> Part.2静雄 声が聞こえない





 さぁ、と風が吹く。緩やかなそれに誘われるように視線を向ければ、誰が開けたのか分からねぇが、窓が開いてた。温かい日差しが壁もベッドもなにもかもが白いこの部屋の中に差し込んでくる。決して肌寒くなく、かといって暑すぎない春の陽気は眠気を誘った。
 そんな穏やかな気候に似合わねぇこの白い世界の中、唯一うっすらと色のついた服を着た臨也がベッドから上半身を起き上がらせていた。
 俺の方を向こうとしても、目の上に包帯が巻いてあるせいで何も視えねぇんだろう。目線がずれていることに俺は何も言わなかった。臨也本人だってそれを指摘されたくはねぇだろうし、俺もなんて声をかけてやればいいか分からなかった。どこかずれた方を向く臨也との会話は、そうやって一時間前から延々と続いてた。
 身体中の至るところを包帯や湿布で覆ってある臨也の姿を見る度に、歯を食いしばって己の無力さをやり過ごす。過ぎたことだ、といくら思っても苛立ちは消えなかった。
「――――――、――――――――――――――」
 臨也が何かを話してる。だが、何を言ってるのか俺にはさっぱり分からねぇ。ただいつも通りの、あの人を見下すような笑顔が痛々しくて見てられなかった。思わず顔を逸らしそうになったが、そんな権利が俺にあるとは思えず、言葉を紡ぎ続ける口元を見ることしかできなかった。時々しか閉じない口は疲れねぇのかと心配になるほどに、べらべらとお喋りを繰り返してる。
「―――――――――――――――、――――――。―――――――――――――。―――――。―――――――――――――、―、―――――――――――――? ――――――――――――――――――――――――――――――――」
 時々指をくるくると回して何かを話す臨也に、俺は相槌を打つタイミングが掴めなかった。変に口を挟めば聞いてねぇことがバレちまう。それは避けなけりゃならなかった。
 臨也には、できれば知られたくねぇんだ。
 俺の救われねぇ病状なんて。


***


 音が、死んだ。
 あれだけうるさかった音が、綺麗さっぱり消えちまった。世界が静まり返って、耳鳴りがしそうなほどの静寂が俺を包んでくる。
 最初目が覚めた時はまだ麻酔が効いてたのか、現状がはっきりと掴めなかった。ぼんやりとした頭じゃ音が聞こえねぇなんてことはさしたる問題じゃなくて、ただここはどこで、俺はどうしてこんな場所で寝てるのか理解が追い付かなかった。
「――――――――――――――。――――――――」
 首を横に向ければ、霞んだ視界が捉えたのは翻された薄いピンク地のスカートで、鼻につくようなこの匂いは、小せぇ頃から慣れ親しんだ病院のそれだった。
 ここはどこか、は分かった。
 じゃあ、なんで俺は病院なんかにいるんだ? 徐々にピントが合い始めて、靄がかかってた思考も戻ってくる。それと同時に押さえられてたわずかな記憶が雪崩れ込んできた。
 街中を臨也と喧嘩し合いながら池袋を歩いてたんだ。いつも通りの日常が繰り広げられるだけのはずだったのに強制的な意識の遠退きを感じたと思ったら、次に起きた時には薄暗くて汚ぇ場所に早変わりしてやがった。
 朦朧とする、瞼を閉じりゃすぐにでもまた闇に突き落とされそうな状態で目にしたのは、頭から血を流しながらも必死で抵抗する臨也の姿だった。

「ズ、ちゃ……に、手……すな!」
「いい加減黙りやがれ!」


 思いっきり鉄パイプを肩に振り下ろされて、嫌な音がそこから広がった。
 なんで臨也は暴力を振るわれてるのか、理解ができなかった。けどそんな光景を見せられて怒るなって方が無理だろ? まだちかちかと明暗を繰り返す視界をどうにかしようと頭を振って、
 腕に何かを指された。
 良く見りゃそれは注射針で、中に入っていた液体が静かに血液に投与されていくのを、俺は黙って見つめることしかできなかった。
 全てが入り込んだ瞬間、ぐらりと頭が重くなった。気持ち悪いほど周囲がぐるぐるとして、吐きそうだった。
「ったく、薬は高ぇんだからよぉ、変に起きてくんじゃねーよっと」
 後頭部を硬い何かで強打されて、俺はまた意識を失ったんだんだろう。確証はねぇけどそれ以降の記憶がねぇんだから、多分。
 あぁそうだ。そうだった、思い出したぜ。あいつら臨也を殴りやがった。そんで俺が病院にいるのも奴らのせいだよなぁ……!? むかつく、臨也をやった時点であいつら即死決定だ。万死に値する。
 記憶を辿って行く内に起き始めた脳はもう普通に活動を開始してたから、俺はすばやく起き上がってそのまま病院内を後にしようとした。
 その直後だ。いつの間にか、新羅と門田が目の前に立ってた。
 いつ入って来たのかも、まったく分からなかった。一切音がなかったんだから分かるわけがねぇだろう。
 二人共やけに真剣な表情をしてた。新羅なんかは辛そうに顔を歪ませていて、それが胸に不安を呼び寄せた。
『静雄、具合はどうだい?』
 不審がってる俺に、新羅はセルティが携帯してるのと同じ型のPDAを突き付けてきた。
『質問に答えてくれ、静雄』
 有無を言わせずにもう一押しされたPDAに俺は素直に返答を返した。
「……あぁ。もう俺は大丈夫だ」
 先ほどの怒りは突然のこいつらの登場で行き場をなくしてたから、落ち着いた声で確かにそう言った。そこで初めて、自分の身に異常なことが起きていると理解出来た。
 自分の声がやけに反響した。耳栓でもしてるみてぇに声が内に籠って聞こえる。
 なんだ、これは?
 唖然としている俺を後目に、新羅はPDAにまた文字を打ち込み見せてきた。
『静雄、どうか暴れ出さないで聞いて欲しい』
「……」
 自分の声が妙に響くことが気持ち悪くて、俺は押し黙った。それを了承と取ったのか、また引き戻して文を作っていく。
『君はもう、自分の異常に気付いたね? ……音が、聞こえないだろう?』
 ぞく、と背筋が粟立った。読みたくねぇと、反射的にベッドを持ち上げて攻撃しようとしたところを後ろから門田に押さえつけられる。
「やめろ、放しやがれ!」
 確かに吐いた言葉は、俺が作る音以外何もない、無音の世界に吸い取られてく。
 門田に思い切り拳を振り上げて威嚇したのに、あいつはびくともしなかった。なんだよ、普通俺が腕振り上げたら周りの奴は一目散に逃げていくのに。だから手前も逃げろよ何やってんだよ早くどっか行けよ……!
 止めろ、俺は見たくねぇ。意味のない咆哮を上げても、二人は辛そうに俯くだけだ。必死に門田の腕を振り払おうとしても、強い力で抑えつけられて解けなかった。自販機だろうがバイクだろうが簡単に持ちあげられるってのに、今は人間一人どうにもできねぇ。
 一瞬の隙をつかれて門田に顎を掴まれ、PDAに焦点を当てられる。新羅の打った文字が目の前に迫って来るのを止められねぇ。
 止めろ。
 止めろ。
 ヤメロ。
 そんなんじゃ、
『鼓膜が破れているんだ。……今の君は聴力を失っているんだよ』
 そんなんじゃ――。


「シズちゃん、」


 あいつの声が、一生聞こえねぇじゃねぇか。





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