人形の想い人


目が覚めるとそこは真っ暗な場所だった。


どこにいるのか、誰といるのか…、そんな事すら分からない。

目の前を探ろうと手を伸ばしてみようとしたが、何かに抑えつけられてるように身体が動かず、唯一動くのは乏しい思考だけだった。

その時ふと、異変を感じた。

真っ暗な場所にいると感じたが、それは思い違いだったようで。
俺は目を開ける事すら出来ていないと、閉じられた瞼の感触で分かった。

だとすれば答えは簡単。
目を開けて置かれた状況を確認すればいい。

そう思って、とても重く感じる瞼をゆっくりと持ち上げようとした。

その時。



「……の………」



誰かが何かを言ってる声が耳に届いて。

でもそれは水の中で外の音を聞いてる感覚に近く、ハッキリと聞こえて来ない。


…誰…?

そう問いかけたくても、口はピクリとも動いてくれない。

だったら…と、もう一度瞼に力を入れて持ち上げたが、隙間から急に飛び込んできた眩しさに再び目を閉じてしまう。
長い間、暗い暗い洞窟の中にいて、眩しい出口に辿りついた時のように目が眩む。



「…俺…の………える…?」



え…

何…?


暗闇に反響する声に、俺はもう一度ゆっくり瞼を持ち上げた。
薄っすらと開いた瞼の隙間からぼんやりと目に飛び込んできたのは、今まで見てた暗闇とは対照的な白い風景。


それと…

その真ん中で小さく動く、人の姿。


霞んでいた視界が徐々に晴れ、完全に開いた目をその人物に向ける。


俺が見てた暗闇を彷彿させるかのような黒い髪と、その髪と同じ色の瞳。
両耳にはめられたピアスがその存在を痛々しく主張していた。



「…俺の声、聞こえとる?」



あぁ…

今度はハッキリと聞こえた


返事をしようとまた口を動かしたが、さっきより少し震えただけで思ったように動かず声も出ない。


どうやって伝えればいい…?

聞こえてるのに返事が出来ない…



「…まだ思ったように動かせへんか…」


俺の顔を覗き込みながら、目の前の人物はスッと手を伸ばし俺の手に触れる。
動かす事が出来ないその冷たい手を、彼は優しく握り締めた。


温かい…

気持ち良い…


触れる手の感触に思わず目を細めて、石のように固まった指先をピクリと動かす。
その小さな反応に彼は俺に向けて笑みを漏らし、そして唇を動かした。


「俺の名前は、財前光」



ざいぜん…ひかる…


心の中で復唱して、声に出してみる。
薄く開いた口から空気がヒューっと漏れ、言葉にならずに消えていき、俺はそっと目を閉じた。


聞いた事もない名前…

だけど、その名を口にしたくて、俺は何度も言葉を紡いだ。


「……っ…」


「…ひ……」


「ひ…かる…」


やっと出たのは掠れた声。

彼はとても綺麗な声で話すのに、何で俺はこんな声しか出ないんだろう…

目を開き、彼に視線を戻すと『ざいぜんひかる』と名乗る彼は、一瞬目を見開き、泣きそうな顔で優しく笑った。


「…せや、それが俺の名前」


そう言いながら、握られてる俺の手のひらに漢字の『光』という字を指で描いた。


「…光」


もう一度名前を呼ぶと、光は小さく頷いて俺の頬に触れる。
僅かに震える指先が肌に触れ、不思議に思って見つめると、その顔は何故かとても嬉しそうで…、それでいて、同じぐらい悲しそうだった。


「なんで…そんな顔……」


新しい言葉を口にしながら頬に触れる手に自分の手を伸ばしてみると、動かなかった手は自分の意思に従いぎこちなく動き出す。
あらゆる関節がギシギシと軋むように固く、手を開くのでさえ億劫だったけど、震える手にそっと触れる事が出来て、それだけで俺は嬉しかった。


「…なんでもあらへん、お前の目が覚めて嬉しいだけや」


光が悲しさを消して笑ったから俺はホッと息を吐き、改めて自分がいるこの空間を見回した。

少し広く感じるこの部屋には、初めて目を開いた時に見た白い壁。
装飾品は少なく、上の方でカチカチと音を立てる時計が目立つ。
カーテンが下がる窓の近くにはベッドがポツンと置かれ、テーブルの上に乗ったパソコンが淡い光を放って綺麗だった。
部屋の角から角に視線を向けると、ふと、大きなクローゼットの前に置かれた鏡が目に入って。
そこには『何か』に手を伸ばす光の姿が映っていた。

大きな椅子に座らされているその『何か』と目が合った瞬間、そこに映っているのは紛れも無く自分の姿だと分かった。

光の黒い髪とは全く違う明るい髪、はねた毛先がふわふわと揺れる。
光より大きい身体、たぶん身長も俺の方が大きい。

初めて見る自分の姿が時折恐ろしく感じるのは何故だろう…


………

…あぁ、そうか…


俺は、自分の事を知らない

自分で自分が分からない

だから…怖い…


…俺は…



「…俺は…なに…?」


鏡に映る自分の姿から視線をそらさずに、俺はポツリと呟いていた。

なに?なんて、自分の事を自分以外の誰かに聞くなんておかしい事なのかもしれないけど…
過去はおろか、数分前からの記憶しか無い。


…どうして…?



「俺は、何?」


今度は目の前の光にその言葉を投げかける。
光の真っ黒な瞳が真剣さを帯びて俺を見つめ、頬に触れる指に力が籠った。



「…お前は…俺が作った人形」


にんぎょう…?


「ずっと研究を重ねてやっと完成したんや」


そう言われ、自分の手を目線の高さまでゆっくりと持ち上げた。

人形と言われてもピンとこない外見と質感。
皮膚の上から血管だって見える。

これが…人形…?

自分の頭の中にある人形という概念とは全然違う。

俺は動く、話せる、考える…
そんなこと、人形に出来るんだろうか。


「人間に限りなく近い人形や」


俺の疑問に答えるかのように、光は表情を綻ばせて嬉しそうに話した。


「歩く事も、食事をする事も、考える事も…人間が出来る事ならなんだって出来るし、感情だってある…、一般常識程度ならデータを入れてあるから理解できてるやろ?」


理解…

確かに理解出来る

言葉や、その意味

在るべき物や、その価値

最初から何でも分かる



自分の事以外は…



「…俺は…何の為に作られたの…?」


分からない、それだけは自分の中に答えはない


そう問いかけると、何でも答えてくれた光は一瞬言葉を詰まらせて、俺の目をジッと見つめた。
何か変な事でも聞いてしまったんだろうか…と、そう思った時、急に頭が揺れた気がして思わず頭を抑える。
目の前の風景がぐにゃりと歪み、さっき開いたばかりの瞼が重くなっていった。


「…っ…光…?」


何が起こっているんだろう


ぼんやりと霞む視界の中で光は俺の首筋を優しく撫でて、申し訳なさそうに笑った。


「…充電、足らんかったみたいや」


そう言って、光は傍にあったコードを俺の耳の裏に持ってきた。
何か違和感のある感触に、自分でそこをなぞると、何かを差し込む金属の穴が開いていて。
光の言葉とコードから察すると、どうやら俺はここから充電するらしい。


電池切れ…


いよいよ意識が遠のいていく中、俺は耳元で動く光の手にあまり自由にならない自分の手を重ねた。

もう一つ、今のうちに聞いておきたかった。



「光…」


コツ…と、金属音が聞こえると同時に俺は掠れた声を絞り出した。



「俺…の…名前は…?」



人形として存在する俺

今は何も持ってはいないけど、次に目覚める時は自分の何かを持っていたい

俺が俺である証明が欲しい


光は何かを躊躇った表情を見せ、それを振り切るように笑みを浮かべた。



「…けんや、名前は謙也や」


遠くなっていく光の声。

でも確かに聞こえた、俺の名前。


けんや…



「おやすみ、謙也さん」


耳の裏でカチャリと音が聞こえたのを最後に、光の手の感触も、声も、もう何も感じる事は出来なかった。



次に目が覚めた時、光は俺の前にいるんだろうか…


そこで俺の意識は暗闇へと堕ちていった。






これが、俺と光の初めての出会いだった。







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