05


学園長の庵での会合から約一日が経った。
夜明け前の鶏も目覚めていない時刻。潮江文次郎、立花仙蔵、中在家長次、善法寺伊作、月ヶ谷ミツの五人は白い霧が漂う学園の玄関に立っていた。




「では気をつけて行って来るのじゃぞ」

「怪我などしないように」



見送りに立つ学園長と半助の言葉に五人は深く頷いた。


伊作は隣に立つミツの横顔をチラリと見て、少し不思議に思う。

彼女の長い前髪の下にある瞳は判然と開けられ、忍び刀をきちんと腰に指し、背筋は真っ直ぐに伸びている。



(昼間あれだけ眠そうだったのに、夜明けの時刻の方が意識がはっきりしているみたいだ)



他人の健康状態に嫌でも目が行く保険委員長、善法寺伊作は、(普通は逆じゃないのか)と、どこか引っかかる。





「みなさーん、出門票にサインしてくださーい」


伊作がミツから声の持ち主に視線を変えると、台詞で想像していたが、案の定小松田秀作が出門票の記帳を片手に走ってくるところだった。

小松田は着物こそ寝巻きでないものの、大きくあくびをしながら、



「ふぁあー、こんな朝早く、みなさん揃ってどこへ?」


そう言いながら、右端の潮江文次郎に出門票を渡す。



学園長は


「ほぉほぉほぉ、課外授業じゃよ」



「お前のせいでな」


左端にいたミツは回ってきた出門表に最後にサインし終えると、出門票のボードを小松田に突っ返した。



「あ、ミツちゃん!君も課外授業?今更授業なんて受けなくてもいいんじゃないの?」


ミツは小松田の受け取ったボードを再び引っ手繰ると、それで秀作の頭をパシンと叩いた。


「だぁかぁらぁ!お前がわけわからん忍者に見取り図なんぞ見せるから!これから、あたしらがそれを奪い返しに行くんだっつーの!」



小松田は頭を叩かれたにもかかわらず、にへらあ、と笑いながら、



「あははッ、僕が原因だったのかぁ〜」


「何日も前から言うとるだろうが」

と半助。は組の授業と似たような嘆息だった。

これで忍者になりたい、いつかなる!と言っている小松田に、善法寺伊作は「ははは・・・」と苦笑をもらした。




「ほらほら、ぐずぐずしていると夜が明けきってしまうぞ!」


半助に促され、潮江は四人を見回した。

首を縦に振ったり目で頷く四人を確認すると、


「行って参ります!」


潮江の声を合図に、一斉に五人が散った。
そしてあっという間にその姿は見えなくなった。




土井半助はミツの残像を思い浮かべながら、



(大木先生、あなたの望みどおり、とうとう彼女は忍者に戻りましたよ)



杭瀬村での大木雅之助とのやり取りを思い出していた。






「―――そうだったんですか」


縁側に座り、出された茶を啜る余裕もなく、雅之助に聞かされたミツの生い立ちに半助は息を呑み込んだ。


縁側からは雅之助が丹精こめて育てているらっきょう畑が一望できた。そこで声をあげながら、一年は組と楽しそうに土をいじっている月ヶ谷ミツという少女。



彼女と初めて会ったのは一年ほど前だろうか。





「この子たちの担任の土井半助です」


半助がにこやかに自己紹介すれば、


「土井三助?」


ぼけっと聞き返すミツ。


「は・ん・す・け」

「さんすけ?」


と、そこに、


「中途半端の半!助平の助!」


声を揃えて登場した乱太郎・きり丸・しんべえに半助は拳骨を落とした。



ミツは膝を打ち、



「なるほど!わかりやすい名前ですね!」

「お前も殴ったろか!」




などと自身の深刻さを微塵も感じさせなかったミツである。そこらの町娘と変わらない小袖姿で、どこかダルそうな雰囲気を醸し出していること以外、普通の娘だと思っていた。大木雅之助の従兄弟の娘、とは聞いていたが、忍びの心得があったとは―――。





「彼女がくの一で、それもあのウシミツドキ城の者だったとは まるで気がつきませんでした」


土井から視線を逸らしながら大木雅之助はじっと前を見つめている。ど根性が口癖のこの男にしては珍しく真剣な面持ちに、半助は自然姿勢を正す。





「土井先生、あいつ、忍者の家になんて生まれてこなければ良かった、なんて言っとるんじゃ」



「・・・・・・」




忍者である自分を否定する。だから、普通の娘のような立ち振る舞いをしようとしているのだろうか。


しかし、よくよく注意してみれば、彼女の勘はそこらの娘にしては鋭すぎるのがわかる。


乱太郎、きり丸、しんべえとミツが鍬で土を耕しているのが見える。鍬を振り上げたしんべえがバランスを崩し、乱太郎ときり丸に向かって倒れこんだ。「あっ」と半助は腰を浮かしたが、ミツがしんべえが崩れこむ原因となった重い鍬右手で、一方の左手でしんべえを支え、惨事は免れた。



ほっと息をつき、半助は再び木の板に座った。





「どうじゃ、良いモノもっとるじゃろ」


「ええ。彼女の事情はわかりますが・・・・・・」


「忍びをやめるのは勿体無い」



大木雅之助の言葉に半助は頷いたが、



「あんたに忍びだと気づかれないほどの雲隠れも中々のもんじゃろ」


自身が未熟だと遠まわしに言われたようで、半助は不貞腐れ気味に頬を膨らませた。



「でえ、大木先生なにが言いたいんですか」


雅之助は黙ってミツたちの方を顎でしゃくった。





「もおー、しんべえったら」

あわやしんべえの巨体に圧し掛かれるところだった乱太郎がたしなめる。


「へへへ、ごめーん」


と笑うしんべえ。


「ミツさんのおかげで助かりましたよぉ」


ときり丸。


ミツは、ははっと小さく笑った。






「ミツがあんな風に笑うのは、は組がここに来るようになってからじゃ」



半助は思わず雅之助の顔を見た。
雅之助は影を落としながらミツを見ている。




「忍者になりたくなかったなんて言うくらいじゃったら泣けばいいものの、あいつ涙の一つも見せん。小娘じゃけん、思いっきり泣きゃいいものを何を我慢してるのやら。
―――それとも、泣けないだけなのか・・・」



半助はそれを聞いていて胸が詰まる思いだった。ミツが背負っている罪悪感と孤独には果てがあるのだろうか。



けれど、自分たち一年は組が彼女の表情を少しでも柔げるのならば、





「土井先生、頼まれてくれんか。あいつを、忍術学園に」


「ええ」




雅之助は半助に向き直った。





「あいつを、頼む」



半助は力強く頷いた。







まだ薄暗い白い霧の中へ消えていった彼女の後姿に、無理矢理に忍びをさせてしまって良かったのだろうか、と少なからず後悔が湧く。



けれど、これは学園長の提案であるし、大木雅之助の言うように、ウシミツドキ城で若殿の護衛をしていたほどの彼女がこのまま燻っていくのは歯がゆい気もするのだ。




ジレンマ。




今は、せめて怪我の一つもなく戻ってきて欲しいと願うばかりだった。













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