「でな、そこで光に起こされたっちゅー話や」


俺はカップに注がれたコーヒーを差し出して、テーブルを挟んで向こう側に座る人物に笑いかけた。


「へぇ…、初めて会った時の夢なぁ」


カップを受け取った光はユラユラ揺れるカップの表面を眺めてからそっと口をつける。
かなり甘い味になったコーヒーを、光は何の躊躇いもなく喉の奥に流し込み目の前に座る俺に視線を向けた。


「夢なんて初めて見てもうて、なんか得した気分や」

「得?」

「せや、光ともう一度会えた気分になるやろ」


そう言って、自分用に用意したコーヒーを一口だけ飲む。
光のとはだいぶ味が違うけど、俺はこの苦みが好きやった。


「そんなん、前と同じ事繰り返しただけで何の得にもなってへんし」

「ええやろー、感じ方はそれぞれや!」


カップを少し乱暴に置くと、光はそんな俺を見て小さく笑う。
そして俺も、尖らせた唇を戻して笑顔になった。


光と初めて会った日から三か月。
俺はこうして普通の人と変わらずに生活しとる。
何の不自由もなく、何の不満もない。
こんな何の変哲もない朝を迎えるのが楽しみで、光と話すのが楽しみで。
俺はこの世に存在出来て幸せやと思う。
作ってくれたんが光で本当に良かったって思うんや。
せやからこれ以上望んだりしない。


…望んだりしない…



「謙也さん?」

「…え、な、何?」


急に名前を呼ばれ、俺は急いで頭の中で考えていた事を消した。
光は不思議そうに俺を見ると、空になったカップをテーブルに置いて椅子から立ち上がり、近くにあったカバンを背負う。
ハッと時計に目をやると、光が家を出る時間が迫っとって俺も一緒に腰を上げた。


「今日帰り遅くなるかもしれんから」

「また研究?」

「今日は教授に呼ばれてんねん、俺の天才的頭脳を借りたいんやて」


そんな事を言いながら、玄関まで歩いて行く光の後を追う。
屈んで靴を履く背中と壁にかかったカレンダーを交互に見つめ、俺は僅かに眉をひそめた。


「…日付変わる前には帰って来れるん?」

「微妙」

「……そおか…」


がくりと肩を落として声のトーンを落とせば、光が不思議そうに俺の顔を覗き込む。



「謙也さん?何かあるん?」

「えっ…あ、えっと…」


分かりやすい態度をとってしもたんは俺やけど、改めてそう聞かれると少し返答に困った。
俺が我儘言える立場やないって事は分かってるし、光が忙しい身やというんも分かってるけど…。
今日だけはどうしてもこの我儘を聞いて欲しかった。


「明日、光の誕生日やろ?」


カレンダーを指差しながら言えば、光は思いだしたかのようにカレンダーの数字を見つめる。


「特に何もしてやれんけど、20日になった時に光と一緒におりたいって思っただけ…っていうか…その…」


言葉にすると何故か照れ臭くなって、言葉の語尾を濁しつつ光の顔に視線を送る。
少し悩んでるような光の表情を見ると、やっぱり言わなきゃ良かったとか思ってしもて。


「あ…、無理ならホンマに気にせんといて」


両手を胸の前で遠慮がちに振り、慌てて首も横に振った。
光はそんな俺にチラと視線を向けてからドアに手をかけて、外に一歩足を踏み出した。
 

「しゃーないから今日中に帰ってきたるわ」

「……えっ…!」


パッと顔を上げると光はすでに背を向けて歩いとったけど、俺は嬉しさに任せて大きく手を振りながら声を浴びせる。


「気つけてやー」


笑顔で見送り、ドアが完全に閉まるまで光の後ろ姿を見送る。
バタンと大きな音を聞き、俺はドキドキと高鳴る胸をそっと抑えつけた。


どうして、こんなにも胸が熱くなるんやろ

どうして、こんなにも胸が苦しいんやろ

自分がおかしい事に気付いたのはいつからだっけ…

だんだんと、自分では制御出来ない気持ちが溢れていくんが止められんかった。


俺は光に持ってはいけない感情を抱いてる。


俺は人形で光は人間。
見た目に違いはなくても、根本が違う。
光は俺を作ってくれた、それを人間の関係に置きかえるなら…親のような存在。

光と話すと楽しい、一緒にいるだけで温かい気持ちになれる。

光だって少なからずそう感じてくれてるハズなんや。
俺を見る目が優しくて、全てを包み込むような温かい手で触れる。

それは親が子供を思う気持ちと似ている。


そんなら俺は…?

俺は光を親のように慕ってる?



…違う

もっともっと浅ましい感情


俺は光の事が好きなんや

家族や兄弟のそれとは違う…


この手で光を抱きしめたい

この唇で想いを伝えたい

どこにも行かんで、ずっと俺の傍にいて欲しい

こんな感情、持ったらアカンって分かってるけど…
一度自覚したものは心の中から消えて無くならない。


俺が人間やったら…

そしたらこの気持ちを光に伝えられたんやろか…



「……なんてな」


ポツリと呟きながら自重気味に笑うと、俺はドアに背を向け寝室へと歩き出す。
開けたままのドアを潜り抜け、無造作に捲られたままのベッドのシーツを綺麗に敷き直した。



俺には今のままで充分。

この気持ちがずっと報われなくても、光は俺と一緒におってくれる…
光は俺を作ってくれた…俺を必要としてくれたから…

他の誰でもない、『俺』という存在を、光はずっと見ていてくれる

せやから俺は毎日笑って過ごせるんや



俺は自分を納得させるように大きく一回頷いて、部屋の隅に置いてある掃除機を手にした。
これからやる事がいっぱいある。
ホンマはプレゼントとかあげたいって思うてたんやけど、外に行って充電切れてもうたらアカンし、光曰く、俺みたいな高度な人形が存在すると世間にバレたら研究材料とかにされて大変なんやて。
せやから誕生日でも特別な事は出来んけど、少しでも光が喜んでくれるように俺が出来る事は何でもしたい。
それが些細な事でも、きっと光は笑ってくれるから。


「よっしゃ、始めるで!」


手元のスイッチをオンにして、フローリングの床に掃除機を滑らす。
普段からこまめに掃除しとるから大きなゴミなんかは落ちてへんけど、今日は徹底的にやる為、ベッドを動かして普段掃除が行き届かない所を露わにする。
案の定、薄っすらと広がる埃が目の前に現れ、隅から隅まで眺め回した時やった。


「ん、何や?」


ベッドがあった場所の奥の方から、長方形の白い紙が床を滑って俺の足元で止まった。
埃をかぶったそれに手を伸ばせば、端の方にマジックで書いてある日付に気付く。
それは今から八年前の日付やった。
何かと思い手に取れば、普通の紙より少し固い感触。
何気なくその紙を裏返しにした俺の目に飛び込んできたのは、数人の眩しい程の笑顔やった。
黒い学ランを纏った男の子達が桜の花びらをバックにに満面の笑みでそこに写っていて、胸に花を付けた人達がちらほらとおって。

卒業写真…?

表面の埃を手でそっと掃うと一人一人の表情がハッキリと見え、そして。


「…あ…!」


思わず声が出て、俺はある一人の人物を凝視した。

黒い髪の毛、両耳のピアス。
周りの人と同じ服を纏って視線を向ける人物は、紛れもなく光本人やった。

これは…光の昔の写真…?

俺は裏の日付を思い返し、頭の中で年月を遡る。

八年前…。
光が中学生の頃や。

もう一度写真をひっくり返して、幼い光をまじまじと見つめた。

今の光に比べたら随分幼い顔をしとって、背も小さい。
生意気そうな目もこの頃の面影が残る。
綺麗な顔はこの頃からちっとも変わらない。
光は胸に花が付いてへんし、たぶん中学の先輩の卒業写真…そしたら光が二年生の頃のやろか。

そんな事を考えながら思いがけない宝物に自然と笑顔になり、初めて見る昔の光の姿に心を躍らせていた。

俺は三か月前からの光しか知らなくて、光の昔の写真を見つけた事による嬉しさの半面、とても羨ましくもあった。
光には積み重ねてきたものがっぱいあるけど、俺にそんなものは無いから…。

俺にはこの場所が、光が全てだから。

これからいろんな事を積み重ねていけばいい。


「…早よ帰って来おへんかな…」


さっき別れたばかりだというのに、一定のリズムを刻む時計に目を向けながら、俺は再び写真に視線を戻して。
そういえば光だけカメラ目線やないなぁなんて思いながら、何気なく写真の中の光の目線を追った。


「……え…?」


その瞬間、急に心臓が跳ね上がったような感覚に陥った。
あまりの衝撃に我が目を疑い、身体が固まって動かない。

俺の視線の先には光の横で笑顔でピースを向ける人物。

名前も、何も知らない人なのに…俺はその人から目が離せなくなっていた。


だって…

そこに写ってたんは…


「……俺…」


見た目は今の自分より幼く、そっくりとまではいかないが、他人の空似で済ませられる程のものやなかった。
卒業証書と書かれた紙を片手に持ち、誰よりも眩しい笑顔を輝かせるその人は光の視線に気づいてへん。

光はその優しく暖かい、大切なものを見るような目…、いつも俺を見る目で、この人を見てる…


…いや、違う…


この人を見る目で…俺を見てた…?





初めて会った時から疑問だった。

光は何で俺の事を『謙也さん』って呼ぶのか。
名前がどうこうって訳じゃなくて、『さん』付けされるのが妙やって思ってた。

光は俺の親みたいなもんやし、『さん』なんて付ける必要ないのにって。


でも、今になって分かった。



「…お前が…本物の"謙也さん"…?」


震えた声を発しながら自分に良く似た人物を指でなぞる。



光はどうしてこの人とそっくりに俺を作った?

光は俺を通して誰を見てた?

俺に向ける優しい目は、本当は誰を見てた?


…光の心の中に誰がいる?



それはきっと

俺やない…




写真の中で笑う人物のその屈託のない笑顔が、今では俺を嘲笑っているかのように見えて、急に目の前が真っ暗になる。






宝物だと思ったその紙は、俺から逃げるように手からスルリと滑り落ちた。







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