(後)
迎えた壁外調査当日。
なまえと言葉を交わしてから何度目かの出立になるが、今日はリヴァイ班が殿を任されていた。建物の影から不意に現れる巨大に恐れ慄くのは主に新兵で、他の兵士たちは戦闘を避けながらうまく交わしていた。
「新兵、振り向くなよ!ここは援護班に任せるんだ!」
「で、ですが、巨人があんなにっ…!」
「馬鹿野郎!お前が心配しなくてもあんな巨人共はなまえさんたちが何とかするんだよ!」
先輩兵士の叱咤に生唾を飲み込んだ新兵の目は、援護班が素早い連携で次々と巨人を葬っていく様子を捉えていた。指示を飛ばしながら華麗に宙を舞う一際小さい姿が、なまえと呼ばれた兵士だろうか。
「理解したか新兵!俺たちが一人も欠けずに壁外調査に出られるよう全力を尽くしてくれてんのが援護班だ!邪魔になりたくなければ、とっとと馬を走らせろ!」
「り、了解っ!」
やたらリヴァイの真似をしたがるこの先輩兵士の言葉を受けて、新兵もひたすら馬を走らせた。
そしてそのもっと後方、リヴァイが率いる班が今回の殿だった。おおかたの巨人を遠ざけ、後はリヴァイの班を見送るだけだったその時、木々を投げ倒しながら奇妙な動きでこちらに向かってくる二体の巨人を援護班の班員が捉える。
「っ、なまえ班長!奇行種二体です!」
「ちっ…こんなところに…!本隊には絶対に近付けるな!ここで叩く!」
「了解!」
なまえたちに目もくれずに一心にリヴァイ班へ向かう奇行種の足を何とか止めようと、援護班が飛び回っていた。チラリとその様子を見たリヴァイが深く眉間に皺を寄せる。
なまえはともかく、奇行種二体を仕留める技術は他の援護班のメンバーには無い。さすがのなまえも二体同時に相手にするのは厳しいだろう。
(…やるか。とりあえず俺だけ残って…)
「リヴァイさんっ!行ってください!」
刃を抜いたリヴァイに気が付いたのか、なまえが声を張り上げる。ひゅんひゅんと奇行種の周りを飛び回りながら時間を稼いでいるが、それももう保たないだろう。
自身の班員に先に行けと声を上げようとしたリヴァイは、しっかりと巨人に相対するなまえの後ろ姿を目にしてその言葉を呑み込んだ。
「ここは大丈夫です!リヴァイさんたちは早く本隊の方へ!」
「…なまえ」
「無事のお戻りをお待ちしています!ちゃんと連れて行ってくださいね!」
その言葉を最後になまえの姿は建物の影で見えなくなった。グッと唇を噛んだリヴァイは、刃を戻して愛馬の手綱をしっかりと握り直す。
なまえが告げた「ちゃんと連れて行け」というのが約束の遠乗りのことだと、それを今ここで叫ぶのが彼女らしいと、募る焦燥感に蓋をしてリヴァイは拓けた大地へと向かうのだった。
▼
「リヴァイ!リヴァイってば!」
「なんだ、うるせぇな!」
「ちょっと落ち着きなよ!なまえならきっと大丈夫だって…!」
壁外調査の復路、被害を出しながらも何とか形を保ったまま帰還の途につくリヴァイたちは、壁内を目指して馬を走らせていた。
そのほぼ先頭に、どこか焦ったような様子で脇目も振らずに進むリヴァイとそれを宥めて並走するハンジの姿があった。
「俺が先に戻って開門させる伝達をすると、エルヴィンに許可は取ってある。文句あるか」
「あのね、あなたほどの人がわざわざ伝達係を買って出るなんて、何かあったと思われるのが当たり前でしょうが」
「関係ねぇ。俺が行った方が早いだろうが」
「素直になまえが心配だって言いなよ!面倒くさいなもう!」
援護班は本隊が索敵陣形を展開したところで離脱し、壁内に戻るのが常態だ。だが奇行種二体を相手にした以上、何かしらの損害があってもおかしくない。なまえのことだ、恐らく最前線に立って仲間を守りながら戦うだろうし、怪我のひとつやふたつ、もしくは命に関わる大怪我をしているかもしれないと思うと、リヴァイはいてもたってもいられなかった。
「…あいつはいつもこんな思いをしてたのか」
「え!?なに、聞こえないよ!」
「なまえは…いつも俺たちを見送るばかりで、こんな思いをしながら帰りを待っていたんだな」
「…そうだよ。いっつも震える手を隠しながら笑顔で迎えてくれるんだ。きっと私たちの帰りを待つ間、殆ど寝られてないと思う」
さすがに冷静になったのか、僅かに馬の速度を落としたリヴァイが静かに発した呟きにハンジも落ち着いた声音で返した。
壁外調査に出たら最後、行きと同じ人数で帰ってくることはあり得ないと言っていい。誰が帰ってきて、誰が帰って来ないのか。自分が道を拓き、見送った仲間が帰って来ないかもしれないと分かりながら、共に戦えないもどかしさを抱えるなまえの心中は如何ばかりかなのか。
それでも常に先陣を切り、そして傷付いた仲間を包み込むような笑みで迎えるなまえの強さには脱帽するしかない。
「…とんでもねぇ女だな、あいつは」
「とんでもなくいい女だっていいなよ」
ちなみになまえ、モテるからねと忠告のように告げられた言葉にぴくりと頬が動くが、何とか平静を保って徐々に見えてきた壁を睨み付けた。
壁外調査から帰ってきたリヴァイたちを迎える、あの少し気の抜けた笑顔が早く見たいと願いながら、リヴァイは強く手綱を引いた。
▼
なまえはソワソワと前髪を撫でつけながら、落ち着かない様子で厩舎の周りをウロウロと歩き回っていた。壁外調査から一週間、何とか五体満足で壁内に戻ったなまえとリヴァイが遠乗りに出掛ける日だ。
「なまえ…なに挙動不審な動きをしてやがる」
「リ、リヴァイさんっ…!だって久しぶりで…」
逸る心を抑えられないなまえに呆れたように言いながら、リヴァイが愛馬の鼻面を優しく叩いた。擦り寄ってくるリヴァイの黒馬を羨ましそうに見たなまえがおずおずと口を開く。
「あの、私の馬、長距離に慣れてなくて…ご迷惑お掛けしちゃうかもしれないんですけど…」
「お前の馬は留守番だ」
「はい…?」
悪ィな、となまえの愛馬のことも優しく撫でたリヴァイにぽかんとしてしまうなまえ。不服そうにも見える愛馬とどこか上機嫌にも見えるリヴァイを交互に見て、眉根を寄せた。
「え、まさか…ここに来て私は留守番ってやつですか。恨みますよ」
「馬鹿かお前は」
ぶすっとした表情を隠さずにいかにも不服です、と表したなまえの頭を軽く小突く。唇を尖らせたまま頭を摩るなまえの愛馬は置いて、自身の黒馬の手綱を持ちながらもう片方の手を差し出した。
「…来い」
「え、っと…?」
「乗れって言ってんだ」
「…はい?え、ええ?」
訳がわからない、とはてなマークを飛ばすなまえの察しの悪さに痺れを切らしたのか、リヴァイはなまえの手を力強く引いた。そしてそのまま両脇を抱え、軽々と馬上へと抱え上げる。
「ひゃっ…え、リヴァイさんっ…!?」
「黙ってろ。舌噛むぞ」
自分もなまえの後ろに飛び乗ると、そのまま手綱を引いて馬を走らせ始めた。あまりの手際の良さと一連のスピード感に全く付いていけていないなまえだったが、漸く頭が動き出したのか勢いよくリヴァイを振り返る。
「オイ、危ねぇぞ」
「り、りば、リヴァイさん、なんでっ…」
「お前の馬は長距離に慣れてねぇ、何かあった時に俺が直ぐ駆け付けられるとは限らねぇ。だったら俺の馬に乗った方が早ぇだろうが」
「それはっ…でもあまりにも…」
「…なんだ。不満か」
「不満というか…恥ずかしいです…」
風を切る寒さからか、羞恥からか、なまえの頬は赤く染まっている。だがボソボソと恥ずかしそうに呟いたなまえは、観念したように前を向いた。
「リヴァイさん、重くなかったですか」
「別にたいしたことねぇよ」
「せめて一言先に伝えてくださいよう…」
「伝えたら伝えたで、お前は騒ぐだろうが」
「うっ…そうですけど…」
「…お前自身が馬に乗りたいってなら悪かったな。それは次の機会だ」
「あはは、大丈夫ですよ。リヴァイさんと一緒に乗れるなんて贅沢ですね」
今日の走る予定の距離は、慣れないなまえの馬を走らせるには些か長すぎるものだ。次はもう少し短い距離にして、なまえと並走するのも悪くないと考えたリヴァイは、自然と次の予定を思い浮かべていた自分に気恥ずかしさを感じて緩く首を振る。
「今日はどこが目的地なんですか?」
「…着いてからのお楽しみってやつにしとけ」
「リヴァイさんらしくないですね」
クスクス笑うなまえの穏やかな笑い声が風に乗って流れてきて、心地が良い。時折リヴァイの頬を擽るなまえの長い髪が擽ったくて、目を細めた。
「お前の髪は長ぇな」
「あっ、ごめんなさい!ぶつかりますよね」
「いや、構わねぇが…。戦闘の邪魔になったりしないのか」
「うーん、いつも一つに纏めてますし、邪魔だと思ったことはないですねぇ」
「…そうか」
「あ、リヴァイさんは短い方が好きなんですか?」
「いや…似合ってればなんでもいいんじゃないか」
そうですか、と鈴の音を転がすように笑ったなまえがリヴァイの好みを聞いた真意はどこにあるのか。そんな些細なことに意味を探しそうになる自分に深々と溜息を吐く。
本当は高く纏められたなまえの髪がたなびく度、ずっと目で追ってしまいそうになるだなんて恥ずかしくて言えやしない。援護班として旧市街地を飛び回るなまえを探す一つの目印にしていると言えば、なまえはどう思うのだろうか。
「でもハンジが買ってきたバレッタが使えなくて…また買いに行かなきゃなんです」
「あいつに頼むのが間違いだろ」
「そうなんですけどねー…でもバレッタって色味を選ばなきゃいけないじゃないですか。自分じゃなかなか選べないから、ハンジに私に似合いそうなのをお願いしたんですよ」
それがカマキリのモチーフですよ!?と憤慨したように話すなまえの髪が揺れている。今はただの編み紐だけで結われているようだが、確かに心許ない。
なまえの後ろ姿を眺めながら、リヴァイは自身のコートの中に仕舞い込んだ袋の中身を想像して僅かに頬を緩めた。
そして暫く馬を走らせた二人が辿り着いたのが、今が旬だという秋桜が咲き誇る湖の畔だった。
「わっ…すごい…」
「ペトラとオルオお勧めの場所だそうだ」
苦労して聞き出した遠乗りスポットはなまえのお気に召したようだ。
なんでもない風を装ってペトラに「女が好きそうな遠乗りの場所を知らねぇか」と話を振ったリヴァイに対し、信じられないような表情をした後、大興奮したペトラがいくつも羅列してきた中に此処があった。目をキラキラさせながら熱弁していたペトラに若干引き気味だったリヴァイを助けたのがオルオだった。
そこで二人で訪れたことがある場所だということを知り、今度はリヴァイが驚く番だったのを思い出す。
「さすがペトラ。素敵な場所を知ってるんですね」
「見つけたのはオルオらしいぞ」
「ふふっ、好きな女の子の為にはオルオも頑張るんですねぇ」
それはオルオだけじゃねぇよ、と内心毒づきながら、リヴァイは目を細めて秋桜に手を伸ばすなまえの姿を後ろから見守っていた。
色覚障害があるなまえに、この色とりどりの秋桜畑はどのように映っているのだろうか。
「…それは橙だな」
「あ、やっぱり」
「そっちは水色だ」
「うーん…淡い色は分かりにくいなぁ」
楽しそうに次々と秋桜に触れるなまえと、その度に律儀に色を伝えてやるリヴァイ。
そんな時間が暫く続いた頃、不意になまえがくるりと振り返ってリヴァイを見つめた。
「…ありがとう、リヴァイさん」
「なにがだ」
「ここに連れてきてくれて、嬉しかったです」
「…なまえ?」
「今確認した感じだと、私がちゃんと認識出来る色は半分くらいですね」
「…あぁ」
「エルヴィンやハンジ…みんな気を遣って、こういうところ…色の識別が必要なところからは遠ざけてくれてるんです。今は一ヶ月に一度の定期検診くらいでしか、こんな色彩豊かなものを見る機会がなくて…」
「だがお前は諦めてねぇ。そうだろ?」
「…え?」
「初めてお前と会話をした時…お前は花壇の花の色を何とか認識しようとしていたしな。それに索敵陣形だって、援護班に必要だというレベルの理解じゃねぇ。お前は色を取り戻すことも、壁外調査に出ることも諦めてはいない。違うか?」
「…もう。やっぱりリヴァイさんには敵わないなぁ」
呆気に取られたようにリヴァイの言葉を聞いていたなまえが、満面の笑みを浮かべて天を仰いだ。そしてそのまま芝生の上へと仰向けに倒れ込んで、真っ直ぐに空を見上げている。秋桜が潰れないように避けたのはさすがといおうか。
「その通りです。もしかしたら明日見えるようになってるかも…起きたら全部の色が分かるようになってるかも…そんな風に毎日毎日馬鹿みたいに足掻いてるんですよ」
「なまえ…」
「本当は…リヴァイさんと同じような景色が見たいっ…みんなと壁外調査に出たい…。見送るだけは…辛いんです…」
そう言って仰向けのまま目元を覆ったなまえの指の隙間から、透明な雫が流れ落ちていく。
ゆっくりとなまえに近付いて覆われた顔を覗き込んだリヴァイは、おもむろに手を伸ばすとそのままなまえを引き起こした。
「っ、わっ…」
「…諦めんな。お前が見えるようになるまで、俺がお前の目になってやる」
「え…」
「同じ景色が見てぇなら、さっきみたいに一緒に馬に乗ればいい。なんなら立体機動を使って抱えてやってもいいぞ」
「え、と…」
「知りてぇ色があるなら俺が全部教えてやる。欲しいモンがあるなら一緒に買いに行けばいい。だから…諦めるな」
引き起こされたなまえとリヴァイの瞳が近距離でしっかりとかち合っている。なまえの目尻から流れる雫が美しいと思うのは、リヴァイのなまえに対する心ゆえだろうか。
「リヴァイ、さん…」
「…なんだ」
「なんだか…すっごく素敵な口説き文句に聞こえました…」
「…馬鹿か。口説いてんだよ、気づけアホが」
呆然としたまま、それでも嬉しそうに頬を染めてはにかむなまえの髪に手を伸ばし、ぐしゃりと掻き回した。
そしてそっと差し出した袋をなまえの手にぽとんと落とす。
「これは…?」
「…開けてみろ」
促すように顎をしゃくったリヴァイの言う通りに、袋の中身を覗き込んだなまえが目を大きく見開いた。ゆっくりと取り出されたそれは、陽光の中できらりと光を反射している。
「っ、綺麗…」
「ハンジのクソ野郎よりはマシなモン選んだつもりだがな」
「リヴァイさんが選んでくれたんですか…?」
蝶の形をした何色もの色で彩られたそのバレッタは、なまえの手の中でキラキラと輝いていた。残念ながら全ての色を見分けることは出来ないが、それでもなまえの瞳には何よりも明るく彩られているように見える。
「こんだけ色が入ってりゃ、少しくらい分からなくても支障ねぇだろ」
「ぷっ…なんですかその理論」
「俺にだって何の色なのか全部は見分けられねぇよ。まぁ…そんなもんだろ」
不器用ながらも優しいリヴァイの言葉にゆるゆると頬が緩むのを抑えられない。大切そうに一度軽く握り締めてから、手早く髪へと留めていく。
「どうです?似合いますか?」
「…悪くねぇな」
様々な色が陽の光を反射して、まるでなまえ自身が輝いているようにも見える。悪くない、ともう一度口の中で呟いて、嬉しそうに飾りへ触れているなまえと目を合わせた。
「…で?俺はお前のことを口説いてる、と伝えた筈だが」
「えっと…」
「なんだ」
「あの、前にも伝えましたけど、私みたいな半端者がリヴァイさんの近くにいるというのは…その…」
「俺も前に伝えた筈だ。半端者同士、丁度いいじゃねぇか。俺が聞いてんのはお前の気持ちだ、なまえ」
「…リヴァイさんだってちゃんと言ってくれてないじゃないですか」
拗ねたように、だが僅かな期待を込めてリヴァイを見上げたなまえの瞳の強さに思わず息を呑む。ハンジ曰く「とんでもなくいい女」のなまえが手に入るのなら、柄にもない台詞を伝えることだって出来そうだ。
そっと身を屈めたリヴァイがなまえの耳元で囁いた言葉は、風に乗って色鮮やかな花の中へと消えていった。
▼
巨大な影が建物の後ろから飛び出してくる。恐怖に顔を引き攣らせた新兵が思わず悲鳴を上げた瞬間、素早い影がうなじを正確に削ぎ落として巨体が地に沈んだ。
閃光のようなその斬撃に誰がやったのかと周りを見回す新兵の後ろから鋭い声が飛んだ。
「オイ、そこの新兵!ボサッとしてんじゃねぇ!ここは援護班に任せて進め!」
「リ、リヴァイ兵長っ…!」
「お前がここでぼんやりすればするほど、援護班の負担が増す。止まらねぇで前だけ見てろ!」
「り、了解っ!」
リヴァイの気迫を目にした新兵が慌てて班に合流したのを見届け、今しがた巨人を討伐した兵士を視線だけで探した。
既に次の巨人へ照準を絞り、班員に矢継ぎ早に指示を飛ばす小さな姿を見つければ、その頭上で煌めく輝きも目に留まってリヴァイは目を細めた。
視線に気がついたのか、後ろを振り返ったなまえはリヴァイに一瞬だけ微笑み掛け、直ぐに眼科の巨人へと目を移した。
「なまえ班長!あとは殿のリヴァイ班だけです!」
「最後まで気抜かないで!リヴァイ兵長にこんなところで力を使わせないように!」
「了解です!」
頭上で交わされる会話を耳にしながらリヴァイも自身の班員を確認し、旧市街地をあとにする。先ほどの笑みに見送りと激励の意味を見て取ったリヴァイは、晴天の下、前だけを見て愛馬を走らせるのだった。
-fin