導入部



深夜が近付く卯月も中頃の街外れ。煌々とした緋より幾分禍々しく、黒くくすんだ赤の暖簾を下げた小さな店に人影がある。
「肌に優しい、とろとろ滑りいいのがいいんだけどよ」
「んじゃあこれならお墨付きよ! よがらねぇ女はいねぇって評判だ」
「ばっか言えテメェ!」
話が通じないと旦那の頭を小突いたのはかつての遊び人その人で、
「へいへい、“肌に優しい油”ね」
あまりの目の真剣さに吹き出した大柄な旦那はかつてのつるみ仲間だった。
彼がひゅう、と口笛を鳴らして傾けた大瓶から、艶かしく光る乳白色の液体が流れ出る。とくとく、とくとく、小さくも蠱惑に満ちたフォルムの小瓶へ注がれたそれを、発は満足気に懐へ招き入れた。すん、と鼻を鳴らせば鼻腔を満たす官能の香り。
「麝香か?」
「おっ、流石わかるね! それに鈴蘭、乳香さ」
鼻腔に広がった甘い香りは、いつしか月夜にねっとりと粘膜を犯す乳質の怪しげな香りへと姿を変える。蘭の花のような香りもした。小指で摘まんだ瓶の蓋を開ければ、ふわりふわり蠱惑は踊る。その舞に発は満足そうにスンと鼻を鳴らして片目を閉じて見せたのだった。表情もふわりと月夜に舞い上がる聖母のような優しげな笑みに変わる。

「――……っとになーぁ、ナンパ師武王さまの寵愛の限りを受ける美女たぁ如何程かって、みんな沸いてんだぜ?」

あまりの変貌ぶりにまたもや飛び出す揶揄にもう一度頭を小突いて噴出し、
「口止め、頼んだぜ」
優しい笑顔でカウンターに置かれた金一封。変わった癖に変わらねぇなと笑う店主は、その王たる遊び人の背に鼓舞の拳骨を一つ。
「いつか合わせてくれや!」
「いつかな、いつか!」
「次来る時までに捨てられんなよな!」
「んだとぉーーっ!?」
笑い合う声小突く音。肩を組む音に怪しい香り。

“王サマ何処さぁーー!”
定例の怒声が響いたのはその直後だった。
しかし未だ誰も知りもしないのだ。この怒声の主が噂の美女、だとは。
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