親指(1/3)




じりじりじりじり、蒸し暑いにも程がある。
帰んの?
つまらなさそうに動いた唇に、また触れたくなったのは甘酸っぱい秘密。
「親父怒ってるかんねー…」
「……だよなー」
はぁ。重なる溜め息。
少しの罪悪感と背徳感は特別な秘密で二人の約束めいていて、……嫌ではない、多分。
「ご飯作んなきゃなんないし」
「おう」
「テストだし」
「だよなーぁ…」
夜中と明け方。
持ち主が理性だのなんだのを吹っ飛ばしている間に、伝言を預かった携帯電話。電話口から漏れる大音量のおかんむりの父の声は、二人して耳に痛い。

「じゃ」
「おう」

部活もない。まだ日も高い。
スコールに打たれたポリエステルが、太陽に当たってパリパリ固まった。形状記憶。久し振りに嗅いだその匂いは、クリーニング屋のアイロンのそれにとても似て。

ふと思い出した母の顔。
今更気付く。

泥汚れもなんのその、食べこぼしも元気な証拠。服の皺なんて気にしないで走り回った幼い毎日も、微笑んだ母がアイロンを手にしていたであろうこと。
男5人の黄一家を支え続けた母ひとり。突然の事故からもう1年以上の日が過ぎた。

冷房の効いた図書館もコンピューター室も、視聴覚室も資料室も講堂も、望めばいくらだって。私立学生の特権だ。学園内の設備は生徒手帳ひとつで使い放題。

模範的に建設的に使うか利己的に使うか、違いはそれだけで、……きっと今日そこにいたら間違いなく溺れる彼が隣にいる。
違うと思った。どうかしてた。学業ほったらかしで剣も乱れっぱなしで、溺れっぱなしで馬鹿馬鹿しくて。

まだ早い。

夕方4時だ。日も高い。
揺れる電車の窓ガラスの乱反射に目が痛む。
「マジで?」
「マジで!昨日別れたってメールきた、ふつーに」
耳が痛む。
斜め前のドアの隙間、白いブラウスに短い緑のチェックのスカート、紺ソックス。茶色がかったふわふわ髪を抱き締める、だらしないしわしわのシャツに落ちそうなズボン。色はカノジョと同じ色。
「なくねぇ?アイツぜってー別れないとか言ってたじゃん」
「だってもう体育祭のときとかさぁ、超無理だったんだけど」
「ぜんぜんわかんなかったし、やべぇわ遅れてる」
「ほんとヤバかったっぽいよー、見せてもらったの!んで最後のメールとか笑いすぎた」
抱き合ったままの物騒な噂にずり落ちそうな揃いのネクタイとリボン。
「でもうちら絶対別れないもんね」
笑うカノジョに抱き締めるカレシ。
違う。暑苦しい。
見たくない腹立たしい。

違うと思った。
天化の目が開いて閉じてまた開く。小さく左右に頭を振った。
雨の匂いと、いつもと違うシャンプーの匂い。
違うと思った。
羨ましいなんて。

揺られて帰る数駅の魔術。暑苦しくてろくでもないバカップル。腹立たしい。それだけだ。

親しんだ小さな黄の表札。
「……ありゃ?」
乱暴に突っ込んだカギがくるりと逆回り。反射的に押したドアが重く止まって、また逆回りの銀のカギ。

「…だいまー」
「ふぇ!にいさま!?」
なんでなんで!今日は遊べるの?慌ただしく滑り込む体に、見上げる大きな目が輝いた。
「天祥!ちゃんとカギ閉めろって言ったさー?」
「だって今帰ってきたんだもーん」
たった今走り寄ったかと思えば口を尖らせて踵を返すこの弟。しょっちゅう遊びに来る誰かといるうちに、すっかり言い訳上手になった。

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