part6A





「私達は汚い環境ばかり見てきたから、家族やら愛情やらそんな綺麗事は何も知らない。私達にあるのは仲間だけ。何度も言うけどあんたは仲間なんだ、あんたの意思は関係ない」


クラピカが自分達を受け入れて笑顔を見せるようになっても

自分達は嫌悪感を抱いたりはしない。


二度と仲間を失わせるようなことはしない。

これ以上の絶望を味合わせることもしない。


きっと死ぬまでずっと一緒だ。


団長はこんなに残酷なやり方を使ったけれども、クラピカに居場所を与えてやりたいだけなんだと思う。


クラピカと似て利己主義だから

彼から元の仲間を奪うことになんの抵抗もなかったようだけど。






「もう受け入れちゃいなよ。楽になりな」






それしかこの少年が救われる道はない。


どう転んでも生き地獄なこの状況で
少し上の地獄からもっと下の地獄へと降ろされた一本の蜘蛛の糸。

自分を地獄に突き落とした張本人から差し伸べられたその糸を掴むことを
断固として拒否したからこうなってしまったのだ。


こうなってしまってもなお、彼は死ぬことを許されない。


この絶望から抜け出すの唯一の術は
くだらないプライドを全て諦め、受け入れてしまうしかない。


蜘蛛の一員として生きていくことを認めるしかない。

そうするべきなのだ。

そうすれば今よりずっとずっと楽になれるはずなのだから。


包帯を巻き終えたマチは静かに立ち上がり

一歩一歩クラピカから遠ざかり、
クラピカの部屋を後にする。


しかし、あと一歩で廊下に踏み出そうとしたときだった。



ジャラリ。



自分の足首に鎖が巻きついたかと思ったら
強い力でクラピカの方へ引き寄せられる。


息もまともにつけないまま、
ベッドのすぐそばの床へ背中を強打した。

床に仰向けにになったマチの身体中を鎖が縛り付け

かかさずベッドから起きたクラピカがマチに飛びかかり、

すぐそばに転がっていたハサミを素早く掴むと高々と振り上げる。


あまりに一瞬の出来事に
マチは何が起きたか瞬時に理解できなかった。


ただクラピカから不意打ちをくらい
自分を念が出せない不利な位置に追い込まれ、そのクラピカが凶器を振り上げて自分の上にのしかかっているという状況。


彼に正気が戻った訳ではなさそうだ。


常識的に考えて

本能的に最初の制約で命を落とすことを避けている彼は自分を殺すことはないだろう。

その常識前提であれば
マチは今の状況を気楽に甘受できたかもしれない。





しかし、今は違う。







金色の前髪の割れ目から覗いた片目が
轟々と深紅に燃え上がっていたことが




その常識を底辺から覆していた。








やばい……
こいつは本気だ。





「だっ、団長!!!」




マチは咄嗟に大声で叫んだ。


クラピカは容赦なく念で強化したハサミを振り下ろす。

マチは苦し紛れに顔を逸らした。

間一髪で直撃を避け、肩口の衣服がハサミにかすって破ける。

ガンっと大きな音を立て
ハサミが深々と床に突き刺さった。


あれを生身で食らったら、確実に命はない。


マチの勘が今までにないほどの危機感を告げている。


クラピカは難なくハサミを抜き取ると
再びそれを高々と振り上げる。


……次は避けられない。


マチは激しく身を捩るが、対旅団用のチェーンジェイルはびくともしない。


ハサミが凄まじい速さで自分の視界を目掛けて落ちてくる。




(もう駄目だ!!)


マチは硬く硬く目を瞑った。


すぐさまハサミが自分の頭部を貫いて、
想像もできない激痛と共に自分の命があっけなく途絶えるだろう。


真っ黒な視界でその時を覚悟した。


息を呑む音が響き、重々しい沈黙が流れる。




しかし、なかなかその瞬間が訪れない…


マチは恐る恐る片目を開ける。


至近距離で、眼前にハサミの鋭い切っ先が飛び込んでくる。


どうやら自分の瞳を突き刺す直前で動きを止めているようだ。



マチは両目ともゆっくりと開き、
のしかかっているクラピカの顔を見上げようとした。


一体どうしたというのだろう…?


しかし自分がクラピカの顔を確認する前に
一瞬クラピカの力がふわっと抜けたと思ったら

ドサリと。
重力に押された華奢な体が自分に倒れかけてきた。


持っていたハサミが投げ出され、
マチに覆いかぶさるような形になる。

自分に絡みついていた鎖があっという間に消えた。



……どうやら助かったようだ。



よく分からないが全身の力が抜けて
自然と安堵のため息が口からこぼれる。


(本当に危なかった…)

こいつは本気で自分を刺そうとしていた。


マチは自分に覆いかぶさるクラピカの体ごと、軽々と上体を起こす。


(…軽すぎる)


今のクラピカの重さは、確実に自分よりも軽いだろう。

とても17歳の少年とは思えない。

マチは動かないクラピカを抱えると
じっくりとその顔を見た。

一切の血の気が感じられない青白い顔をして、クラピカは気を失っていた。


どうやら重度の貧血を起こしたようだ。


(明日からはもっと増血剤を増やしてやらなければならないかも…)


ふと、抱えていたはずのクラピカの身体が一瞬にして消える。



「……?」


「危なかったな」


背後から声がして、振り返ればクロロが立っていた。

スキルハンターを手にしている。

涼しげな表情だったが
漆黒の瞳にはわずかに焦りが浮かんでいるように見えて。


「団長、あいつは」


「俺の部屋に飛ばした」


「そう」


マチは立ち上がって乱れた衣服を整えた。


「怪我はないか?」


「大丈夫、無傷だよ。でも正直やばかった」

これからもいきなりあんな状態になって
何回も貧血を起こしたりなんかされたら

さすがに自分たちの手には負えなくなってしまう。


「そうだな」

クロロはしばらく考え込むように下を向き、やがて部屋から出て歩き出す。

マチもそれに続いた。






しばらく無言で廊下を進んでいたが、
クロロが急に足を止めてマチを振り返った。

やがて重々しく口を開く。


「俺はあいつを連れてしばらくここを出る」


「そう。どのくらい?」


「もう帰って来ないかもしれない」


「……そう」


クロロは淡々とした口調でそれを告げ、マチは特に何も言わずにそれを受け取る。


反論しようがない。


クロロは決めたことを絶対に捻じ曲げないのだ。



「その間、蜘蛛を頼んだぞ。何があっても蜘蛛を存続させるんだ」



「うん、分かっているよ」


頼んだぞ。
クロロは再度そう言うと、マチに背を向けて自分の部屋へと向かっていく。


マチはただ、その後ろ姿を見つめていた。






(団長。戻ってこないつもりでしょう?)


クロロはあいつと一緒に死ぬつもりなのだ。


自分の命に恐ろしいほど執着を持たない彼は、死ぬことに関して一切の躊躇や戸惑いはないようだ。




(でも、何か大切なことを忘れていない?)



遠ざかる黒い背中にぼんやりと思いを馳せる。






(少なくともここにいる9人は、まだまだ団長を必要としている)







それを分かっていない訳はないでしょう?


それでもなお、あいつを道連れに死にいくんだね。


それがあいつに対する贖罪なの?
そんなことであいつが私達を許すとでも本気で思っているの?




(違うよね。いつも通り、ただの自己満足だ)




昔から何ひとつ変わっていない。
本当に本当に自分勝手なやつ。


あなたがいなくなることで、蜘蛛がどれほどの打撃を受けるのか


残された私達が一体どれほどまでの思いをするのか


全てを理解しているくせに、分かっていないふりをする。


あなたは根っからの盗賊だね。



「団長!」



どんどん遠ざかって行くクロロの後ろ姿に向かって


少し大きな声を出して呼び止めた。



クロロは不思議そうにマチを振り返る。


驚いたようなその表情は少年のようで、
幻影旅団の団長のものと似ても似つかない。


久しぶりに見えた「クロロ」の顔に、
マチの表情が自然に緩む。



「できるだけ、生きて戻ってくることを目標にしてよ。
少なくとも私は待っててあげるからさ。


ねぇ、クロロ!!」






何年ぶりかにマチの口から自分の名前で呼ばれたことに対して

クロロはわずかに驚いた顔をした。


やがて表情が柔らかくなっていき
優しげな笑みを浮かべる。


その笑顔は、とても幻影旅団の団長のものだとは思えない
微塵の悪意も感じられない穏やかなもので。




「ああ、そうなるように努力する」



それを聞いたマチは満足げに小さく微笑んだあと、踵を返して歩き出した。



二人は互いに背を向けて
反対方向へと足を進めて行く。


マチはもう一度その背中が見れることを信じて、


振り返ることをせずにひたすら前に進む。


(帰ってきてね。お願いだから)


彼女の鋭い勘も、今回ばかりはどうなるのか全然分からないらしく


問いかけてみても問いかけてみても
何の答えも告げてはこなかった。










自室へ戻ったクロロは


ベッドにぐったりと横たわっているクラピカを発見した。


細すぎる腕に不釣り合いに刺さっている点滴針が痛々しさを実に醸し出している。


どうやらまだ意識は戻っていないようだった。


そばに寄り、静かに寝息をたてている寝顔をじっくり眺める。


久しぶりに彼の寝顔を見た。


閉じられている瞼に軽く触れる。


クラピカはぴくりとも動かない。


「このまま寝ていろ。お前には休息が必要だ」


クラピカには届かない呟きをこぼす。




クロロは窓の外を見た。


月はもうすぐ身をひそめ、うざったいくらいに明るい太陽が姿を現すだろう。


そろそろクラピカを連れてここを発たなければならない。


本当は今すぐにでも出発したいのだが


クラピカの貴重な寝顔を見ていると、しばらくこのまま寝かせてやりたいという気分になる。




歩かずとも瞬間移動を使ってどこか適当な場所へ移動すればいいことだし。


少なくともなくなりかけている栄養剤が完全にクラピカの体内に辿り着くまでこのままにしておいてやろう。


クロロはベッドの横へ椅子を持ってくると、静かに腰掛けた。


クラピカの細い腕をそっとなぞる。


彼の肌の色は本当に白かった。


(大丈夫だ、安心して眠っていろ)



クロロはわずかに目を細めた。


こいつを助けることができるのは
もはや自分しかいないのだと確信する。





(大丈夫だ。お前は必ず、俺が救ってやる)





その言葉にどれほどの矛盾と勝手が含まれているかなんて考えもしないで



クロロは本気でそんなことを思っていた。







− to be continue −


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