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 あくる日、九月二日の朝六時。

 ヒソカと別れた後、路地裏で膝を抱えて夜を明かしたミズキは、集合場所のサンフットビルのロビーへと憔悴しきった身体を引きずって向かった。ヒソカと居た時にはすっかり姿を消していた亡霊どもはヒソカが居なくなった途端にまた現れ始め、ミズキはヒソカとのやり取りのこともあってほとんど睡眠を取ることが出来なかった。ミズキの顔はげっそりとやつれていた。

 しかし、そこに集まっていたオブジェクトホワイトの面々も、ミズキと同じくらい――あるいはそれ以上に青い顔をしていた。人数は目測で二十人弱。当初の人数より大幅に減少している。昨日の襲撃に巻き込まれて死んだか怪我をしたか、恐れおののいて逃走したかのどれかなのだろうとミズキは思った。

「お前たちの今日の仕事は、イベント会場の再設置と運営の補助、そして空いた時間は参加者の勧誘だ」

 軍服のような出で立ちのままロビーに現れたヴォルゲンは教官のような威圧的な口調でミズキたちに告げた。てっきり、昨日の荒野での後始末をさせられると思っていたミズキは告げられた仕事内容に拍子抜けした。

「おい、ちょっと待てよ。後片付けはやらなくていいのか?」

 疑問をそのままヴォルゲンにぶつけると、死体の後始末は検証を兼ねてオークションの統括を任されているヨルビアン地区が担当して行うことになったと、返される。
 正直、血の匂いの充満しているあそこにはもう行きたくないと思っていたミズキにとってそれは願ったり叶ったりの話であったが、その話を聞くと同時にミズキの中に一つの疑念が浮かんだ。


『対応が早すぎる』


 昨日の戦闘で受けた打撃は、かなり大きいはずだった。オークションの品物は盗まれ、陰獣の半数が殺され、戦闘員も大勢死んだ。ミズキの知らない間に敵を捕らえてオークションの品物も既に取り返している可能性も考えられたが、数時間前にクラピカの仲間が「旅団の11番が逃げ出した」と言っているのをミズキは聞いている。敵は未だ逃げたまま、お宝も高確率で行方知らずのはずである。

 それにも関わらず、上の連中たちは、下位組織の十や二十が壊滅してもおかしくないほどの金銭的人材的ダメージを感じさせずに、戦闘から六時間も経っていない翌朝のこの時間にもう、後片付けどころか次の指令までを末端のミズキたちにまで行き渡らせている。相当な統率力と言えた。

 誰のどの意見を採用するかで大摩擦となるメンツを重要視するマフィアの世界で、これほどまでに迅速に対応が取れるものなのだろうか。

「なんだ、この違和感は……」

 三日と空けずに連絡をよこしていたジョンは、ミズキがヨークシンに到着して以降全く接触をしてこない。いつもなら二ヶ月先の予定まで入れられるはずのミズキのスケジュールは、ヨークシンオークション以降空白のままである。ジョンのそれは、まるでミズキをヨークシンに寄越したことでその役目を終えたかのような態度であった。

 『誰』の『どんな思惑』で『何が』起こっているのか。今のミズキには分かりようもない。

 しかし、昨日の幻影旅団の襲撃でさえも『誰か』の考えた筋書きの一部なのではないか――そんな突飛な考えが頭をよぎって仕方がなかった。

「ンなことあるわけねぇよ……だって、ヨークシンオークションだぜ? 大陸をまとめるドンが十人も集まって取り仕切る……世界中のマフィアが集まる一大イベントで、A級首がだぜ……んな、まさか……なぁ」

 ヴォルゲンの指示で乗せられた、次の仕事を行うイベント会場に向かう古びたボックスバンの中で、ミズキは浮かんだ考えを打ち消すかのようにひとり呟き続けたが、それでも嫌な予感が消えることはなかった。


「着いたぞ」


 不意に声を掛けられ、ミズキは顔を上げた。

 ボックスバンが止まったのは、ヨークシンシティに複数ある繁華街のひとつ「ダイマルストリート」の中にある、「スクエア・リミテッド」と言う名のクラブハウスであった。既に停車していた軽トラックから、脚立や工具を取り出したりと、作業着姿の男たちがせわしなく動き回っている。

「本来なら、今日の夜、ここで無差別格闘試合が行われる予定だったが、計画が大幅に変更となった。会場の再設置については、中にいるモンブランという男の指示に従え」

 運転席にいた男に促されて会場の中に入ると、そこはタバコやアルコールの匂いの漂う広い空間があった。ぐるりと見渡すと照明の消えたダンスホールや酒瓶が所狭しと並べられたバーカウンターが目に入る。営業を終えたごく普通のクラブハウスにようだとミズキは思ったが、作業着姿の男たちが出入りしているのはさらにその奥であった。

「この奥だよな……?」

 車から降ろされた他のオブジェクトホワイトの面々二十人と顔を合わせながら奥に進み、その先にあったエレベーターに乗り込んで階下ボタンを押す。そうしてミズキたちオブジェクトホワイトが辿り着いた先にあったのは、巨大な地下ホールであった。
 天井の低い体育館のようなその空間の中央にはローブの張られた格闘技用のリングが設置されており、その周囲には階段状に客席が並べられており、その上空にはおそらく参戦者と見られる男たちの顔写真入りの巨大パネルや対戦表がでかでかと飾られている。

「すげぇ広いな……」
「ああ、地下にこんな広い空間があるだなんて外からじゃ全く分からねえぜ」

 エレベーターからのそのそと降りて口々に喋っていたオブジェクトホワイトの面々に、突然怒号が降り注いだ。

「お前ら、ンな邪魔くせえ場所でくっちゃべってんじゃねえ! 時間がないんだ、とっとと手伝わんかっ!!」

 声の主は、いかにも親方といった風情の、頭にタオルを巻いた作業着姿の中年男で、名をモンブランと言った。

「そこのデカい三人、お前たちは東側の電光掲示板を降ろす作業を手伝え。そこの二人、お前たちは会場中に貼られているポスターを剥がせ。そこの四人、お前らは中央にあるパネルの解体を手伝え。残りは中央に山積みになっている廃材を裏口から運び出せ」

 男は口早に作業の分担を割り振るとすぐに作業に入るよう強い口調で言い放った。

「会場の整備に使える時間は、十時までだ。あと三時間しかねえ。さあ、さっさと作業に取り掛かれ!」

 ミズキたちはその声を合図に蜘蛛の子を散らすように散らばって各々命じられた作業に取り掛かった。



「……あれが例の子供かい?」

 まもなく十時になる頃合い、会場全体が見下ろせるVIP室に二人の男がいた。ひとりはベレー帽を目深く被った軍人風の出で立ちで、もうひとりはスーツをきっちりと着た体格の良い男で、ちょろちょろと会場内を動き回っているミズキを温度のない瞳で見下ろしていた。

「……思っていたより随分と可愛いじゃないか。……少し、『彼女』に似ている」
「可愛い? あれが?」

 ベレー帽を目深く被った男――ヴォルゲンがため息混じりに言葉を返す。

「ああ、アレの管理を任せていた男がね、ことあるごとに『くそ生意気なガキだ』『可愛げの欠片もない』と言っていてね、てっきりヤンキー崩れの柄の悪い男を想像していたのだよ、私は」
「任せていた男って、あのジョンだかショーンだかって言う金勘定に細かい陰険そうな奴のことですかい?」
「ははっ。そうだ、その男だ。彼は随分と……そうだね、念を知らない使い捨ての駒としては、かなり良く働いてくれたよ」
「こりゃまたはっきりと言うこった。そいつ、俺と昔会った時、あんたから貰った腕時計を『俺が一番信頼されている』と言わんばかりに俺に見せつけて威嚇してきたって言うのに、ねぇ?」
「いやいや、ヴォルゲン君。我々が欲しかったのは次へと繋がるコネクションだ、あの男自体に大した利用価値はないことは君も分かっているだろう?」
「面倒臭い雑用を押し付けていたくせに、あんたって人は全く……」

 ヴォルゲンはもったいぶった動きで、大げさに肩を寄せてみせる。

「そうそう、それよりあんた。十郎頭との折衝はどうなっとるんで? さっきも十郎頭に電話してましたよなぁ?」
「ああ、問題ない。全て上手くいっている」
「本当ですかい? 自分で手配しといて何だが、俺にはわざわざこの会場を手直しする必要が全くもって分かんなかったんだがねぇ。だってあんた、これからゾルディックに依頼をかけるつもりなんでしょ?」

 夕方五時。この会場では賭け試合を変更してとある『条件競売』が行われる。それは顔の判明している幻影旅団の団員に一人頭二十億ジェニーの懸賞金を掛けるという、『鬼ごっこ』の名目で行われる条件競売であった。

「おや? 君にはこの会場を再設置する目的を話してなかったかね」
「ああ、言ってなかったねぇ。ただ、あれこれと指示をするだけでさ。昨日はあんた、あと一時間でこっちに来るって言ってたくせに六時間近くも俺様を待ちぼうけさせたんだから、その辺を懇切丁寧に説明してくれたっていいでしょうに」
「その件に関しては、旅団の襲撃状況を確認しに行ったり折衝をしに行ったり、のっぴきならない事情があったと説明したじゃないか。なかなか根に持つ男だね、君は」
「ふっふ。執念さにかけては誰にも負けないモノを持ってるんでね、俺は」
「……まあ、いい。私も君の呈した疑問同様、この条件競売で奴らが捕まえられるとは思ってはいない。最終的に奴らを仕留められるのは、プロの暗殺者だけだ……。しかしながらね、この会場を再設置させたのには四つほど理由があるのだよ」
「……ほう」
「ひとつ目は、彼らのをメンツを保つためだ。――そう、昨晩の幻影旅団の襲撃で、コミュニティーの連中は少なくない犠牲を払った。彼らは己の手で報復をすることを好む。上司や部下、同僚を失って怒りに沸き立っている彼らに報復の場を与えなければ、その怒りはいずれ良くない形で噴出するだろう。そしてふたつ目は――」

 男はヴォルゲンに向かって指を立てる。

「上層部の――十郎頭たちの威厳を示すためだ。彼らは今、困難の最中にいる。会場に集まっていた各組織のトップ陣が殺され、競売品は盗まれ、指示系統はぐちゃぐちゃとなっているのだから当たり前と言えるがね。こんな状況で指示が後手後手になっていたら、マフィアンコミュニティー自体が瓦解しかねない。こんな状況で各組織が上を目指す戦国時代になんかなったら面倒だからね、上からの明確な指示ってのは重要なのだよ」
「ふーん、そんなもんなんですかね」
「そんなものさ。そして三つ目は――人員的な問題だ。このヨークシンには、今、コミュニティーの人間がたくさん入り込み、さらにはヨークシン市警を動かせるツテが我々にはある。だがね……陸・海・空、全てを封鎖できるほどの人員ではないのだよ。これでは幻影旅団に逃げる隙を与えてしまう。しかし、こうやって法外的な懸賞金を掛けたらどうなると思う? 金に目がくらんだ連中が外に外にと声を掛け、そこら辺を歩いている一般人までもが優秀な監視カメラの役目を担うようになるのだよ。そして四つ目は――」

 男はにやりと挑発的な笑みを顔に浮かべた。

「奴らへの挑発さ」
「挑発?」
「奴らは競売品を全て手に入れた。しかし、それは一日目の競売品の品の過ぎない。『我々は徹底抗戦をする』『お前たちを全部引っ捕えて二日目のオークションをつつがなく行うつもりである』、そういった意思表示をすることで奴らを明日のオークション会場に誘い込む。そんな意味合いもあるのさ」
「……そう上手くいきますかね?」
「確率は半々くらいだ。しかし、四つ目はおまけに過ぎないのでね、上手くいっても上手くいかなくても問題ないのさ。何よりも重要なのは情報を流すことで奴らの行動を狭めることだ。逃げるにしろ再び襲撃を掛けてくるにしろ、奴らはこちらの出方を伺ってから行動を決める。そういうことの出来る頭のキレる奴があの集団の中にはいる。――そう、私の直感が告げているのさ」
「そういうことだったんすね、分かりやしたよ。……そろそろ時間だ。俺はあんたの指示通り、下にいる連中に『人集めをしてこい』って伝えるが、それでいいんですねい?」

 ヴォルゲンがそう言った瞬間、会場に設置されている時計が十時のチャイムを鳴らした。

「ああ、オブジェクトホワイトの面々は、人選は君に任していたが――どれもが大なり小なり裏にツテのある人間だ。奴らに声掛けをさせればコミュニティーとはまた違った人間たちが集まってくるだろう。『鬼ごっこ』に参加する人間たちの層は厚みがあればあるほど効力を増す。しっかりやってくれたまえ」
「あいあい。了解しましたよっと」

 ヴォルゲンは手をひらひらと後ろ手に振りながら、VIP室を後にした。





『夕方五時までに一人頭五人を目標に勧誘してこい。勧誘する人物の条件は、ある程度裏の世界に理解のある人間であること。最低限の肉体的強さを有していること。以上だ』

 それが会場の設備を終えたミズキたちに下された次なる指令であった。勧誘した人間ひとりにつき10万ジェニーのボーナスを支払うとの話に、集まったオブジェクトホワイトの面々は色めき立っていた。
 それもそのはず、ヨークシン界隈で裏の仕事をしている人間にとっては、裏繋がりの友人知人に声を掛けるだけというまたとない金稼ぎのチャンスであったからだ。

「チッ、そんなツテ、大陸を越えたヨークシンに持ってるわけねぇよ……」

 ジョンに丸め込まれていた事実を知ったミズキは、もう、アマンダをもてあそんだ人間の抹殺以外に興味はなかった。今さら金稼ぎに必死になる必要もない。しかし、アマンダに繋がる最大の可能性も持つ人間――ジョンが媚びへつらっていた『ヨークシンオークションで何かを企んでいる人物』に肉薄できるこの機会で手を抜くわけにはいかなかった。
 懐に入り込むためには何が何でもヴォルゲンから下された条件を満たして『使えるやつ』だと認識させる必要がある。

「あ! 待てよ、いるいる。条件にピタリと合う奴らがいるじゃねえか!」

 思い巡った末にピコンと何かを思い付いたミズキは、近くにいた「いかにも裏社会の人間です」といった風貌の二人に交渉を仕掛け、地下ホールの出口からその二人を引き連れて勢いよく飛び出していった。

 そうして到着したのは、昨晩、セメタリービルが襲撃される前に見廻った、あの場所であった。


「おー、おー、やってるやってる」


 セメタリービルから1キロほど離れた街角のその場所には、昨日と同じく人だかりが出来ていた。壁際には木製の四角いテーブルと二脚の椅子。奥側の椅子にはツンツンヘアーの少年が座り、その隣には黒い小箱をうやうやしい手つきで持つ銀髪の少年がおり、棒切れをマイクのように口に当てて騒がしく呼び込みをかけているサングラスの青年がいた。

「あー! お前は、昨日のクソ生意気なガキ!!」

 人垣の中にミズキがいることを見つけた銀髪の少年――確かキルアと呼ばれていた――が、ミズキを指差して大声をあげた。

「なんだよ、また許可を貰えだのなんだのイチャモン付けてくる気か!?」

 喧嘩腰に食いかかってくるキルアをフンと鼻で笑うと、ミズキは人混みを掻き分けて前へと進んだ。途中、「あいつ、確か昨日五百人抜きしたらしいぜ」だの「ゴリラに育てられたサル人間らしいぞ?」だの「あの子供、腕相撲なんかしたら病院送りにされるんじゃないか?」だのとの野次が聞こえてきたが、ミズキはその全てをはねつけて、キルアの前に躍り出た。

「ははっ、今日来たのは別件だ。――お前らに実力があるのかどうか見に来てやったのさ」

 憎たらしい目つきでミズキを睨みつけてくるキルアに、ミズキは余裕綽々な態度で顎をしゃくる。その時、アナウンス役のサングラスの男――レオリオの目が妖しく光ったのをミズキは見逃さなかった。
 ミズキの予測に間違いがなければ、今からする提案は双方にとって有意義になるはずだ。しかし、まずは、周囲を納得させるためにもパフォーマンスをしなくてはならない。

「腕相撲、やってるんだろ?  目の前に腕相撲をやりたがっている人間がいるんだ、さぁ、条件競売を始めようじゃねえか」

 テーブルを囲む野次馬がざわりと声を上げる中、ミズキとゴンたちの間に冷たい空気が走った。





[19.9月2日 2/7 ]


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