エイプリル(1/1)






走った。はっ、はっ、はっ、はっ、
息が跳ねる。脚が右と左に縺れて転がる。高鳴る胸に、ポリエステルのYシャツが張り付いた。

あの頃と違うのは、その上に羽織っているものが裾の丸いブレザーかフォーマルスーツか、腰で履いただらしないズボンかベルトを締めたストレートのパンツか。そんな程度。

「ばかやろう…ッ!」

右手で握った小さい携帯端末に浮かび上がったその文字は、年月に反比例して簡素すら通り越していた。


「もうやめにしたい。わかれよ、王サマ」


随分な言い草だよな。散々勝手言った癖によ。発の唇がふと、舞い降りる夜桜を見る。
「……どっこ行ーくのー?おにーいさん?」
振り返らない黒い頭。進む右足左足。空の両手はジーンズのポケットと仲良しで、見えない唇からふわりふわり煙が昇る。
「旧校舎?屋上?もう取り壊しだってよ、来月」
「…え?ホントさ?」
「バッカじゃねぇの、お前…」
ぱちくり瞬いた目が振り返ったその隙に、煙の本体を奪ってやった。
「あ」
「嘘。ってかあんだけデカイもん取り壊すなら新学期早々やるかよ」
ナナメ右上の視線が二本。向き合ってどっちもナナメ右上なんだから交わる筈はない。咥える物がなくなった妙な鏡像の唇に、桜が舞い降りた。尖らせた唇に舞い上がる花弁は、所在なさ気に地に落ちる。
「……なんでさ?」
「あ?」
「もっと歯でも剥いて怒るかと思ったからさ、それかギャーギャー泣くか騒ぐか」
「思ってて言うか普通…あー、なに?普通じゃないんだっけ?」
「あーたに言われたくねぇさ」
はらはら舞い散る花弁が数枚、数十枚。足元に広がる絨毯に落ちた右ナナメ下の目は、丸いシルエットの天化の頭。
「マジで別れたいならあんなメール送んねぇだろ。自分で決めたらもう決定じゃん、お前。いっつも。」
「……王サマにしちゃいい推理さね」
「何年付き合ってると思ってんだよ」
潜り抜けた別れの局面は、実際結構な数だ。ふらりふらりいなくなるのはお互い様で、想い合っても向きだの不向きだので追いやられる。ムキになるのもお互い様。
「何年さ?」
「あと一週間で10年換算?それともなに?正式お付き合いからカウントダウン?」
「ま、どっちでもいいけど」
「あのな!」
「……だから。なんで怒んねぇんさ?」
「んな暇ねぇわアホ!死ぬ気で走ってきたっつの!」
立ち込める溜息と一緒に抱えた頭は熱かった。相変わらず、子供体温。最初に触れたのはいつだっけ?あの桜の日はとっくに過ぎた。その日は触れさえしなかった。最初に触れたのは……
「…っんっとに…なに考えてんだよお前…」
「エイプリルフール」
「知ってる!」
胸に埋まった少し低い後頭部が普段より低くなる。夜の薄明かり、発の胸に預けた体重が、頭半分重力に引っ張られるのは甘えたいとき。
「なんでそーゆー妙なS.O.S出すか…」
「そんなんじゃねぇさ、だから」
「あーハイハイ。エイプリルフールね」
くしゃくしゃ混ぜた髪が指に絡む。細い顎で押し付けたつむじがまた1センチ低くなる。抱き締める腕の力は、どうしたものやらいまだに悩む桜の日。
「……仕事、どうさ?」
「重役会議中に私用メール送りつけるどっかの寂しんぼのバカの所為で手につかねぇんだけど」
「だから怒りゃいいさ!」
「……もうすんな、絶対。ってか笑えねぇ。バカすぎて。此処にいろ。」
「…うん」
「どこにも行くな。どこにもやらねぇ。」
「王サマも、どこにも行かせねぇ」
「行けるわけないだろ」
桜に溜息、薄明かり。月に街路樹に住宅街。変わらないようで少しずつ、日々動く町の中。あれから10年?嘘だろう、ぼんやり思うのは、きっとようやく背に腕を回したそれも同じだ。
「王サマ、体力落ちたじゃん。昔あんだけ走ってたのに」
「お前と違うの脳筋じゃねぇの!」
「タクシー乗りゃいいさ」
「行き先変えらんねぇじゃんよ!っつか経費落ちねぇし!」
「うん」
「すっげー走ったんだけど」
「うん」
「プレゼン明日なんだけど。入社式もなんだけど。スピーチしなきゃなんねぇの、俺」
「うん」
そう言えば、あの入学式でこの人はあることないこと飄々とスピーチしてた。高等部内部進学組み代表で。それがもう10年前?
「…ゴメンさ、…ごめん、王サマ」
「…家、帰る?」
「仕事…」
「なんっでこれでそっち行くか!お前さぁ…」
「……って行かなきゃ間に合わないっしょ?」
「朝イチで行く。間に合わす。今度こそ経費落ちるし」
「…声枯れてんね」
「走ったしな。全力だぜ?冗談じゃねぇマジで。体力返せー」
「なんか飲むさ?」
「……じゃあ天化ちょーだい?」

変わったのは確実に。


「…ダメさ」
「嘘つけよ」
「バレた?」
「当たり前」

甘える均衡、大人と子供の境界線。いつの間に飛び越したんだろう?堪らなく立ち戻りたくなる一瞬があることが、なにより秩序に10年を描く。久々に重ねた唇は、妙に甘くて子供の味がした。少しずつ変わった二人のキスが、幼い日々に呼び戻される桜の日。
「コレってこんな感じるっけなー」
舌先を擦り合わせて目の先で笑った。
「俺っちも今それ思ったさ」
「ばっかみてぇ」

思えば、カケヒキなんて常套手段は使ったこともそうそうない。ばっかみたい。笑いながらまたキスをした。自分勝手でナマイキな、乱暴な丸い頭を掴みながら。底抜けに明るく優しく繊細な、バカな頭に縋りながら。

「んあー、入社式寝そう…」

欠伸の口にいつかのフレンチトーストを突っ込んで、家を出る背を見送った。絞めたネクタイは紅に近いワイン色。

「俺っち今日帰れねぇから、なんか作っとくさ」
「おう!あー、んじゃ店の方寄っていい?」
「閉店ギリなら」
「オッケー!行く行く!」

いつだって二人で居ると治るんだ、幼い日のささくれは。いつの間にか二人暮らしのその部屋で、頭に止まった花弁が一枚。懐かしいラグに落ちた。


end.


10年後はちょっと糖度が落ちました。
2011/03/31

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