駅まで歩く夜の道。無言が苦しくて気恥ずかしくて、電車で二駅、乗り換えて一駅。歩いて5分。
「はーぁ…ここ住んでんかい?」
いくらなんでも、とでも言いたかったのだろうか。驚いた目が白い外壁の高層マンションを見上げた。
「…まぁ一応」
手は繋がない。甘い言葉も囁かない。そんなに甘い関係じゃない。そうなりたくない訳じゃない。でも男女のそれとは違うと思う。どうしていいかわからない。その不思議な感覚。
多分共有してるそれ。
若いな核家族なら一家で住めるほどの部屋。ドアはオートロック式で、築20年越えの貸家の黄家とは随分な違いだった。
「…お邪魔します」
「だから気にすんなって。俺だけなんだし」
ばつが悪そうに顔をかきながら進む丸い背中。
いつだったか、そうだ、殴り合いになったときの言葉がよぎる。
「いっつも一人さ?」
答えない主の後をついて通り抜けるキッチン。
「王サマ?」
溜まるのは洗い物よりプラパック。
「カップ麺ばっかさー」
いつの間にか天化の手を引く発の手が、寝室のドアをくぐる。
「お前みたいに器用じゃねぇ」
振り返ったキッチンの影。
「え、鍋もないさ!?」
「ポットあるだろ。象印の」
「でもそれじゃー栄養偏っ」
「なぁ!」
遮って向き直った発の目にはっとした。
思い通りにはなってくれない、待ってくれない動悸と不整脈。
「……天化」
ゆっくり、大きく包むように、遠慮がちに抱き締める発の腕。
「俺、すげー長いんだけど。…片想い期間」
初めて見て目移りした"王サマ"のプライベートから、引き戻される初めての二人の時間。重なる唇。
想像のカラフルより遥かにモノトーンに近い部屋。自分はこの人のなにを知っているんだろう?
「……ん」
わからない。知らなかった。
「天化」
人の気配がしない無機質な部屋の中。
嫌じゃない。気持ちいい。どうしたらいいかわからない。
夕方のキスの感触が頭をよぎって、でも今も重なっている唇。どっちがどっちかヘンな気分で、夢中になってただ触れるだけ。
天化が腕を回せば、発の腕に力がこもる。どうしてもどうしてもまた込めたい力。
わからない。
スキな気持ちと抱き締める力は、幼いイコールでそこにある。
「……ン!?ちょ」
滑り込んだ発の舌の感触に見開かれた天化の目。叩いた肩。
「…え…あ、…嫌?」
どうしよう。嫌じゃない。嫌な訳ない。不満より不安の色が濃い発の声に胸が痛い。
いつもいつも余裕なその目が困ったように繰り返す瞬き。不覚にも、可愛いなんて感情とイコールで結ばれてしまった天化の脳内。
「ん。」
迷った末に自分で舌を差し出した。
「天…」
子供のイタズラみたいなそれに、驚くのは発の番
「こーゆー風にしたいんだと思った」
「そうだけどよ…お前ペコちゃんか」
一体なんのだまし討ちだかコントだかわかったもんじゃない。
「…嫌だったらしないさ」
首に回る腕が熱い。
言いたいことは山ほどあった。わからない気持ちも山ほどあった。言ったら全部ガラクタになりそうで。
ただ重なる唇と吐息の柔らかさに酔う。
棒立ちの天化の脚を発が引き上げる。震え始めて縺れて沈んだ巨大なベッド。一人暮らしにキングサイズのアンバランス。フローリングにじかに置かれたパソコンが、今は小さな照明代わり。
おかしい。
なんでこんなに触れたいのかわからない。何処から沸いてくるのかわからない。
「……はっ」
「なに…?」
向かい合わせで横を向いて埋もれた。呼んだつもりの名前が、最後はキスに絡め取られてなくなった。
「発」
もう一度はっきり呼ぶ名前は、初めての二文字で、
「はつ」
言葉にしたら止まらない。
発の腕の力が強くて、天化の言葉の力が強くて、嬉しくて気持ちよくて。