夢2 | ナノ


▼ 2.なくや五月の

初めは、疲労からくる幻覚かと思った。乱入してきたそれは、息を切らして裁判所内を見渡し、やがて目が合った。
その瞬間、泣き笑いのような顔になって、こちらへ走ってくる。
手元から巻物が滑り落ちるのを感じたが、足元へ目を落とす間などない。
もう目の前まで迫っている彼女を、反射的に受け止めた。
温かみのある身体。腕の中に納まった体温は必死に着物へ縋りついて、私の名前を呼んでいた。


19.なくや五月の


「鬼灯さん!!…鬼灯さん、鬼灯さん…!!」

会えた。やっと会えた!私はとにかく目を瞑って鬼灯さんに抱き付き、無事に会えたことの喜びを一人で噛みしめていた。
顔を見るだけにしておこうとも思った。だけど、やっぱり駄目だ。姿をみてしまうと、歯止めがきかなかったのだ。
もう離したくないな、なんて思いながら一度強く回した腕に力を籠めれば、私が驚いてしまうくらい鬼灯さんの体がびくりと痙攣した。

瞬時に手首をとられ、無理矢理身体から引きはがされた。強い力で引っ張られぎしぎしと両腕が痛み、思わず顔を顰めてしまったのだが、ふと顔に影が落ちたのを感じて上を見上げる。
こちらを見下ろす鬼灯さんは、おそらく今まで見た表情の中で、一番「驚き」を表すそれだった。瞠目された赤黒い瞳は寸分もずれることなく私の顔を覗き込んでいる。

「ほ、鬼灯さん?」

予想以上に上ずった声が私の口から洩れ、それによって我に返ったらしく、またも乱雑に片腕を握る手に力が込められた。そしてそのままずるずると引きずられていってしまう。え、ちょ、何!?

「大王、少し失礼します」

有無を言わせないような低い声に答えたのは、頭上のおじいさんの「ほ、鬼灯くん!?」という困惑しきった声で、今更ながらお仕事中飛び込んでしまってすみません閻魔大王。
私は相変わらず鬼灯さんによって引きずられているのですが、この人と私の歩幅の差が激しいので正直辛い。裁判所の部屋から引っ張られて今歩いているのはひたすらに長い廊下だ。
その突き当りに、ドアが見える。よくよく見れば、鬼灯のマークが彫ってあるのが見えることから、どうやら鬼灯さんの自室らしい。
片手で引き戸を開け、中に引きずり込まれる私。この間、私と鬼灯さんは一言もしゃべっていない。というか、鬼灯さんの背中からはうかつに話しかけられない雰囲気が漂っており、私は口を閉ざす他なかったのだ。

部屋の内装を見るまでもない。部屋に入るなり唐突に立ち止まり、後ろ手に引き戸を閉めた。大きな音をたてて閉め切られた戸に身体が跳ねると同時、くるりとこちらを振り返る。
ずっと握られていた手首が解放され、離れた鬼灯さんの手が私の頬へあてられた。

その手つきはさっきの打って変わって乱雑ではない、割れ物を扱うそれだ。

上を向くように手で示され、おとなしく従えば裁判所で私が抱き付いた時と同じアングル。
しかし私を見下ろす鬼灯さんの瞳は、幾分か普段の落ち着きを取り戻していた。

私も言葉を発しようとしたのだが、鬼灯さんがなにか言いよどんだので大人しくそれを待つ。
やがて、私の両頬を固定していた右手が離れ、ゆっくりと頭を撫でられた。左手は変わらず私の頬にあてがわれたままだ。
慈しむ、なんて地獄の鬼を表現する言葉じゃないかもしれないけど。私の頭をゆっくり撫でてくれる手つきはたしかに、慈しむと表現するにふさわしいと思う。
水たまりに波紋ができたように、ぽつりと。鬼灯さんの小さな口からやっと声が漏れた。

「由夜さん、ですよね」

「はい」

そう答えれば、髪の毛に僅かに触れて、左手が遠のき、名残惜しそうに頭へ乗っていた重みも消えた。鬼灯さんが僅かに私と距離をとったのだ。

「…鬼灯さん?」

大丈夫ですか?と聞けば、ふいとそっぽを向かれてしまった。
多少以上にそれにショックを受け、なにかしら抗議しようとしたのだが遮るように前に出された掌の阻止される。
疑問に思ってよく鬼灯さんを見れば、そっぽを向いて、顔を覆うようにして片手をやっていた。

「……あの?」

「ちょっと、待ってください」

「はぁ、えと、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですから、こっち来ないでくださいね」

こっち来るなって。なにそれ酷い。仮にもこれ感動の再会だぞ。
そう抗議しようと一歩近づけば、いつになく小さい声で、

「…あぁ、勘違いしないでください」

「え?」

「顔を会わせられないだけです。……こういう時、どういう顔すればいいのかわからなくてですね」

そう言って、(私からは見えないが)後ろを向いて顔に手をぺたぺたとあてている、ようだ。

ちょっと、待って。なにそれ、なにそれ、

「かっ、可愛い!!鬼灯さん可愛いですね!!こっち向いてください鬼灯さん!!」

「こっち来んなっつったでしょう」

「スイマセンスイマセンスイマセン!!」

鬼灯さんがなんか可愛いぞ!という衝動のまま突撃すれば、抱き付く前に振り返った鬼灯さんにガッ!!と頭を鷲掴みにされて計画破綻。待って頭ミシミシいってるいたいいたい!
謝り倒した私に満足したのか、離れていった万力のような力を持つ手に安心し、そっと顔を見上げる。
しかし、特に普段の無表情に変わりはなかった。なんだ、少し期待したんだけどな。

「……なにか?」

「いいえナンデモナイデス」

心なしか蔑んだような目で見降ろされ、どうやら私の下心は丸見えだったとみていいらしい。やっぱり鬼灯さんから一本とるのはそうとう至難の業だ。

鬼灯さんは閻魔大王に事情を話し、少し休憩を入れさせてもらい、その間にできるだけ状況を整理する…と言って部屋を出て行った。すみません騒がせちゃって、と言えば「まったくです」と間髪入れずに返ってきたことを考えると、さっきのことをまだ根に持っているらしい。
場の空気が落ち着いたところで、改めて鬼灯さんの自室と思われるこの部屋を見渡した。
とにかく雑多な部屋だ。これはとても意外。現世にいたころ、頻繁に部屋を片付けろなんだろ言われていたから、てっきり私物は一切ないとかかと思っていたのだ。
なんだかやたらと金魚のグッズが多い気がする。というか、書物と同じくらい動物のグッズが多いのだ。机の上に飾られたそれらは、こんな強面の男の人が揃える代物ではまずない。
まぁ、そのギャップもいいと思ってしまうくらいには鬼灯さんと仲良くなれたと感じる私。妙な達成感。

がららと音をたてて戸が開き、鬼灯さんが再びやって来た。「おまたせしました」と言って、立ちっぱなしだった私をベッドへ座るように指示する。
本が所々に積んであるが、おそらく鬼灯さんがいつもここで寝てる所だと意識すると、なんとも腰かけ辛いものがあるのだが。

「心配せずとも、私は地獄に帰ってきてからそこで寝てませんよ」

「……だから、サラッと人の心の中読まないで下さい…」

「あなたの顔からダダ漏れなもので、つい」

相変わらず酷いな鬼灯さん…じゃなくて。
今なんかツッコまないといけないこと行ったこの人。そこ…ベッドで寝てないって、

「…じゃあ鬼灯さん、この数日間どこで寝てたんです」

「基本的に寝ていません」

「休んでください今すぐに!!」

そういや茄子君か唐瓜君が「不眠不休だった」って言ってたなぁと今更のように思い出し…ていうか数日間一回も横になってないってそれどんな社畜。ブラック企業もいいとこだ。私は慌ててベッドから立ち上がって鬼灯さんの手を引っ張った。引っ張ろうとした。しかし掴んだ瞬間、片手で叩き落とされ挙句の果てに頭の頂点に手刀が突き刺さる。
超痛い。

「……いたい…なんで…心配してるのに」

「あなたに心配されるほど私は落ちぶれていませんので」

「さっきまで鬼灯さん可愛いとか思ってた私を消し去りたい」

「消し去りたいんですか」

「例えです比喩ですだから金棒構えないでください!!」

睡眠をとってなさすぎでテンションがハイになってるのか、なんだかやたらと絡んでくるな鬼灯さん。とにかく仕事もまだ溜まっているから休むわけにはいかない、と言った鬼灯さんを丸め込むことはできず私はベッドに座り直された。その隣に鬼灯さんも腰を下ろす。

「……話を整理しましょう。由夜さんは現世で、『自分が死んだ』記憶はありますか」

腕を組んでこちらを向いて聞いてくる鬼灯さんは睨みつけるような瞳で私を射抜いている。
しかし、そんな記憶は勿論ない。私は素直に首を振った。
鬼灯さんはなぜか目を細め、

「本当に?」

と追及してくる。私が「本当にないです」と言えば、あきらめたように溜息を吐く。…白澤さんが言っていたが、もしここで「二人に会いたかったから、実は頸動脈切っちゃったんです!」とか言ったらどうなるんだろう。洒落にならないが、一瞬本気で考えたことだ。まぁ、絶対怒られてただろうな。

「…では、あの世に来る前の…現世での記憶はどの程度残っているんです」

心なしか、さっきより声音が優しい気がする。気のせいだろうとおもいつつ、私も感じた通りのことを話した。

「多分、なんですけど。二人がいなくなってから三日後くらいに目が覚めて、その時は何にも覚えてませんでした。鬼灯さんと白澤さんのこと」

「そのはずです。というか、何故私たちのことを思い出してしまったのか…それが不可解で仕方ありません」

心底わからないといった様子で首をひねる鬼灯さん。そんな中、眉を顰めていつもより更に低い声でぽつりと、

「……あの豚が術式に手を加えたか…?」

「…えっと、その、白澤さんが私にかけた術式って…」

そう、ずっと気になっていたのだ。今すぐにでも白澤さんを撲殺しに行きそうな鬼灯さんへ、恐る恐る声をかければ隠す気はなかったらしい。淡々と答えが返って来た。

「手っ取り早く言えば記憶改竄ですね。貴方の記憶から私と白澤さんが関わったものを改変する術式です」

なんとなく察しはついてたけど、やっぱりか。おそらく、あのミネラルウォーターに睡眠薬みたいなのを仕込んでおいて、それで私が眠った時にかけたのだろう。こう考えると、白澤さんってやっぱり神様なんだなぁとしみじみ思う。

「…それで、どうして思い出したんです?仮にも神獣がかけた術式、人間には解けるとは考えられません」

それは、と答えようとした瞬間、にゃあ、という声が部屋に響いた。私と鬼灯さんも少なからず驚き、室内を見渡せば部屋の引き戸の陰に隠れるようにしてこちらを見ている…猫好好ちゃんがいた。
ごめん、完全に存在忘れてたよ。

「あっ、あの子ですあの子!!」

と指差して言えば、鬼灯さんが信じられないものを見るようにして部屋の隅で震える猫好好ちゃんを見つめていた。
どうやら猫好好ちゃんの様子を見るに、鬼灯さんが苦手らしい。なんかすごく震えてるし。これは生み出した主の意志を継いだりするんだろうか。

「あの生き物は、白澤さんが以前に描いた?」

「多分、そうだと思います」

あの猫好好ちゃんの御陰で全てを思い出すことができたといっても過言ではない。そういって伝えれば、鬼灯さんの冷たい声に一刀両断された。

「ありえません。術者がどれほど技量をもっていたとしても、それが今の今まで消えなかったことは異常です」

「そ、うなんですか?」

そういえば三日で消えるとか言ってたもんなぁと、白澤さんがこの猫好好ちゃんを生み出した時のことを思い出す。
あれから三日以上は勿論、一週間は過ぎた。それに関して鬼灯さんは「ありえない」と言ったのだ。
しかし、記憶改竄の術にしても猫好好ちゃんに関しても、とにかく白澤さんから話しを聞かないことには始まらないと結論付けた。
顔を洗っている猫好好ちゃんを横目で見つつ、鬼灯さんがひどく苛立たしげにつぶやいた。

「あの白豚が余計な細工をしたせいで…」

「えっ、いやまだわかりませんよ!?白澤さん何もしてないかもしれないじゃないですか!」

そういえば、別れ間際「もし覚えてたら…」みたいなこと言ってた気もする。…やばい益々白澤さんが戦犯の疑いをかけられてしまうぞ。
…まぁ私は私で、肝心のその場所の名前が思い出せないのだが。残念すぎる私の脳。

「…話を戻しますが。由夜さんの記憶は戻ってしまったんでしょう。それからどうなったか、覚えていますか?」

私が必死に白澤さんの言った場所を思い出そうとしていると、鬼灯さんがそう聞いてきたので慌てて答える。
しかし、記憶が戻ってからというものの、そこら辺から私の回想は途切れることとなる。

「いえ、二人のことを思い出してから、とにかく寂しくって、とにかく泣いてました」

答えれば、鬼灯さんの顔が更に険しくなる。だから怖いって。今のどこにそんな腹立たしくなるポイントがありましたか。
そして仕方ないように目を瞑ると、続きを言うよう促す鬼灯さん。

「…それから?」

「それからは本当に覚えていません。気がついたら河原に居ました。この猫好好ちゃんと一緒に」

呼応するように、部屋の端で「にゃあん」と鳴く猫好好ちゃん。邪魔をするなと言うように、鬼灯さんが猫好好ちゃんを睨みつければ、飛び上がって本棚の隙間へ逃げ込んだ。
大人げないです、とツッコみたいところだけど、下手に茶々いれたらまた手刀を喰らう気がする。素直に押し黙っておけば、鬼灯さんが口火を切った。

「…わかりました。とにかく、白澤さんから話しを聞かない限りはどうしようもありませんし」

「やっぱりそうですよ、ね」

「本当は今すぐにでも天国へ殴り込みに行きたいところですが、生憎私も仕事が溜まっているので」

ホントにこの人の仕事量はどうなっているのか、と今日だけで心配になる。
手伝ってあげたい所だが、私なんかが手伝ってどうこうなることはないだろうし、なにより足手まとい以外の何物でもない気がする。

「天国ってそんなに地獄から遠いんですか?」

ふと思った疑問を口にすれば、答えはすぐ返って来た。携帯を操作しつつ、鬼灯さんは、

「いいえ、行こうと思えばすぐですよ」

どうやら白澤さんのいる場所へ電話をかけていたようだが、繋がらないらしい。チ、と舌を打つ音が僅かに聞こえた。
私はそれを他所に、思いついた案を鬼灯さんに伝えてみる。

「すぐ近くなら、わざわざ鬼灯さんについてきてもらわなくても、茄子君か唐瓜君あたりと一緒に天国に」

「ダメです」

しかし、最後まで言わせてもらえなかった。

「あ、二人とも忙しいですかね」

一応仕事してるんだもんなぁあんな子供なのに…と思い返しつつ理由を聞けば、鬼灯さんは相変わらず不機嫌そうに続けた。白澤さん絡むとほんと機嫌悪いよね。それは逆も然りだけど。

「そうではなく。奴の家に行くならば私がついていきます」

「…だって鬼灯さん忙しいじゃないですか」

「貴女、あれが極度の女好きということを忘れましたか」

呆れたように言い放たれた言葉に、ハッと我に返る私。
そうだった。ていうか、一回襲われかけたよね、私。それなのにマトモな護衛(鬼灯さん)なしで彼の家に会いに行くとか……

「…あれに食われたいならば、強くは止めませんが」

「強く止めてくださいお願いします」

危ない。危うく食われかけるところだった。現世で鬼灯さんから学んだことその一。鬼灯さんの助言、警告が絶対。
鬼灯さんは話が整うと「では、仕事に戻ります」と言って、ベッドから腰を上げて戸へ向かう。心なしかくたびれたように見えた背中が心配で、思わず声をかけた。

「鬼灯さん、無理しないでくださいね」

「言われずともわかっています。…由夜さんはここにいてくださいね。なにかあったら先の裁判所まで来てください。私がいなくても大王がいますから」

そうだ、私まだとんだ失礼(裁判中乱入、且つ補佐官へ突撃)をやってのけたのに大王もといあそこにいた従業員の方々に謝ってない。完全に忘れてたよ。ヤバイ。仮にも閻魔大王の御前で。
顔からサッと血が引いていく気がしたが、それを見越していたらしく鬼灯さんが助け舟を出してくれた。

「私から皆に、説明できる部分は話しておきます」

「ありがとうございます…」

「大王には…夕食時にでも会って詳しく説明する必要がありますかね」

「え、閻魔大王と夕食ですか…」

緊張する。ていうか、まだ死んでない(はずの)身で閻魔大王とお食事って。すごい体験だ。いやもうあの世にいる時点ですごいんだけどね。
鬼灯さんが一言残し仕事へ戻るのを応援しつつ、私は閻魔大王とのお食事会に向けて胃を痛ませることになった。



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