彼の真相



誰かを傷つけることは自分が傷つくよりも辛いかもしれない。とぼとぼ廊下を歩くわたしの頭から土井先生と伊作先輩に吐いた盛大な暴言が離れない。
(最低教師!)
(あんたなんか大っ嫌い!)
はぁ……相手は先生と先輩だよ?わたし調子こきすぎじゃない?
いいや、でも言われてもおかしくないくらいのことを相手はしてきたわけで。
伊作先輩は恐喝だし、土井先生にいたってはセクハラこえて強姦未遂ですからね!!
ああ、でもあのときの先生と伊作先輩のカオ……。
罪悪感と怒りとが、混ざりきる寸前の、コーヒーに落としたミルクのように、わたしの胸でぐちゃぐちゃになる。ほんと、ぐちゃぐちゃだよ、頭の中。泣きたい……。
「はぁっ……」
大きくため息をついたときだった。
「桜子?」
顔をあげると、そこにいたのは文次郎だった。お兄ちゃん以外に心を許せる数少ない人間の一人である、幼馴染。安堵感が一気にわたしを包んだ。
「なあ、仙蔵見なかったか?」
「もんじろぉ〜」
わたしは文次郎にがばりと抱きついた。
「おわぁ!?」
文次郎は驚きながらも、しっかりとわたしの体を支えてくれた。
「……なにかあったか?」
心配げな声が頭上からする。
思えば小さい時からこうだったなぁ。なんとなく、お兄ちゃんにはこんなスキンシップ自分から取れないのに文次郎にはこうやって思いっきり甘えてしまう。
「もう、いろいろと」
「…そうか。俺でよければ聞くが」
「ここじゃまずいかも」
何せ登場人物は土井先生と伊作先輩なのだから。
「ならば屋上へ行くか」
わたしは文次郎の腕の中で、こくりと頷いた。





―――
――――
―――――
――――――



屋上へ続く扉の屋根に座る。夕方になりかけたオレンジ色の雲が気持ちよさそうに空に浮かんでいる。
「……というわけで」
体育座りをして、どんよりと話し終えたわたしの横で、文次郎は難しげな顔で胡坐をかいている。
今まで数人の女子生徒にいじめられていたこと、それの原因、最終的にお兄ちゃんがキレて終わって、今度は土井先生と伊作先輩に言い寄られたこと等など……を、掻い摘んで話した。まあ、押し倒されただのキスされただのってあたりは、さすがに恥ずかしいので飛ばした。
「…そんなことがあったのか」
「もうさ、どうにでもしてくださいーって感じ」
「桜子、すまなかったな…」
おもわず文次郎の顔を見つめた。文次郎はアスファルトにじっと目を落としている。
「なんで文次郎が謝るの?」
「今まで何もできなかった」
「幼馴染に面倒事の解決を求めるほど、わたしずうずうしくないよ」
「幼馴染、か」
そこで文次郎は口をつぐんでしまった。
………どうしたんだろう。
「文次郎、何もそんなに思いつめなくても、」
言いかけたとき、足元の扉がガチャリと開く音がした。
「屋上なんて初めて来たよ」
「保健室で話すにはリスクが大きすぎる話題だ」
この声は…。
「さすが、妹のこととなると、気を使うんだね、お兄ちゃん」
「お前にお兄ちゃんなんて、呼ばれたくないな」
「ははは」
伊作先輩、と、お兄ちゃん……。
わたしは、そっと身を乗り出した。手すりにもたれ下に広がる校庭を眺めるお兄ちゃんと伊作先輩の背中が夕焼けに照らされていた。
ふと気配を隣に感じると文次郎もわたしと同様に二人の後姿を見ている。今しがた、わたしが伊作先輩に盛大な暴言を吐いたばかりだと文次郎も知っているので声をかけるべきか迷っているのだろう。わたしとしては二人が話し終え屋上から去るまで、こうして息をひそめていたいのだが。しかし、その願望は、あくまで願望でしかなかった。
「冗談はこれくらいにしようか。さっきの話の続きだ」
伊作先輩が口を開いた。
「単刀直入に言おう。君の血液型と彼女の血液型、同じ両親から生まれるはずが無い」
………は…?
…ねえ、いったい、なんの話をしているの・・・・?
「あいつは鈍いからな、そんなこと考えもしなかったが、伊作、まさかお前に知られてしまうとはな」
「ふふっ、家庭の事情とやらは聞かないよ。僕が知りたいのは仙蔵、きみが彼女に、」
「お前らやめろっ!それ以上は・・・!!」
文次郎が叫んだ。その瞬間、はじかれた様に二つの背中がこちらを振り向いた。
はっとする伊作先輩。そして、
「桜子っ!?」
愕然とする、って、今のお兄ちゃんを言うのかなあ。薄いきれいな口を、あんぐりと開けて、切れ長の目を瞳孔を開いて。こんな冷静に分析なんてしちゃって。わたし、なんだかショックが大きすぎて感覚が麻痺してる。これ以上、傷ついちゃいけないよって、体がプロテクターをかけてるみたい。
わたしは、のそのそと、屋根に立てかけてある梯子をつたって、お兄ちゃんと伊作先輩のいる屋上の地面へと降りた。文次郎は梯子なんて使わずに、屋根のへりに手をかけ、とんっとわたしの隣へ降り立った。
「桜子……」
文次郎は、冷や汗をたらしていた。おそるおそる、わたしの肩へと手を伸ばす。でも、その手が一時停止ボタンを押された様に止まった。
「文次郎、きみが本当のお兄さんだったりして」
……伊作先輩。
伊作先輩は後ろ手に、夕日を反射する銀の手すりに両腕をゆったりとかけていた。笑ってもいないしイラついてもいない、何も浮かべていない表情で。
「伊作、出鱈目なことを言うな!」
文次郎が吼えた。
「文次郎はB型だろう?彼女と同じ両親から生まれてもおかしくはない」
「貴様は全校生徒の血液型を覚えるのが趣味なのか」
「保健委員なもんでね」
「随分と悪趣味だな」
「どうぞ、お好きに」
伊作先輩は、外国人がやるように、やれやれと両腕を左右に広げた。
「伊作――!!」
文次郎が拳を振り上げ、伊作先輩へと走り出した。
「文次郎!」
わたしが名前を叫ぶと文次郎は足を止めた。
「桜子、」
「本当のことを、教えて」
びゅう、と風が屋上を吹き抜けた。
わたしの見つめる先には、文次郎とお兄ちゃんと伊作先輩。
でも、わたしが見ているのは、ただ一人だったと思う。
「伊作の言うとおりだ」
と、お兄ちゃんは言った。
「仙蔵っ!!」
「いずれわかることだ。今更隠しても仕方がない」
「だからといって、そのタイミングが今なのか!?」
「桜子ちゃん、どこに行くんだ」
言い合っている彼らに背を向け、わたしは扉に手をかけた。
振り返らずに、わたしは告げる。
「今は一人にして」
返事はなかった。わたしはガチャンッと重い鉄製の扉を開けて、屋上を出て、再び音をたてて閉めた。





―――
――――
―――――
――――――



夜の雑踏をふらふら歩く。家に帰りたくない。でも行くあてなんてなくて、わたしは結局いつものゲームセンターに向かっている。とりあえず何のゲームしよう。ええっと所持金は………って、アレ、財布どころか鞄すら持ってないじゃん…。今気づいたわ…。どこに忘れたんだろう。えっと、鞄を保健室のベッドに投げ出して……ああ、そうか、保健室に置きっぱなのか……。ははっ、何この笑うしかねー展開。
ゲームセンターのちかちかするネオン。着いたけど何もできねー……。
どうしよう。
入店して何もやんないで時間つぶそうか……。
なんて店の入口をウロウロしていると、とんとんと肩をたたかれた。
え、もしかして小平太……?
だったらありがた……
「どうも」
ありがたくもなんともない、土井先生の元本カノがいた。怒りを精一杯隠した笑顔。白い絹のブラウス。ティファニーのネックレス。肩にはサマンサタバサの鞄をひっかけ、右手にはコーラの空き瓶を持っていた。そして瓶ごと右手を、わたしの頬めがけて振った。
がしょん、っと頬に衝撃が走る。目から火花が飛んだ。
「他人の男を盗るなんて最低よ。ロリコン男はもっと最低だけどね」
彼女はそう言うと、コーラの空き瓶を自販機の横にあるプラスティックのごみ箱へ放り、すたすたと去って行ってしまった。あっという間に彼女は人ごみに紛れた。
こういうのを貧乏くじって言うの?違うか?
ははっ、ほんと、もうどうにでもしてくださいよ、どうなったっていいよ………。
とんとん。
落とした肩を再び叩かれた。
何よ、今度は何が来たって驚かない……
「桜子?」
「こ、へいた……」
あ、ありがたい―――っ!
「珍しいなあ、お前が制服なんて。はじめわからなかったけど、その髪型で何となくわかった」
嬉しげに話す小平太に、わたしはぽつりと漏らしていた。
「ねえ、どっか遠いところに行きたいって、思うとき、ない?」
「うん?まあ、親とか学校とか面倒くさくなると思うな。なんだ、桜子、そんな気分なのか?」
「そんな気分に体中を支配されてる」
「ふーん、じゃあ、行こうか」
「……行くって、どこに?」
「どっか遠いところ」
ニカっと笑う小平太の後ろには黒いバイク。わたしは差し出されたヘルメットを従順に被った。どっか遠いところ。土井先生も伊作先輩も文次郎もいない、どっか遠いところ。そんな場所が、たまらなく魅力的に思えた。




|


TOP


- ナノ -