スターライト・エデン(後)

掛けられる声にも向けられる笑顔にも、いつも以上に応えられる気がしなかった。
どこかで見たことのある顔も、初めて見る顔も、どちらもたくさんある気がするが、どれも同じ顔にしか見えない。

「ナマエさま、良ければ外に出ませんか?星が綺麗ですよ」

「…ええ」

いくつも掛けられる言葉の中から、星という単語に反応しただけだった。
それでも反応を得られた男は嬉しそうに目を細め、慣れた様子でスッと手を差し伸べる。一瞬の逡巡のうち、身体に染み込んだ動きのままその手のひらに手を乗せる。

「ナマエさまは星がお好きなんですか?」

「そうですね…」

「では今度、シーナの丘にご一緒して頂けませんか。星空がよく見える場所があるんです。もちろん馬車を用意して、安全にお送りいたします」

「馬車…」

「ええ。お嬢さまに何かあったら大変ですから」

優雅に微笑む男の顔をぼんやりと眺める。
何度か会ったことがある気もするが、名前も思い出せそうになかった。
星空、の一言に、一度だけ会ったリヴァイの話が思い起こされる。

「壁に遮られねぇ空ってのは、確かに悪くねぇ」

空を見上げても必ず壁が見えるのだと、ぽつりと呟いたナマエに答えた彼の目は、青空に向けられていた。

「きっと…きっと素晴らしいのでしょうね」

見てみたい、とも、羨ましい、とも言えなかった。
リヴァイたちは命を賭けて壁外に出ているのだ。ナマエが想像も出来ない苦しみを抱えているだろう彼に、物見遊山のような気持ちでいるのだと思われたくない。

「…晴れの日は、空と地面や森が交わる色がはっきりと見える」

「え…?」

「雨の日は…そうだな。昼間でも真っ暗な視界になることもあるな。雷なんかが鳴ったらもっと最悪だ」

「雷…」

「空を割る、とはよく言ったもんだ。黄金の縦筋が地面に落ちるのを見たことがある」

「ええっ!皆さんご無事だったんですか!?」

「ああ、問題ねぇよ。だが、巨人もそうだが、壁外では自然も相手にしなきゃならねぇからな。その辺はクソメガネあたりが詳しい」

「ク、クソメガネ…?」

「…忘れろ」

目を白黒させるナマエは、彼が次々と語る壁外の世界の話に夢中になった。恐らく壁外調査の中のほんのひと部分、僅かな平穏だけを切り取って話してくれていたのだろうが、ナマエにとっては全てが新鮮だった。

「星空か…俺は詳しくねぇから分からねぇが、部下にやたら詳しい奴がいたな」

「本で読んだ表現があるんです。“まるで星空の天井が落ちてくるようだ”と」

何も遮ることのない空は、どれだけ美しく、圧倒的で、そして恐ろしいものなのだろう。
ナマエの言葉に虚を突かれたように瞬きをしたリヴァイが、すぐに一度頷いた。

「悪くねぇ例えだ。今度部下に教えてやるか」

「ふふ、是非」

シーナの丘で見る星空は壁外に近いのだろうか。
どれだけ近くても、リヴァイが、調査兵団が見た景色とは似てもつかないだろうことはたやすく想像出来た。
守られた世界で見る紛い物の景色に囲まれて、ナマエはこれからも生きていくことしか出来ない。

「…そうですね。素敵なお誘いです」

「それではまたお誘いいたします。そうだ、今度私の屋敷にいらっしゃいませんか?今の時期、庭にたくさんの花が咲いているんです」

「ええ…」

隣で喋り続ける彼が、本当は星空にも花にも興味がないことは分かっている。美しく手入れされた庭で咲き誇る花の名を、彼もナマエも知ることはないだろう。

「…ナマエさま。いえ、ナマエさん。あなたはお気付きではないと思いますが、私は以前からあなたのことを見ておりました」

「ありがとう…ございます」

「いつも凛として美しいあなたの笑顔を見たいと、ずっと願っておりました。どうか私に、あなたの隣であなたの笑顔を守らせて頂けないでしょうか」

真剣で真っ直ぐな言葉が、満点の夜空の下に静かに響く。遠くから、こちらを窺ういくつかの視線を感じた。
ここで彼の申し出を断っても、また誰かから同じような言葉を掛けられるのだろう。それならもう、誰でもいい。
鋭い視線と漆黒の髪、翻る自由の翼が脳裏に浮かんで、消えた。本当に欲しいものは、どうせ手に入らない。

「私、は…」

「お話中失礼する」

星夜を切り裂くような、低くて意志の強い声が届く。ハッと振り返ったナマエの目に、礼装を身につけたリヴァイの姿が飛び込んできた。

「え…リ、リヴァイさまっ…?」

「リヴァイ…?あの人類最強の…!?」

「取り込み中に悪いが、俺はそのお嬢さまに用がある。譲ってもらえないか」

予想外の人物に驚いたのはナマエだけではない。噂でしか聞かない、調査兵団きっての精鋭が真後ろに立っていたことに、男の背筋に冷たいものが走る。

「し、失礼じゃないか。今、ナマエさんは私と話をしているんだ」

「そうか。じゃあ話が終わるまで、ここで待たせてもらおう。だが生憎気は長い方じゃないんでな。手短に済ませてもらえると助かる」

「なっ、なっ…」

口をぱくぱくさせながらその場で棒立ちになる男に蔑んだ目を向けるリヴァイに、ナマエは慌てて背筋を伸ばした。
先ほどまでの無気力な心が嘘のように、手足の先まで血が通う感覚がする。

「リヴァイさま、私たちの話は終わっております。何かご用でしたか?」

「ナマエさんっ!?」

「本日はお越し頂きありがとうございました。先ほどのお返事は、また後日お送りさせて頂きます」

「っ…分かり、ました…」

有無を言わせない雰囲気のナマエにたじろいた男が、ぐっと唇を噛む。腕を組んで尊大な態度を崩さないリヴァイを弱々しく睨みつけると、後ろ髪を引かれる様子を隠しもせずにゆっくりと去って行った。

「…リヴァイさま、いらしてたのなら教えてくださいな」

何事も無かったかのように、そうリヴァイに話し掛ける彼女に内心感嘆した。今のリヴァイの無礼は目に余るもので、本来ならエルヴィン共々放り出されてもおかしくないものだ。
だが今日の主役であるナマエが受け入れたことに、誰も文句を言うことは出来ない。

「まさかお相手探しパーティーとはな」

「…馬鹿らしいとお思いでしょう?でも仕方ないんです。散々逃げ回って、自由にさせてもらいましたから」

リヴァイに促され、ゆっくりと広大な庭に足を進める。途端に今まで感じていた様々な視線が途切れて、ナマエはホッと息を吐いた。

「貴族ってのは難儀なもんだな」

静かなリヴァイの声に込められている感情がどんなものなのか、ナマエは読み取れない。
ただ、彼に軽蔑だけはされたくなかった。

「さっき、リヴァイさまのお話を思い出しておりました」

「俺の?」

「はい。壁外で見た景色、感じる風、香り…リヴァイさまはとってもお話が上手でいらっしゃるのですね。私、まるで自分が壁外に行ったことがあるような感覚で、思い出すことが出来ました」

「…俺に話がうまいなんて言うのは、ナマエくらいのもんだな」

初めて呼ばれた名にどくんと心臓が音を立てる。
震えてしまいそうな指先をきゅっと握り締め、どこかの誰かに見たいと告げられた笑みを浮かべた。

「あの、もしよろしければまた調査兵団に…お話を伺いに行ってもよろしいでしょうか。もちろん資金提供にはご協力を…」

「必要ねぇ」

「え…」

ばっさりと切り捨てられたことに、瞬時に頭が真っ白になる。
暗闇で良かった、と心底思う。今の顔はとてもリヴァイに見せられたものではないだろう。

「あ…そう、ですよね…。わ、私のような者が兵団の中に入るなんて…」

「は…?いや、ちが…」

「差し出がましいことを申しました。申し訳ございません」

浮ついた気持ちに気付かれてしまったのだろうか。
公に心臓を捧げる彼らからしてみれば、ナマエのような興味本位な関わりは煩わしいだけなのだろう。
一気に血の気の引いた顔を深々と下げて、震える両手でドレスを握り締めた。こんな風に着飾った自分をひどく滑稽に思いながら。

「ちょっと待て。顔を上げろ」

「ですが…」

「話を聞け。ナマエが思っているような意味じゃねぇ」

彼の声音に何故か必死な響きを読み取って、ナマエは恐る恐る顔を上げた。細い月に照らされたリヴァイは、もどかしげな表情のまま腕を組む。

「…やっぱりじゃねぇか。俺が話がうまいはずがねぇ」

「え…?」

「だが…誤解されるような態度と言葉しか取れねぇのは癪だ。いいか、俺が伝えたかったのは、資金援助なんざ関係なく顔を出せばいいってことだ」

「リヴァイ、さま…」

「別に大層な組織じゃねぇんだ。そりゃ不審者や内通者には容赦しねぇが、ナマエはそうじゃねぇだろ」

「えっと…恐らく大丈夫、かと…」

「なら堂々と顔見せりゃいい。んな楽しいところでもねぇがな」

じわじわと湧き上がるこの気持ちは知らないものだった。喜びとも興奮とも違うような初めての感情に、ナマエは口元を綻ばせた。

「はい…是非。是非、お邪魔させてください」

「…迎えに行こう」

嬉しい、と囁いたナマエに一歩近づく。
彼女が他の誰かのものになることがたまらなく嫌なのだと、こんな笑顔を他の誰にも見せたくないと、率直な気持ちのまま大きく息を吐いた。

「リヴァイさま?」

「もう一度確認するが、このパーティーは将来の伴侶を決める場なんだな?」

「仰る通りです。もちろん今すぐ決めろとは言われておりませんが、今日お集まり頂いた方々は、父が自ら声を掛けた方々のようです。つまり…」

「親父さんのお眼鏡に叶った野郎どもってことか」

「…はい」

寂しそうに笑うその顔も初めて見るものだ。
諦念にも似たそれに、ぎりっと拳を握る。

「…それなら問題ねぇな」

「何がでしょう?」

「いや、実際はそうでなくても俺には関係の無い話だ。元々こんな場に居られるような男じゃねぇからな」

「あの、リヴァイさま、申し訳ありません。お話がよく…」

「…この場に招待された者だけが、ナマエ、お前の婚約者としての資格を手に入れられるってなら。俺にもその権利があるってことだ」

「え…」

遠くで虫の鳴く声がする。
それなのに、先程まで聞こえていたパーティーの喧騒は、一切耳に届かなくなったような気がした。

「エルヴィンにも確認したが、正式に親父さんから招待をもらっている。問題はねぇ」

「リヴァイ…さ、ま…なにを…」

「…あっちにいる野郎どもに比べりゃ口も悪ィし、教養もねぇ。広い屋敷だって用意してやれねぇし、綺麗なドレスだって数多くは渡してやれないだろう。それどころか、生きて帰ってくると約束してやることも出来ねぇ」

「あ…」

漸く身体に酸素を取り入れられたような、息苦しさに似た感情が支配する中、ナマエは瞬きひとつ出来なかった。
動かせない視線の全てで捉えるのは、真っ直ぐにこちらを見据える漆黒の瞳だけだ。

「ナマエや親父さんが望むような、そんな幸せじゃないかもしれねぇな。だが…それでも、俺はナマエが欲しい」

「な、んで…私、リヴァイさまとは…」

「ああ、今日が二度目だな。…ちゃんと話すのはな」

「え…?以前にもどこかで…?」

「初めて見たのは王都での夜会だった。綺麗な格好をした女がつまらなそうに、この世の退屈を全部背負ったような顔をしていた」

スッと目を細めたリヴァイは、服装も含めて闇夜に溶けてしまいそうなほどの漆黒を纏っている。それなのに、彼自身は決して何にも交わらない雰囲気を決して崩さない。

「…目が離せなかった。言うなれば、一目惚れってやつだな」

「リヴァイさまが…私に…?」

「オイ、引くなよ。俺だって初めてなんだからな」

「えっ…あの、は、い…」

「…柄じゃねぇのは俺が一番分かってんだよ。だがな、男なんて単純なもんだ。惚れた女がいりゃあ、そいつのことを笑わせたくなる。ただそれだけだ」

思ってもみなかった告白に、自然と指先が頬に伸びた。そのままぎゅうっと抓れば、鋭い痛みが右頬を走る。
いたい、と溢した自分の声と、確かな痛みがこれは現実なのだと伝えてくれた。

「オイ、何やってんだ」

「夢、じゃないかな…って…」

「ふざけんな。人の一世一代の告白を勝手に夢にしてんじゃねぇよ」

憮然としたそれすらも現実を確かめる要となった。何よりも焦がれた、自由そのものの象徴であるリヴァイが、ナマエを見つめていた。

「…私こそ、お料理とか掃除とか、得意じゃありませんよ?」

「掃除は任せろ。料理は…まぁ、食えればいいだろ。俺もうまくはねぇ」

「ご存知の通り、世間知らずの甘ちゃんです」

「そのままでいろ。世間は知らなくていい」

即答したリヴァイに目を瞬く。
訝しげな視線に、気まずそうに眉根を寄せた彼が、渋々と口を開いた。

「…好奇心旺盛なやつが世間を知ったら、どこかに飛び出しちまうかもしれないだろ。それくらいがちょうどいい」

「え…」

「世間を知りてぇなら、俺の隣でにしろ。俺だってそんなに広くはねぇが、エルヴィンなら詳しいだろ。あんまり一人で走り出すなよ。追いかける方が大変そうだ」

暗に、自分の傍から離れるなと言っているのだと理解した途端、カッと身体が熱くなる。彼にここまで求められている事実が、誰に対しても頑なだった心を解していった。

「こんなつまらない女…一緒に過ごすうちに、呆れて愛想尽かしちゃうかもしれませんよ?」

「みくびるな。んな生半可な気持ちでこの場にいるわけじゃねぇ。だからナマエ、お前も覚悟を決めろ」

「覚悟…?」

「お前が俺の手を取ってくれるなら…何があっても絶対に離さない。例え俺が壁外で命を落とすようなことがあっても、俺はナマエを離すつもりはねぇ」

「あ……」

「だが、この命がある限り、必ずナマエの元に帰ることを約束する。壁外の話を…お前が好きな外の世界の話をいくらでもしてやる。そしていつか…巨人を絶滅させたら、必ず外の世界へ連れて行く」

「外の…世界…」

「そうだ。壁なんかに遮られていない、どこまでも続く大地と空を見せてやる。だからそれまで、絶対に俺の手を離すな。その覚悟があるなら、俺はお前を誰にも渡さない」

その時何故か、リヴァイの愛馬の眼差しを思い出した。彼に絶対的な信頼を寄せる、あの澄んだ瞳が映した空を、いつか見たい。

「もし…もし、壁外からお戻りにならなければ、私がお迎えにあがります」

「ナマエ…」

「どんな手を使っても、財産も力も権力も全て使って、私がリヴァイさまをお迎えに参ります。だから…私に馬の乗り方を教えてくださいませ」

「…やっぱりとんだじゃじゃ馬じゃねぇか」

「ふふふ…リヴァイさまが手綱を握っていてくださいね」

「上等だ」

そう言って僅かに口角を上げたリヴァイが、ぐいっとナマエの手を強く引く。そのまま固い胸元に飛び込む形になった彼女の柔らかさが、リヴァイに幸せの温度を伝えてきた。

「…私を見つけてくださって、ありがとうございます」

濡れた声音と己の胸元に気が付かないフリをしたまま、リヴァイは暫く手に入れた幸福を離さなかった。



「エルヴィンさん、ハンジさん、こちら皆さまで召し上がってください」

「うっわー!ありがとうナマエ!みんな喜ぶよ!」

しとしとと静かに降る雨にもそろそろ飽きてきた頃、名実ともにリヴァイの婚約者となったナマエが調査兵団本部を訪れていた。
あの日、同じような食えない笑みを浮かべながら、リヴァイとナマエの戻りを待っていた父親とエルヴィンを思い出すと腹の辺りが熱くなる気もするが、そこはぐっと押さえることにしている。
あれからもう数えられない程この本部に足を運んでいるのだ。あの夜会はエルヴィンと父親が画策したものなのだと、聞かずとも分かっていた。

「あれ?リヴァイは?」

「訓練が長引いているようだな。ナマエ嬢、良ければ掛けてお待ちください。リヴァイも間もなく戻ってくるでしょう」

「全く…愛しの婚約者が来るってのに何やってんだか」

差し入れの果物に目を輝かせていたハンジが呆れたように首を竦める。椅子に腰掛けたナマエが苦笑する中、ふと思い出したようにエルヴィンが引き出しからいくつかの袋を取り出した。

「そうだ。頼まれていたものが届きましたよ」

「わぁっ…!ありがとうございます、助かりました」

「あれ、これって…」

興味深げに一つの袋を覗き込んだハンジが、意外そうな声を上げる。ナマエが取り出した小袋を一つ手に取り、柔らかく目尻を下げた。

「…そうだった。ナマエは捨てられた動物を保護する施設に通ってるんだっけ」

「何が出来るわけでもないので…ただ一緒に遊んでいるだけですが」

こっそりと続けていた行動が実はリヴァイに知られていたのだと知ったのは、彼と婚約してからすぐのことだった。
身分を隠して保護施設に顔を出し、僅かでも餌を差し入れていたことは父親すら知らないことだった。

「エルヴィンさんのおかげで、安く餌が手に入るんです。ありがたいことです」

「調査兵団としても慈善事業に協力しているとなれば、市民の理解も得られやすいでしょう。お互いさまです」

「またそんな言い方をして」

あくまで調査兵団の利益の為協力している、と言い切るエルヴィンだが、ナマエが話す動物たちの様子を聞く時は、心穏やかな顔をしていることを、彼女は知っている。

「あー!思い出した!リヴァイが言ってたのって、これのことか!」

「え…?リヴァイ、さんが…?」

「ハンジ」

「なんだよエルヴィン!これのことだろ?ほら、リヴァイが前によくこっそり様子を見に行って、色々調べてたのって」

「えっとハンジさん、何の話…」

「クソメガネ、お前は今すぐ死ね」

ガンッと扉が開くと同時に、ハンジの顔に雑巾がクリーンヒットした。思わずしゃがみ込むハンジと、鬼の形相で仁王立ちしているリヴァイを唖然して見るナマエとは裏腹に、エルヴィンはいつも通りだ。

「エルヴィン…約束が違うじゃねぇか」

「待て、私は何も言ってないぞ。ハンジだ」

「ちょっとリヴァイ!この雑巾、臭いんだけど!」

「てめぇにはお似合いだクソが。俺にもナマエにも近寄るんじゃねぇ」

「ひっど…!」

「あ、あのハンジさん…先ほどの話って…」

「何でもねぇ。行くぞ、ナマエ」

珍しく早口でナマエの問いを遮ったリヴァイに手を引かれ、挨拶をする間も無く部屋の外へ押し出される。わぁわぁ騒ぐハンジの叫び声をぴしゃりと遮断し、リヴァイはナマエに向き直った。

「遅くなって悪かったな。行くか」

「は、はい。あの、リヴァイさん、ハンジさんが仰っていた、様子を見ていたって…?」

「さぁな。あいつの勘違いだろ」

未だ困惑した表情を浮かべるナマエを何とか誤魔化し、その手を引きながら足速に進んでいく。今はとにかく、あの二人から離れたかった。

「あっ、もしかして…!リヴァイさんも以前から気にされていたんですか?」

「…何がだ」

閃いた、というように声を弾ませたナマエに嫌な予感を覚えつつ、とにかく話を聞く姿勢を見せる。もちろん前を向いたまま、何を言われようとポーカーフェイスは崩さないことを再度違誓う。

「激務ですし、癒しを求めることもありますよね。動物たちはうってつけだと思います」

「待て待て、何の話だ」

「え…?動物に会って触って、癒されたかったわけじゃ…?」

「ちげぇよ」

「はぁ…」

違いましたか、と意外そうに呟くナマエをチラリと見遣る。不本意だがハンジの暴露話からは意識を逸らせたようで、内心胸を撫で下ろした。

「くだらねぇこと考えてねぇで、ドレスはどんなのがいいか決まったのか」

「…そちらの方がくだらないです」

「馬鹿言うな。主役がそんなこと言ってどうすんだ」

ゆっくりでいい、と言ったミョウジ氏の言葉に甘えて、二人のペースで少しずつ少しずつ、関係を進めている最中だ。
彼女のリヴァイの呼び方が変わり、隣に立つ距離が縮まり、喜怒哀楽をお互いはっきり表すようになった頃、結婚に向けて動き出してきたのだ。だが最初の結婚式を決めるにあたって躓くことになるとは、リヴァイも思ってもいなかった。

「…やるとしても家族や調査兵団の皆さまだけじゃ駄目でしょうか?見せ物になるのは御免です」

「気持ちは分からねぇでもないが…親父さんの立場と気持ちを汲んでやれ。そうもいかないのは分かってるだろ」

「でも…」

ナマエも理解はしているのだろう。
だがリヴァイには分からない貴族ならではの苦渋を味わってきた彼女からすれば、一番幸せな場に好きでもない顔を見るのが苦痛なのだという。
ナマエの願いは何でも叶えてやりたいが、結婚式というある種公の場だからこそ、リヴァイとナマエの思いだけでやれるものではないのだ。

「ナマエ」

「はい、リヴァイさん」

「俺は、一番幸せだと言うお前の姿を全員に見せつけてやりたい。お前ら如きが逆立ちしても手に入らねぇものだと、骨の髄までしっかりと染み込ませてやりてぇと思ってる」

「え…」

「いいか。そんなに嫌な顔を見たくねぇなら、結婚式の間も俺だけ見てろ。たまに親父さんに顔を向けてやればいい」

「ふふっ、そんな…」

「…最低限の式だけ挙げて、後からもっと盛大なお披露目の場を設けよう。そこには親父さんと調査兵団の奴らと…あとお前が世話してる動物と、そこで働いてる奴らも呼べばいい」

「っ、いいんですか!?」

「もちろんだ。だから早くドレスを決めちまえ。やりたいこともやってみたいことも、これからゆっくり決めればいいんだからな」

「…はい」

嬉しそうなその笑顔をずっと見ていたいと、心からそう思う。
あの日、柄にも無く一目惚れをしたあの後、どうにも諦められなくて彼女のことを調べていたことも、動物保護施設に通っていることを知って、その姿を密かに見守っていたことも、それがエルヴィンに知られて晴れやかな笑みを向けられたことも、とりあえずは暫く黙っておくつもりだった。
どこからか嗅ぎつけたハンジには、よく釘を刺しておかなければならない。

「リヴァイさん、一緒にドレスを選んで頂きたいです。お願い出来ますか?」

「構わねぇが…俺のセンスをあてにすんなよ」

「リヴァイさんが好きなお色や形を知りたいのです」

まだまだ知らないことばかりですから、と軽やかに笑う彼女からは、もう初めて会った時の孤独感は感じない。
だが、「随分と丸くなったね。つがいを見つけた動物みたいだ」とハンジに揶揄われた自分も同じようなものだろうと考えながら、リヴァイはぬかるんだ地面を踏みしめる。雨はもうあがっていた。



-fin




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