寂しがり屋はどちらさま?


『悪い。行けなくなった。埋め合わせは必ずする』

手元のスマホの通知を見て大きな溜息をついたなまえは、一瞬目を閉じる。
仕方ない、と自分に言い聞かせて了解のスタンプを返信した。そのままカバンにスマホを滑り込ませると、待ち合わせていた駅前広場を後にする。

(三ヶ月ぶり…だったんだけどな)

そもそも今日は、埋め合わせの埋め合わせのそのまた埋め合わせ…の筈だったのではないか。
今日こそリヴァイと一緒に過ごせるはずだと、なぜか何の根拠もない自信を持っていた。
外資系企業で営業として働くリヴァイは常に多忙で、クライアントからの呼び出しには平日休日、朝夜がないことは良く分かっている。一般企業で働いているなまえとは環境も何もかも違うことも。

「…はあ」

共通の友人のハンジからの紹介で付き合って一年、寂しいことだがドタキャンには慣れてしまった。
リヴァイと待ち合わせをする時には、時間を潰せるカフェや本屋が近くにあるか、ドタキャンされた時にそこから新しい予定を入れられるようなスポットがあるかを確認すること。それが身についてしまった。

(今日はカレー屋さんにしよ)

近くに知る人ぞ知るカレーの名店があることを事前にチェックしてある。今日の夕飯はそこにしよう、となまえは鳴らないスマホを気にしないように、華やかな金曜の夜に足を踏み入れた。


リヴァイは苛々とした雰囲気を隠そうとせず、デスクに張り付いていた。
クライアント先からの急な要望で、今進めているプロジェクトの進捗を明日中にデータにして送って欲しいと言われたプロジェクトチームの顔は絶望に染まっている。

「リ、リヴァイ次長…確認お願いします…」

「…ああ」

オルオの震える声と共に差し出された数値データを受け取ったリヴァイは、それを受け取ると立ち上がった。自分の不機嫌さがチームの士気に関わってはならない。

「20分離れる。お前らも休憩しろ」

「了解!」

途端に弛緩した雰囲気のフロアを背に、リヴァイは上の階にある自販機へと向かいながらプライベート用のスマホを取り出した。
先ほど送ったメッセージには、明るい顔をしたウサギのスタンプが送られてきている。それを見たリヴァイは深く深く溜息をついて、買ったストレートティーを乱暴に開けた。

「あれー!?リヴァイ?」

「…ハンジか」

「うっわ何その顔!いつも以上に死神みたいになってるよ」

「ほっとけ」

このフロアで働くハンジの底抜けに明るい声に素っ気なく答え、リヴァイはスマホに視線を落とす。
電話をしたいがあまり時間がない。それに声を聞いたら時間など関係なく会いに行きたくなってしまう。

「…もしかしてなまえとデートの予定だった?」

「チッ…あのクライアントのおかげで全部パーだ」

「明日までだろ?おかげでうちのチームまでとばっちりだよ。配信予定のアプリの進捗も一緒に見せろってさ」

「いくら大型案件だとはいえ、好き勝手させすぎじゃねぇのか」

「そうだねぇ…ま、その辺はエルヴィンがなんとかするでしょ」

ICT関係を請け負うチームリーダーのハンジと企画部の部長を務めるエルヴィン、そして第一営業部次長のリヴァイは共に仕事をすることが多い。
公私ともに付き合いも長く、ハンジの大学時代の後輩のなまえのこともよく知っている。

「最近なまえと会ってないんだって?」

「あいつから聞いたのか」

「先月、リヴァイが海外出張行ってる間にね。飲みに行ったんだよ」

「…なんでてめぇが会えて俺が会えてねぇんだ」

忌々しげにポツリと呟いたリヴァイの言葉に、ハンジは大きく目を見開く。あの自他ともに淡白だと認め、会社では向かうところ敵なし、次期部長と名高いリヴァイのこんな弱々しい姿を誰が想像しようか。

「なまえならちゃんと分かってくれるでしょ」

「…今日で4回連続のドタキャンでもか」

「え…嘘でしょ」

「その前もやっと会えたと思ったら一時間でそのまま会社にとんぼ返りだ。まともに一緒に過ごせたのは半年以上前だろうな」

さすがに絶句するハンジ。
次長に昇進してからのリヴァイの多忙さは知っていたが、まさかそこまでだとは思わなかった。
確かになまえが未だリヴァイに敬語を使うことが、二人の距離を示しているように感じた。
珍しく落ち込んでいるらしいリヴァイに掛ける言葉を考えるが、先月会った時のなまえとの会話を思い出して表情を改めた。

「あのさ、リヴァイ」

「…なんだ」

時計とスマホを交互に見遣るリヴァイはハンジの方を見ることなく答える。
なまえも不器用だが、この男はそれに輪をかけて不器用だ。

「二人の関係をとやかく言うわけじゃないけどさ。でもなまえは私の可愛い後輩だし、幸せになって欲しいと思ってる」

珍しく真剣な様子のハンジにハッとしてリヴァイは顔を上げた。

「…リヴァイさ、なまえに「自分の時間を楽しんでて安心する」って言ったんだって?」

「あ?…事実だろうが」

「本当に?本当にそう思ってる?」

「…何が言いたい」

あれは半年前、久しぶりにリヴァイの自宅でゆっくり夕飯を摂ったあとのことだった。
リヴァイと会えなかった間になまえが行ったところ、食べたもの、見た景色、買ったもの。
写真をスクロールしながら楽しそうにそれをリヴァイに見せるなまえに、なんともなしに伝えた言葉だ。

「お前は自分の時間を楽しむのがうまいな」

「…そうですか?」

「なまえが…そうやって俺と会えない時間でもちゃんと過ごして、楽しそうにしてると安心する」

「…大丈夫ですよ、リヴァイさん。私、行ってみたいところがたくさんあるんです」

にっこり笑ったなまえは、「あ、これこの前リヴァイさんにドタキャンされた後に行ったんですよー」とおかしそうに何枚かの写真を見せてした。
リヴァイに気を遣わせないようなその明るさに救われつつ、直前に約束をキャンセルされても何か楽しみを見つけるなまえにホッとしていたのは確かだ。
付き合ってからも、今ほどではないにしろ約束を反故にすることは少なくなかったリヴァイにとって、なまえのその前向きさは救いだった。

「それさ、なまえがわざと時間を潰せるような場所を探してるの気付いてる?」

「…なに?」

「リヴァイと待ち合わせする場合の近く、一緒に行く予定だった場所…リヴァイと一緒に行きたいと思ったところ」

「っ…!」

「全部全部、なまえがリヴァイに気を遣わせないよう、ドタキャンされてもそこに行ったことが無駄にならないように、自衛する為に身に付けたことなんだよ」

リヴァイの愕然とした顔を見ながらハンジは痛ましそうに目を伏せる。蘇るのは、居酒屋の喧騒の中健気に笑ったなまえの顔だ。

『いいんですよ、ハンジさん。リヴァイさんは忙しいんですもん』

『でもさ、なまえ…いくらなんでも…』

『…もし仮に、待ち合わせ場所でポツンとしている私を見たら、リヴァイさん悲しむでしょう?だからドタキャンされてもちゃんと自分で楽しめるようにしたいんです』

それの方がリヴァイさんが安心するから、と何の疑いもなく笑ったなまえはいっそ痛々しかった。それはもう信じている、というよりも諦めているに等しい。

「二人が幸せならそれでいいんだ。でも…なまえの優しさに甘えるのは違うと思う」

「俺は…」

「リヴァイが忙しいことも、そんな中でもなまえとの時間を捻出しようとしてるのも知ってるよ。だけど、それならそれでフォローの仕方があるでしょ」

そう言ってリヴァイの握り締めるスマホを指差して笑う。
声が聞きたいのなら、そう言って電話をすれば良いだけなのだ。耐えられなくなったのなら夜中でも会いに行けばいい。それが出来るのが恋人という関係なのではないか。

「…なまえは待ってると思うよ」

静かに告げたハンジに答える代わりに、強くスマホを握り締めた。





時計の針が真夜中を指す頃、なまえはふとカバンに入れっぱなしだったスマホの存在を思い出した。
訪れたカレー屋が撮影禁止とやらでスマホが鳴るのも申し訳なるような佇まいだったので、電源を切ったままにしていたのだ。
濡れた髪をタオルドライしながら電源を入れると、不在着信の通知が表示される。

「え、え…!?」

メッセージアプリの方を含めると3件、全てリヴァイからだ。慌てて電話を起動するとドキドキと高鳴る心臓のまま掛け直す。
リヴァイから電話が来るなんて滅多にないことだ。何コール目かの呼び出しの後、ぷつりと繋がった音がした。

「も、もしもし、リヴァイさん…!」

『ああ、悪い。このまま待ってくれ』

電話の向こうからは、何人かの話し声が聞こえる。まさかまだ仕事中?と思い至ったなまえが口を開く前に、『エルド、俺は少し外す。10分で戻るからその後最終チェックだ』というリヴァイが指示をする声が聞こえた。
初めて聞くリヴァイの仕事中の声に胸が高鳴るが、それよりもタイミングの悪さに真っ青になってしまう。
まさかまだ仕事場だと思わなかったとはいえ、聞こえてしまった会話から察するに大変な時なのではないか。このまま切ってしまおうと思うも、無言で切るのは申し訳なくて指を動かせない。

『っと…悪いななまえ、』

「すみませんリヴァイさん!切りますね!」

『は?オイ待て待て。なんでだ』

「お、お仕事中なのにっ…すみません、お忙しいところ!じゃあまた…!」

『待て待て待て。落ち着け、大丈夫だ』

「で、でも…」

『それよりなまえ、こんな時間までどこに行ってた』

「え?」

『電話も繋がらねぇしメールも返ってこねぇ。もう真夜中だろ。何をしてた』

「あ、いえ…今日夕飯食べたところで電源を切ってて…そのまま忘れてただけです」

『…何かあったわけじゃねぇんだな?』

「も、もちろんです!それよりリヴァイさんこそ…どうしたんですお仕事中に…」

『いや…』

途端に口籠るリヴァイに不安になる。
あんな風になまえがどこに行っていたから心配して詰め寄るリヴァイも珍しければ、そもそも仕事中に電話をしてくるなんて今までに無いことだ。

「リヴァイさん、ほんとにどうし…あっ!もしかしてハンジさんに何か…?」

『あ?なんでそこでクソメガネが出てくる』

「だって…リヴァイさんから電話がくるなんて」

『…声を』

「え…?」

『声を聞きたかっただけだ。悪ィか』

電話越しに拾った言葉に、今度こそ言葉を無くす。本当にこれはリヴァイなのか。

『オイ、聞いてんのか』

「聞いて…ます、けど…」

『チッ…柄じゃねぇのは分かってんだよ』

「い、いえ!嬉しいです!すっごく…すっごく嬉しいです!」

『…そうかよ』

ハッと我に返ったなまえはスマホを握りしめて答えた。
思ったより大きくなってしまった声を慌てて潜めるが、照れ臭そうなリヴァイの雰囲気が電話越しにも伝わってきて頬が緩んでしまう。

「ふふっ…」

『…なんだよ』

「いえ、嬉しいなぁって」

『…悪かったな、今日も』

「大丈夫ですよ。美味しいカレー屋さん発見しちゃいましたから」

電話の向こう側のリヴァイが黙り込んでしまう。
おや?と思う間もなく、リヴァイが大きく息を吸った音が聞こえた。

『…なまえ』

「はい?」

『明日…いや、もう今日か。会いに行ってもいいか』

「…え?」

『今から最終チェックをして先方に出せば…とりあえず昼前は身体が空く。恐らく夕方にはもう一度会社に戻らなきゃならねぇが、それまで…』

「だ、駄目です!」

『…ああ?』

「そんなハードスケジュールでお疲れなのに…私のことはいいからちゃんと休んでください!」

リヴァイの家は、無駄を嫌う彼らしく会社から徒歩圏内だ。なまえの家とは数駅離れている分、もしリヴァイが来るとなればそれこそ無駄な時間になってしまう。

「だから今日は…」

『…俺が会いてぇんだよ。限界だ』

なまえの言葉を遮って真っ直ぐに届くリヴァイの声。後に続く言葉を呑み込んで、なまえは思わずスマホの画面を凝視してしまう。が、慌ててまた耳をつけた。

「リヴァイさん…具合悪いんですか?」

『は?悪くねぇよ』

「だって…今までそんなこと…」

『…あまり男から会いてぇだとか声が聞きてぇだとか、そういう女々しいことを言うもんじゃねぇと思ってたが。こんなに顔が見れねぇなら話は別だ』

「リヴァイさん…」

『チッ…あんま恥ずかしいこと言わせんな。とにかく、会いに行くから待ってろ』

「じゃ、じゃあせめて…リヴァイさんのお家に行ってもいいですか…?」

『…なまえ?』

「あの…こっちに来てもらうより都合が良いと思いますし…その…私も会いたい、ので」

勇気を振り絞ったなまえが告げたか細い言葉に、リヴァイは見えないと分かりながらも思わずにやけそうになる口元を覆った。
こんなところ部下に見られたら威厳も何も無い。

「…こんなことなら鍵渡しときゃ良かったな」

『いえ…終わる頃にリヴァイさんの最寄駅まで行きます、ので…』

連絡ください、と消え入りそうな声で言ったなまえに今度こそ口角が上がってしまう。
そうと決まればこんな仕事、すぐに終わらせるまでだ。部下に告げた10分のタイムリミットも近づいてきている。

『なまえ』

「は、はい!」

『もし待ち合わせ時間に俺が間に合わなかったら…会社まで来て、俺のことを呼び出せ。家の鍵を渡す』

「は、はい……は、え!?」

『間に合うように行くつもりだが、今までの前科がある。お前を待たせるのはもうやめだ。お前の方から迎えに来い』

「リヴァイさ、何言って……ちょ、理不尽すぎません!?」

『じゃあ終わる頃に連絡する。いい子で待ってろよ』

そのままぷつ、と切られてしまった電話を呆然として眺め、なまえはぽかんと口を開けていた。
色々と急展開すぎて全く頭がついていかない。

「迎えに…行っていいんだ…」

リヴァイが間に合わなくても、なまえが会社まで鍵を取りに行って、彼の家で待つことが出来る。
そうは言いつつも流石に部外者が会社を訪れることは現実的ではないだろうが、リヴァイがそれを提案してくれたことに意味がある。
明日の待ち合わせではどうやって時間を潰せば良いか悩んだり迷ったり、スマホで周辺検索をしなくても良いのだ。

「ふふっ…ドタキャン前提はどうかと思いますよ」

そんな不満も今は小さな幸せになりそうだ。
小さく笑みを浮かべたなまえは、何時間後かに会えるリヴァイに想いを馳せた。





そしてその日の昼。
予想通り(というより半ばわざと)時間に間に合わなかったリヴァイの指示のもと、恐る恐る会社を訪れたなまえがハンジに見つかって抱きつかれるまであと数時間。
更に、今か今かとなまえからの呼び出しを待っていたリヴァイが痺れを切らして下まで降りたところ、ハンジの腕の中で笑うなまえを見つけてハンジを蹴り飛ばすまで、あと少し。


-fin

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