( 9/12 )


さて、私も大学生であるのだから当然レポート課題というものは存在する。学部、学科、専攻、授業によってレポート提出が課される頻度は様々で、中にはレポート提出がない学科や授業もあるようなのだが、私が取っている講義はほとんど毎週のように鬼のような分量のレポート課題が嫌がらせレベルで出されていた。
今回の題材はとある歴史上の人物の生涯、についてなのだが、これが調べれば調べるほど情報が出てきてどう纏めれば読みやすくなるか四苦八苦するものであった。
中には真偽不明の噂や説もあるが、一応それについても記述しておいた方がいいのかと悩む。確実性があるならまだしも、本当にこの人がそんなことをやったのか判明していないなら書かない方がいいかな。いやでも、書かずに減点とかされたら目も当てられない。

「この人の行動が元になって作られた言葉とかも書いといた方がいいよなぁ……、いや、でも別に書かなくたって正直問題は……。うーん、加算されるかな、されないよね……」

ひたすら文献と睨めっこしてうんうんと唸りながら、貴重な休日だというのにレポートに追われて忙しく過ごしていた。
私の傍らには積み上げられた参考文献の山、膝の上にはノートパソコン。パソコンを触った当初はブラインドタッチなんてできないだろと思ってたが、今となってはお手の物である。画面を穴が空くほどに見つめながらキーをカタカタと叩いて文字を打ち込んでいく。
時折資料や本と格闘しながら愚痴にも似た一人言をぼやきつつ作成すること三時間、なんとか形にはなってきた。
とはいっても、ざっくばらんに内容を纏めただけなので細かな推敲作業は残っているのだが。とにかく、ここまでよく頑張ったと思う。──たかが一授業のレポート課題でもこんなに苦戦しているのだから、卒業論文なんて考えたくもない。まだ現実逃避できる、まだ見なくていい。うん、全力で目を逸らそう。

「頑張った、頑張ったよ私……誰も褒めてくれないから自分で褒め──あっ」

あまり動かされることもなく凝り固まってしまった肩をほぐすためにぐっと伸びをする。その際に背中を仰け反らせながら何気なくベランダに目をやると、丁度ギムレーが帰ってきたところだったようで、手摺からぴょんと飛び降りてベランダに着地していた。
彼は、行き先も告げずにふらりと出掛けてはこうして気まぐれな時間に帰ってくる。それは日常と化していたことだが、普段と比べると今日は早かった方だ。

「おかえり、ギムレー」

「まだその板を弄っていたのかい」

「今やめたところ。何処に行ってたの?」

「君に教える義理はないよ」

まぁ、教えてくれませんよね、期待はしていない。あれでも機嫌が良いと、この前みたいに素直に教えてくれることもあるんだけど。
ギムレーは、羽織っていたローブをソファに乱雑に脱ぎ捨てると私の側に寄ってくる。
彼の今の格好は、私が以前買ってきたシンプルなシャツとジーンズというラフでカジュアルなものだが、どういうわけだが頑なにあのローブだけは着続けていた。現代の服装とは少々ミスマッチなデザインのローブだが、容姿が整っているという力は大きい。独特のコーディネートではあるが不思議と違和感なく似合っていた。きっと、ギムレー以外があの組み合わせで着るとデザインが大喧嘩してしまうことだろう。

「ちょ、そこ掴んじゃだめだよ」

そんなことを考えながらぼーっとギムレーを見上げていると、彼は私には目もくれずにノートパソコンを掴み上げた。
わりと乱暴に扱うものだから壊されたら堪らないので取り上げようとするも、私の伸ばした手を嘲笑うかのようにするりと躱して空中に浮かび上がったギムレーは、長い足を組むとその上にノートパソコンを乗せる。

「変なところ押さないでね!?それ、壊れやすいから!!ああもう、返してよ!!」

私の身長ではギリギリ取れない位置に佇むギムレーは、顎に手を当てて考え込む素振りを見せると覚束無い手付きでキーを叩き始めた。
レポートはもう保存済みとはいえ、変なところを押されてデータを滅茶苦茶にされては堪ったもんじゃない。もう一度作り直しだなんて、絶対に絶対に勘弁だ。
ぴょんぴょんと飛び跳ねてどうにか奪い取ろうとしてみるも、届きそうで届かない。敢えて届くかもという希望を見せることで無駄な努力をする私を楽しんでるなこの竜は。
何度か飛び跳ねて漸く彼の意図に気が付き、ぎりぎりと歯噛みする私を見下ろしてギムレーはふんと鼻で笑った。くそ、この野郎……。

「大体、ギムレーは操作方法とかわかんないでしょ!?」

「何度か君が触っているのを見たことがある」

「見たことあるぐらいで扱いこなせる代物じゃないの!!」

「全く、本当に騒がしいな。君は沈黙という概念を知らないようだね」

ギムレーが呆れたように溜息を吐いた瞬間、後ろからなにかに衝突をされた私は「ぎゃっ!」と女らしさこ欠片もない悲鳴を上げてベッドに倒れ込む。
慣れてしまった硬さを背に感じてもしやと振り向けば、予想通りというかやっぱりというかなんというか──ギムレー本体である黒い六つ目の竜が私の上にのしかかっていた。
アスク王国に居た頃と比べれば大きさはそれ程ではないが、縦長な見た目に反して結構重い。しかも、意図して体重を掛けてきているものだから退かそうとしても簡単には退けられなくて、数分竜と格闘したが先に私の体力が尽きた。
疲れてぐたりとへばった私の頭を、ギムレー本体は煽るように鼻先でつついてくる。私もファルシオンでつんつんしてやりたい。
こうなってしまった以上、ノートパソコンが壊されるのではないかという不安を抱きつつも諦めた私は、宙に浮かぶ人型の方のギムレーを恨みを込めてじとりと見上げた。

「…………」

ギムレーは、思ったよりも真剣味を帯びた表情で画面を凝視していた。キーを打つ手つきも、まだぎこちなさは残るものの様になってるし、ドラッグ&ドロップやダブルクリックも何処で学んだのかはわからないが使いこなしているし、言語的な面でもパソコンは使えないだろうと踏んでいた私は正直言って驚いていた。
たまに、すぐ近くにいる私にすら聞こえない小さな声量でぼそりと一人言を零すが、私の位置から画面は見えないもののパソコンが壊される気配はない。
兎に角それだけが心配だったから、無駄な懸念だったと理解した途端身体からへにゃりと力が抜ける。
同時に、レポートで疲れていた脳が急激に活動を鈍らせはじめて、どうせ起き上がれないことだし軽く昼寝でも摂ろうと考えた私は、ギムレー本体を布団代わりに目を閉じた。


:



ゆったりと意識が浮上する。閉じている瞼の裏にまでぼんやりとオレンジ色の光が入ってきて、私は緩慢な動作で目を開けた。
室内が夕焼け色に染まる誰彼刻、どうやら私はたっぷり二時間ほど仮眠を取ってしまったらしい。三十分程度休めれば十分だったのだが、思ったよりも長く寝てしまった。
夕飯の用意もあることだし、と起き上がろうとしてふと違和感。頭の上になにかが乗せられているような感覚に私はそろりと顔の向きを変えた。

「んん……?ギムレーの……手……?」

手袋に覆われた左手が、まるでついさっきまで髪を梳いてでもいたかのように私の髪の毛を指に絡ませながら頭に乗せられていた。
その手を辿っていくと、壁に凭れながら静かに目を閉じるギムレーの姿が目に入る。陰のある夕焼け色に染め上げられたギムレーはやけに神秘的で、まるで何かの彫像のような人ならざるものに思えた。実際人ならざるものなのだが、そういうことではなく、世界に存在する控えめな美しさというものを集めて形成したらこうなるのだろうなというはっきりとしない概念めいたもの。
頭のてっぺんから爪先まで非の打ちようがないほど完成されたその姿に暫く見蕩れていたが、彼は警戒心もなく熟睡しているようで私の視線には全く気がついていない様子だった。
次に、私は背中に視線を向ける。首の角度的にキツいものはあるが、ギムレー本体が顔を伏せているのは見えた。恐らくだが、眠る前よりも自然にずっしりと掛かった体重から察するに本体も私を布団の代わりにして眠っているのだろう。

(動けない……)

起こすのも気が引けて、私はそのままの体勢でじっとしていたのだが、流石にそろそろ動きたい。
だが、寝返りを打つことすらできないこの状態では起き上がるなんて以ての外で、しかしいい加減暇になってきた。
そんな時、どうにか手が届きそうな距離にノートパソコンが放置されていることに気が付く。それをなんとか私のところへと引き寄せて起動し、時間潰しがてらギムレーがなにをしていたのかを見ようと思った。
デスクトップは特に弄られた形跡がない、念の為確認してみた私のレポートも無事だ、であれば履歴を調べるしかない。
デスクトップ下部のバーのアイコンをクリックして某検索エンジンを開く、そしてマウスポインタを動かして履歴を開いてみた。

「なにこれ、ニュース記事?」

私が漁っていたレポートの文献たちがずらりと目が滑りそうなぐらい履歴に並んでいるだけかと一瞬思ったが、たった一件だけ、私に覚えのないページ名とURLが一番上に残っていた。
履歴に表示されているページ名だけでは、なにかのニュース記事ということ以外に詳細がわからない。疑問符を浮かべながらそれをクリックしてみると、どうやらとあるニュースサイトに飛んだらしいのだが──

「……流星群?」

そう、その記事は別におどろおどろしい殺人事件等の茶の間が暗くなるようなものではなく、近々流星群を見ることができるらしいという子どもや若者が喜びそうな明るい内容の記事だったのだ。
日付は今日から数えて約十日後、この地域では夜の十時頃が一番綺麗に見ることができるとのこと。
十時か、十時ならバイト帰りに見に行けるかな。数十年に一度の規模の流星群らしいし、どうせならギムレーと見に行きたいな。思い出作り、という意味でもいい機会だと思う。

(──うん、ギムレーが起きたら誘ってみよう)

彼が私のお誘いに乗ってくれるかはわからないけれど、わざわざこの記事だけを履歴に残していたのだ。彼にとってはこのイベントも興味本位の暇潰しに過ぎないものなのかもしれないが、それでも、本音はどうあれ少しは見たいと思ってくれたのだろう、そう解釈する。だったら私も、彼の垂らした釣り餌に喜んで食いついてやろうじゃないか。
──私にとってギムレーと見る流星群はきっとこれ以上ないくらいの特別な思い出となる。彼が元の世界に還ることを引き留めるなんてことはできないが、こうして思い出を作るぐらいは許されるはずだよね。きっと、それぐらいなら罰は当たらないはず。


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