漸く動き出す四月の始まりと、何処かの炎天下のアスファルト
2011年4月11日(月)
稲羽市にある八十神高等学校。
公立のハイスクールであり、稲羽市に住んでいる若者達は基本的にはこの学校に通うらしい。
クラスは各学年につき三クラスずつで、田舎と在学生の人数の問題。それから学校的に勉学の方にはそこまで力を入れておらず、、学校施設としてもプールが無く水泳の授業も無いのだとか。
在学生も高校から都会の大学への進学よりも、卒業後の進路は就職を選ぶ子が多いとも聞いた事がある。
稲羽市自体が田舎町というのもあるが、実家が自営業をしているという生徒が圧倒的多数を占めているらしく。
実際のところこの事を教えてくれた巽自身、実家は老舗の染め物屋をしている。
稲羽市中央商店街も、俺自身が来た当初と比べたらだいぶ寂れてしまったし。閉店してシャッターが降りっぱなしの店の数も日に日に増えていく始末だ。
それでも、その店を経営しているところに子供がいるという事は、少なくともこの少子高齢化の社会事情の中でも引き継がせる後継者が存在してる訳で。そういったところは崖っぷちを必死にぶら下がっている様な状態でも尚、何とか耐えているといったところか。
あぁ、何で在学生でもなければ卒業生のOBでもないのに八十神高校に関して、妙に詳しいのかというと巽の入試勉強に付き合っていたからなんだな。
後おまけに追加で言うと、現在進行系でお世話になっている四目内さんのお孫さんが今中学三年生になったらしく。
その子が結構おじいちゃんっ子のようで、可能ならば高校は四目内さんが住んでいる稲羽市に引っ越してそこの公立高校に通いたいと考えているんだとか。
最近の男の子の割には、ちょっと意外で驚いたのを覚えてる。
あ、ちなみに巽は無事に八十神高校に受かったそうだ。
俺個人の連絡先は知らないが、勤め先である四目内堂書店の連絡先は知ってるてんで。まさかの職場に高校合格の連絡が来たからな。
職場の電話を通して俺が指名される事ってのが、この二年で初めてだったもんだから四目内さんに呼ばれた時は大いに焦ったもんだ。
何なら思わず吐きかけたからな。
「おう、今日も精が出ているようだな」
「あ、刑事さん。ども」
夜からは雨が降ると天気予報のお姉さんが言っていたのを思い出して、今の間に普段外に出しっぱの用具等を中に入れておこうかと思っての行動だった。
四目内さんもそこそこのお年な訳で、こういった事は若者に分類される俺が率先してやるんだが。
曇ってて、そこまで暑くなくてラッキーと思いながら。向かいにある電柱の側に、ここいらでは見かけない少女が立っているのを視界の端に入れつつ、荷物をガタゴト言わせていたら背後から、最近聞き慣れてきた声がした。
それが、刑事の堂島さんだった。
「こんにちは、姿は見えないですが菜々子ちゃんとお出かけですか?」
「あぁいや、今日は甥が都会から引っ越してきてな。その迎えの途中でガソリンを入れに来たんだ」
「この時期に引っ越し、ですか……」
「姉貴の子なんだがな、両親揃って海外に一年程の赴任が決まってしまったらしくてな」
「……うわぁ、それは甥っ子さん。お気の毒様でした、いや、お疲れさまでしたがいいのかな?」
少しだけ顔を覗かせて隣のガソリンスタンドの方を見てみれば、あのガソスタの店員さんが丁度、甥っ子さんらしき青年と握手をしているところだった。
あれ、あの店員さんって基本的に殆どのアルバイトさんが嫌う、雨の日を中心として表に出てくるのに珍しく今日外に出てるや。
いや、確かに予報では今日は雨ではあるけれど。でもそれはあくまでも夜が更けてからだし。
今は確かに少し薄暗い程の曇天が空を埋め尽くしてはいるけれど。それでも曇空ってだけで、むしろ個人的には快適な温度だったりするんだが。
「あの、青年がそうですか?」
「おう。結構なイケメンだろ」
「いや全くもってその通りで。……何で俺の周りってこうもイケメンが多いんだよ、この顔面格差社会がマジで辛すぎる」
「はははっ、お前さんがそれを言うのか」
咥えていた煙草を手に持ち直し、煙を吐き出しながら反対の手で人の頭をわしゃわしゃと撫でてくる。
娘さんがいるからか、最近面倒ながらも後輩が出来たからなのか、意外にも誰かの頭を撫でるのが上手いんだよなこの刑事さん。
てか、人がボソッと小さな声で呟いたものをご丁寧に拾わないでください。元引きニートにそれをされるとどうすりゃいいのか未だに分からないんで。
「っと、そろそろ満タンになった頃合いか。じゃ、俺は行くわ」
「いつも当店を御贔屓にどうも」
「じゃあな、また今度菜々子にせがまれたら頼むわ。あぁもしかしたら、甥も世話になるかもしれん」
「えぇ、四目内さん共々、またのご来店をお待ちしております」
後少しだけ長さを残していた煙草を一気に吸い込み、内ポケットから携帯用の灰皿を取り出してそこに仕舞い込んだ。
流石は刑事さん、煙草の吸い殻のポイ捨てなんて事はしない。いや、仮に目の前でされてしまったとしても俺が困るだけなんだが。
そんな事をされたとして、どんな顔をすればいいのか分からないし。ちなみに、「笑えばいいと思うよ」とかよく聞くあれやそれやは今はいいんで、はい。
そうして、ガソリンスタンドの方へと姿を消していった刑事さんを見送っていれば。つい先程まで姿が見えなかった娘さんの数型がチラッと見えた。
向こうもこっちに気づいたからか、手を振ってくれた。ので、思わずそれに対して手を振り返せば、嬉しそうな顔をして車に乗ってそのまま走っていった。
「……都会から甥っ子さんが一年程、身内以外に知り合いがいない田舎町で、ねぇ」
大変そうな話だ。
でも、まぁ……。
身内も知り合いも人っ子一人おらず、知った土地名も電子の海を彷徨っても見つからない。
何なら、戸籍も金も無い孤立無援状態に陥る訳ではないからマシ……と言えるだろうか。いや、戸籍と金に関しては何故かどうにかなっているんだけどな。
でなきゃ、今俺が住んでいるあのマンションは本当にどうなっているのか未だに全くもって分からんし。俺名義でローンとか全部払い終わっている事になっているから、月の出費に関しては電気代とかガス代とか水道代とか、スマホ代とか食費関係だけで済んでいるし。
いい加減ここいら辺りもどうにかして、突き詰めなければいけない問題だよな。
現実逃避のし過ぎで、ずっと放置していたし。
ふと空を見上げれば、曇天の色がいつの間にか鈍い鉛色に染まっていた。
まだ幾分か明るかった筈の外はまだ夕方の五時過ぎだというのにも関わらず、かなり暗くなったようにも思える。
何なら現時点でほのかに雨の匂いがする様な気もする。
「……そういえば、結局あの少女も引っ越してきた人だったのかな」
刑事さんに話しかけられる前に少し気になっていた、あの少女はどうしたのだろうか。
店の中に入る前に、最初に見かけた向かいの電柱の方を探してみる。が、それらしい少女は見当たらない。
バス停の方角、ガソリンスタンドの影。一応反対方向の商店街の北側の方も視線を向けて覗いてみる。が、やはり見当たらない。何ならいつの間にかあのガソリンスタンドの店員の姿も見当たらないし。
見当たらないからといって何だと言われても、何でも無いとしか言えないのだが。
……強いて言うならば、本当にこの田舎町では見かけない格好をした少女だった。真っ青な帽子と大きめのショルダーバッグ。随分と目につく見た目だった。
都会の方だったら、仮にすれ違ったとしてもそこまで目についたりはしなかったのだろうか。
「ま、"目を奪う"事に関しちゃ、[[rb:妹 > モモ]]以上の奴なんかいないか」
ただ、街中を歩くだけで周囲にいる老若男女の視線を奪ってしまう程の力を持っているのが。妹のモモなのだから。
ただ見た目が、この田舎町では似付かわしくないというだけで。ふと徒人の俺が気になったという程度なのだから、そう大した事はない、筈。
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