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「あいつら、大丈夫だろうか」

天井裏でこう呟いたのは、寝る間を惜しんだ鍛練のせいで大きな隈のできた、ぎろりと大きな瞳を足元に開けた直径三センチメートル程の穴に向けている、潮江文次郎だ。

その穴を音もなく、数秒もかからずにあけた利吉が、潮江の顔も見ず、下に存在している書院造の立派な部屋をうかがいながら、


「…さあね」

と返した。


「さあね、って…」


その無責任・投げやりとも取れる解答に、潮江は思わず利吉の言葉を反芻する。
潮江としては、同級生の安否が気になって仕方がないのである。
プロの忍者として、実力もお墨付きの利吉と行動を共にしている自分と仙蔵はともかく、“あっちの組”についているのは、実力はそこそこあるのかもしれないが、いまだ自分たちとの関係性がはっきりとしない、月ヶ谷ミツなのだ。

いくら命を拾われたとはいえ、彼女の出自が不可抗力で明らかになったとはいえ、自分たち忍術学園六年生の忍たまとは、同級生とも言えないし、ここまでくれば赤の他人というわけでもないだろうし、何やらしこりがあるような、奥歯に何か物が挟まっているような、そんな判然と言い切れない歯がゆい関係のような気がするのだ。

そんな彼女に命を預けた形ともとれる、伊作と中在家。
果たして彼らは本当にうまくやっているのだろうか……。


「なに、そこまで気を揉むことは無い」

思わず利吉の顔を見る文次郎。
利吉の口元には微かな笑みが浮かんでいた。


「彼女の忍びとしての力量がいかほどが、この目で確かめたわけではないが、既にカラスタケ忍者を始末しているんだろう?
ならば、お手並み拝見、といこうじゃないか」


―――そうしている内にあいつらが危険な目にあったらどうするのだ、といいかけた文次郎の口が止まった。

相変わらず、利吉の薄い唇は弧を描いている。


―――自信があるのだ。
利吉の微笑とは、あの三人が窮地に立たされれば、すぐに駆けつけ、それを切り抜けさせてやるという、確信の笑み。


あえてその余裕を隠さずに、さあな、だなんて煙に巻く言い方をする。

利吉とて、ミツがいくらウシミツドキの生き残りだと頭ではわかっていても、彼女の実力が自分に並ぶ、あるいはそれ以上、などという世間に広がっている風評を頭から信じるつもりなどさらさらないのだ。
それゆえに先刻の、彼女の小馬鹿にしているとも取れる物言いに、いささか面喰い、己より格下の者から足蹴に扱われたような理不尽さがぬぐいきれない。
だから、「やれるもんなら、やってみろ」「まあ、どうせ、できはしないだろう」「だから己が窮地に立たされて思い知れば良いのだ」「そこを私が助けてやれば、これほど痛快なことはない」そんな利吉の本意が、彼の微笑一つに全て現れているようだった。


(これでいて利吉さん、なかなか腹黒い人なんだな…)


と文次郎は思う。
これくらいのプライドも小さな復讐心も、誰にでもあるものだろうが、普段の爽やかな笑みからは想像できないために、余計に印象に残ってしまう潮江だった。


そんな文次郎の横で、沈黙を守っていた仙蔵が口を開く。


「まあ、カラスタケ忍者を始末したと言っても、カラスタケ忍者が勝手に死んだに過ぎませんが」


その言葉に、ぴくりと利吉の眉が動く。


「どういうことだい?」

「カラスタケ忍者、ミツが月ヶ谷の者だと判ると、自害しました。
どうせ殺されるならば、守秘義務にのっとって死ぬのだとか、そういったことを言っていましたね」

淡々と言葉を続ける仙蔵。
利吉はめまぐるしく考えをめぐらした。


(ミツは確かに、自分が殺した、と言っていた。
だが実際は敵が自害したのだと言う。
たしかに、間接的には原因になっているだろうが……)


と、そこまで考え、すとんと理解した。


(…そうか)


彼女は自分の家名に、ウシミツドキの生き残りということに、責任を感じているのだ。
一族、先祖代々、忍者一家と言えば聞こえはいいが、職務は一言でいえば、人殺し。
これまでに闇に葬ってきた人間たちの屍が、彼女の肩に圧しかかっている…。

利吉は一瞬でも彼女を気の弱いおなごだと勘違いした自分に失笑した。
おなごどころか、彼女は般若の面を被った鬼かもしれない。



と、そこで、これまでうかがっていた室内に動きがあった。

唐からの輸入品らしき、朱塗りの見事な文机で書きものをしていた、髷をゆった男が腰をあげたのである。
彼ら三人は、この男がいるために、こうして天井裏で待機していたのである。

壁にしつらえられた書棚に何十と巻物が並んでいるのと、他の部屋にも比べ調度品が比較的高価な点とで、まずこの部屋が役どころの部屋であることに間違いない。
忍術学園の見取り図も、ここに保管されている可能性が高い。



「利吉さん、」


文次郎がささやく。

ちょうど、髷の男が部屋を出て行ったところだった。

利吉がうなずく。

それを見届けると、仙蔵は素早く天井板をずらした。

利吉が音もなく眼下の畳へと飛び降りる。

それに文次郎、仙蔵が続いた。


降りてみると、そこは十畳ほどの部屋であった。

丸穴から死角になっていた壁面にも、棚が備え付けられ、朱や黄、緑など、丈夫な和紙が貼られた巻物がずらりと積みあがっていた。


三人は無言で、書棚といい、文机といい、床下といい引っ掻き回し始めた。

互いに何をこれからどうすると言わなくても、探すものはただ一つ、忍術学園の見取り図だ。

あの男がいつ戻るとも知れない。
余計な手間は一切省いて取りかからなくてはならない。

仙蔵が西側に面した書棚の巻物をどかしていると、ふと、あることに気が付いた。


(…埃が拭き取られている…?)

ちらりと視線の端に入ったうず高く積み上げられた巻物には、厚い埃が被っている。
ということは、ここ最近人の手が届いていないということであり、そこに目指すものはないのだろう。
だが、その巻物の山の、中段にある深緑色の巻物だけが、ばかにきれいだ。
これはどういうわけか…。

仙蔵は、そっと、その埃の積もっていない巻物に指先で触れた。
すると、その巻物は奥へ奥へと吸い込まれていった。
それと同時に、書棚の下部に取り付けられていた、引き出しと引き出しの間にとられた、わずかな幅の板が、ぎしっぎしっと這い出てきた。
その縦長の板は、下部は左右の引き出しの底辺と同じ位置に固定されているが、上部の左右の頂点に、細い鎖が棚の奥へと繋がれていた。そして上の巻物が奥へと押されるごとに板が表へと向かって這い出てきて、それはさながら上がった吊り橋が再び降ろされようとしている様子によく似ていた。

そして、かたりと音をたて、縦長に固定されていた板が完全に床と水平に押し出された。
暗い棚の奥が見える縦長い穴が、ぽっかりと開いた。
仙蔵がさっとかがんで、外れた板の奥を覗き込むと……



「利吉さん、ありましたよ」


仙蔵は真っ白な手にはさんだ、折りたたまれた和紙を利吉に掲げた。


利吉は文机をずらしていた手を休め、それを受け取る。

広げてみれば、なるほどそれはまさに忍術学園の見取り図であった。

墨もまだ新しく、小松田の不注意により複製されてしまった見取り図に間違いない。


利吉は八重歯を見せ、

「仙蔵君、お手柄じゃないか」


なかなかのプライドを持つ仙蔵であっても、こうプロの、それも売れっ子の忍者にこう表から褒められては嬉しくてたまらない。

普段ならば滅多にお目にかかれない、年相応の笑顔を仙蔵は浮かべた。

文次郎も、よくやったな、と任務遂行の目途がたったことを喜んだ。


「さて、もうここをでようか。
これだけの見取り図、そう何枚も複製できるものじゃない。
大方、これ一枚でも数日がかりだったはずだよ」


と利吉。

その言葉に文次郎は、


「確か小松田さんが見取り図を見せたのが三日前」


仙蔵が深くうなずく。


「ならばこれ一枚と見てよさそうだ」

「ああ。一枚でも、三日で複製できたなんて、大した仕事ぶりだけどね」


と、やや皮肉めいて利吉が言ったとき、バタン!と音を立てて壁が反転した。


(まずい!)


文次郎は胸中、毒づく。

見つかってしまったのだ、カラスタケ城の者に…!!


はっと一同がそちらを見れば。


「とうとう姿を現したな!」


――さきほどの、髷の男だった。


(しまった…!)


利吉は心の中で舌打ちした。

この壁が東側の壁がどんでん返しになっていたのだ。
障子の向こうに人の気配があるかどうかなど、算段のようにいともたやすく確実にわかるものの、さすがに厚い砂壁の向こう側に人が気配を殺しているなど、わかったものではない。

この壁にも、こちらの部屋の様子がわかるよう、のぞき穴のような細工がしてあるのだろう。


髷の男は、にたりと笑うと、皺だらけの手を高々と掲げた。


(くそ…)


仙蔵は男の持っている物を見て思わず歯ぎしりをした。


それは、白金の鈴だった。

下を向いた鐘に取っ手がついているものだ。

鈴はよもや男の手には収まらないという大きさで、それを鳴らせば、たちまちこの場所で異常が起きている物と城内に知れ渡るだろう。



「観念しろ!薄汚い盗っとめが!」


そう男が叫ぶなり、けたたましい鈴の音がカラスタケ城に響き渡った。







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