレーが呆れたような視線を寄越してきているが気にしない、一度試したかったのだ。
というわけでなにを願うか考え始めたのだが、いざ願い事となるとなにも浮かばないというのは私が日々適当に生きているせいだろうか。お金、それは普通に欲しいけどロマンがないし、単位取得、これは私の頑張り次第だろう。旅行に行きたい、美味しいものが食べたい、色々思い浮かべたがどれもこれもしっくりとは来ない気がして、結局私は無難に健康を願った。
消去法だが、心身が健康で不自由することなんかないはずだ。バイトも頑張らないといけないし、体調は崩せないからね。まぁ、私にしては悪くない願いだと思う。
そう考えて己の限界を越える早口で「健康!健康!健康!」と三回唱えたのだが、成功したのかどうかわからない。ギムレーに、星が消えるまでに言いきれていたかどうか確認したが、面倒臭くなったのかぶすっとした面持ちのままシカトされた。悲しい。

「まぁ……成功ってことで、疑わしきは白だしね!」

「健康、なんて随分と欲のない願いを唱えるものだね」

「なんかちゃんとしたお願い事が浮かばなくて……。無病息災に悪いことはないかなってね」

今まで生きてきて病気とはほとんど無縁だったので今更願うまでもないことだと気が付いたのは後の話である。
家族全員インフルエンザに罹患しても私だけはウイルスに負けずピンピンしてたし、生まれつき身体だけは丈夫だった。花粉症とかも全然ないしね。みんな春の時期はひいひい呻いてて大変だなと、他人事で思ってます。
そう振り返れば無駄な願いをしたなと若干損した気分になったが、まぁいいでしょ。一人で納得してうんうんと頷いていれば、ギムレーが空に目を遣りながら呟いた。

「望みなら、僕に言ってみればいいのに」

「うーん……、そういえばアスク王国に居た頃にも聞いてきたよね?」

「ああ、生意気にも君は突っぱねてきたけれどね。まぁ、正直に望みを言ったところで叶えてあげるかどうかは君の態度と僕の気紛れ次第だけれど」

「そっか、あの時も私は濁したっけ。……ほんと適当に生きてきたというか、幸せな生活を送ってきたんだなぁ」

望みがないというのは、適当に生きているのもあるだろうけど一番の要因はきっと満たされているから。であればそれを幸せと言わずしてなんというだろうか。
ギムレーはあの時、「この世界のみんなの平和の為に戦う、綺麗事を口にするな」と言ってきたが、仮にそれを綺麗事とするならばそれを平然と言えるぐらいには私は望みがなくて幸せだったのだろう。
実際、苦しいことも多かったがそれを覆うほどの楽しい時間に包まれていた。そりゃ戦闘は怖いし生き死になんて、考えただけでもぞっとする。だが、それでも私は恵まれていたのだと思う。
いや、過去形は相応しくないな。私は恵まれているのだ、それこそそれ以上を望むのは烏滸がましいほどに。

「ねぇギムレー、私は幸せ者だね」

「…………そうかい」

私がそう呟けば、ギムレーは面白くなさそうに頬杖をつきながらぶっきらぼうに答えた。


PREVNEXT


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -