part6@





月明かりも届かない暗い暗いトンネルの中
時間はとっくに深夜2時を回っている。



広すぎて先が見えない灰色の通路を
マチは足音も立てずに走っていた。


(ここら辺にいるはずだ)


呼吸ひとつ乱さずに、涼しげな表情で終わりの見えない暗闇を颯爽と駆け抜ける。

逃亡者につけた追跡用の念糸の気配が凄まじい速さで移動していく。

全く…
既に感情なんてものをなくしているくせに

相変わらず逃げ足は速いものだ。

そう思いながらもマチは焦らない。

複雑な通路を右へ左へと迷うことなく入り込んでいく。


あいつの逃げ道はワンパターンだ。

追いつけなくとも先回りをしてしまえばいい。

見つけてしまえさえすれば終わるだけの話なのだから。


(いつものことだ)


気配の察知を面倒だと感じたマチは、なにも考えずにこの前と全く同じ道を進む。

何回か段差を降りたり登ったりして、右へ左へと進んだところで


思ったとおり逃亡者と遭遇した。


(やっと見つけた)


マチは逃亡者を見つけたとたんに
走らせていた足を止めた。

しかしそれ以上は何もしない。

ただ黙って突っ立っているだけである。


しかしそれは、


先ほどまで逃げていた逃亡者だって全く一緒だった。



前方に追跡者がが立ちふさがっているというのに、パタリと足を止めただけで

逃げようとも声をだそうとすらしない。

その表情は無表情というよりも、一切の感情と色がなかった。

瞬きすらしない虚ろな瞳はただただマチを写し、半開きの唇が機械的に呼吸を繰り返しているようだった。


マチは面倒くさそうにため息を吐き、逃亡者に一歩だけ近づいた。


逃亡者の表情は一切変わらない。

しかし右手だけが素早く動くと
中指から伸びた鎖が即座にマチを縛り付けた。



一瞬にして念が出せなくなる。


しかしマチの顔色は変わらない。

何も言わずに逃亡者を見続けているだけで


逃亡者もまた能面のような顔を向けているだけで…。



しばらくの間、時が止まる。



やがてマチを拘束していた鎖がするすると解けて行き、

逃亡者は右手の鎖の具現化をやめた。

やがて何事もなかったかのように
逃げていた道を引き返し始める。


マチは少し距離を置いてその後をつけていく。



暗闇の中でも鮮やかに光を放つ金髪は

足を止めることも途中で進路を変えることも振り返ることもせずに



まっすぐアジトへと戻っていく。








クラピカの無意味な逃亡はこれで19回目だった。


ヨークシンでの一件で廃人状態になってしまってからというもの

毎日毎日ベッドから起き上がることもせずに一日中窓の外をぼーっと眺めているだけの彼は

夜になると正面口から堂々とアジトを出ては見張っていた旅団員の誰かに必ず捕まる。

毎日ではないが決して低くはない頻度だった。

今日は排水溝を伝って逃げようとした。

たまたま近くにいたマチが捕獲に向かったというわけだ。

こいつの逃げ足は相変わらず速かったが
連れ戻すのはいとも簡単だった。


自我を失っている彼は単調な行動しかしない。


排水溝や瓦礫の山、その場その場で決まった逃げ道ルートしか進まない。

要は見つけてしまえばいいのだ。

こいつは中指の鎖を使って拘束してくるが、それ以上はなにもしてこない。

しばらく間を置いたのち、こちらからは何もせずとも自分からアジトへ戻っていく。

思考を失っていても、本能的に「最初の制約によって命を落とすこと」を避けているのだろう。

もはやそれは団員達の中で常識になっていた。

そんなことをすでに19回も繰り返している。



長い通路を機械的に進み終え、月明かりが照らす地上に出る。

月明かりに照らされた華奢な背中は、速度を落とすことなく前へ進む。



足跡が赤かった。


裸足の足裏から血が滲んでいるようだ。

しかし勿論気にする様子は見られない。


(これもいつものことだけどね)


特に意味もなくそんなことを考えながら

マチはクラピカの跡をつけていた。






「また逃げたのか」


正面口には団長が待ち構えていた。

腕組みをしながら自分の方へ向かって歩いてくるクラピカに話しかける。

クラピカはまるで見えていないかのようにクロロを無視して通り過ぎた。

赤い足跡をつけたまま自室へと向かっていく。


「おかえり団長。毒はもう消えたの?」


「ああ、お前たちのおかげだ」


マチとクロロは肩を並べてクラピカの背後を進む。

やがて自室にたどり着いたクラピカは
開けっ放しのドアを閉めることもせずに


真っ直ぐ進んでベッドへと倒れこんだ。


扉に背を向けうつ伏せ状態になりながら、顔を窓の外へと向けている。


クロロとマチが開けっ放しの扉に寄りかかって自分を観察しているだなんて


確実に認識していないだろう。


「団長………」


うつ伏せになってベッドから片腕をぶらりと投げ出し、

月明かりを綺麗に反射させている金色の後頭部を見て、マチは静かに呟いた。





「あいつ、そろそろやばいと思う」







「………」



クロロはなにも言わない。

腕組みをしながら、ただただ闇色の瞳に弱々しい背中を写しているだけである。


「団長だって分かってるでしょ?食事だってとらないし自分から動こうとしない。一日中ベッドの上で窓の外を見ているだけだし」


マチは続ける。



「あのままじゃあいつ、いつ死んでもおかしくないよ」


クロロは静かに目を閉じた。

腕組みをしたまま、何かを考え込んでいるようだ。


「そうだな、もうすぐ行動を起こすべきかもしれない。マチ、すぐに点滴をしてやれるか?」


「うん」






マチは一旦自室へ戻り、針やハサミや栄養剤や、点滴をするのに必要なものと救急箱をとって来て再びクラピカの元へと戻る。

クラピカは先ほどとなんら変わってはいなかった。

指一本動いていない気がする。


「……」


マチは何も言わずにクラピカの横にひざまずき、ハサミや管を使って器用に点滴の準備を進めていた。


クラピカに食事を取らせようとしても彼は絶対に自分から起き上がらない。

無理矢理口に押し込んでも飲み込むということをしない。


毎晩毎晩こうやって自分が点滴をして栄養剤を流し込んでやらなければ


今頃はとっくに餓死してしまっていることだろう。


クラピカの異常に白くて細い手首を掴み、血管に太い針を刺す。


栄養剤が透明な管を通ってクラピカの手首へと流れていく。


クラピカは何も言わない。




自分達によって生かされているという彼にとっては屈辱的であろう状況に


何の反応も示さない。




「………」


マチは黙ったまま、クラピカの血だらけの素足に顔を向けた。

救急箱を取り出して赤黒く染まった足裏を拭いてやり、消毒しはじめる。


かなりの激痛を伴うはずなのに
クラピカは指一本動かさない。


「ねぇ、聞こえてないと思うけどさ」


マチは独り言のように呟いた。


「全員、ここにいる。面白がっているだけだって言うやつもいるかもしれないど、なんだかんだで心配なんだろうね。口には出さないけど」


団長の指示以外で旅団員全員がアジトに集まるだなんてありえないことだ。


「私達だって最初からあんたを受け入れていた訳じゃない」


生々しい擦り傷に絆創膏を貼っていく。


「誰だって鎖野郎を殺すつもりだった。私だってそうだったし」


包帯に手を伸ばすと足首ごと巻きはじめる。


「でもあんたの背中に刺青が彫られている限り私達はあんたの仲間であって、あんたを守り続ける義務がある。いくら憎い仇だからって、蜘蛛の一員を切り捨てることはできない」


それが蜘蛛のルール。

団長であるクロロが決めた内部の掟。

個人個人の感情は無視される。


『クラピカの背中に蜘蛛の刺青が彫られている』


たったそれだけで自分達は彼に対する憎しみをいとも簡単に捨ててしまい

彼を大事な仲間の1人であると認識しなければならないのだ。

それはなんの苦痛も伴わない。

例えそれが彼を崩壊させた原因だとしても

自分達には彼の意思も暗い過去も一切関係ない。


団長クロロの指示に従っているだけである。

憎しみを捨てて彼を受け入れるのは簡単なことだった。


「ある意味仲間に対する感情が乏しいのかもね。さっきも言ったけど、ずっと一緒にいたパクとウヴォーを殺した奴を無条件で受け入れたんだからさ。でもあんたがここにいる限り、私達は絶対にあんたを裏切りはしないし死なせやしない。蜘蛛の存続が危うくなった場合は切り捨てるしかないけど」

それはみんなだって同じ。

マチは器用に包帯を巻きながら言葉を紡ぐ。


クラピカは動かない。







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