夢2 | ナノ


▼ 3.あやめ草

「ひ、暇すぎる」

かれこれ二時間が過ぎただろうか。私はとりあえず鬼灯さんの部屋に放置されています。寛いでいていい、と言われたから私はそこらへんに積んである書物を手に取り読んでみたのだが、なにやら薬のお話だったり医療のお話だったりと専門的なものばっかりで、興味のない私にとっては校長先生のお話と同じくらい眠気を誘う。
かといって、違う本を読もうと本棚にいって読みやすそうな本を探してみるが、見るかぎり背表紙はどれも以前に見た「拷問百選」みたいな本がズラリだ。

どれも、進んで読む気にならない。本棚に手を伸ばした形で固まる私は、とにかくこの部屋の主が帰ってくることと、その後に控えている閻魔大王とのお食事の時にどんな態度をとればいいのか考えていた。

それにしても、暇だ。本棚の中でもまともそうな部類に入る動物図鑑(なんでこんな本格的な図鑑が鬼灯さんの私室にあるかなんて知らない)を引っ張り出してぱらぱらめくってみるが、つまらないことには変わらない。
早く帰ってこないかなぁ、鬼灯さん。唐瓜君と茄子君の言う通り、なんだか仕事の多忙さのまいってるって感じはした。あんなペースで仕事し続けて大丈夫なんだろうかと心の内で心配になるが、まぁ、彼のことだし、無理をしすぎることはないだろう。

そんなことを思いつつ、ベッドにもたれて(流石に寝ころぶ勇気は無かった)ペラペラと図鑑をめくっていると、戸を隔てた向こう側から何やら声が聞こえてきた。



3.あやめ草


「…で、……おい……」

「わ……、ま…」

「……ど…で、…や…」

数人と思われる話し声が聞こえる。それは確かにこちらへ向かってきていて、私は心なしか背筋が伸びる。
誰だろう、もしかして私が乱入してしまった裁判所にいた人で、私に謝罪を求めに来た関係者の人かもしれない。
久々に鬼灯さんと会える!とそのことしか考えていなかったから先走った数時間前の自分を呪う。バカ私。仮にも閻魔大王の御前だったのに。
とにかく読んでいた図鑑を慌てて本棚に戻し、床に正座し、更に頭までついてお出迎え準備完了。いつでも謝り倒せます。私の土下座スキル、とくとごらんあれ。

しかし、床に額をつけて違和感を感じた。
声は数人分するのに、足音が一つだ。
その足音も、靴音ではない、固いなにかを床に擦り付けて歩くような、チャッチャッという高いそれ。

…誰だろう。
今更だが、ここはあの世だ。人間(死者)以外の生き物(鬼とか、鬼とか、鬼とか)が訪ねてくることもあり得るのだ。その可能性を今更のように思い出し、せめて人型であってくれと私は心の中で切に願う。

ガララ戸の開く音。思わずぎゅっと目を瞑る。チャッチャッという音は近づいてきて、私の目の前で止まった。
そして。たっぷりと間をあけた後、頭上から降りかかった声は、子供のような声。

「……だれ?」

子供?茄子君か唐瓜君のお友達だろうか。
そう思いつつ、恐る恐る顔を上げて私の目に映ったのは三つの影。

「………………。」

白い、毛玉。その両隣には、茶色の毛玉と…鮮やかな羽毛。

黒い鼻をスンスンと鳴らし、その白い毛玉が…私に近づいてきた。今、私は、おそらくすごく間抜けな顔してる。

「あれ…鬼じゃない…嗅いだことない臭いいっぱいする」

そういって、私を見つめる同色の瞳。ていうか、ていうか。

「っうわぁあああああぁああ!!?犬っ、しゃべっ!?えええええ!?」

思わず大絶叫してしまったのだが。目の前の白い犬は、いきなり大声を出した私に相当吃驚したようで、キャンッと犬らしい声を上げると体制を低くして威嚇の構えになった。犬の傍にいる…雉と猿だろうか。その二匹も驚いたように飛びのいて私から距離をとる。
うん。待って。ちょっと落ち着かせて。今、この犬、しゃべったよね?聞き間違いじゃないよね?

いきなり大声出しえた私が悪いんだろうが…目の前の犬は今、グルルルと牙をむいて私を完全に敵と見ている。さっきまでの可愛い姿はどこへやら、鼻にしわを寄せた形相は素直に怖い。

「亡者!?亡者か?!鬼灯様の部屋でなにしてるんだよ!!」

うわやっぱしゃべってる!!とのけぞる私へ今にも飛びかかりそうな白い犬。そこへ。下がっていた猿が犬の逆立った毛を引っ張って言った。

「ま、待てよシロ!コイツ白装束着てないぜ!本当に亡者なのか!?」

「柿助の言うとおりだ。ちょっと落ち着けよ」

えええええ君たちもしゃべるんですか!!というツッコミは置いておいて、ありがたいことに雉と猿がシロと呼ばれた犬を制してくれたおかげで私は噛みつかれずに済みそうです。
いまだに不穏なうなり声を上げている犬の前に、雉と猿が出てきて私のことを凝視した。……なんだろう、あの世じゃ動物が喋るのも当たり前なんだろうか。今ここで私の一番順応能力が試されている気がする。
しかし思い返せば、白澤さんも人間の姿をとっているだけであって、元の姿は獣だ。なんだろう、ああいう人知を超えた生き物が喋るのは受け付けられるんだけど、現世で喋ることがないって認識があった動物が喋ると異常な違和感があるのだ。
そんなことを思っていると、ずっと後ろ手胡散臭そうな表情を浮かべていた犬がハッとしたように我に返り、前の雉と猿を押しのけてテコテコと歩いてきた。
さっきよりは大分危険な雰囲気は抜けているが、それでもやはり警戒してしまう。

犬はぴたりと私の前で止まるとまたもスンスンと鼻を鳴らす。私は下手に大声を出さないように口手でふさいでいたのだが、不意に犬が顔を上げて言った。

「…鬼灯様の匂いがする!すごく!」

「そりゃそうだろ。だってここ鬼灯様の部屋だぜ」

「違うんだ、なんかもっとこう…匂いが…」

それはあれですね、私が一回鬼灯さんにダイブしてしばらくそのまま抱き付いたままだったからですね。今更思い返すとめっちゃ恥ずかしいんだけど!!

「えっと…多分私が一回、鬼灯さんに抱き付いたから…かな?」

そうたどたどしく言えば、三匹は同じタイミングでバッと私を信じられないようなまなざしで振り返り、

「えええええ!?抱き付いた!?鬼灯様に!?」

「ていうか「鬼灯さん」!?アンタ一体鬼灯様のなんだ?!」

「もしかして鬼灯様の彼女!?」

「彼女!?!」

違う違う!と激しく否定する。しかし、私のポジションをこの三匹にどうやって説明したらいいだろうか。というか、正直に話してもいいものなのかな。地獄で相当地位の高い鬼灯さんを「様」付けで呼んでる人が多いのだから、「さん」付けで呼んでるわけのわからない女を見たら疑うか。
口々に言い合っている三匹をどうしようか、と考えているとがららと音をたてて引き戸が開いた。
そして、外からかけられた声は酷くのんびりしている。

「おーい、由夜ちゃん?シロちゃんたちもいるの?」

聞きなれない声が自分の名前を呼んだ、戸を見れば、たっぷりと髭をたくわえた図体の大きなおじさん…、たぶんあの人は閻魔大王だ。そんなお偉いさんが申し訳なさそうにこちらを見つめている。身体が大きすぎるからだろう、この部屋までは入ってこない。

「は、ハイッすみません今行きます!!」

「あー閻魔様ウィッス」

「どうもー」

軽ッ!みんな軽くないですかその反応!だって相手は閻魔大王なのに!仮にも地獄のトップなのに!
そんな私の心なシャウトは押さえておいて、慌てて部屋の外へ出れば大きい図体を揺らして私のことを興味深げに見つめる閻魔大王と目があった。
そこで私は確信する。
今だ。さっきの無礼(裁判の最中乱入)を謝るには、今しかない。ていうか、閻魔大王もとい地獄の職員には多大な迷惑をかけてしまっている自覚がある。補佐官を私事で現世に引き止めたりとか。まぁ鬼灯さんにも帰れない事情があったけど。
閻魔大王はその名前に似つかわしくないニコニコした笑顔を浮かべ、私が何か言いたげなのを察してか、首を捻って待ってくれている。
こんな優しい閻魔大王なら、もしかしたらあっさり許してくれるかもしれない。
よし、いくぞ、と覚悟を決め私は――その場で素早く膝をつき、その流れで頭を床に打ち付けた。

「閻魔大王様!!今まで数々の無礼まことに申し訳ございませんでした!!!!」

ゴッ!という音が頭から身体に響き渡る。痛い。頭上で「えええええっ!??」とかものすごく戸惑った声が上がるのも気に留めず、私はあらかじめ用意しておいた言葉を大声でつらつら叫びあげた。

「そのせめてもの償いとして、私が死してあの世に再び参った際には切腹する覚悟でおりますゆえ!!」

「待って話が全然見えないよ!?由夜ちゃん今まで無礼なんか働いてないでしょう!?」

「いいえ!私はさっき裁判所に乱入して裁判を中断させてしまった上に、なにより仕事が溜まっている閻魔大王様の補佐官殿を現世に引き止めてしまって、支障をきたしてしまいました!!亡者よりも真っ先に裁かれるべきです私は!」

申し訳ありません!!といってもう一度床へ頭を打ち付ける。我ながら完璧な土下座だと思うが、やたらと頭がクラクラした。あ、そう言えば私現世で頭から出血したばっかだったわ。忘れてた。
ぎゅっと目を瞑って閻魔大王からの言葉を待っていたのだが、しばらくしてもなんの反応も返ってこない。ただ、私の近くであの三匹が何事かと騒いでいる声がむなしく無人の廊下に響いていた。

「由夜ちゃん、顔あげて」

そう言われ、私は目を瞑ったまま言われた通りに顔を上げる。すると頭上から笑いながら「怒ったりしないから目開けても大丈夫だよ」とも言ってくれた。
おそるおそる目を開ければ、ぼす、と頭に温かい感触。どうやら、頭を撫でられているらしい。
閻魔大王の手は大きく、私の頭の大きさを超えている。それが優しく、おそらく髪を崩さないようにとの配慮で、行き来していた。

「怒ってないし、無礼なんて思ってないよ。むしろ、鬼灯君を現世で匿ってくれてありがとう。由夜ちゃんの御陰で助かったよ」

本当にありがとう、と繰り返されて言われてしまい、私は慌てて反論した。閻魔大王が優しすぎて泣きそうだが。なんだよこのおじさん愛しい。

「でもっ、迷惑かけてしまったことは事実ですよ!!」

「いやいや、あの二人が帰って来れなかったのは由夜ちゃんのせいじゃないんだしね?まぁ、原因はわかってないけど…。でも、本当に由夜ちゃんには感謝してるんだ。ワシの補佐官がお世話になりました」

そう言って逆に頭を下げられてしまった。いやいや、ちょっと待って、こんな偉い人から頭を下げられてしまって、私は一体どうすればいいの…!!
とにかく顔をあげてもらおうと思って、上ずった声で閻魔大王へ声をかけた時だ。

「あ、あの!顔をあげてくださ―」

「なに二人して頭下げ合ってんですか…」

いきなり響いた背後からのバリトンに、思わずビクッと背筋が震えた。それは閻魔大王も一緒の様で、「鬼灯君脅かさないでよ!」と胸に手を当てながら言葉を荒げていた。なんだろう、どんどん閻魔大王が可愛く思えてくる。なんかもういちいちの動作が可愛い。
鬼灯さんは膝をついたままの私を一瞥すると不機嫌そうに顔を曇らせ、屈みこんで私の手を取った。冷たい手に力が籠り、強制的に立ち上がる。

「ほ、鬼灯さん…仕事は終わったんですか?」

そう言えば鬼灯さんの手が離れていき、そのままくまが出来てしまっている目を擦って呟いた。相当お疲れの様子だが、大丈夫だろうか。

「ひと段落はしました…かね」

「お疲れ様です」

「それより、なぜこんな時間にシロさん達がいるんです?」

と、鬼灯さんの足元で撫でてもらえるのを待っている三匹に問えば、シロという犬がさぞ嬉しそうにシッポをパタパタ振りながら飛びついた。さっきも思ったが、どうやら相当鬼灯さんになついているらしい。

「今日の報告書を渡しに来たついでに、遊びに来たの!」

「……いきなり自室に来ないでくださいよ」

そう言いつつシロちゃんを撫でる手つきはとても優しかった。思えばさっきシロちゃんが私に攻撃的だったのは、きっと鬼灯さんの敵と勘違いされていたからかもしれない。確かに、全然知らない人が大好き人の自室にいたらそりゃ疑うわ。更にたたみかけるように驚かしてしまったのは私なんだし。
そしてふと気が付いたのだが、今何時くらいなんだろう。廊下は恐ろしいほど静まり返っていて誰もいない。遅い時間帯なんだろうか。
部屋には時計もなかったし、窓もなかったので時間を確認するものが無いのだ。私の空腹はここに来た時点ですでにピンチを訴えていたのだが、今はもうそれすら感じないところまで来ている。
その代わりに訴える物は眠気。幾度目かの欠伸を噛み殺し、私は鬼灯さんへ時間を何気なく聞いてみた。

「鬼灯さん、ちなみに今何時くらいです?」

「今…は、ああ、ちょうど日付が変わりますね」

まじか。そりゃ眠くもなるわ。ここにきて全く時間間隔が狂っていたから気にかかる程度だったけど、まさかもうそんな時間なんて。それならこの廊下に誰もいなくても納得だ。もう職員は帰って就寝してしまっているだろう。
というか、今ここに居る人(動物含む)は、こんな時間まで働いていたことになるのか。社会って怖い。

「とりあえず、夜食でも食べない?ワシと鬼灯君お昼食べられなかったんだよねぇ、忙しくて」

「食堂自体は閉まっちゃってたけど、まだ明りは点いてたよ。おれたちは寮閉まっちゃうから帰るねー」

そう言って、くるりと方向転換するシロちゃん。咄嗟に私がその子の名前を呼べば、ちゃんとピタリと止まってくれた。いい子だこの子。

「あっ、シロちゃん!今日驚かせちゃってごめんね!」

そう言えば、柔らかそうな耳がぴんと立ち、答えるようにして尻尾もゆらゆらと揺れた。

「ううん、おれこそごめんなさい。鬼灯様の知り合いだったんだね…」

私がしゃがみ込んでチッチッと手を差し出せば、こちらへ歩いてくる白い毛玉。可愛い。その背後から、心配そうに猿と雉もついてくる。
近づいてきたシロちゃんは、私の指先をちろりと舐める。ゆっくりと頭に手をおいて撫でてあげれば、気持ちよさそうに目を閉じてパタパタと尻尾を振った。

「シロさん、由夜さんはいい方ですよ」

「そうなんだ!よろしく由夜さん!」

こっちの猿が柿助で、雉がルリオっていうんだよ、とも教えてくれたシロちゃん。まさかこの動物とお話しできることがあるとは思わなかった。人生なにがあるかわかったもんじゃないな。
そして彼らもやはり地獄で働く従業員ということが判明。なんでも転職先に困っていたところを鬼灯さんに拾ってもらったらしい。なるほど、だから鬼灯さんにやたらとシロちゃんは懐いてたのか。

寮に帰って行った三匹を見送り、私たちは食堂へと歩を進めた。二人ともやたらと疲れ切ったように首やら肩やら回しつつ誰もいない廊下を歩き、その食堂とやらに案内してもらう。「終業」と書かれたプレートを無視し、二人の後に続いていけば閻魔大王が「席に座ってていいよ」と笑顔で無人のテーブルを指差す。
いやでも手伝います、と言ったのだけれどもいいからいいからと押されてしまい、結局は今私は素直に席についてます。
あぁ、閻魔大王とその補佐官に配膳させてしまった。ていうか、今から思えば鬼灯さんの手料理食べてた私ってめっちゃレアだね。それは白澤さんのも言えるが。

「余っててよかったよ、おまたせ」

閻魔大王が運んできてくれた膳には、和食の代表のような定食メニューが乗っている。焼き魚、お新香、麦ごはん、味噌汁…こんなにベタな和食食べるのいつぶりだろうか。
お礼を言って受け取り、閻魔大王の頼んだ盆の上に載っているメニューを見て…見て見ぬフリをした。
規格外の丼に乗っている魚は、たしか生きた化石とか言われてたあの魚な気がするんだけど。気のせいだよね。うん。きっと気のせい。それで鬼灯さんが食べようとしてた天ぷらの植物は、たしか食虫植物と記憶してた筈の形状をしてた気もするが、きっとこれも気のせいだ。ハハハ、早くこの生活に順応しないかな私。
むしろ、このメニューで私にまともなご飯を頼んでくれた二人に感謝しよう。あの世一日目にして地獄の珍味はキツ過ぎる。





「じゃあ、お疲れ様。また明日ね」

「はい、おやすみなさい閻魔大王!」

「おやすみ由夜ちゃん」

「お疲れ様です」

食事を取った後、明日もいつも通り仕事があるということで早々に閻魔大王とは食堂の前で別れてきた。私は鬼灯さんの後をついて廊下を歩いているのだが、くあ、と欠伸を漏らす鬼灯さんが心配になり、思わずその横顔へ声をかける。

「…鬼灯さん、大丈夫ですか」

「慣れましたから。大丈夫ですよ」

「…すごく眠そうですけど。また途中で寝ちゃったりしないで下さいね…」

「私がいつも道端で寝るような言い方止めてください…」

言葉に切れが無いのも、きっと眠いからだろう。そんなこんな言いつつ、鬼灯さんの自室に着いた。危なっかしい足取りで鬼灯さんは自室のシャワー室へ行き、パチンと音をたてて電気を点ける。
そして脱衣室からひょいと顔を出すと、

「今電気つけましたから、由夜さんどうぞ」

「あ、はーい」

私の家にいた時は、お風呂の順番でもめたのが懐かしい。あの時はこんなに長い付き合いになるとは思わなかったなぁ。
言われた通りに脱衣室へ行き、ソックスを脱ぎパンツへ手をかけたところではたと気が付き、私の思考回路が停止する。

ちょっとまって、この流れ、私このまま鬼灯さんの自室に泊まる流れになってない?

というか、現世で鬼灯さんと白澤さんと生活していた時は、普通に一部屋に三人がいることが当たり前になってたから深くは考えなかったけど。この鬼灯さんの自室はベッドオンリーで、私の部屋と違って人数分の布団もない(たぶん)。
それに、私普通に脱いでるけど、着替え兼寝間着も勿論ない。

ばか、なんでもっと早くに気が付かなかったし私。脱ぐ手を止めて、脱衣所から出て行こうとしたのだが今の自分の恰好を見返し、握っていた引き戸から慌てて手を離す。
仕方がないので、脱衣所から声を張り上げた。

「ほ、鬼灯さーん!あの、着替えとか、あったりしますー?」

と、声を上げてみる。
しかしというか、やはりというか、答えは返ってこない。

私は慌ててパンツを履き直し、戸を引いて出てみれば、案の定ベッドに横になっている鬼灯さんがいた。着物もそのまま、帯も緩めてないところを見るに、おそらくそのまま沈み込んだらしい。
数日間寝てないって言ってたもんな…あぁ、デジャヴ。これ暫く起きないぞ。

私は鬼灯さんと初めて出会った日のことを思い出しつつ、色々と諦めて再び脱衣所へ引っ込んだ。全て着衣を脱ぎ、初めて触るシャワーに戸惑いつつも温かいお湯を浴びた。なんでだろう、とてもシャワーが久しぶりな気がする。シャンプー、リンス、ボディソープを拝借し、一通り身体を洗い流し終わり、髪をまとめてぎゅうと絞ればタイルにぽたぽたと滴が落ちた。
幸いバスタオルは幾枚も置いてあったので、遠慮なくそれを借りて身体を拭き、少しためらわれたがさっきまで着ていた衣服に袖を通した。

もし明日になって現世に帰れなかったら、これからこの辺のこと…どうしよう。主に下着とか下着とか。
一抹の不安を抱える反面、明日になっても帰れそうにない予感も感じつつ脱衣所を出てベッドのある部屋へ戻ってみた。

まぁ、期待はしていなかったが鬼灯さんは眠ったままだ。しかし、さっきとは異なる点が一つ。
寝返りを打ったらしい。広くはないベッドの上で、鬼灯さんが丸くなっていた。そして、やたらと右端に寄って眠っている。

まるで、あえて作ったようなベッドの左スペース。頑張れば、人一人分が空くくらいの空白だ。

「………………。」

私はそれを察した瞬、思いきり自分の頬へビンタした。馬鹿野郎。気のせいだ。気のせいにきまっている。というか、鬼灯さんがそんな遠回しなデレをしてくるわけがない。そんなラノベ的展開があるわけない。てか、鬼灯さんにデレなんて存在しない。

うん、そうだよ気のせい気のせい!!そう言い聞かせ、私は機械のように自分の髪をバスタオルで拭く作業に戻る。
魔が差したのか。暫く間をあけた後、もう一度鬼灯さんの眠っている姿を振り返った。振り返ってしまった。

(………苦しそう)

黒の着物の下に赤襦袢まで着ているのだ。なんだかそう思うととても寝苦しそうで、私は鬼灯さんを起こさないように恐る恐る近づき、貝口結びされている帯をぐいと引っ張ってみる。
鬼灯さんの下に敷かれた帯を引っ張り、次に黒の着物の襟を崩せば、想してたよりも肌蹴ている赤襦袢の胸元が露わになった。
思わず顔が赤くなったのを感じる。なんだこれ、なんかものすごく悪い事してる気分。
変態、馬鹿、変態。散々罵りつつ、私は黒の着物と帯をまとめて本の積み立った上へ置き、なんとか鬼灯さんの下に敷かれた掛け布団を様々な角度から引っ張って抜き、やたらと右端に寄って眠るこの部屋の主へかぶせた。
相変わらずどんなことしても起きない鬼灯さん。私はものすごく大仕事した気持ちで脱衣所へ戻り、もう二枚ほどバスタオルを拝借。そのついでに電気も消した。

鬼灯さんの眠るベッドから少し離れた部屋の隅で、バスタオル数枚を羽織って三角座りになる。そのまま目を閉じ、来るかもわからない睡魔を待った。
目を閉じても、鬼灯さんの赤襦袢が網膜に焼き付いたように思い出され、顔に熱が上がるのをわずらわしく思いつつ強く目を閉じた。








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