ニシヘヒガシヘ

所謂修行的な
その札使いは名を朱泱と言った。

坊さんたちが寝静まった深夜。私は昼間と同様、性別を悟られないように布で姿を多い隠し、光明様に言われた通りお堂へと足を運んだ。


床には蝋燭と行燈がいくつか置かれ、お堂をぼうっと揺らぐ炎で照らしていた。そこで腕を組み菩薩像を見上げる男がひとり。肩甲骨まで伸びる黒髪を後ろで一つに束ねている。年はそんなに行っていないみたいだ。


彼は私の気配に気づき、こちらを向いた。

あ、やっぱ若い。二十歳くらい?


彼は口元に爽やかな笑みを浮かべ、


「光明様に頼まれたとありゃ断れなねーからな。お前、名前は?」


下の名前言ったら女だってわかるよな…。光明様はみなに私を紹介する際、あえて名前を伝えなかった。だから、ここで私の名前を知っているのは今のところ光明様と江流だけということになる。


「宮野デス」

「そうか。俺は朱泱っつーモンだ。よろしくな、宮野」

朱泱は私のフルネームを尋ねはしなかった。何かを悟ってくれたのか、はたまた呼べる名があれば、それで事足りるからなのかは、わからないけれど、おそらく両方なのだろうと、彼の裏表のない快活な笑顔を見ていて思った。



「で、宮野、さっそくだがお前の書いた札を見せてくれ」

書いた札、とな?

「すいません、今は持ってないです」
「持っていない…だと?じゃあ、今書いてくれ」
「…すんません、何か書くものを」

彼は小さくため息をつくと、懐から半紙と墨を含んだ筆を取り出した。

「札使いなら常備しておくもんだろうが…」
「は、ははっ」
曖昧に笑ってごまかし、
(だって札使いじゃないもん…霊能力者だもん…)
と、穴だらけの言い訳(霊能力者というカテゴリーを自称しているが霊符も書くのだから札使いと言われても全く否定できない)を心の中で呟きながら私は床に正座して半紙に筆を滑らせた。何の霊符を書けばいいのか迷ったが、ここで恋愛成就系の霊符を書いても場違いだろうから、無難に魔除けの霊符を書いた。「除魔」の文字を文様で囲む。


「できました」

どれどれ、と私の書いた霊符を手に取ると朱泱はチッと舌打ちした。

「護符じゃねーか。こんなモンでどうやって妖怪と闘うつもりだよ」

護符じゃねーか、って、ええ、護符なんですけど……。

―――だが、それよりも衝撃的な言葉が耳に入っていたのを通り過ぎるわけにはいかなかった。


「あの、妖怪と闘うって………闘うんですか?」

朱泱は呆れたように目を細め眉間に皺をよせた。

「当り前だろうが。それとも何か、お前は妖怪が現れたら大人ーしく、静かーに殺されるのが本望だってのか?」

私は慌てて首を振った。


「だろう?攻撃用の霊符が書けなきゃ、話にならん」


こ、攻撃用の霊符…?



「あの、妖怪だったら祝詞や経文で何とかなりませんか?」


この問いは、彼にとっては最早我慢ならなかったらしく…


「てめえはどんだけ常識知らずなんだよ!」

ひーっ怒鳴られたぁぁー!!

朱泱は苛立たしげに前髪をぐしゃりと掻くと、


「いいか?妖怪にただの念仏なんざ効かねーンだよ。刃物でぶっ刺すとか銃で撃ち殺すとか…」

「人間じゃないですか」

「お前なあ……まあ、これ以上言っても話が進まねえな。
……いいか?
つまり法力で奴らを倒すにしても身体に直接的な打撃を与えなきゃ話になんねえんだよ。だから護符なんぞ意味はねえ。妖怪を滅するような札を書くんだ」


妖怪を滅する、攻撃用の霊符……。


確かに霊符の種類は護符だけではない。
攻撃する、というのは雷や炎を具現化する類のものだろう。
霊符とは、場合によってはあやかしを浄化したり、生き物の病や傷を治す効果も発揮するという。

だけどそんなのができるのは中国の偉い道士とか…もしくはそれ自体が眉唾だとか…。

つまり、護符によって持った人の気のめぐりを良くすることはできても、霊符から雷だの炎だのを出すなんてのはファンタジーすぎて現実味がないと、私は思っている。



ファンタジー…か…。

そう、妖怪と共存している、というだけで、この世界は十分ファンタジーだ。

私の世界でできなかったことができても不思議ではない。


私は以前文献で得た知識を探りよせながら、気を巡らせる文様を長方形の札にそって描き、その中心に「大炎(たいえん)」と書いた。


「まずまずだな」

背後から手元を覗き込んでいた朱泱が言う。


「それを発動させることができりゃ完璧だ」


…発動。

できんのかよ、本当に…。


私は立ち上がって、書いた霊符を右の人差し指と中指に挟み、顔の前にかざした。


「天道晴明 地道安來 人道虚寧 三才一仁」


経文を唱える。自分の気を表出させる呪文。そして、体内から、手にしている霊符に気が流れるようイメージする。

閉め切った室内にもかかわらず、生ぬるい風が私の体をなぞるように起こる。髪の毛がサァーっと広がった。バチィッと札に電気のようなものが走る。



…っ、なんだ、これ……。


自身の気を霊符に流しているんじゃない…逆に、霊符にどんどん気が吸い寄せられていく……なのに霊符からは物凄い抵抗を感じる…。札から私の放った気が逆流してきそうでもあり、少しでも気を抜くと札がどこかに飛んでいきそうでもあり……

さまざまな力が錯綜している……。


「集中しろ!」

「ぐぅ…っ」


朱泱に発破をかけられ、私は顔をしかめながらも札に気を流すことに集中した。


「てんっどうせいめい…ちどうあんらぃ…じんどう……きょねい…さんさいいちじん!!」


その瞬間。

私の指の隙間から霊符が矢のように飛んだいった。


「うわっ!」

その衝撃で後方に飛ばされ尻もちをつき、顔をあげたときには…

大蛇のような炎がお堂を熱気で包んでいた……。


あ、あつい……。



―――ま、まじでか………



「で、でた・・・」

巨大な炎がお堂を舐めるように燃えさかり、薄暗い堂内を夕焼けのように明るく照らした。



「ば、ばか、早く消せ!!」




朱泱の声にハッとなった。

も、燃える!!
お堂が燃える!!
こんな驚いてる場合じゃねえー!!

私は慌てて「水柱」と書きなぐった霊符を発動させた。

一度やってコツを掴んだのか、私は呪文を唱えると数秒で霊符を発動させていた。


バシャァァーっと盛大な音をたて、床から天井まで水柱が現れた。
炎はたちどころに消え、ヒラヒラと「大炎」の霊符が私の足元に舞い落ちた。

私は、ぐっと口びるを噛み、まだゴウゴウと立っている水柱を睨んだ。そして、ふっと気を緩めた。すると水柱は、もとからそこには何も無かったかのように音もなく消滅した。



堂内は元通り、蝋燭と行燈の灯りが揺れる静寂に包まれた。



「はぁーっ……」

私と朱泱はどちらともなく深いため息をついた。



「お前…そんなことができるなら最初から言ってくれねえか…」

「んなこと言われても…今初めてやったんで…うぅっ…」


急に息が続かなくなり、私は思わずうずくまった。

く、苦しい……

なんていうか、めっちゃ走った後みたいな…動機も早い…


「っはぁはぁっ……」

「気を放出させた反動がきたんだな」


朱泱は私の背をさすりながら目の前に水の入ったコップを差し出した。

私は覚束ない手元でそれを取り、ぐびぐびと飲んでいく。



「その様子じゃ、具象化したのは今日が初めてというのは本当らしいな」

「だから…言ってるじゃないすか…」


はぁっ……。

だいぶ息切れと動機が平常に戻ってきた。


「お前に眠っている法力はただモンじゃねえとは気づいていたが…お前結構いい線いくんじゃねえか?


――――もっとも、修行を怠らなければ、の話だがな」


朱泱はにやりと笑う。


なんでこんなわけわかんない世界に来てまで、おじいちゃんと同じことを言われなければならないのか……。


私は労ってくれた礼を言って立ち上がった。


「…まあ、最初からこれだけできれば後は大したことしなくていいんじゃないですか」

「己の力をコントロールすることも重要だ。見てみろ、焦げだらけだぞ」


うっ、確かに…。
床も壁も、焼け落ちてこそないものの、黒焦げだらけ…。


「ここの掃除はお前がやっているんだったな?」

「ええ」

「明日、光明様に言われるだろうなぁー。ここを直せってよぉ」


朱泱はニヤニヤと言う。


「えーっそんな一人でできるわけないじゃないすか…」

ぼやく私に、


「ま、自業自得だわな」

「理不尽な…」







――――朱泱の予言通り、翌日私は光明様に床と壁の張り替えを命じられた。

しかし、彼の予言には誤差があった。



「なんで俺もなんだよ……」


真新しい板を運びながら朱泱が不服げにブツクサ言う。


私は口にくわえていた釘を引き抜き、板にあてながら、


「自業自得じゃないすか」

「ンわなけあるかぁー!」






札使い朱泱。彼とはまあ、うまくやってけそうな気がしないでもない。



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