薄氷 -中編2- ※
光雪の家は、町から少し離れた丘のてっぺんに聳えていた。
町を見下ろすように、そして町からも光雪の家が見えるように建っていた。
「こりゃぁ、家というより、城だな。」
圧巻の光雪の屋敷に、どろろは呆気に取られていた。
広々とした庭に、門番の他、召使いと見られる使用人達が何人もいる。
「おかえりなさいませ、光雪様。」
「おかえりなさいませ。」
門番たちが光雪に声をかける。
「ご苦労。留守の間、変わりはないか。」
「何事もなく。して、そちらの女子は?」
「この方は…」
光雪が言いかけたところ、屋敷の方から若草色の裾の短い着物を着た少女が駆けてきた。
「おかえりなさいませ、光雪様!…その女子は?」
綺麗に揃えられたおかっぱ頭の小首を傾げ、ビードロのような瞳を輝かせている。太ももから見える足は、細いながらもすらりとしていて、しっかりと大地を踏みしめていた。顔が幼いわりに、背が高い。
「ただいま春緒(はるお)。この女性はどろろさんと言って、旅の方だ。ひとり野宿されようとしていたため、我が家に招待した。」
どろろが馬から降りる手伝いをしながら、光雪は説明した。
「まぁ!左様でございますか。女子が野宿をするのは大変危のうございますからね。」
「しばらく、身の回りのお世話をして差し上げてくれ。風呂は沸いているか。」
「沸かしてあります。どろろさんのお世話はどうぞ春緒にお任せください。」
「頼んだぞ春緒。どろろさん、風呂が沸いていますので、どうぞお先にお入りください。その間に、夕餉の準備をさせます故。」
「そんな、そこまでして貰うなんて悪いよ。猪の干し肉や木の実を持っている。それでいい。風呂は、そこいらの川で済ませてくるよ。」
「「川!?」」
光雪と春緒が同時に声を上げた。
「あっはっはっは!!どろろさん、貴女は本当に面白いな。いくら春とはいえ、川の水はまだまだ冷たい。風邪を引きますよ。」
「平気さ。村ではしょっちゅう入ってた。」
どろろの村でも温かい風呂に入る事は何の問題もなかったのだが、どろろはひと月のうち、数回しか風呂には入らず、あとは川や湖で済ませていた。
いつか長旅へ旅立つ時に体が適応しやすいようにする為だ。
そのため、普段の食事も旅の道中で食べるような物を自分で用意し、食していた。
「どろろさん、女子は体を冷やしてはなりません。せっかく我が家にいらっしゃったのです。我が家にいる間だけでも、ゆっくりと湯船に浸かって下さいまし。」
春緒はどろろの傍により、どろろの両手を己の両手で包んでいた。
『これは…白檀の香り…。』
「良い香りがするでしょう、春緒は。」
光雪はにこりと微笑う。
「光雪様が好きな香りだから。」
へへ、と照れ臭そうに春緒は笑った。
どろろはそんな二人を見て、かつての彼と自分の姿を自然と重ねていた。
「こんな、仲良くなかったけどな。」
ふふっと笑うと、二人が不思議そうにどろろを見た。
「どうかしましたか?どろろさん。」
「いや、仲が良くて羨ましい。」
「春緒のことは、兄弟のように思っているのですよ。」
そう光雪は言ったが、その言葉を聞いた春緒のビードロに僅かに翳りが差す。
それをどろろは見逃さなかった。そしてそんな春緒の表情にも、あの頃の自分を重ねてしまい、思わず目を伏せた。
「春緒。」
どろろはしゃがんで春緒の目を見つめた。
「今夜は、よろしくな。光雪様の武勇伝なんか聞きたいなぁ。」
春緒はぱぁっと目を輝かせた。
「はいっ!面白い失敗話なんかもたくさんありますから、お楽しみに!」
「これ、春緒!」
光雪に頭をくしゃくしゃと撫ぜられ、春緒は朗らかに笑った。
「屋敷といい風呂といい。大した者ではないだなんて、アイツ、大ぼら吹いたな。」
広々とした檜の風呂を見渡し、どろろはひとりごちた。
ぐぅう、とどろろの腹が鳴る。
「はは、かっこつけて干し肉でいいなんて言ったけど、そんなんじゃ足りそうにねぇや。」
旅に出たからか、村では気を付けていた口調があの頃のようになる。
春緒の光雪に恋をしているような表情を思い出した。
「恋、か。」
女としての幸せは、常にどろろの手の届く範囲にあった。
無理をして旅に出る必要もない。選り取り見取りの金持ちの中から適当な男を選び、結ばれ、子を産み、何不自由なく暮らしていくことも出来た。
それでもどろろは、修羅の道を選んだのだ。
長く美しい黒髪を簪で纏めたため、どろろの白いうなじが艶かしい。しかしそれを拝むことが出来る男は、今はいない。
「どろろ様!入ってもよろしいでしょうか、お背中をお流しします。」
「あぁ、いいぜ。」
自分で流せると思ったが、春緒が張り切っている様子だったので、どろろは任せることにした。
ガラリと戸を開けて入ってきた春緒は布を胸から巻いて、髪を一つに束ねていた。
その春緒を見て、どろろは驚いた。
なんと、髪が金糸になっているではないか。
「金…髪…?」
異国の者がごく稀に村に来ることもあり、どろろが金髪を見るのは初めてではないが、先刻、春緒の髪を見たときは間違いなく漆黒であったため驚いたのだ。
「驚かせてすみません。元々は、金色をしているのです。ただ、まだまだ見慣れない者たちも多い為、光雪様の勧めで、普段は鬘を被っているのです。屋敷の者たちはみな、知っているのですが。」
確かに、外では黒く見えていた瞳も、部屋に通された時に見てみると天色だった。睫毛も繊細な黄金色をしている。
「光雪様と私には、異国の血が流れております。」
だから光雪も玉色の瞳をしていたのかとどろろは納得した。
「怖くはないですか?」
春緒が上目遣いをして尋ねる。
「いいや。おいらの村は貿易にも多少、縁があってね。異国の者は見慣れてるよ。」
どろろはにっと笑った。
「安心しました。それでは、お背中をお流ししますね。」
そう言って準備を始めた春緒だが、ふとどろろの肢体をじっと見つめた。
「なんだよぅ、あんまり見るな。」
いくら女同士とは言え、一糸纏わぬ姿をじっと見られるのはむず痒い。どろろは胸を隠すようにして頬を赤らめた。
「すみません、あんまりにも綺麗なお身体をしていたもので。」
つつつ、とどろろの腰元から脇に手を這わせる春緒。
「ここも…。」
そしてあろうことか、くりくりとどろろの胸の頂きを指で弄った。
「んっ…ぁっ…何するんだっ!」
思わず甘い声が出てしまい、恥ずかしさからどろろの顔はさらに赤く染まった。
「可愛い、桜の蕾のようですね。」
怪しい春緒の微笑みに、どろろは意図せず股の奥をぎゅっと蕾めてしまった。
その様子を春緒は見逃さず、どろろの尻を舐めるように眺めた。
「そちらの蕾も、見てみたい。」
何かがおかしい。どろろはそう思いつつも、あまりの春緒の突然の変化に頭が追いつかない。
壁際へ後ずさるどろろを、四つん這いになってじりじりと這い寄る春緒。
接吻をされる!
どろろはぎゅっと目を閉じ、俯いた。
その時、耳元で春緒が囁いた。
「百鬼丸には、どんなことされてたの?」
その言葉にどろろはカッと目を開き、髪に刺していた簪を引き抜き、春緒の喉元へ突き付けた。輝く黒髪がどろろの身体へ舞い降りる。
「今、なんて?」
先刻まで乙女の恥じらいを見せていた表情とは打って変わり、どろろの眼光は鋭く光り、正直に話さねば迷いもなく殺す。という強い意志が籠っていた。
対して春緒も、怪しい視線は鳴りを潜め、冷たい視線をどろろに投げかけていた。
「そこまで!」
ガラッと勢いよく風呂場の扉が開くと、そこには腰巻きを巻いただけの光雪が立っていた。
「ご一緒して宜しいかな?」
にっこりと笑う光雪に、どろろは叫んだ。
「良いわけないだろ!出てけーー!!」
つづく。
2018.6.7
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