「初めまして。ナマエ・ミョウジと申します」

軽く頭を下げたのは、笑顔がやたらフワフワとした女だった。リヴァイの周りにいるどの女とも違う雰囲気を纏った彼女に若干戸惑ったものの、「リヴァイ・アッカーマンだ」と簡潔に告げる。
リヴァイにとって唯一無二となるナマエとの、それが出逢いだった。



その日、リヴァイはエルヴィンとミケ、そしてハンジと飲みに来ていた。しかし定時も休日も存在しないと嘆かれる弊社らしく、まずエルヴィンが会社に呼び出され、次いでミケも取引先の接待に急遽駆り出されてしまった。

「うーん、残ったのはリヴァイだけか…。仕方ない、二軒目行くか!」

「オイ、クソが。削ぐぞ」

いたしかたない、という様子のハンジに暴言を吐きつつも、リヴァイはハンジ行きつけだというバーに向かっていた。女性と二人で食事や飲みに行くことは滅多にしないリヴァイだが、ハンジだけは別枠だ。というより、もはや性別などハンジにとってはあって無いようなものだと思っている。

「ま、とりあえずひと段落した私たちにかんぱーい!」

「…あぁ」

大きなプロジェクトが一つ終わり、さすがのリヴァイも飲みたい気分だった。自分が新しく編成した班員たちもよく頑張ってくれて、慰労がてらに飲み会を企画しようとハンジと話し合っていた、その時。

「あれ?ハンジさん」

「え…ナマエ!」

奥まったテーブル席で杯を交わしていた二人を目に留め、今まさに来店したのだろう若い女性がぱちくりと目を瞬かせてハンジに声を掛けた。静かな周りを慮った小さなその声にも、ハンジが即座に反応する。

「ナマエじゃん!どうしたの?一人?あ、ここ来なよここ!」

「ちょ、ハンジさん、シー!」

興奮したのか自分の隣の席をバンバン叩くハンジを、ナマエと呼ばれた女性が慌てて宥める。リヴァイはその煩さに眉間に深く皺を寄せて、残っていた酒を飲み干した。

「オイ、クソメガネ。場所を弁えろってんだ」

「あっ、ごめんごめん…」

「クソメガネ…ふふっ」

あまりの言い草に思わずといった様子で笑いを溢したナマエと呼ばれた女をリヴァイは横目で見遣る。バーの薄暗さの中で分かりづらいが、ハンジやリヴァイよりは歳下のようだ。

「あ、お邪魔してごめんなさい。ハンジさん、じゃあまた…」

「えー!いいじゃん!ナマエ、一人なんでしょ?」

「はい、一人ですが…でも…」

ペコリと頭を下げて立ち去り掛けたナマエをハンジが留めた。困ったようにチラリとリヴァイを見たナマエの視線を感じ取ると同時に、「いいだろ、リヴァイ!」とハンジが駄々を捏ねた。

「…好きにしろ」

「よっしゃ!さ、ナマエ座って座って」

「じゃあお言葉に甘えて…少しだけ」

そう言って腰掛けたナマエがハンジを見る瞳は優しく穏やかだ。しかたないな、というように細められたそれがまるで手のかかる姉を見るようで、二人の関係を垣間見た気がした。
好きにしろ、とは言ったがリヴァイに見ず知らずの女と飲む趣味はない。適当なところで切り上げようと考えるリヴァイに、ハンジが笑みを向ける。

「リヴァイ、この子はナマエ。私の大学時代の後輩で今でもよくご飯や旅行に行くんだ」

「初めまして。ナマエ・ミョウジと申します」

「リヴァイ・アッカーマンだ。コイツとは会社の同期でよく迷惑を掛けられている」

「どっちがだよ!リヴァイの無茶振りに応えてるのは私の方だろ」

「はっ…お前に掛けられた迷惑の比じゃねぇよ」

「あははっ、ハンジさん、あんまりアッカーマンさんにご迷惑掛けちゃ駄目ですよ?」

「ナマエまで…ひどいじゃないか」

二人の応酬に楽しそうに笑ったナマエが冗談っぽく言った言葉に、ハンジががくりと肩を落とす。クスクスと口元に手を当てて笑うナマエがバーテンダーに「ウイスキーのロックを、お任せで」と頼んだのを聞いて、思わず目を見開く。

「…意外なモン飲むんだな」

「ふふっ、よく言われます」

「ナマエはこう見えて酒豪なんだよ〜。ところで今日は一人なんだ?こんなところで珍しいね」

聞けばナマエの自宅はここから数駅先で、ついでに職場は更に先だという。ここはリヴァイとハンジの職場の最寄りだが、ナマエの生活圏内から外れているらしい。

「今日は打ち合わせがこの辺であって直帰だったんです。このバー、前にハンジさんが連れてきてくれたでしょう?その時にここなら女性一人でも大丈夫だって言ってたから、せっかくならって」

「なるほどね〜。あ、ナマエはね、カフェとかレストランを展開する会社に勤めてるんだよ」

「ほう…」

ハンジが告げたカフェの名前は全国チェーンで、リヴァイも隙間時間や打ち合わせでよく利用しているところだった。確かに接客に向いているな、とひとり納得していたが、今は現場を離れて本社業務に従事しているという。

「げ、やっべ…モブリットから電話入ってた。ごめん、ナマエ、リヴァイ、ちょっと電話かけてくる!」

スマートフォンを見たハンジが顔をしかめ、慌ててバーを出て行く。そろそろ帰るか、と思っていたリヴァイは完全にタイミングを逃して思わず瞑目してしまった。

「あの、アッカーマンさん、すみませんお邪魔しちゃって…」

「あぁ、別に構やしねぇよ。あいつの暴走は今にも始まったことじゃねぇからな」

「やっぱりハンジさんって、どんな時でもあんな感じなんですね」

「あいつが落ち着いてるところなんて、寝てる時しか見たことねぇよ」

「あっ…もしかして…!」

ナマエが何故かパッと顔を輝かせたのが、バーのダウンライトの下でも分かる。訝しげな視線を向けたリヴァイに、おずおずと口を開いた。

「あの、失礼ですがアッカーマンさんはもしやハンジさんの…?」

「…お前が何を考えているのかは理解したが、その想像は今すぐに捨てろ。ありえねぇし想像すらしたくねぇ」

「し、失礼しました…!」

低い声とロックグラスを握る手に力が入ったリヴァイの様子に、最後まで聞くことすら叶わなかった。座ったまま直立不動の体勢になったナマエがぶんぶんと何度も首を縦に振るのを見て、リヴァイはほんの少しだけ眉間の皺を和らげた。

「…ふざけたこと言ってねぇで、次はなに頼むんだ。またロックか」

「あっ、はい」

ナマエがカウンターの壁に並べられたウイスキーをじっくり吟味している間に、ハンジが戻ってきた。その顔はひどく気まずそうで申し訳なさに彩られている。

「ごめんっ!会社に戻らなきゃ行けなくなっちゃったよ。システムエラーが直らないらしい」

「大変ですね…。気をつけてくださいね」

「仕方ねぇだろ。今日は解散で…」

「じゃあリヴァイ、ナマエのことよろしく!」

「「は…?」」

パンっと両手を合わせたハンジの言葉に二人の声が重なる。ポカンとした顔も同じようになってそうで、リヴァイは慌てて表情を引き締めた。

「ふざけんなよクソメガネ。何で俺が…」

「ナマエの家がここから遠いのは聞いてただろ?送ってけなんて言わないけど、せめて電車乗るくらいまでは見送ってやってよ」

「ちょっとハンジさんっ…!私は大丈夫ですからっ」

「やっべ、また電話だ…!じゃあそういうことで!あ、ここまでの支払いは済ませてあるから!」

「え、あの、ハンジさ…!」

大きく手を振って風のように去っていったハンジに、ナマエの伸ばした手は届かず終わった。呆然としたようにそのままの体勢で固まっているナマエを見兼ねて声を掛ける。

「…とりあえず酒頼んじまえ」

「あ、は、い…じゃなくて、アッカーマンさん、あの、私のことは気にせずに…」

「そんなわけにはいかねぇだろ。それに、あのクソメガネにバレたらギャーギャー騒がれるに決まってる」

「…本当にすみません」

居た堪れなくなったのか小さく身体を縮めるナマエ。思わず溜息を吐けば、それにビクっとますます身体を小さくさせてしまい、怖がらせることしか出来なそうな自分に内心舌を打った。

「お前は悪くねぇだろ。あいつが強引に誘って勝手に去って行ったんだからな。まぁ…見ての通り俺は口も悪ィし相手にしても面白くねぇだろうが、美味いウイスキーくらいなら紹介出来る」

慰めにもならない精一杯のフォローに驚いたように顔を上げたナマエが、まじまじとそっぽを向いたリヴァイの横顔を凝視する。そしてゆっくりと笑みを広げると嬉しそうに一つ頷いた。

「ありがとうございます、アッカーマンさん」

「…リヴァイでいい。お前はナマエ、だったな」

「はい。よろしくお願いします」

再度丁寧に頭を下げたナマエのつむじを、目を細めて見下ろした。リヴァイと二人きりになった途端、擦り寄ってきたりあからさまにアピールしてくる女たちとは違い、どこまでもちゃんと距離を保つナマエに新鮮な思いを抱いたのは確かだ。だから慣れないフォローまでして、彼女の罪悪感を軽くしようとした。

「まぁ…せっかくの縁だ。ナマエ、シングルモルトが好きなのか?」

「はいっ。一番好きなのはー」

思いの外盛り上がる会話に没頭したのはリヴァイだったか、ナマエだったか。
気がつけば時計が真夜中を指すくらいの時間になっていて、焦ったナマエが何度も頭を下げて謝罪するのを押し留め、タクシーに無理矢理押し込む。

「あの、リヴァイさん、私電車で帰れま…」

「こんな時間に女一人で帰らせられるか」

「でも…」

「チッ…黙って乗ってろ。ちゃんと住所を伝えろよ。じゃあな」

「っ、あの、リヴァイさん!」

運転手に目線で出すように告げたリヴァイはタクシーに背を向ける。運転手には十分すぎる札を握らせているし、きちんと彼女を送り届けるだろう。

「…なんだ」

「今日、すっごく楽しかったです!ご馳走さまでした。ハンジさんのこと、これからもよろしくお願いしますね」

「お前な…」

何を言うかと思えば、最後まであの奇行種のことかと何故か気分が悪くなる。タクシーにとっては面倒な客になっている筈だが、握らせた札のおかげかまだ暫く待っていてくれるようだ。

「おやすみなさい、リヴァイさん。気をつけて帰ってくださいね」

「それはこっちの台詞だ。ナマエ、寝るなよ」

「寝ませんっ」

出してくれ、と今度こそ運転手に直接声を掛ける。するとゆっくりと開かれた窓から「おやすみなさい」とナマエが再度声を上げて、思わず口角があがってしまう。

「…おやすみ」

聞こえないと分かっていながらも小さく口の中で呟く。小さくなるタクシーを最後まで見送り、リヴァイもゆっくり踵を返した。



あの日、家に帰ってもリヴァイの頭の片隅にはナマエがきちんと家に帰れたのか、タクシーで寝てしまったりしていないか、そんな気掛かりが巣食っていた。ナマエと連絡先など交換していない。らしくないとは思いつつ、何度も迷った結果、ハンジに『ナマエとは解散した。無事に帰れたか確認しておいてくれ』と簡潔にメールを打ってベッドの中で無理やり目を閉じたのだ。

「リーヴァイ、この間はありがと!ナマエを任せて悪かったね」

「フン…悪ィと思うなら押し付けてんじゃねぇよ」

「ははっ、ま、意外とウマがあったようで良かったよ」

ナマエは無事に帰れたらしい、とハンジから連絡が来てから数日後、社内で顔を合わせれば明るく声を掛けられた。不機嫌そうな言葉とは裏腹に、リヴァイの纏う雰囲気は意外なほど穏やかだ。それはナマエとの時間が彼にとって「悪くない」ことを示していた。

「リヴァイが女の子が帰れたかどうか気にするなんてね〜。びっくりしたよ。まさか惚れた?」

「はっ…なんで一度飲んだだけの相手に惚れるんだ。お前がちゃんと見送れとか言うからだろ」

「だよね。あの女に対して冷酷非道なリヴァイに、ナマエを渡すわけにはいかないしね〜」

「…誰が冷酷非道だ」

「自覚あるでしょ?つい最近恋人に一方的に別れのメールを送って、その後全部スルーしてるのはどこの誰だっけ?」

ハンジの嫌味に口を噤む。
誕生日に自宅に押し掛けてきてプレゼントを押し付け、ぎゃあぎゃあ騒いでいた元恋人に引導を渡したが、そのやり方にハンジやエルヴィンからは苦言を呈されていた。

「うるせぇよ。相手に何を言われようと、俺が気を変えることはありえねぇ。だったらくだらねぇやり取りなんざ時間の無駄だろうが」

「…リヴァイ。別にそのスタンスに文句を言うつもりはないけど、いつかリヴァイに本当に好きな人が出来て、その人を大切にしたいって心から思った時…きっとしっぺ返しがくるよ」

「は?なんだそりゃ」

「まっ、いいや。私の大事な大事なナマエには興味無いみたいだしね。じゃ、まったねー」

不意に真剣な顔で言いたいことだけ言ったハンジが颯爽とリヴァイの元を去る。憮然とした思いを抱えつつ、これでナマエと関わることはないだろうとぼんやりとした頭で考えた。
少しだけ、ほんの少しだけ残念な気持ちになるのは、外見によらず思いきり酒を飲むあの潔さ良さを気に入っただけなのだと、己に言い聞かせながら。



ある日の平日、アポイントとアポイントの隙間時間、リヴァイはカフェでストレートティーを飲みながら一息ついていた。ナマエが働いている会社がチェーン展開しているカフェで、以前から訪れることも少なくなかったが、それは数ある選択肢の一つに過ぎなかった。だが今は近くにこのカフェがあるかどうかをチェックし、あれば多少歩いたとしてもそこに行く習慣が付いてしまっている。幸いチェーン店だからか、リヴァイが訪れる場所の近くにあることが多かった。

「あれ…もしかしてリヴァイさん…?」

「お前…ナマエ?」

入口に近い席で資料に目を通していたリヴァイは、上から降ってきた声に驚いて顔を上げた。同じく驚いたように目を見開いていたナマエと目が合う。

「やっぱり…!ご無沙汰しています。あ、その節はお世話になり…そうだ!タクシー代まで頂いちゃってて、私何度もハンジさんにリヴァイさんにお礼を言いたいってお伝えしたんですけど…」

「オイオイオイ、落ち着け」

全てを伝えようと焦ったのか、身振り手振りを交えて必死に感謝を述べるナマエをまずは落ち着かせることにした。二ヶ月振りのナマエは髪が伸び、仕事中だからか化粧もしっかりしているようだ。だがリヴァイに窘められて恥ずかしそうに照れるナマエの笑顔は変わらなくて、思わず頬を緩める。

「すみません、騒がしくしちゃって…。お仕事中ですよね」

「いや、今は空き時間だ。ナマエこそ仕事中か?このカフェもお前のところのだろう」

「あ、覚えててくださったんですね!そうなんです、ここは私の担当店舗じゃないんですけど、目に入るとつい入っちゃって…職業病ですね」

今は私も隙間時間なんです、と笑ったナマエを自分の横の席に促した。パッと顔を輝かせたナマエが頷いて注文をしに行く後ろ姿を見送る。何故一度しか会っていない彼女を隣の席に呼んだのか、適当に挨拶をして店を出れば良かったのにそうしなかった自分に僅かに居心地の悪さを感じつつ、あえて気がつかない振りをした。

「すみません、お隣お邪魔しますね」

「あぁ」

戻ってきたナマエが右隣に座り、改めて姿勢を正してペコリと頭を下げる。

「リヴァイさん、お礼が遅くなってすみません。先日はご馳走してもらったばかりか、タクシー代まで支払って頂いてて…本当にありがとうございました」

「そんな畏まられることじゃねぇよ。無事に帰れたみたいだな」

「はいっ。それにハンジさんにも連絡してくださったんですよね?ハンジさんからちゃんと帰れたか、あの後確認の連絡がきました」

「……そうだったな」

まさか自分が気にしていたとはいえず、素知らぬ振りをする。するとゴソゴソと鞄を漁っていたナマエが、ホッとしたような表情で顔を上げて角が少し萎れたポチ袋を差し出した。

「あの、これ、タクシー代です」

「…は?」

「すみませんっ、ずっと持ってたから少し折れちゃって…あ、中身は大丈夫だと思います!」

「お前…これずっと持ち歩いてたのか?」

「はい。次ハンジさんに会った時に渡してリヴァイさんに渡してもらおうと思ってて…。でも最近は誘っても予定が合わなくて。ハンジさんからの誘いっていっつも急なことが多いから、いつ誘われても良いようにずっと鞄の中に入れてたんです」

「…そうか」

「それにハンジさんにリヴァイさんの連絡先を聞くのも申し訳なくて…。個人情報ですし」

少し考えれば当たり前だと分かることなのに、リヴァイと会えることを期待して持っていたわけではないと知って、ほんの少しだけ落胆した自分に口の中が苦くなる。

「いらねぇよ。そもそも足りると思ってなかったしな。タクシー代の足しになりゃいいと思っただけだ」

「そんなわけにはいきませんっ。駄目ですよ!」

「しつけぇな。俺が一度渡したモンを返せとでも言うと思ったか」

「でも……」

リヴァイの憮然とした表情にナマエが怯む。何か考え込むように視線を上にあげた後、紅茶を啜るリヴァイの顔を覗き込んだ。

「じゃあもしリヴァイさんさえ良ければ、何かお礼をさせて頂けませんか?」

「礼…」

「はい。バーではご馳走になって、タクシー代まで頂いちゃって…あの日が初対面なのに申し訳なさすぎます」

生真面目なナマエの様子に思わず黙り込む。
今までの女は金を出してもらって当たり前、なんならそれで愛情を図られていたような気がするし、それで向こうの気が済むなら面倒にならないと気にしたことすらなかった。
そんな女ばかりでは無いと知ってはいたが、そもそも女と二人で飲みに行ったり出掛けたりすることの優先順位が低い自分にとって、ナマエの反応は新鮮に感じた。
僅かに頬を緩めたリヴァイは、自分でも気持ち悪くなるほどの穏やかさで口を開く。

「そうだな…。じゃあメシでも行くか?」

「はい、是非!ちゃんと私にご馳走させてくれますか?」

「女に奢られる趣味はねぇ」

「それじゃあ意味ないじゃないですか!ちゃんとお礼、させてください」

「…了解だ。店もお前に任せる」

「はいっ」

嬉しそうに目尻を下げるナマエ。
真面目で借りを作ろうとせず、きちんと自分の足で立っているところに好感を抱く。だが男相手にこんな風に隙を見せていて大丈夫なのかと、いらぬ心配をしてしまった。

「じゃあ連絡先、教えてもらってもいいですか?」

「あぁ。メールでいいか?」

「あ、メッセージアプリはやってないですか?」

「…登録はしてるが使ってねぇな」

「じゃあメールにしますか。私がメアド打ってもいいですか?」

今や誰でも使っているメッセージアプリを使っていないことに何故か今、居た堪れなくなる。古いと思われたか、と無駄に気にしてしまった。

「リヴァイさんもお忙しいと思うので…もし良ければいくつか候補日を送ってもらえますか?私、基本は定時退社なのでいつでも合わせられると思います」

「分かった。悪ィな、合わせてもらって」

「いえっ、私がお礼をする立場ですから」

にっこり笑ったナマエがそのまま時計に目を落とす。リヴァイもそろそろ移動しなければいけない時間だ。

「会社に戻って予定を確認したらメールする」

「はい、よろしくお願いします」

立ち上がったリヴァイを見上げてナマエが微笑んだ。店を出て行くリヴァイを手を振りながら見送るナマエに軽く手を挙げて応え、次のアポイント先に向かう。ナマエのアドレスが登録されたスマートフォンがどこか温かく熱を持っている気がした。



その後、慣れないメールのやり取りを経てなんとか約束の日を決めることが出来た。過去の恋人たちともメールのやり取りなどを殆どしてこなかったリヴァイにとって、ナマエとのメールは新鮮かつ穏やかなものだった。
リヴァイの多忙さゆえに中々日程が決まらなかったが、その日はあと数日に迫っている。その日は絶対に遅くならないように仕事を調整していた。
そして、やましいことをしているわけではないがハンジには一言告げておくべきか迷っていた。ナマエから話していたらリヴァイの元にはハンジがすっ飛んできているはずだし、未だそれが無いということは知らないのだろう。

「チッ…めんどくせぇな」

わざわざハンジに筋を通す必要はないと分かりつつも、後で知られた方が面倒なことになるとも長い付き合いで理解していた。
定時を過ぎたが、きっとまだハンジも残っているはずだ。仕事に目処がついたタイミングで、リヴァイは立ち上がった。

「オイ、ハンジ。ちょっと顔貸せ」

「えー?何その殴り込みみたいな声の掛け方」

「うるせぇよ。来い」

いつ来てもアマゾンのようになっている席から早く離れたくて、リヴァイは少し離れたところから声を掛けた。面倒くさそうに振り返ったハンジを一瞥して先に休憩室に入れば、程なくして入室してきた。

「なに?この間のプレゼン資料ならまだだよ」

「仕事の話じゃねぇよ」

「え…なになに?なんの話?」

途端に興味津々になって前のめりになったハンジの顔を鬱陶しそうに振り払う。だが簡潔に事の次第を説明していけば、最初は輝いていたハンジの顔が段々と強張っていき、話し終わる頃には髪を掻き毟り始めてしまった。

「あぁもう〜!!なんでよりによってリヴァイなんだよ!」

「お前が引き合わせたんだろうが。それに俺はそんなつもりじゃ…」

「ナマエだってそんなつもりは無いだろうよ!けど…でもさぁ!」

唾を飛ばす勢いのハンジから嫌そうに顔を背ける。ナマエからしてみればただの礼に食事に行くだけで、リヴァイもその厚意に乗っただけだ。

「リヴァイが女と二人で食事に行くなんて今まで無かっただろ」

「…だからなんだ」

「そんなリヴァイがいくら礼だからとはいえ、誘いに乗るなんて…。それだけで明日は雹が降りそうだよ」

「…とにかく。お前が可愛がってる後輩と黙って食事に行くのは悪ィと思っただけだ。ちゃんと伝えたからな」

「変なところで律義なんだから」

呆れたように肩を竦めたハンジを横目に、リヴァイは休憩室を出ようと扉に手を掛けた。

「リヴァイ」

真剣な声がリヴァイを呼び止めて、思わずそのまま立ち止まる。何故か振り向けなかった。

「…本当にただお礼の食事に行くだけなんだよね?他に何の気持ちもないんだよね?」

「当たり前だろ」

「だったらいいけど。頼むからナマエのこと、悲しませるような真似はやめてくれよ」

今までに聞いたことのないようなハンジの固い声に答えられず、リヴァイはそのままゆっくりと扉を開いたのだった。

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