シークレットレコード




秋風が吹くカフェインの部屋は、いつの間にか隣のメンソールが顔を出す。喉元に流したカフェインに甘い子供のメンソール。中毒性はぽたりぽたり、ミルの隣のサイフォンに落ちきった。
「うるせぇさ、あんま聴かない」
「へぇ、まぁガラじゃあなさそうだよな」
互いに嫌な様子はない、それでも口の悪いレコードは、今日も時代遅れのキッチンで残り少ない命を燃やして音を紡ぐ。秋風に身を焦がす窓枠を見て、目を細めたのは発だった。
「邪道っちゃ邪道だけどよ、バルトークあたりから入れば?近代の方が音近いんじゃねぇかな」
カップに口付け、渦巻く湯気の息吹きを抱いて、棚に立ち並ぶ楽譜を見た。俺も詳しかねぇけどよ、小さく苦笑を付け足して。
「そーゆーのって頭がガチャガチャするから嫌いさ」
「そうかぁ?」
ぽたり、カフェインが落ちると首を捻る。そう返ってくる言霊だって予想済みだとは言ってやらないだろうけど。
「高校んときの芸術鑑賞の日にオペラ見たけど寝ちまったし」
「…あー…ワーグナー?」
「そう、そんな人。それのなんとか指輪っちゅー話さ」
「初心者はなー、ああそりゃ学校の選曲ミスだ。演出小難しいのつけるだろ。魔王じゃねえか、オペラで分かりやすいなら」
「やっぱ今は初期のUKロックっしょ!」
力強く白濁のコーヒー牛乳を飲み干して笑うメンソールの生意気な年下は、
「"今は"って、わかってねぇのなー、お前」
「んー、でも最近俺っち的にグラムロックの方がキてるかも知んねぇさ。攻撃的で頭にキーンて!」
威勢だけは一人前の牛乳ヒゲで一体なにをわかるもんか。苦笑と微笑と微量のカフェインで染め上げる年下の健康的な中毒性に気付くには、発のスーツも幼かったからだと、そう思わなくもないマンションで、何年目かの太陽は今日も身を隠した。
「頭キーンな」
「知らねぇさ?姫発さん」
「いや知ってるけど。頭キーンはあれだろ、グラムどうこうよりバンド色と年代じゃねぇか?」
「わかってねぇさ姫発さん、"魂が"ってことさ。もったいねぇ生き方してんね」
得意気な顔にメンソールの煙に、むせた振りでこっそり吹き出した。抱える片腹は、"わかってねぇのはお前だろうが"言わない本音に隠れた眩しい日だまりの愛しさだ。カップを受け止めたソーサーの中で、雫がひとつ、姿を変える。
「そのキーンっつうのがグラムの味さ!あんたのカンが鈍ってるだけさ、クラシックなんて大人しいのばっか聴いてるから」
「だから入るならドボルザークとかバルトークとかよ、その辺から入って来いってーの」
すっかり意志は曲げないらしいモラトリアムの鼻息に、今度こそ可愛いため息をひとつ。サイフォンに残った粗びきの珈琲豆が鼻をつく。堪らなく昂るこの薫りも、相殺する隣の煙の味も、抱き寄せないのは大人の余裕と名前をつけて、
「ラフマなんて結構攻撃性高いのあるぜ?愛憎渦巻きとかクるんじゃねぇか?あとは大陸系だな。ガーシュインなら知ってっか?」
「……ふぅん」
一滴一滴染め上げる魔法の呪文。
「でもやっぱ、俺っちドラムないのは好きじゃねぇ」
「…んじゃあよ、とっておきだ。ジャズバーのコンチェルトの日、連れてってやるよ。」
にわかに広がる大きな目は、視線を向けずに確信していた。ぽたりぽたり、双球の動く音は何度か耳にした可愛い好奇心の動く音。
「ドラムガンガンリクエスト入れれば?木曜はアルトサックスもコンバスもくるからよ、チップ制リクエストありの日だ」
「チップってドリンクのさ?バーでネックストラップ?」
「っうわー、」
吹き出せばいぶかしむ目は大真面目に足を組んでそこにいた。ライブハウスじゃねぇよ馬鹿、言ってやらないだろう幼い愛しさに、
「んじゃあよ、今度の魔家四将の箱は?好きな系じゃねぇ?頭キーン。」
代替案は用意済みの部屋の主。とっくに財布にしまわれたチケットは、発売前から目をつけていた。きっと好きだろう年下の好みはお見通しだ。また回り出したコーヒーミルも、二度目は優しいコクにしようと決めた。
「マカヨンはギターが好きじゃねぇさ、ナヨナヨネチネチしてて。最近テクノ臭ぇアレンジで売り上げ狙いばっかだし」
「シンセのサポメンで楊ゼン入るらしいぜ?初期アレンジのセットリスト入れるっつうけど」
「どこ情報さ」
「公式に決まってんだろ。」
「…マジかい」
「行く?」
吸い込み直した煙の相殺、薫る豆を遮った健康美の幼い肩がもどかしそうに揺らめいていた。あと一押しのミルを引っ掻く豆の音。
「ドリンク代。ワンドリンクとパンフ買ってやるよ」
「行く!行くさ!!行く!」
案の定食らい付いた手は100円ライターを追いやって、したたかにカップを滑らせた。グッドタイミング、ドリップを握る発の手が、ミルクと牛乳も追加した。
「同じ木曜公演。お前午後のゼミ入れてないだろ?」
「ああ、うん」
「18日過ぎてっからレポートもねぇんじゃねぇ?」
「うん」
迎えに行ってやろうか、とは言ってやらない。きっと押し掛けて困る顔を楽しみに。ぽたりぽたり、進行した中毒は、二杯目のカップで乾杯しよう。屈託ない唇が、カップと煙草を迷っていた秋風の日。
手に入れるまでもう少し。発の唇が煙に隠れてカップを吸った。


end.
2011/09/07

人足先に大人発と生意気盛り天化の図が好きだったりします。たいして離れてないだろうけど。
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