「はいこれ着けて。俺はモニタールーム戻るから」
「はい……って、え?何?」
「何てイヤモニやん。それないと俺の声聞こえへんやろ」

新番組の初回収録が一週間後に迫った日、俺は再び謙也さんに呼び出されていた。場所はテレビ局のスタジオで、時間は零時を少し回っている。
言われるまま指定された場所に向かった俺を迎えたのは勿論謙也さんだった。有無を言わさぬ速さで衣装に着替えさせられマイクも付けてスタジオに連れてこられて、何が何だかわかってない俺にイヤモニだけ押し付けて当の本人はさっさと身を翻してしまった。
謙也さんが消えたスタジオはしんと静まり返っている。照明も少し暗い。見れば、スタジオには一台の丸テーブルと椅子が一組あるだけだった。
仕方なくイヤモニを装着してスタジオの中央にある椅子に腰かけると、少しして耳元から謙也さんの声が聞こえてくる。

『財前?聞こえる?』
「……聞こえますけど。なんなんですかこれ」
『まぁリハーサルみたいなもんやん。ちょっとでも場の空気に慣れた方がええと思って』
「場の空気、て……」

思わず辺りを見渡して、思わず溜息が漏れた。慣れるも何も、共演者だっていなければ当然スタッフの姿だってない。この状況で一体何に慣れろと言うのかと呆れていると、謙也さんはそんな事どうでもいいという感じに勝手に話を進めてくる。

『どうその衣装。何個かあった中から俺が選んでんけど』
「どうて……まぁ、強いて言うならもうちょい地味なんが良かったですけど」

自分自身を見下ろしてそう言いながら、首元を締める控えめな蝶ネクタイを指先で摘まんで揺らして見せる。黒のタキシードは今まで仕事でも着た事がない代物で、少し気恥ずかしい感じがした。

『ええやん、似合てるし』
「はぁ、謙也さんがそう言うならいいんですけど」
『なんや財前最近素直やない?どうしたん、お得意のツンは』

聞き慣れた笑い声に少し張っていた心が解れていくのがわかる。本番でもないのに緊張していたのだと知って、同時に謙也さんの有難さを思い知った。
もう一度周囲を見渡して、当たり前に誰もいない事を確認する。誰もいない、謙也さんの姿すら見えないここならと、俺は小さく口を開いた。

「……俺、一年間この仕事して、ディレクターって立場がどんだけ大変なんか思い知ったんです。そら俳優業かって大変やけど、あんたはもう何年もこの仕事しとるわけやし」

寝る間もない日が何週間続く事も、自宅に帰る事が出来ない事だってざらにある職業。俺みたいな表舞台に立つ人間は、そんな人たちが居るからこそ飯を食っていく事が出来る。その上こうして仕事まで貰えた事に、感謝してもしきれなかった。

「やから、謙也さんの言う事やったら信じれます、俺」
『……財前…』

謙也さんに囁くように名前を呼ばれて、一気に照れが生じてくる。目の前にいないからいいものの、流石に少し恥ずかしくて無意味に視線を泳がせた。
そのまま暫く沈黙が続いてどうしたらいいのかわからずにひたすら服の裾を弄っていると、不意に謙也さんがもう一度俺の名前を呼ぶ。

『財前』
「なんすか」
『お前さぁ……俺の事好きか?』
「…………はい?」

あまりにも予想外の問いかけに暫し時が止まった。気がした。
ようやく一言吐き出しても、イヤモニから続く言葉は聞こえてこない。一度耳から取り外して三回振って、また戻す。そこでようやく小さな声が届いた。

『や……別に壊れてへんし』
「あ、良かった。……えと、で、なんでしたっけ?」
『やから、俺の事好きかって聞いてるんやけど』

先程より少し強めの口調で言われた言葉は、聞き間違いかと思ったさっきのものと全く同じそれだった。と、そこまで理解して何故か一気に顔が熱くなる。
「お前俺の事好きやなー」とか、そんな軽いノリの発言ではない、気がする。あえてそう受け取ったふりをしてほんまおめでたいっすねって返すのも手かもしれない。けれど、静まり返った空気にいつもの毒舌は少しも喉から出てこなかった。

「なに、を……言い出すん、ですか」
『あー、うん……もう言うてまうけど、俺はお前の事好きやねんな』
「え?」
『勿論そういう意味で、やねんけど』

そういう意味で、の意味がわからない程鈍感でもない。つまり要するに、謙也さんが恋愛対象として俺の事が好きという事であって。
そこまで考えてふと思いついた可能性に慌てて周囲を見渡すも、イヤモニから「隠しカメラなんか仕込んでないで」という呆れた声が聞こえただけ。これがドッキリかもという可能性は簡単に潰されてしまった。

『財前が驚くんも無理ないねんけど。ごめんな、ほんまやねん』
「ほんま、って」
『半年位前かな。お前の事好きって、自覚したん』

落ち着いた声音に聞き流しそうになりつつも、半年前という単語が引っ掛かった。今から半年前といえば俺と謙也さんは全くと言っていい程接していなかった期間に当たる。
なんでそんな時にと浮かんだ疑問が顔に出たのか、謙也さんは少し言いにくそうに言葉を詰まらせた。

『その……引かんとって欲しいねんけど、俺ちょっと変わってるらしくてな』
「はぁ……」
『この仕事の所為かわからんねんけど、いつからかモニター通してしか人の事好きになれんくなってしまってん』
「は……え?」

流れでしそうになった相槌が無意識に引っ込んで疑問の声が上がる。そこに謙也さんが居るわけでもないのにセンターのカメラを二度見して、大きく目を見開いた。
そしてそのまま絶句していると、謙也さんはもう隠す気もないのか次々と暴露話を続けてくれる。

『半年前お前映画やったやん、時代物。あれ見て俺、なんか凄いドキドキしてもうて』
「は、はぁ……」
『ぶっちゃけ殺陣のシーンで抜いた』

その言葉を聞いた途端、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走って視界が揺れた。咄嗟にテーブルに手をついて倒れるのは防いだものの、まだ焦点が定まらない。
時代物は確かにやった。殺陣のシーンも演じた。慣れない衣装と刀捌きに苦戦して相当努力した仕事なのでよく覚えている。
その映像で、抜いたと言われて。それも知り合いの同性に。動揺するなという方が無理な話だ、と思いたい。
そんな話を聞かされてなんと返事をしていいのかわからず、俺は頭を抱えて黙っている事しか出来なかった。

『まぁ、こうして言えるのも面と向かってないからやけどな』
「……えっと…」
『うん、もうええよ。その反応見てようわかったし』
「え?」

話の内容の割にどこか清々しい声が聞こえて顔を上げる。そうしたところで謙也さんの顔は見えないけれど、脳裏にははっきりとあの人の笑顔が浮かんでいた。

『ほんまはな、最近財前なんや懐いてくれてるし、素直やし。ほら、芸能界ってそういう話多いやん?やからちょっとでも脈あればなーと思っててんけど』
「謙也さん……」
『ディレクター席に座るとな、モニターを通じて色んな事が見えてくんねん。表情に寄っただけでそいつの思いや感情が手に取るようにわかる。困らせてもうたな』
「あ……いや、」
『あ!でも仕事持ってきたんは別の話やからな!そこは割り切って、その……そんな目で見られてて気持ち悪いかもしれんけど、一緒に頑張って欲しい』

多分、謙也さんは困惑する俺の為に精一杯いつも通りのトーンを保とうとしてくれている。でも、合間合間に聞こえる乾いた笑い声に心が少し軋む気がした。

『あー……悪いけど先出るわ。五分したら財前も着替えて帰りな』
「え?」
『ごめん、収録日までには普通になってるから』

ごめん、という言葉だけが重く響いて耳に残る。その声からは、明らかに落胆の色が感じて取れた。
このまま顔も見ずに別れて、それでも謙也さんは仕事になればいつも通りの笑顔で俺に接してくれるんだろうと思う。普通に出来ないのは多分、俺の方で。
そこから気を使って徐々に距離を取ろうとする謙也さんや、その度に心を痛めるだろう事を考えると、思うより先に俺は椅子から立ち上がっていた。







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