001
12/10/Sun
高校受験を目前に控えた、冬。
勉強を中断しリビングに行くと、夕食はまだ用意されていなかった。食卓テーブルの上には簡易ガスコンロが置いてある。
鍋だな。今週3回目。月曜日がキムチ鍋で水曜が水炊き。作ってもらう身分で文句を言うつもりはないけど、できれば今日の鍋も違う種類にしてもらえると有難いんだけど。
「ハヤト、勉強は順調?」
台所で野菜を切りながら、母さんが俺に尋ねる。
「特に困ってるようなことはないよ」
「それなら良かった。そういえば、マキノ君も隼人と同じ高校受けるんだって」
「牧野って誰?」
「覚えてないの?」
「全然」
「あんたは昔から人の名前はすぐ忘れるのよね…」
母さんが言うには俺とそいつは幼馴染らしく。知り合ったきっかけは母さんが講師をしていた児童向けの学習塾で一緒になったこと。
塾は自宅の一室を使っていたから生徒は少人数。当時小学生未満でその塾にいたのは牧野と俺2人だけだったこともあり、仲良くなった俺達は幼稚園時代によく遊んでいたそうだ。
全然覚えてないけどな。
小学校は向こうの親の転勤があって別になり、中学からはまた地元へ戻ってきた。母親同士は離れてからも細々と交流が続いていたらしい。
同じ中学か。牧野なんて名字の奴がいたかどうかわからないけど、きっとどこかにはいるんだろう。それにしても、まさか同じ中学で自分と同じ学校を志望している奴が他にもいるとは思わなかった。
俺の志望校、相凛学園は全国的にも有名な進学校だ。全寮制の男子校。うちの県からは結構離れている。
俺の学校は普通の市立中学。県内にもそれなりにランクの高い高校はあるし、こう言っちゃなんだけど、かなりの難関であるあの学校に挑戦しようと思える学力の奴が、自分以外にもいるとは驚きだった。
夕食後、クローゼットの奥にある昔のアルバムを探すと、少し埃を被った赤色の背表紙が目に入る。
懐かしいな。10以上年前か。そういえば俺、幼稚園はさくら組だったっけ。あ、この変身ベルト。気に入ってたのに今どこにあるんだろ。
どうでもいい思い出に浸りながらページをめくっているうちに、ふと、気になる写真を見つけて手を止めた。
「……これだ」
玄関の前、2人並んで写った写真を見て、わずかに残っている記憶が蘇る。
小柄で大人しくて。どこかに行くときはいつも俺の後ろを着いてきた。だけど勉強は俺より出来ていたと思う。
顔も。確かに似ている奴がいるな。同じクラスになったことはない。6組…とか、その辺だったかな。
牧野のことが気になった俺は次の日の昼休み、昼飯を食べ終えてから6組の教室を覗いてみた。牧野の姿は無い。その辺にいた友人の金山を捕まえて聞いてみると昼休みにはいつも教室からいなくなると言う。
ふーん。友達いないのかな。それか別のクラスに行っているのかも。
もし1人で過ごしているとしたら、そういう奴が時間を潰せる場所と言えば図書室あたりか。ここから離れてるから面倒くせぇなー…
「あ、いるじゃん。あそこ」
図書室へ向かうか迷っていると、金山が廊下の向こうを指差した。そこには美術室に入ろうとしている生徒が1人。
「あー…やっぱりあれが牧野か」
「お前知らないで探してたの?」
「そういうわけでもないんだけど。ありがとね」
不思議そうな顔をしている金山に礼を言って、牧野の方へと向かう。
長めの黒い髪。背はあまり高くない。小さい頃の写真で見た、小柄で華奢な印象は変わっていなかった。
「牧野!」
俺が後ろから声をかけると牧野は教室へ入る直前で振り返った。その顔を見て、面影は結構残っているな、と思う。
「……何?」
この瞬間俺は、軽い気持ちで声をかけてしまったことをものすごく後悔した。
それは俺を見た瞬間の牧野の表情があまりにも不機嫌だったから。
今まで生きてきた短い人生の中で人からこんなに凄い顔で睨まれたことがあっただろうか。
「何って聞いてるんだけど」
「いや、えーと。お前も相凛学園受けるんだって?」
予想外の牧野の態度に「久しぶり」とか「俺のこと覚えてる?」とか、そういう会話をすっ飛ばして思わず本題から聞いてしまう。
「受けるよ。だったら何?」
「何ってことないけど…。他にあんまりいないじゃん。受ける奴」
なにこれ。どうしよう。
俺はただ、同じ学校受けるんだねーって話をしたら、そうなんだ〜お互い頑張ろうね〜みたいな?社交辞令的な?そんな適当な感じで終わればいいやって考えていた。
ただの興味本位。俺の幼馴染だという、ある意味ライバルがどんな奴なのか見てやろう思った、ただそれだけだったのに。
「ただ聞いただけ?」
「別に…何がってことは無いよ」
「あっそ。わざわざ人のこと呼び止めて、興味もないくせに聞くんじゃねぇよ。あとお前にさっきみたく呼ばれるのも気持ち悪いし」
「気持ち悪いって…ただ牧野って呼んだだけで!?」
「その下の名前が嫌なんだって」
「下?」
「…ああそっか、もういいや。説明するの面倒くさいし」
苦々しそうな顔をさらに歪めて、牧野は美術室のドアに手をかけた。
「そもそも俺のこと覚えてないんだろ。お前は」
俺に向かってそう言い放つと、教室の中に入り勢いよくドアを閉めた。突然響いた大きな音に周りの生徒が振り返り、後に残された俺はあまりのことに呆然と立ち尽くす。
えぇー……
なんなのあいつ…!昔からこんなんだっけ?いや、そんなことないはず。だってあんな性格の奴と毎日楽しく遊べるわけがない。
「何であそこまで言われなきゃなんねぇんだよ…!」
全然わかんねぇ。別に仲良くしたくて話しかけたわけじゃないけど、ここまでの扱いをされると流石に腹が立つ。
「呼んだだけで気持ち悪いって無茶苦茶だろ。つーか下の名前って…?……あ」
そうだ。
そのとき突然思い出した。そうだ、違う。俺が間違えてたんだ。
「真木乃だ」
"マキノ"が名字みたいだから頭の中で勝手に置き換えてしまっていた。真木乃。これが下の名前だったんだ。
名前について勘違いしていたのは俺が悪いけど、それにしてもあいつの態度はひどかったと思う。虫の居所が悪かったんだろうか。だとしたらやつあたりもいいところだ。
「美術室に何か用?」
ドアの前で考え込んでいると、ふいに後ろから声をかけられた。振り向くと美術の藤吉先生が立っている。
「あ、いえ。なんでもないです」
藤吉先生は175cmの俺より頭一つ大きい。何気に女子に人気あるんだよな。この人。私服の先生が多い中で、藤吉先生だけはいつもスーツを着ている。30代後半のはずだけど、実際はそれよりもずっと若く見える。
「さっきのって喧嘩?」
「え?」
「あいつが美術部以外の同級生と会話してる所初めて見たから」
「真木乃のことですか?」
へー。あいつ美術部なんだ。どうでもいいけど。あの性格だもんな。思った通り友達は少ないらしい。
「喧嘩するほどの知り合いでは無いですよ」
「そのわりには名前で呼ぶんだ?」
「……はぁ」
なんだよ。だから何?
そうか。意味のあるような無いような、漠然としたことを言われると確かにちょっと苛立つもんだな。俺はあいつと違ってあんなに感情的になったりはしないけど。
そのとき、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。いつのまにかそんなに時間がたっていたのか。
廊下にいた生徒達がそれぞれの教室へ帰って行く。美術室へ入って行った真木乃は出てこない。6組は次の時間が美術なんだろうか。だけど他の生徒が来る様子はない。
「前澤、お前2組だろ。早く戻らないと5現目遅れるぞ」
俺にそう言うと、藤吉先生は美術室へ入って行き静かに扉を閉めた。ここから2組の教室は離れている。先生に言われた通り急いで戻らないと。
だけどなんとなくこの場から離れられずにいた。
ドアの向こうが気になる。
何か明確な理由があるわけじゃない。ふと感じた違和感、のようなもの。それが何なのかはわからない。
「……戻ろ。」
教室へ帰る途中に授業開始の5分前を知らせる予鈴を聞いた。余裕で間に合うな。大丈夫だ。
厚手のセーターを着ていても12月の廊下はひどく寒かった。冷たい階段を足早に通り過ぎる。
真木乃は今この瞬間、どこで何をしているんだろう。
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