「お兄さん、ちょっと寄ってかない?」
客を捕まえるまで碌な休憩も取らせてもらえないのだろう。
濃いクマをつくり、血走る瞳でそう声をかけてくるキャッチを片手で制し、ご苦労様と声をかけ、男は人通りの少ない小道へと入っていく。
薄暗い階段を登り、寂れたビルの一室へとやってきた。
「遅かったじゃねぇか」
そこには一人の男がいた。
高そうなスーツを着た三十歳半ばくらいの男で、やっと肩につきそうな長さの髪を後ろで束ねている。
スーツの男は椅子に腰掛けて
にやにやと人の悪そうな笑みを浮かべていた。
「モノは?約束通り持ってきたんだろ?」
客人の男は挨拶がてらうっすらと微笑むと、小さな小瓶を取り出した。
中には金色の糸のような物が、一束詰め込まれている。
客人は薄い笑みを貼り付けたまま、スーツの男へそれを差し出した。
「名残惜しいなぁ。綺麗なその髪の毛、ボクは気に入っていたのだけど◆」
「気持ち悪りぃこと言うんじゃねぇよ。これは大事な計画に必要なだけさ。だから上のヤツらもお前さんに依頼したんだろうよ。どうだ?警備員って仕事は。退屈か?」
「計画ねぇ…。中々乙なモノだよ。生徒達はみんな可愛いし中には美味しそうな逸材もいる。選別するのは楽しいね」
「相変わらず悪趣味なこった」
スーツの男は小瓶を受け取る代わりに分厚い封筒を差し出した。
「受け取れよ、上からだ。引き続き頼むだとよ」
「どうも。ただ、ここまで協力してあげてるのに何の情報もナシっていうのはどうなんだい?ボク自身は楽しいけどね、密閉された箱の中で何も知らないまま過ごす生徒達を見るのは面白い。ケド、肝心の狙いが分からない。君たちのボスはあそこで何をやらかすつもりなの?どうして彼じゃなければダメなのかい?」
客人の質問に
スーツの男は鼻で笑った。
「段階ってもんがあんだろ?お前に言っても意味ねぇよ」
「ふぅん。もしかして君も知らないのカナ?上からの判断だったりして。交渉役の下っ端に情報を伝える段階ではまだないと」
「あ?」
スーツの男が怪訝な顔をして
殺意をむき出しにした時だった。
客人越しに扉が開いたのが視界に映り、もう一人の人物が現れる。
それを確認した男は驚愕で瞳を見開いた。
「お前は…」
ふと、影がよぎった。
「残念。ボクは協力するとは言ったけど君たちについたとは一言も言っていない。もっといい条件をもった『雇い主』が現れればそっちにつくさ◆」
「テメェ!!!!がっ」
音もなく近づいてきたもう一人の男が針を放つ。
即座に首に激痛が走り、視界が赤で染まった。赤の世界を割るかのように、針を投げた男が写り込む。
艶やかな黒髪をなびかせて
病的に白い肌
人形のような無表情
吸い込まれそうになる、大きな漆黒の瞳。
それは何の意思も映さない。
その顔は一度見たら忘れられるはずもなく、一瞬で記憶から引き出される。
(あいつ…ヤツと同じ職場の…)
どうしてお前がここにいる?
その疑問を考える前に、スーツの男の意識はぷつりと途切れた。
「や ♪ 」
親しげに片手を上げる警備員を無視して
黒髪の男は動かなくなったスーツの男へ近づいた。
「相変わらず無愛想だね。君とここで会うのは初めてなのに。いつもは湿気た校舎の中でしか会わないから」
黒髪の男は血まみれのスーツのポケットから、先の小瓶を取り出した。
暗殺に慣れてる所以か、血だまりに足を踏み入れることを一切躊躇しない。
警備員は面白そうに目を細める。
「それ、そんなに大事?」
黒髪の男はゆっくりと顔を上げ
ここでようやく二人の目が合った。
(ああ…)
警備員は、ぞくりと背筋を震わせた。
「君のやろうとしてることは…中々イイね…」
弟への愛情が深すぎるが故に生み出されたそれは、狂気以外の何でもない。
しかし。
それは
自分を
どうしようもなく興奮させた。
partC
「クラピカー!こっちだよ」
日曜日の水族館。
家族連れや若いカップル達で賑わってはいるが、多少の余裕を感じられる。
それは今の季節が冬だということも少なからず関係していることだろう。
水族館は冬だからこそ楽しいのに
と、キルアは思う。
水槽がクリスマス仕様にデコレートされていたり、海の生き物達の夏には見れない姿が見れたり
例えば館内散歩とか。
ペンギンとかペンギンとかペンギンとか。
いかにもクラピカが喜びそうである。
「キルアー!待たせたな。すまない、目覚ましの調子が悪かったのだよ」
「遅れたって言っても15分だしクラピカが寝坊するだなんて予想の範疇すぎるし俺も今きた所だから大丈夫だよ。早く行こうよ」
キルアは即座にクラピカに飛びついた。
これには一端の狙いがあり…
「キルア…お前…暖かいのだよ//」
キルアの格好はというと
もこもこニット+ミトン手袋+ふわふわマフラーなのであった。
対クラピカ仕様なのであった。
テディベア好きの心を揺さぶる格好なのであった。
要するに即席クラピカホイホイなのであった。
そしてやはり、もふもふキルアに我を忘れて飛びつかないほど、クラピカはクールな大人ではなかったのであった。
「よしキルア、今日はあれだぞ!私から一歩も離れるなよ!!」
「うん、離れない」
単純なクラピカは完全に心を奪われて瞳を輝かせていた。
表面上は無邪気に笑うキルアだったが
腹の中ではもちろん別のことを考えている。
(ふっ…計算通り)
さぁ、
次はどの作戦で攻めようか。
水族館デートはまだ始まったばかりなのである。
「むぅぅぅぅぎぃぃぃぃぃぃい」
綺麗に磨かれた水族館の柱を
ガリガリと引っ掻いている少女がいた。
サングラスにニット帽、黒のウイッグにシンプルな服装。
壁際にこっそりと隠れているつもりなのだろうが、先の奇行でかなり目立っていた。
はたから見れば超イタイ子なのであるが、当の本人は全く気にしていない。
周囲の視線なんて一切気にならない。
「まぁまぁ落ち着いて。可愛らしいじゃないの」
そんな彼女の隣には
おしとやかな優等生風の美少女が、備え付けの休憩椅子に腰掛けて優しく微笑みながら、ホットココアを啜っている。
「どこがよ!完全に計算してるじゃないあれ!クラピカの反応狙っているじゃなぁぁぁぁい」
何よあのわざとらしいもふもふ!
何よあのわざとらしい笑顔ーーー!!!
大体クラピカも馬鹿すぎんのよ何で簡単に釣られてんのよ何が今日は私から一歩も離れるなよ(キリッ)よあんた馬鹿じゃないの!いや、馬鹿は元々だけれども。
あのガキがわざとらしくクラピカに抱きついた瞬間を思い出すと、クラピカが幸せそうに喜んだ瞬間を思い出すと、
「あ"ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ」
ぬいぐるみがあったら殴りたい。
できれば猫のぬいぐるみがいい。
白くて、もこもこで、生意気そうなヤツであれば尚望ましい。
(しかしまぁ…抜かりないわよね。目覚まし時計が鳴る前にこっそり止めたっていうのに)
まさかモーニングコールを寄越すとは思わなかった。
起きるまで鳴らし続ける根気があるとは思わなかった。
起こされたクラピカが寝ぼけて階段から落ち、支度に時間がかかって結局約束時間に遅れてしまったのは不幸中の幸いというか、ざまぁみろ銀髪というか。
「でもまぁ彼は今来た所って言ったけど本当は30分前から来ていたのよ?そんな可愛い嘘をつくなんて、好感度が上がったわ」
うふふふふ…
センリツさんの女神スマイル、今日も健在です。
「まぁそこはね、私でもそう言うって思ったわ…共感…できたというか」
「ネオンちゃんらしいわ。昨日いきなり切羽詰まった内容のメールが届いたから心配して来てみたらこういうことだったのね。なんだか安心したわよ」
「ごめんねセンリツ。毎週日曜日は部活なんだよね?」
「いいのよ。大きな大会は終わったし後はクリスマス公演と学園祭に向けて楽しく練習するだけだから。それに今日は休みよ。丁度良かったわ」
センリツはココアを飲み終え、
紙コップを律儀にたたんでいた。
「美味しかった。ネオンちゃんも飲めば良かったのに。体が温まるわよ?」
「ココアはアイス派なの。ホットドリンクはあまり好きじゃないし」
「猫舌なのね」
「ち、違うわよ!」
『猫』という単語に反応してしまう自分をどうにかしたい。
銀髪の容姿が猫っぽいと認めてしまっている自分をなんとかしたいがどうにもならないちょっとつらい。
いや、でも、猫ってあれだし?
引っ掻くし言うこと聞かないし芸覚えないし中々懐かないし気まぐれだし寝てばっかだし思ったほどふもふしてないし?
テディベア派にはそこまで魅力的じゃないのよざまあみやがれ。
「………」
なんか悲しくなってきた。
猫をdisって何になるのだ。
余計惨めじゃないか自分。
そんなこんなでプチ自己嫌悪に陥っている内に
クラピカ達二人は移動してしまったのである。
「セ、センリツ!いくよ!!」
マイペースに冷凍みかんを口に放りこんでいる同級生を引っ張って
ネオンも急いで彼らの後を追う。
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